「あなたへ」木原尚紀

 元気にしていますか?
 突然の手紙に、とても驚かれているかもしれませんね。だって、私達は仕事以外で関わることが全くなかったですし、あなたも私もすでに引退した身。お互い、良いお爺ちゃんとお婆ちゃんです。
 そもそも、私があなたに向けて手紙を書こうと思ったのは、相模鉄道の方から声をかけてもらったのが始まりでした。
「相模鉄道が百周年を迎えるにあたり、何か書いてみませんか?」
 大正六年(一九一七年)に創立した相模鉄道が今年の十二月十八日付けで百周年を迎えるのはあなたもご存知ですよね? それを記念して様々な催しが予定されているようですが、その一つとして私に白羽の矢が立ったようなのです。でも私、最初は断ったんですよ。テーマである『相鉄沿線の街・人・自然の魅力』に沿っていれば形式は問わないということでしたが今までの人生、私は物を書いたことが一度もありません。それに、三十年以上相模鉄道にお世話になったとはいえ、今と昔じゃ見る景色も、雰囲気も変わってしまっているでしょうから。けれど、それを聞いた彼は笑って、
「だからこそ、お願いしたいのです。先輩が見てきたもの、感じたことを僕達は知りたいし、多くの人に知って欲しいと思っていますから」
 その笑顔は若い頃のあなたにそっくりで……気付けば私は、手紙でもいいなら、と口を滑らせてしまっていました。手紙なら気負わず書けそうだと思ったからです。ここで「どうして宛先が自分になっているのか」とは突っ込まないで下さいね。
 私の傍には、いつもあなたがいた。
 あなたなくして、相鉄沿線の魅力を語ることはできないのですから。

 私が相模鉄道に就職したのは昭和四十二年の時。ちょうど、その数年前に相模鉄道が保有する車両が百両を突破するなど、長く悲しい戦争が遠い出来事のように復興と発展が波に乗っていた時期でした。
 でも、正直に申し上げますと、当時の私はどうしてこんな田舎で働かなくてはいけないのかと、がっかりしたものです。東京とか都会を夢見る年頃でしたしね。目に入るのは住宅街と田畑だけ。駅も木造ばかりで都会とは正反対の長閑という言葉が似合う街並みは、私には酷くつまらなく映ったのです。しかも、周囲は私の風貌に奇異の目を向けてくる。居心地が悪いったらありません。
 そんな私の面倒をみることになったのが、当時入社二年目、車掌を務めていたあなたでした。
「大丈夫。君もきっと、すぐにこの場所が好きになるよ」
 丸い眼鏡の奥の目を細めて、あなたはそう励ましてくれましたが、不貞腐れていた私は何が「大丈夫」なのかと思ったものです。
 あなたと私が担当したのは、主に二俣川から横浜の区間。住宅街から、だんだん近代的なビルが立ち並ぶ風景へ変わっていく上り路線でした。横浜向きの先頭車両、その運転台にいることが多かったあなたはよく「人間の文化発展を見ているようで楽しい」と言ってましたっけ。
 思い出せば、あなたはすごくお喋りでもありましたね。
 こちらが聞いてもいないのに、鶴ヶ峰に到着すれば「陣ヶ下渓谷公園を知ってる? 住人達の憩いの場なんだけど、川の水がとても澄んでいてね。緑も溢れているから、散歩すると木漏れ日が気持ち良いんだ」とか、天王町を通過したと思えば「元気が出ない時は洪福寺松原商店街に行くんだ。あそこは活気があって、人の笑顔が絶えない。買い物をしながら商店街の人達と会話をしていると、不思議と元気が湧いてきて、明日も頑張ろうって思えるんだ」と言い……よくもまあ、次から次へと話題が出てくるものだと呆れたものですが、今思うと、それくらいあなたは相鉄沿線に根付く街々を愛していたということなのでしょう。そんなあなたの熱意に当てられて、いつの間にか、私も愛してしまっていたのですから。
 それがいつからだったのか、私にもわからないんです。ただ、平沼橋が近付くと見えてくる大きな丸いタンク。あれが夕焼けに赤く染まると、胸がきゅうっと締め付けられるような切ない風景に変わる瞬間。相鉄線を添うように流れる帷子川の並木桜が、春になると一斉に花開いて、見る人を楽しませること。踏切を通る時、嬉しそうに手を振ってくれる子供達の笑顔……そんな小さな魅力が、相鉄沿線には溢れている。それが何だか、いいなって思ったんです。
 あぁ、好きだなって。

 あなたは、覚えていますか?
 星川から天王町の間で、地上に輝く星々を見た日のことを。墨を落としたような暗闇の中、普段は何てことない街灯や住宅の灯、踏切警報機の閃光灯が星のように連なって、私達の行く先を照らしてくれていた、あの風景を。時はすでに平成を迎え、私が退職する直前のことでしたね。空に浮かぶ星を見たことがない私には、一生忘れられない思い出です。あなたも「物語に出てきそうだ」って笑ってた。
 ただ、私と少し違っていたのは、
「人はいつか、空の星も必要としなくなってしまうんだろうな」
 と寂しそうにしていたこと。
 あの時は、どうしてあなたがそんな事を言うのか検討もつきませんでしたけれど、今なら少し、わかるような気がするんです。
 あれから、相模鉄道や沿線の街々の発展は更に進み、駅舎が建て直されたり、路線も延びて、新しい駅がいくつも誕生し、子供達が伸び伸びと遊べる公園や小洒落たビルがあるのも当たり前になりました。便利になっていくのは大変喜ばしいことです。けれど、同時に失うものもあることをあなたは理解していたのでしょうね。私達が見た地上の星の風景が来年には見られなくなってしまうように。
 でも、私は思うのです。
 それも含めて、相鉄沿線の魅力なのではないかな、と。変化を遂げてゆくということは、新しく生まれるものがあるということです。もちろん、思い出の風景が見られなくなってしまうのは寂しいけれど、あそこは高架化する関係で以前よりもっと高い所を相鉄線が走れるようになります。これって、何だか素敵じゃありませんか。だって、遠い北の国に住む人が書いたという、星の中を走る鉄道が見るような美しい風景をこれからは見ることができるかもしれないのですから。それに、全てがなくなってしまうわけではありません。例えば、私のように。
 
 ねぇ、あなた。
 やっぱり手紙だけじゃ足りません。あなたに話したいことがまだ沢山あるんです。だからたまには、ここへ遊びに来て下さいね。あの頃のように、相鉄沿線の魅力を肴にして、お喋りに花を咲かせましょう。
 
 私は今も、ここにいます。
 
 二○一七年十一月 
 かしわ台車両センターにて 
 
              モハ六〇二一 

                 (了)

著者

木原尚紀