「あの子に会いに」石山喜代

 横浜駅構内のエスカレーターで相鉄線ホームのある二階まで上ったとき、私の胸は激しく躍動し始めた。
 横浜に来たのも久々だが、それ以上にホームの先に広がる私の小さな世界の舞台となる目的地も、実にあのとき以来だ。
 大人になったらきっと会おうという約束をあの子と漠然としていたのを、先日に親しかった友人が亡くなったのを機にふと思い出した。それまでは自分の仕事の忙しさに追われるばかりで、とても二十年前の過去を振り返る余裕すらなかった。その友人は本当にある日突然にこの世を去った。ついこの間まで普通に会ったりしていた人がと、命の儚さを感じずにはいられなかった。その友人の弔問のため私は初めて急遽、仕事を休んだ。あってないような有給休暇をロクに消化することもせずにきたほどに、私は今までずっと仕事中毒という名のワーカホリックだった。休みの日でも家にいても常に仕事のことが頭から離れなかったので休んでもほとんど意味をなさなかった。高校を卒業して家庭の事情もあり、すぐに勤め出して以来ひたすら狂ったように働き続けてきた。よく過労で倒れることなくやってきたなと我ながら思いながらも空恐ろしい気がした。
 もう動くことのない亡くなった友人の穏やかな顔を見ながら今までありがとうと手を合わせ、ふと友達って何だろうと思った。いつかこうしてどちらかが別れを告げ、告げられることを前提に出逢う私的な関係・・そんなことを出逢う時点で認識している人など数えるほどしかいないだろう。だがあまりにも存在自体を当たり前のように感じていると、ある日突然というときに激しく動揺したり、心の病を患ったりする人だっているのだ。現に私は亡くなった目の前の友人に対して、もっと会っておけば良かった、話を聴いてあげれば良かったなどと、後悔先に立たずだ。失う前に気が付くことができなかった自分を恨み通しても、亡くなった人間はもう還ってはこないのだから。
 そうだ・・あの子に会おう。最後まで、私がここから転校するまでたったひとりの友達でいてくれたあの子に会いに行こうと、目の前で静かに眠る友人と会話をしたのだった。

 相鉄線横浜駅のホームは当時と変わっていない。改札口は時代の流れにおいて自動改札に様変わりはしていたが、雰囲気というか程よい混雑ぶりの駅構内は本当にあの頃のままだと眩しく感じた。その改札口をスルッと手持ちのICカードで抜けようとしかけたが、何となく私は踵を返し切符売場へと向かい、敢えて現金で切符を購入した。私は切符の感触を手のひらに軽く折れない程度に握りしめながら、再び改札口へと向かった。童心に返るとはまさにこのことなのか。まるで自分が次第にそのときへとタイムスリップしていくかのような不思議な感覚がしてくるのだった。
「えっと・・急行・・急行はと」
 発車案内の電光掲示板を見て頭の中で呟きながら辺りを見回すと、改札から見て右側の方にその急行は停車していた。急行と各停しかなかった当時のままの状態の私は、他に停車している電車の行先表示板をよく見ると今は特急も快速もあるのだと知ったのだった。その行先も海老名といずみ野しか当時はなかったのだが、延伸された湘南台が表示されているのを見ただけで、一瞬だったがちょっとしたパニック状態に陥ってしまった。だが、海老名行で行くことには変わりはないと、自分の降りる駅は何処なのだと頭の中で整理し、私は落ち着きを取り戻した。そして、今は湘南台まで沿線が延びたんだなあと何だかわくわくした気持ちにもなってきた。そうだ・・当時の私が、相鉄いずみ野線が何処まで延びるのだろうと心待ちにしていたのも思い出されてきた。いずみ野線の終着駅である湘南台は横浜市営地下鉄のブルーラインの始発駅でもあり、一度だけ仕事の関係で訪れたことがあったなとそんなことを思い出しながら私は一番右に停まっている急行海老名行に静かに乗り込んだ。一瞬、敢えて各停でゆっくり行くことも頭をかすめたが私のかつて住んでいた町へ行くことしか頭になく、早くそこに行きたい気持ちの方が勝った。
 列車がいよいよ発車すると、まるでタイムマシンに乗っているかのように私は敢え無く急行で通過する駅の一駅ひと駅を目を凝らすように目視していった。この駅もあの駅も、私は横浜から次に停まる二俣川までの通過する駅を全て一度は訪れたことがある。とても『鉄子』とまでは言えないが、私は幼少時から鉄道に乗って車窓の景色を眺めるのが大好きである。仕事に追われていたついこの間までにしても、私はどんなに会社で書類と睨めっこばかりの日々の中であっても、決して電車内や公共交通機関内において、パソコンや携帯電話の類をいじったことはなかった。時間を一分でも無駄にはできないと頭ではわかっていても、それでも電車やバスに揺られている間は車窓を眺めているか居眠りしているかのどちらかだ。そのお蔭か、未だに私の視力は両眼とも良好なままである。せめて移動の間くらいは何物にも囚われたくなかったという気持ちが潜在しているのだろうと思っている。
 でも・・私が仕事中毒に陥ったのは勉強ができなくてひたすらいじめられていた過去から逃れたいがためでもあったのだと思う。私はこんなに仕事ができるんだ、成果を挙げることができるんだ、そうすればいじめられなくなるのだ・・そうして自己暗示し続け、気が付くと一人のかけがえのない友人を亡くしていた。それが、振り返っても始まらないと思っていた過去の出来事に向き合うきっかけとなり、慣れ親しんできた相鉄線のあの駅へと足を向ける今に繋がったのだ。
 そのようなことを考えている内に、早くも二俣川に停車した。この駅でもよく降りて、万騎が原のちびっ子動物園に何度も足を運んだものだ。今はわからないが、当時は沢山のモルモットやうさぎが一定の敷地内で放し飼いされており、日によっては朝から晩まで動物たちと戯れて過ごした。まだあの動物園はあるのだろうかと気になったが、今はあと二駅乗り継がなければならないと気持を抑えた。気が付くと隣のホームにはこれも当時にはなかった青一色で塗られた横浜行が停車していた。こうした細かいことまでもが私の感動を呼び起こしていった。
 そうして列車が二俣川を発車していく。次の停車駅である希望ヶ丘駅のホームはリニューアルして様変わりしていた。私の住んでいた団地から歩くとおよそ二十分ほどだったが、時に自転車も使ってでもこの駅周辺には何度となく足繁く通ったものだ。理由は、駅のそばに古本屋があった。ここで初めて『ドラえもん』第一巻のコミック漫画を買った思い出がある。そして、やや小ぢんまりしているがそれが却って欲しい物が何処にあるか見つけやすい相鉄ローゼンというスーパーではいつも百円程度だったがお菓子を買うほどに馴染んでいた。希望ヶ丘はそうした思い出のある地でもあった。だがそこもまた通過する。そしていよいよ私の終着地へと辿り着くのだった。

 外は眩しいほどに陽射しが照りつけていた。
こうして実際にやってきて【三ツ境】という駅の看板を見ると、ようやく私はこの地に辿り着いたんだなあという実感が湧いてきた。
 駅から階段を降りて、私はまず一番慣れ親しんだルートを辿っていく。すると程なくしてダイエーの看板が見えてきた。私のいた当時は忠実屋という大型スーパーだった。引っ越した後にダイエーに変わったという話は聞いていたが実際この目でダイエーに様変わりしたかつての馴染みであったスーパーを見ると、どうにも複雑な心境である。そして、駅前に小さなケーキ屋さんが何か所かあったのも思い出されてくる。当時忙しかった親の機嫌を取るためにお小遣いをはたいて私は時々、それらの店でケーキを買った。すると当時の忠実屋の中でもケーキ一切れ百円という信じがたい値段で年に三回ばかり店頭に並ぶようになったのだが、子供の懐事情としては却って有難いことだった。
 そんなことを思い起こしながら店の立ち並ぶ商店街に出る。足繁く通っていた文房具屋や初めて親不知を抜いた歯医者は今でもあるのかと気になりながらも、私の足は真っ直ぐに思い出の地へと向かう。
 四年間過ごした場所とはいえ、風景や道がどう変わっているかわからないので、スマートフォンを外で見ながら歩くのが嫌いな私は地図をプリントアウトした用紙をポケットに忍ばせておいた。やはり案の定、所々が変わっている。だが極度に様変わりした風でもないので、どうにか地図と時々照らし合わせる程度で済み、私はあの子と約束した地へ辿り着いた。
 ここは、かつて通っていた小学校の校庭だ。不思議なのが、あんなに広いと思っていた校庭が大人になってから目の当たりにすると、当時よりも狭く感じる。それは先程の三ツ境駅前の歩道を歩いても似たような感覚を覚えた。道幅がこんなに狭かったっけ・・と駅前を歩きながら思ったのだ。
 日曜日なので誰もいないのかなと思いきや、サッカーの練習をしに来ている男の子たちが何人か校庭を駆けまわっていた。よく見ると女の子の姿も見受けられる。今は当たり前のように女子サッカーが存在するが、私がこの地にいた頃は『キャプテン翼』は流行っていたが、女の子サッカーの話はまだメジャーな類ではなかった。それでも、私の愛読していた『なかよし』という漫画雑誌には早くも時代を先取りした少女サッカー漫画が連載されていて、恐らくその漫画家は最先端を歩いていたのだろうなと懐かしく思いながらサッカーに興じる子供たちを眺めていた。
 私があの子に出した手紙への、久し振りに会いたいという旨の返事が来たのは一週間前のことだった。急で悪いのだけど、という前置きから始まり、小学校の思い出の地で会いましょうという、ごくごく簡潔な内容であった。幸いに今は管理職という立場だから比較的都合をつけやすくなったが、彼女が指定してきたのが日曜日で良かったと思ってしまうあたり、どうにもプライベートの領域の前に仕事中心に物事を捉えてしまうのだった。
 久しぶりだし、会うのは大体昼頃にしましょうという大雑把な彼女の返事に私はイエスと返信を速達で送ったのだが、正午を過ぎてもまだあの子は現れない。やがて時計の針が一時、二時と進んでいくが、あの子はやって来る気配がなかった。うっかりしていた、電話番号ぐらい訊いておくんだった・・約束は必ず守る子だったのですっかり信じ切ってしまっていた。大人になると人は変わる・・が、そうして疑心暗鬼のままこのだだっ広い校庭に何時間も突っ立っていても埒が明かない。私はうろ覚えながら、当時よく遊びに行っていたあの子の家まで取り敢えず行ってみることにした。
 とはいえ、手持ちのプリントアウトした地図だけでは心許なかったが、それでも道というか町の情景というのはそうそう様変わりしないものだなと思ったぐらいに、小学校からあの子の家までの行程というのが全くといっていいほど変わっていなかったのだ。所々に生えている木々のさわさわという音が、何だかやさしく、おかえりなさいと迎えてくれているような、そんな気がして私は心がジンとした。ああ・・本当に変わっていない。もし微妙にでも様変わりしていたり区画整理などが施されていたらば、とても昔の勘どころだけでは迷うだろう。ちなみに私の住んでいた団地は小学校のほぼ真横にあったが、そこはもう跡形もなく更地になっていた。団地といっても小ぢんまりした社宅だった。その母体である会社自体が倒産してしまっては社宅も残っているはずもないと私は当時の倒産したニュースを聴きながら思った。
 だがあの子の家は両親とも公務員だ。それも国家ではなく自治体職員だと親から聞かされている。大掛かりな転勤がないはずだから今でもそこに住み続けているのだろう。
 何ら迷うことなく、あの子の家の前に辿り着いた。茶色い三角屋根の、ごく普通の一軒家だ。ここも当時と全く変わっていない。それも何だかホッとする。でも・・と私は思い、【松井】という表札をじっと見据えながら思い切って玄関のチャイムを鳴らしてみる。
誰もいなかったらどうしよう・・というか、突然訪ねてきて迷惑そうな顔をされたら・・いや、予め今日の日にと約束はしていたのだ。何を迷うことがあろうかと思い直す。
「はい・・どちら様でしょう」
 あの子のお母さんだと、声を聞いただけでわかった。
「あっ・・あのう私、小学校のときに由紀子さんと親しくさせていただいた、坂本理沙です。突然お邪魔して申し訳ありません、由紀子さんはいらっしゃいますでしょうか・・」
 ここに着く前にどうにか考えてきた挨拶とはいえ、緊張のあまりに声が擦れる。何度か遊びに来たことはあるが、それ程の面識がないままだった。両親とも仕事で平日は家にいなかったからだ。その両親に会うとしても土日の日中だけだったが、そのときはよくお母さんが手作りのお菓子を作ってくれた。あっさりして程よい甘さの手製のドーナツが今でも嬉しい思い出となっていた。
「さかもと・・りさ・・ちゃん?あの、うちの由紀子とよく一緒に遊んでいた、理沙ちゃんね。今、開けます」
 お母さんの声のトーンが高くなったので私は心底からホッとする。玄関先でバタバタという音がしてくると程なくしてドアが開いた。
「あらあら・・久しぶりね、いらっしゃい。大きくなったのね、理沙ちゃん・・あ、もう大人だからちゃん付けでは失礼かな」
「いえ、いいですよ。お会いできて光栄です」
 対する私が返す言葉はどうにも社会人くささが抜けない。時折、営業も兼ねて外回りをするので自然と相手を立てる言葉が先んじてしまうのだった。
「けど・・今日確か、由紀子はあなたと会うからって学校の方へ向かったのよ。会わなかったかしら」
 怪訝そうな表情で彼女のお母さんは顎に手を当てながら考える仕草をする。
「そうなんです。三時間くらい待っていたんですけど見当たらなくて・・それで、こちらまで来てしまいました。もしかしたら家にいらっしゃるかなと思って」
「そうでしたか・・とにかく、折角だから上がって。今、お茶淹れますから」
「すみません・・お構いなく。では、お邪魔します」
 私はお母さんが差し出したスリッパを履いて当時のままの家の中を見渡す。壁に掛かっている絵画も、玄関に置いてあるこけしも、何も全く変わっていなかった。私は小さな感動を覚えた。
「散らかっていますけど・・どうぞ」
 私は行き慣れたリビングへと向かう。人はどんなに日頃片していても社交辞令で散らかっていると言うものだなと改めて思った。
 テーブルには花が生けてあり、日頃きちんとした家庭生活なのが窺えた。
「ちょうどカステラを焼いたの。良かったら」
「美味しそうな香りですね・・いただきます」
 早速食べてみると、当時も食べたことのある懐かしい味が蘇ってくる。ふわふわしていて美味しい。
「それにしても・・あの子いったい、何処に行っちゃったのかしらね」
 彼女のお母さんは心配そうに顔を上向き加減にして言うのだった。

 由紀子の家でずっと待っていても彼女のお母さんに悪いと思ったのと、このままでは埒が明かないと思い、私は再び小学校へ戻ってみることにした。
 校庭には、先程走り回っていた子供たちの姿はもうなかった。
 私は再度、校庭の全体から端々と、そして校舎と体育館の裏手の方まで見回してみたが、やはり由紀子の姿は見当たらない。手紙には確かに思い出の地と書かれていた。そこで、私はあっと思った。
「もしかしたら・・あの子の思い出の地は学校じゃないのかも」
 私はてっきり、手紙の返事の内容から勝手に小学校だと思っていた。では、私たちにとっての思い出の地は他に何処なのだろうと思いを馳せる。私はブランコに揺られながらしばらく考えていた。わからない・・思い出せない・・どうしよう、あの子は何処に行っちゃったんだろう。このまま今思い出せないと、もうあの子に会えないのではないか・・私の心拍数が焦りによって上昇していく。
 私は途方に暮れた思いでふと空を見上げた。
清々しいほどの秋晴れだ。それこそいっそ何もかもおてんとうさまに委ねたい気持ちだ。
「ん・・おてんとうさま・・あ、そうか」
 私はブランコから降りて、その場所へと向かったのだった。

 もう足を踏み入れることすらないと思っていた場所へと、私はやってきた。小学校から目と鼻の位置にある、当時私が住んでいた団地の跡地。私があの子の家へ遊びに行っていた以上に、私もまたあの子をよく自宅へ連れてきていたのだ。大体、学校から圧倒的に近いのは私の家だったのだから、うちへ寄る方が自然と多くなる。かといって基本は遊びに行く際はまず家に戻ってからとされてもいたので、時としてはバランスよくあの子の家へ行ったりして子供ながらに上手くやっていたのだ。もっとも、当時この地域では共働き家庭というのが少なかったので、敢えて周りも由紀子に至っては黙認してくれていたというのもあるのだろう。
 私はゆっくりと、かつて住んでいた団地の跡地に入っていく。敷地面積はさほど大きくないが、入口から入って左手に大きな欅が奇跡的に今でも立派に健在だった。私はここで立ち止まって欅に身を任せたくなった。早くあの子を探さなきゃという気持を置き去りにしてでも。もしあの子と何事もなくスンナリ小学校の校庭で会えていたらこの欅との再会もなかっただろう。私は、おかえりなさいと優しく出迎えてくれた欅に背中をピッタリくっつけながら青空に向かって涙を見せた。
 すると、背後からこちらに向かってくる足音がしてきた。
「ここで・・よく、二人でドングリを拾ったよね」
 私は真横をパッと振り向いた。紛れもなく、大人になったあの子がそこにいた。
「ゆき・・ちゃん」
「久しぶりね、理沙ちゃん」
 由紀子ははにかむようにこちらに笑顔を向ける。だがその笑顔に何処か悲しさが漂っているようにも見えた。
「ここだったんだね・・思い出の場所って」
「そ。理沙ちゃんが来なかったらどうしようかと思った」
「ごめん・・すぐに思い出せなくて学校の方ばかりウロウロしてたんだ」
「そうだったの・・こちらこそごめんなさい」
 儚げな表情の由紀子を見ていると、懐かしさよりも痛々しさのほうが感じられてくる。
「でも、あたしが住んでいた団地の中にいたなんて。本当に意外だった」
「ここで、よく雨宿りとかもしたもんね。二人で」
 懐かしそうに天を仰ぐ由紀子が眩しかった。
「この樹の下で、持っていたティッシュでテルテル坊主を作ったりもしたよね」
「そうそう。そこら辺に生えてる草を糸代わりにしてね」
 由紀子も嬉しそうに返す。先程おてんとうさまと思い浮かべたとき、そのことを思い出したのだ、私は。
「あのときは・・あたしの家にお父さんがいたから・・雨宿りするしかなかったんだよね」
 私の父というのは、母の再婚相手だった人のことだ。二人の結婚に伴ってここに移り住む形になったが、その父が度々暴力をふるうので父が家にいるときはとても由紀子を招き入れることはできなかった。
「大変だったんだよね・・理沙ちゃん」
「あ・・ごめん。久しぶりに会ったばかりなのにいきなり暗い話題になっちゃって・・あたしね、ずっと仕事に追われる生活が続いてて。でも、ゆきちゃんのことを忘れていた訳じゃないんだよ。だから今日会えて・・」
 すると、由紀子は話し続けようとする私を遮る素振りを見せた。
「それは、あたしだって同じ。勉強に、仕事にと何かから逃れるように今まで過ごしてきたの」
「ゆきちゃん・・」
 由紀子は私に正面から向き直って切り出す。
「あたし・・あたしね、あなたに謝らなければとずっと思ってた。あなたが転校していってから、ずっと・・」
「えっ・・謝るって何を・・だって、ゆきちゃんは何もあたしに悪いことしてないでしょ」
 だが由紀子は頭を垂れながら首を横に振るのだった。
「あなたがこの町から出て行ったのは、いじめがひどくなったから・・そうでしょう」
「うん・・まるで逃げるように。そうするしか方法はなかったの。ごめんなさい」
「謝らないでっ」
 由紀子は激しい口調で言葉を返したので、私は一瞬気が動転した。
「お願いだから・・あたしに謝らないで・・」
「ゆきちゃん・・どうしたの。何か、あたしが知らなかったことを知ってるの・・」
「あなたをいじめていたグループはね・・そうしろと命令したのは、あたしなの」
 由紀子はこちらを見据えて言う。
「う・・うそでしょ・・だって、あなた、あたしを最後まで庇ってくれたじゃない。クラスから一人二人とあたしの周りから誰もいなくなっても、いじめられているあたしを止めに入ってくれてたじゃない」
「だって・・それだったら、なんであたしもいじめの対象にならなかったの。それはまさしくあたしがいじめの首謀者だったからよ」
「そんな・・」
 私は思考回路が停止した状態に陥った。今まで一番の味方だと思っていた由紀子が実はいじめの首謀者だったなんて言われても、どう受け止めていいかわからなかった。
「ずっとあなたの味方のフリをしていながら、いじめっ子たちをあたしは陰で操っていたの」
 しばらくすると、ようやく私の思考回路も再び動き始めた。
「だけど・・どうして・・」
「あなたが羨ましかったからよ、理沙ちゃん」
「羨ましい・・あたしが?何の取り柄もないのに・・」
「いつも成績は一番だったじゃない。理沙ちゃんに勉強を教わる度にあたしは密かに屈辱の塊だった。どんなに頑張って勉強してもあなたにいつまで経っても追いつけなかった。あまりにも悔しくて、いじめをやめようやめようと思っても歯止めが利かなくなっていた」
「ゆきちゃん・・そんな風に、あたしを・・」
 私は二十年越しに彼女に裏切られた気持が生じた。ずっと味方だと思っていた子が実は敵だったとは・・ショック以外の何物にもならなかった。
「あなたのようになりたい・・でも、追いつけないあなたがずっとずっと、憎かった。うちの両親もすごく学歴重視する人たちだから、小学生の時点でプレッシャーを感じていたし」
 顔を歪めながら真実を語り続ける由紀子を見続けると、私はこれまでいじめられっ子の立場でしかモノを考えていなかったと気づかされた。だけど・・私はそれでも納得いかなかった。
「ゆきちゃん。あたしの成績が良かったのはね、勉強すればいじめられなくなるって信じて必死で・・死に物狂いで勉強していたからだよ。徹夜だって何日したか覚えてないくらいだよ。おまけに、成績が下がれば父親からは殴られるし・・そんな状況で、あたしは当時本当に生きるか死ぬかの思いで過ごしていたんだよ。そんなあたしにはそう簡単に誰も追いつけなかったと思う」
「理沙ちゃん・・そんな・・」
「でも・・あなたもそれなりに苦しんでいたんだなって話を聞いて思った」
「だって、あたしはあなたをいじめていたのよ。それも、自分で手を下さずに・・すごく卑怯で最低だと思ってる」
 由紀子は私に向き直り、深々と頭を下げた。
「ごめんなさい・・理沙ちゃん」
 私は、何も言葉を発することができずにただただ、立ち尽くしていた。
 でも・・と思った。由紀子はそのことで二十年以上ずっと苦しんでいたのだと私には理解できた。いじめられっ子ばかりでなく、いじめっ子にもまたそれなりの苦悩がつきまとうのだと思った。人は傷つけられるよりも傷つける方が引きずりやすいのだと言われたこともあったが、それは場合によっては一生続くものなのかもしれない。
「勇気出して・・謝ってくれたんだよね、ゆきちゃん」
 由紀子は止まらない涙を拭おうともせずにひたすら頭を下げ続けた。
 そんな私たちを静かに見守っていた欅の葉がさわさわと優しい音色を奏でていた。
                  
                   了

著者

石山喜代