「ありがとう、海のお爺さん」鈴木克明

 相鉄線沿いが私、広瀬郁美のビジネス範囲だった。地元密着の求人広告誌の営業を大学卒業後、今年の春からやっていた。誌面に穴を開けない為にひたすら動いた。慣れないスーツ姿に革靴で足が痛くなった。終電間際なんてざらだった。睡眠不足で肌がかさかさになってしまい三〇代のおばさんになった気分だ。
「疲れたぁーもうやだぁ~」
と私は思いっきり電車の中で叫びたい気分だった。

 湘南台駅に着くと、ひたすら箒と塵取りで掃除している白髪頭のお爺さんがいた。
歳は八十歳ぐらいだろうか?顔中皺くちゃだが、穏やかで優しそうな顔をしていた。お爺さんは吸殻やガム等の細かいゴミを拾っていた。そういえば、相鉄線沿いの他の駅でも掃除していたのを思いだした。
お爺さんは私の視線に気がついた。
「おはようございます!」
お爺さんは私を見つめて首を傾けた。
「どこかで会ったかね?」
「はい、お会いしました・・・先週、いずみ野駅で」
「よく覚えているの~年取ると記憶が・・・ハハハ」
「営業でよく相鉄線に乗りますので、今後もよろしくお願いします」
「よろしくぅ~」
初めてお爺さんと会話を交わした。何だろう
この妙なときめき感は?私の実のお爺ちゃんは私の小さい時に亡くなっていたから、さほど記憶がなかった。

 お爺さんは雨の日も合羽を着て、湘南台駅前で掃除をしていた。私は傘を差しながら爺さんに訊いた。
「毎日お掃除して大変ですね?」
「暇だからね・・・ボケ予防だよ!」
「お爺さんの家はどこの駅ですか?」
「ここだよ!若い頃は江ノ島で海鮮料理屋をやっていたよ」
「すごぉい!魚捌くのがお上手なのですね」
「いやいや、たいした事ないよ・・・お姉さん、相方は?」
「え?彼氏ですか?いませんよ」
「え~!こんな美人をほっとくなんて勿体ない」
「やだぁ~何も出ませんよ~!」
「立候補しちゃおうかな?こんな爺でもいいかのぉ~?」
私は思わず、吹き出してケラケラと笑った。お爺さんと打ち解けだした瞬間だった。
「今度デートしますか?」
お爺さんは仏のような顔を浮かべて相槌を打った。私はお爺さんと会話するのが楽しみになってきた。他愛のない会話をする日がしばらく続いた。昼時にたまたまお爺さんと遭遇した日があった。湘南台駅の近くにある海鮮居酒屋でランチをする事になった。
江の島、鎌倉から直送されてきた新鮮なしらすを楽しめるお店だった。
「あれ?広瀬さんのお爺ちゃん?」
「はい」
お爺さんは店長に笑って頭を下げた。
「孫がお世話なっております」
「こちらこそお世話になっております」
この店は私の得意先でもある。
新鮮な生しらすと揚げしらすをミックスした海鮮丼がテーブルに置かれた。
「へい、お待ち!」
見るからに新鮮な生しらすがたっぷり乗っている。私は手を合わせて大きな声で言った。
「いただきます!」
あまりに美味しいので私は女である事を忘れてガツガツと食べだした。
お爺さんも私に負けずにたいらげていた。
私とお爺さんは新鮮なしらすを口の中で噛み締めて堪能した。
「うまいなぁ~!」
「うん、美味しい!この味わいは一生忘れないわ」
「褒め過ぎだって、広瀬さん」
食べ終えた後、私とお爺さんはお茶を飲んで余韻に浸っていた。
「はぁ~最高よ!」
「一緒にいる人がいいからの~」
私は思わず、お爺さんの太腿をペシッと軽く
叩いた。
 
 店から出て、お爺さんは私に笑顔で頭を下げてきた。
「この歳でデートできるなんて幸せ者だよ」
「こちらこそ、楽しかったです!また、ランチしましょうよ。そうだ!お爺さんのお名前は?」
「お爺さんでええよ・・・わしもお姉さんと呼ぶから」
「わかった お爺さん!さようなら」
お爺さんは私に手を振って、近くのパチンコ屋へ行った。私は湘南台駅の改札を抜けて、午後からの商談の為に相鉄いずみ野線に乗った。発展途上中のゆめが丘駅、駅前に深夜1時半まで営業しているスーパーが出来た、いずみ中央駅を通り過ぎた。いずみ野駅で降りて得意先まで急いで向かった。そうてつローゼン、カインズ等の商業施設も増えてきたおかげか求人広告の需要も増えてきた。
駅から離れるとのどかな田園風景が広がっていて四季折々の自然を感じることができる。
 
 仕事でまた繁忙期が訪れた。またしても肌荒れがひどくなってしまった。化粧水で保湿しても効果はイマイチだった。
「もう~やだぁ~!」
また叫びたい衝動に駆られた。お爺さんと久し振りに湘南台駅で再会すると私はつい愚痴ってしまった。
「こんな雑誌作って、誰かの役に立つの?」
私はタウンワーク相鉄線沿線版を鞄から出した。お爺さんは箒を立て掛けて言う。
「仕事探す人も多いからのぉ?」
「安い仕事ばかりだし、私だったらやりたくないな」
やる気のない私の顔を見て、お爺さんは険しい顔になった。
「遣り甲斐ないなら辞めなさい」
「でも・・・」
「どっちだ?はっきりせい!」
「す、すいません」
お爺さんはネガティブな私なんかと話したくないのか、黙々と掃除をしていた。
ポイ捨てする若い男性に注意を促した。
「ちゃんと携帯灰皿持ちなさいよ!」
「すいません」
注意された男性はすまなそうに足早に去っていく。五十歳前後の女性が通りかかる。
「いつもご苦労様です」
「どういたしまして」
労いの言葉をかけてくれる人も大勢いた。感謝の言葉を言われるとお爺さんは常に仏の顔だった。
誰かの役に立ちたいのかな?
お爺さんは自分が信じた道を歩んでいる。
私はいつもぶれている。高校時代も何がやりたいのか不明瞭で受験する学部を中々決められなかった。結局、無難に経済学部にした。
就職の時も面接で何を答えていいかわからない時も多々あった。だから、内定をもらったのは他の友達よりかなり遅めだった。男も目移りして特定の人と長く付き合った経験がなかった。
本当にダメな私。

 通勤ラッシュの中をヒイヒイ言いながら、私は湘南台駅で降りて改札を出た。
階段付近で掃除をしながら、ゴホゴホと咳をしているお爺さんを見つけた。
私は心配そうにお爺さんに歩み寄った。お爺さんは私に気が付いて会釈した。
「お、おはよ・・・ゴホゴホ」
「無理するから風邪ひいたんじゃ?」
私は背中をさすってあげた。お爺さんは嬉しそうに微笑んでくれた。
「嬉しいの~誰も心配してくれる人いないからの~」
「どんどん私を頼って下さいよ。友達じゃないですか?」
お爺さんは愛おしい眼で私を見つめた。もしかして、私を異性として見ているのか?単なる私の勘違いかと思うようにした。

「日曜日、海に行きたいの~」
初夏の日差しが厳しい中、私はお爺さんに誘われて片瀬東浜海水浴場へ行った。
江ノ島がよく見えるビーチに座り、光り輝く広大な海を眺めていた。近くには水族館やカフェもあり、絶好のスポットだった。サーフィンをしている若者や水着で泳いでいる人も多く、非常に賑わっている様子だ。私は肌をさらけ出すのが嫌だったので水着の上に薄めの長いシャツを着ていた。
お爺さんは何やら懐かしそうに涙ぐんでいた。
「若い頃はここで女房や友達とよく泳いだものだ」
「羨ましいですね・・・私なんか彼氏と海行った事ないですもん」
「これから行けばいいじゃないか」
「彼氏できますかね~私、我がままだから」
お爺さんはにんまりしながら自分自身の皺くちゃの顔を指した。
「あはは。こんな素敵な彼がいましたね!」
私も笑顔で元気なオーラをお爺さんに返した。
お爺さんの視線が私の胸元にきていた。
「私に女を感じている?」
お爺さんは無言で頷いた。私はお爺さんの手をそっと握ってあげた。お爺さんは黄色い歯
を見せて、嬉しそうに笑った。
「出血大サービス!」
私はシャツを脱いで、セクシーな水着姿を披露した。お爺さんは私のお尻や胸部分をじっと見て、純情な少年らしく顔を真っ赤にしていた。ちょっとやり過ぎたかな?と私は若干、後悔した。
 
 昼を過ぎて日差しが強くなりすぎたため、お爺さんの体調が悪くなってきた。
江ノ電に乗って、藤沢を経由して湘南台駅まで一緒に帰った。改札でお爺さんは私に向けて握手を求めてきた。
「こんな爺さんにつきあってくれてありがとう」
私は力強くお爺さんの手を握った。
「すごく楽しかったよ!」
「次、いつ会えるかわからんが・・・」
お爺さんは一瞬寂しい顔になった。
「また、生しらす丼食べようよ」
お爺さんは手を振って、少しよろよろしながら歩いて行った。私はお爺さんの後姿を見て、神様にお祈りした。
「元気なお爺さんにまた会わせて!」
このお祈りも叶わぬ夢になるとは思わなかった。

 梅雨が訪れて、雨の日が多くなった。お陰様で私の足元がびしょ濡れになる日も増えた。
私は相鉄沿線で降りる度に駅前周辺を見回したが、お爺さんの姿は見えなかった。溜息つきながら相鉄線に乗って職場のある湘南台駅まで向かった。車窓から景色を眺めながら、私は妄想した。
どうした?体調不良で寝込んでいる?
もしかして、孤独死?
お子さんが引き取った?
無理やりでもいいから、名前と住所を聞いておけば良かった後悔した。お爺さんは死期が迫っている事を悟って、私を思い出の海へ誘ってくれたのだろう。そう思うと、私の眼からはとめどなく涙が溢れ出てきた。
 私は湘南台駅に着いて、駅前の通りを歩いてゆく。お爺さんのおかげで、だいぶ吸殻をポイ捨てする人は減ってきた。私は落ちている吸殻を拾いながら、ひたすら前を向いて歩いてゆく。紫陽花の咲いている綺麗な街並みを見渡しながら私は呟いた。
「ありがとう、海のお爺さん」
               
                  完

著者

鈴木克明