「ある日の電車」高遠ゆき

 今日はツイてる、と、彼女は胸中で快哉を叫んだ。
 大和駅は構内で乗りかえが可能なので、他の駅に比べれば、やや時間のゆとりがあるほうだ。
 それでも人々はどうしても早足でホームへと急いで行く。
 一人が急げば他もそれに習うようになるのは、よくあることだ、
 彼女もその波に乗るように、けれど異なる理由で転ばないよう注意しつつ階段を降りていった。
 むかった先は横浜方面の一番前、ちょうどやってきた急行に一番乗りすると、運転席が見える位置が空いていた。
 心の中ではしゃぎつつ、しかしもういい年をした大人なので、表情は変えずに特等席に陣取った。
 大体この場所には先約がいるものだ。それは子供だったり、大人だったり様々だけれど、運転席が見えないつくりの電車が増えた中、相鉄線はまだ運転席が見える仕様になっている。
 大和から横浜までは、長いほどではないが短い距離でもない。
 他の電車だったら座席を探す長さだけれど、習性とでもいうのだろうか、まず特等席が空いているか確認して、駄目だったらあきらめてすわる、というパターンになっている。
 これが他の電車だったら、腰が痛くなるからと椅子を探すのが先だというのに。
 さして車内は混んでいない、もしもつらくなったらすわればいいだろう。
 やがてアナウンスとともに列車が発進し、地下を走ったかと思うと、すぐ明るい日差しの中へと出ていく。
 相鉄線は基本地上を走る路線なのだが、ここだけは小田急とのかねあいで地下になっているためだ。
 トンネルを抜ければ、周囲はすぐに家ばかりになる。
 背の高い建物が少ないあたりが、いかにも街の電車、という感じだ。
 流れていく景色を見ていると、心が子供にもどる気がした。

 かつては母や弟とともに、この電車に乗っていた。大好きな祖母の家へ行くためだ。
 だからだろうか、祖母はとうに亡いけれど、この電車に乗ると楽しくて懐かしい気分になる。
 今となっては、横浜へ行くにはこの路線が一番便利だからという理由で乗ることのほうが多い。
 幾度も使ったその中には、あまりよくない記憶もあるはずだ。
 けれど、思い出すのは祖母に会いに行く時のわくわくした気持ちばかり。
 小さいころから背は高いほうだったので、運転席の窓はよく見ることができて、いつもそこから運転手気分を味わうのが好きだった。
 二俣川までは各駅停車なので、あまり速度も出ない。付近を見渡す余裕もあるし、細い線路を縫うように走るのも面白い。
 機器を見ても速度計くらいしかわからないけれど、それでも面白かった。
 運転席もどんどん進化しているようで、以前のような無骨さは減ってきている。
 今日は運転手気分はいいかと、久しぶりの正面からの景色を楽しむことにした。
 昔より建物が増えた気はするが、このあたりはまださほど変化した気はしない。

 ほどなく電車は二俣川に到着し、乗り継ぎのために少しの停車時間ができる。
 すると、ものすごい勢いで子供が走ってきた。
 転びそうになりつつ駆けこんできたその子は、特等席を見てあからさまにがっかりしたので、小さく笑って最前席を譲ることに決める。
 少し後ろに下がってやると、その子はぱっと表情を明るくして、ジャンプする勢いでかぶりついた。
 数歩後ろからでも十分景色は見えるし、それは、かつて大人が自分にしてくれたことだ。
 歴史は繰り返す、なんて言うと少々大仰だけれど、それくらいの心の広さは持つべきだろう。
 子供のあとに慌てて乗ってきた母親が、最前列の子供を見て察したらしく、そっと頭を下げてきた。
 どういたしましてと礼を返すその間も、子供の視線は動かない。
 きっと、自分が子供の時も、同じようなやりとりが後方で行われていたのだろう。
 はじめてそれに思い至り、今度ありがとうと言わないと、と心に刻む。

 自分の半分ほどの位置にある子供のつむじを眺めていると、ドアが閉まった。
 再び視線を前にむけると、ゆっくりと電車が動きだしす。
 ここからは横浜までノンストップなので、先ほどより少しスピードが出てくるから、また違った楽しみがある。
 と言ってもごく常識的な速度で、どこぞの列車のように急カーブで転びそうになるわけではない。
 だから、支えのない位置で立っていても、特に支障はない。
 ラッシュ時に乗ったことがないので、この路線はのどかだなぁという印象しか持っておらず、それは、たまにしか乗車しなくなった今も変わらない。
 というより、まれにしか乗らないからこそ、思い出にひっぱられているのかもしれない。
 なんとなく感傷的な気分になりながらも、視線は前から動かさない。
 小さな窓から見える景色は、次々と駅を通りすぎていく。
 高架工事もはじまっているし、駅の改良工事もされていたりと、子供のころから地味に変化しているはずなのだが、それでも変わっていないフェンスの色だとかを見つけると嬉しくなる。
 昔は石炭を運んでいたんだよ、と近所の老人に聞いて驚いたものだが、流石にその片鱗はうかがえない。
 高速道路や新幹線やらが上下に通っているのも、子供のころと変わらない。
 一度だけ新幹線が通る瞬間を見て、大興奮したけれど、あれはいつだっただろう。
 時刻表とつきあわせれば計算できるものだが、それは野暮な気がして、結局見られたのはそれきりだった。
 今日も、……通り過ぎるのは一瞬だったけれど、駄目だったようだ。
 ちょっとだけ残念だけれど、そうそう何度も出会えても、ありがたみが薄れてしまう、難しいところだ。
 その地点をすぎれば、横浜まではもう半分ほどだ。
 駅の近くのそうてつローゼンの文字、前からある団地、そして、まだ完成図が想像できない高架。
 見覚えのない真新しいぴかぴかの建物、工事中の看板……
 この工事が終わったら、これ以上に景色は変わることだろう。
 便利さには変えられないけれど、そうなればこの馴染み深い駅舎は姿を消し、こじゃれた駅になるのだろうと思うと、一抹の寂しさがある。
 階段しかない、屋根も少ない駅は不便極まりないから、それ自体に不満はない。
 けれど年を重ねてくると、変わらないものの貴重さを身にしみるようになるのだ。

 そんなふうにしんみりしていようが、列車は変わらず走っていく。
 やがてJRの線路と並走するようになれば、横浜駅はもうすぐそこだ。
 そうして目の前に見えてくるのは、横浜駅のある大きな穴にも見える入口。
 この穴に吸いこまれるように入っていくのが、クライマックスのようで楽しかった。
 一瞬暗くなり、しかしすぐに明るくなる、そのあたりもとてもいい。
 そして、運転手の絶妙な動作によって、乗車位置を合わせてぴたりと停車すれば、目の前はジョイナスの店内だ。
 今となってはこういう形の駅は珍しくなっている気がする。
 祖母はよく横浜まで迎えにきて、相鉄線の改札出口で待っていてくれた。
 場所はいつも同じ、ジョイナス内の改札右側だ。
 駅員に切符を渡して駆け寄ったその場所は、自動改札になって店も変化しているが、全体の雰囲気は変わらない。
 今は待っているひとはいないし、切符だってICカードだ。
 デパートの屋上でお昼を食べるわけでもないし、祖母の家ももう存在しない。
 それでも、今日はきっといいことがある。
 そんなふうに感じながら、降車ホームからゆっくり歩き出した。

著者

高遠ゆき