「いつもの」佐藤睦月

今日は会社の掃除当番。
いつもよりも早く出勤しなければならない。
バスに乗る時間も一本早く行かねば。
私は数年前までは自転車にのり、最寄りの瀬谷駅まで行っていたが、
病気になってからバスに乗り換えたのだ。
出勤のため玄関を出ると、朝の光が重くてどんよりしたものからサラリとした
秋のものに替わっていた。
急ぎ足でバス停に向かった。
目的のバスはスムーズに到着し、終点の瀬谷駅北口に着いた。
終点のバス停から相鉄瀬谷駅までの間大きく育った木が何本かある。
そのうち駅に一番近い大きな木は野鳥の住み家になっている。
私が着いた7時30分過ぎでは鳥たちはすでに皆飛び去り、静まりかえっていた。
この木の一番初めの住人は尾羽をフリフリするセキレイ、今ではスズメとムクドリに代わっている。
ところが、夕方この住人たちが帰ってくる夕方6時すぎごろから木の周辺は一変する。
人と同様、帰宅ラッシュになるのだ。帰宅の声は駅のホームからも聞こえるほどの大音量だ。
2~3羽あるいは十数羽の群れが三々五々、この木に向かって渦巻きのように風を起こして帰ってくる。
こんな駅の近くで鳥たちの営みを見られるのは、私にはうれしい限りだ。
そんな木を横目で見ながら、駅へ歩を進める。
瀬谷駅はきれいに建て替えされた。高架に改札口がある。階段をのぼるか、エスカレーターで上がって
いくことになる。建て替え前の古い階段は前方に大きく傾斜していてヒールの高いパンプスをはいている場合、
階段を降りるとき、姿勢が前傾するので特に緊張感を覚えた。落っこちそうになるからだ。今では新しくなって、
私は逆に残念な気持ちに包まれた。というのはヒールのあるパンプスは怖くて履けなくなったからだ。私の隣を
おしゃれに着飾った女性が目の前の階段を颯爽と上がっていく。うらやましさでいっぱいになる。
そんな少しいじけた気持ちにちょっぴり元気を与えてくれるのが、階段を上ったところで見える富士山の姿だ。
大きな広い窓から丹沢山系を前に富士山を目にすることができる。冬は白い雪をかぶった姿を、
夏の夕方には夕日に黒いシルエットを見せてくれる。四季折々の景色にスマホで写真を撮る人も数多い。
これは自慢できるポイントだ。
 会社の掃除当番で急いでいた私は、7時43分発の急行に乗る。
この列車は特急列車を先に走らせる、特急通過待ちの急行列車なのだ。瀬谷駅は特急通過待ち駅になってしまった。
このことは個人的にはかなりショックだった。今まで急行列車を利用していて、各駅停車駅のホームに待っている
乗客の方々を何気なく見ていた。ついお先に失礼!という気持ちがあった。今は見られる側になった。
早く電車で行きたい、でも行けない。なんと寂しい気持ちだ。しかしこのところそのショックから立ち直り、電車の中で一息ついてホッと
するようになってきた。この暑い夏、冷たいペットボトルの水を一口飲んでゆっくりする。そんなことも有りかも。そう考え直したのだ。
またひと駅前の大和駅で特急に乗られる方が多いから瀬谷駅ではひょっとしたら座れるかしらと期待していたが、実際は座れることなど
ありえないのだった。いつも私は朝、藥が十分に効いてこないため、出来れば座って横浜駅まで行きたい。でも結局、私の一番の特等席は
出入り口の手すりの所だ。身体を手すりに寄っかかり、静かに目をつぶって、身体の痛みが引いているのを待っているのだ。
さらにレスキューの痛み止めを飲んで、ひたすら薬の効いてくるのを待つ。
そうこうしているうちに、特急列車が通過して、急行は瀬谷駅を出発した。
窓からは夏のキラキラした光が入り込む。二俣川駅までの駅から乗客が出入りしながら、一杯になっていく。
二俣川駅を過ぎると横浜駅までノンストップ。この間にいくつか私の楽しみにしている所がある。
一つ目は、鶴ヶ峰駅を少し過ぎた、進行方向左側の切り立った法面だ。
ここには初夏にはホタルブクロ、次には神奈川県の花・ヤマユリが一面に咲き乱れるのだ。
ヤマユリのつぼみがホワイトグリーン、緑色の野草のなかに伸びてくる。緑と白みがかった緑のコントラストも実に美しい。
さらに一面にヤマユリが咲き出すと、文字通り真っ白になる。この時期その箇所に通りかかると、ゆっくり運転される運転手さんもおられる。
そんな粋な運転手さんに乗り合わせたとき、私はつい拝みたくなる。
二つ目は、上星川駅を過ぎた川の浅瀬に、アオサギを見かけるとき。
アオサギの直立したその姿は、川の中で何事か考え込んでいるようにさえ見える。哲学者のようですらある。
アオサギのいるあたりは、川の水量が少なく、餌の絶好のポイントなのかもしれない。
三つ目は、春の星川駅付近の桜だ。星川駅の背景に集合住宅が山に建っている。このあたり山桜が住宅と山を覆うように
咲き乱れる。ピンク色のかすみのようでもある。薄いピンク色はどの人々の心をホンワリと優しい気持ちにしてくれる。
この桜が終わること、この駅の前方のビルのところに八重桜の並木がある。こちらはやや濃いピンク色でボリュームもあり、
毎春の大切な楽しみだ。
四つ目は、天王町駅を過ぎたところの川沿いに、秋から冬にかけて渡り鳥がやってくる。幾種類かの渡り鳥が川にやってくると
川の中が賑やかになる。不思議な気配を感じるときだ。それは冬の寒々しい頃だけになにしろうれしくてしかたない。
春過ぎたころ、カルガモが小ガモたちを連れて子育てしている様子を目にすることができると、何かいいことが起こりそうな予感がする。
五つ目は、平沼橋駅から横浜駅にかけて夏の後半、野草のなかからテッポウユリがホツホツ、あるところはゴッソリと咲いている。
花が咲き出すと、楽しみは1週間くらい。毎日その白い百合の花が夏の暑さに負けずに咲いているのをみると私はつい頑張らねばと
思ってしまう。しかし百合が終わるとススキそしてセイタカアワダチソウの黄色へと楽しみは長く続くのだ。
幾つかの楽しみによって、私は横浜駅まで今日も無事着くことができた。
薬が効いてきて、ボーとはしているが痛くなく出勤出来そうだ。私はあと何年この電車に乗ることができるかわからないけれど、
これからもいくつもの楽しみを見いだしながら、通勤し続ける。

著者

佐藤睦月