「えいぷりる・えいぷりる」celery

1、出会い
1986年昭和 61 年 4月、当時 俺は18才だった。
高校を卒業して《横浜》の某百貨店に入社した。
そこでの新人研修も、今日みたいな雨の日だった…
場所は読売ランドの研修センターを使い、1泊2日で行われた。
社会に出たばかりの学生気分の俺達に、社会人としての心掛けを教え、チームワークを大切にする、一人前の社会人に育てるのがこの研修の狙い。
まぁそんな事は関係なく、男子校出身の俺は女子と過ごせる事に喜びを感じていたのは言うまでもない。
そして、さっそく期待の夜はやってきた。
女子社員の何人かが俺たちと飲みたいと言って、男子部屋にやってきたのだ。
やってきた女子社員の中には、俺が当時ひそかに想いを寄せていた、由美もその中に入っていた。 由美は大人しい子のイメージだったが、意外と積極的で、最初から俺の近くに居た。話をしているうちに分かったのだが、どうやら由美も俺の事が気になっていたらしい。
他の女子が帰り始めても、由美だけは帰らずにいた。願ってもないチャンスに、俺は舞い上がった。
「由美、俺の傍にいなよ!俺、由美が好きだ!」
由美はニコッと笑い、返ってきた返事は・・・
「私も・・だよ! 」
「 ん?聞こえない。もう一度言って!」
「私もス・キ! 」
結局その夜は朝まで俺達は話をしていた。中学や高校の頃の話や、会社を選んだきっかけ etc. 少しずつ、由美が近くなるのを感じた。
朝方、大胆にも俺の布団の中に、由美はもぐりこんできた。
俺の胸に顔を埋め、時々上目遣いで見る・・
間近に感じる由美は、いい匂いがした。
それまでに、経験がない訳ではなかったが、何か違う空気、由美からはそんなものを感じる。
かわいい・・
心底思った。
俺は由美のおでこにキスをし、唇を重ねた。
それからの日々は、休みの度にデートをした。ドライブや映画、買い物、公園巡り・・・

季節はもう夏を向かえようとしていた。

2、思い…
付き合って3ヶ月たった夏の日、俺たちは二人の家の中間地点の《大和》で待ち合わせ、そこから小田急線に乗り換え、初めて海に行った。
由美の水着姿を見るのは初めてだ!ドキドキ・・・
当時の水着はハイレグが主流だった。
海の家に入り二人共水着に着替えた。
ワンピースなのかな? ハイレグかな?すごい期待!
由美の水着は黄色のビキニだった。
空も海も青く、その中で一際輝いて見える。
ちょっと恥ずかしそうにはにかむ仕草が、また可愛い。
ビーチでは日焼け止めを塗ったり、塗られたり。 大きな浮輪に二人で入り遊んだ。
そしてその夜、俺は由美を初めて HOTEL に誘った。

「うん」

由美はオレを真っ直ぐ見ながら答えた。
海からの帰りにあるHOTEL に入った。
そして俺たちは、初めてこの夜、結ばれた。
初めて見た由美の体はとても美しく、そして柔らかだった。
そして心から由美が愛おしかった。
「愛してる」の言葉の意味を初めて知った。
その夜を境に、俺たちのデートはお出かけではなく、常に HOTEL が中心になった。
HOTEL 巡りがデート!
それでも俺は楽しかったし、由美もその方がいいと言ってくれた。
正に幸せの絶頂!
まだこの時は別れなんて俺達には無縁だと思っていた。

3、うつろい
由美は人付き合いが苦手な子だった。
俺の前では、すごくおしゃべりな由美だったが、極端な人見知り。
グループで飲みに行っても、あんまり話さない。でも、自分だけしか知らない由美がそこには居て、より一層愛しく思った。
由美は俺にとって空気のような存在だった。そばにいて当たり前、いないと苦しい。
由美もそうだったと思う。いつでも一緒にいる事を俺よりも由美は口にしていたし、 「二人でいる時が一番落ち着く」いつも由美は言っていた。
しかし違ったのか。
付き合い始めて二年が経とうという時だった。家が同じ相鉄線という事もあり、いつも俺たちは同じ電車で一緒に通勤していた。
その日は突然やってきた。
「哲也・・・私達、別れ・・・」
「えっ?」
一瞬自分の耳を疑った。
由美がそんな事言うはずがない。
「何だって?」
「私達、別れよう」
今度はハッキリ聞こえた。
「なんで?えっ?俺の事、嫌いになった?」
由美は暫くうつむいていたが…顔を上げ…
「好きな人ができた…」
言葉の意味がわからない。
「それって…」
それ以上話せなかった。いや、考える事ができなかった。

4、戸惑い
「好きな人が出来たって…誰?」
俺は聞かずにはいられなかった。
「黒澤君…」
黒澤…由美と同じ職場の1つ年下の後輩。
もちろん俺もよく知っている。
中々頼りになるいい男、オマケに優しい男だ。
どうやら、一緒に仕事をしていくうちに惹かれていったらしい。
俺は由美が自分以外の男を好きになるなんて、まだ信じられなかった。
「本当の気持ち聞かせて欲しい…」
由美はゆっくりと話し始めた。
「哲也の事は今でも大好き。でも私はもっといろいろな男の人と付き合ってみたい。今のままだと、またこんなふうに他の人が好きになった時に気持ちが抑えられない。哲也とは本当に気が合うし、もし結婚するなら哲也としたい。でも、それには私はもっと他の人も知りたい。」
「そうか・・・」
「もし哲也が運命の人なら、また付き合う事になるでしょ」
由美は笑顔で話した。
「そうかもしれないな」
俺もその時はそう思った。
由美がそこまで言うなら仕方ない。
「わかったよ。別れよう!」
俺は由美と別れた。
暫くして由美は黒澤と付き合い始めた。
俺は・・・
寂しさ紛らわすために、偽りの愛を繰り返すようになっていった。

5、さまよい
ぽっかりと空いた胸の隙間を埋める術を俺は知らない。
由美と別れた現実がつかめない。
俺はそれから毎晩のように女性を誘い、飲みに行くようになった。
職場の女性を片っ端から誘った。
相手は誰でもよかった。
平気な顔をして、「君が好きだ」と言った。「付き合おう」と言った。
短い相手はその日限り、長くても1ヶ月。取っ替え引っ替え相手を変えた。
給料が13万位だった時代に、毎月コツコツ貯めた金も全て使い果たし、借金をしてでも遊んだ。
遊ばずにいられなかった。寂しくて・・・
由美と分かれた現実を認めるのが、恐かった。
自分ではコントロールできない程、俺の生活が変わっていた。
由美の事を思いながら、他の女性と時間を共にした。
最低なクズ野郎。
今思えば、未練だらけで、なんて情けなく弱いんだろうと思う。
でも、どうにもならなかった。
そんな生活を繰り返しているとき、由美から電話があった。
「今日予定ある?飲みに行かない?」
由美は俺がそんな生活している事を知らない。
「いいよ…じゃ今夜会おう」
由美とは会社が一緒だったから、別れた後もよく見かけてはいた。
でも話はしなかったし、できるだけ避けていた。

俺たちは付き合っている時に当時待ち合わせに使っていた《瀬谷》の居酒屋で待ち合わせをした。飲み屋さんが多い駅ではないが、落ち着いた町の雰囲気と、こじんまりしたこの店が俺たちのお気に入りだった。
由実を見るのは久しぶりな気がした。
「元気?哲也!彼女できた?」
由美の明るい声。
「ん?居るような居ないような…そんな感じ」
「なにそれ?あははは・・」 なんでも笑って聞いてくれる由美。
「それより、黒澤とはどうなの?もうやった?」 そんなデリカシーのない事ばかり聞く俺。
「やってないよ!まだキスもしてないし…奥手なんだぁ」
「そうなんだぁ」
自分はめちゃくちゃしてたけど、ほっとした。
「哲也は?誰かとやった?」
「・・・やってないよ」
ヤリまくってるとは言えず嘘をついた。
「へぇ~意外~したくならいの?」
「したいけど、相手がいなくてね」
また嘘をついた…
由美はうたぐり深い目で見ていたけど、俺は嘘を突き通した。
それからは身の回りの話やテレビの話題をした。
別れた二人とは思えない程会話が進んだ。
付き合っていた頃と同じ。

二人共よく話し、程よく酔った。
「そろそろ帰ろうか?楽しかった!」
笑顔の由実。
「俺も!あっ、帰り送るよ!」
俺は少しでも由美と一緒に居たくてそう答えた。
そして俺たちは、二人で久しぶりに相鉄線に乗り、由美が住んでいた《相模大塚》へ向かった。家に近づくに連れて、由美を離したくないという思いが強くなっていく。
付き合っていた頃、よく分かれる前に抱擁をした公園に差し掛かった。
俺は自分の衝動が抑えられず、由美に口づけをした。
その時初めて気がついた 由美が泣いている。
「由美?どうした?」
「私・・・なんでもない・・・もうこの関係には戻れないの、だから止めて・・・」
目を合わせようとしない。
「ごめん」
 俺は自分のしたことで由美を悲しませてしまったことへ深く後悔した。

6、別れ
由美は、その後何も語ろうとしなかった。 ひとつ確実なのは、その日を境に由美との会話が無くなった事。目すら合わさない。
その時俺は思った。もう本当に終わりだな。
数日して、由美は結局何も話さないまま、会社を辞めた。由美からはその後も連絡はなかった。
そして2年後。 俺は由美ではなく別の女性と結婚した。
由美の事は気にはなったが思い出さないよう努めた。思い出してもどうにもならないし、いい思い出として心の奥底に仕舞う事に決めたのだ。俺は妻と子供を愛する事を選択した。
しかし結婚生活は14年という月日の後、ピリオドとなった。
その時はあんな形で由美に会うなんて、思ってもいなかった。
真実を知るのは辛い事。知らない方がよかったのか。知らなければきっとこの日記も書かなかっただろう。
由美…
それは由美と別れて30年経った、ほんのこの前の出来事だ。

7、再会
今から二ヶ月前の話だ。俺は仕事で《相模大塚》に一ヶ月程通っていた。
それも由美の家のすぐそばだ。
由美の事は心の底に封印していた。
でも由美の家の近所の風景を見たとき、懐かしい気持ちが一気に込み上げ、その封印は解かれた…
よく車の中で話をした空き地。
散歩コースの林道。
公園のベンチ。
ひとつひとつが懐かしい。
俺は昼休みにいつもその公園のベンチで弁当を食べる事にした。
懐かしさもあったけど、それより、もしかしたら由美に会えるのではないかと…
期待の方が大きかった。
あれから30年も経って、今更会ってどうする? 自問自答した。
もう結婚もしてるだろうし、きっと子供だっている。
それにオバサンになってる。自分も立派なオジサンだ。
いやいや、ファションセンス抜群の由美のことだ。きっと綺麗にしてるだろう。
そんな事を考えながら公園のベンチに座って弁当を食べた。
2週間位過ぎた頃だろうか。どこか見覚えのある女性が向こうから歩いてきた。
あれは…
近付くにつれ、鮮明な記憶が蘇る。
向こうも気がついたみたいだ。

「哲也君…?」
「はい、お久しぶりです。お母さん」
「あらぁ~お久しぶりね~!元気だった?相変わらず男前ねぇ」
「いやいや、お母さんこそ、相変わらずお綺麗で…」
由美の母親も由美と同じで、よく笑う明るい素敵な人だった。
30年経っても変わらないやり取りに笑みがこぼれた。
「本当に久しぶりね、哲也君!時間あるの?もしよかったら寄っていきなさいよ。 由美もきっと喜ぶ…」
え?由美が喜ぶって?
「由美さん、家に居るんですか?」 俺は慌てて聞き返した。
「居るわよ!会ってあげて!」
会って!って・・・。
病気でもしてるのかな? 結婚はしてないのか?
結婚とか由美に直接聞けばいいし、その他話したい事が山ほどある。
それに俺は・・・誰より由美に会いたかった。
まさか本当に会えるなんて・・・
胸が高鳴る。
でも、いい別れ方してないし、由美は喜んでくれるのかな~?
一抹の不安はあったが、俺は由美の家に上がる事にした。
懐かしい由美の家。
「おじゃましま~す」
わざと聞こえるように少し大きめの声で挨拶。
特に変化無し。
本当にいるのかな?
「こっちよ哲也君」
和室に案内された。
しかしそこには・・・由美が・・・

遺影の中にいた。

写真の由美はあの時のまま。
笑っている由美。
俺は目の前の光景が信じられずに聞いた。
「お母さん、これって?嘘ですよね?」
「あの子はね…会社を辞めてすぐに亡くなったの」
「亡くなったって、元気だったじゃないですか」
「違うのよ。由美は胃癌だった…進行が早くてね。手術が必要だった。 あの子…たぶんその時はもう自分で気付いていたんだと思う… 私には会社を辞めた事、最後まで言わなかったけど…」
「だってまだ二十歳だったんですよ」 俺はまだ信じられずにいた。
「遺伝じゃないかって。父親も…主人もね、あの子が生まれてすぐに亡くなったの。」
それは付き合っていた頃に由美から聞いていた。
「それから女手一つで由美と広志(弟)を育てた。あの子は本当にいい子だったのよ。小学生の頃からいつも食事の用意を手伝ってくれて、弟の面倒もよくみてくれて、なんでも話してくれて。苦労させてしまったけど、会社に入って哲也君と付き合って… 、毎日あなたの話ばかり。幸せそうな娘の顔見てるとこっちまで嬉しくてね。哲也君といるのが楽しいって、いつも言ってた。でも・・・なんであの子がこんなに早く・・・」
お母さんの泣いているのを見て、現実だと知った。
由美はずっと前に亡くなっていた。
「でもなんで教えてくれなかったんですか?由美さんに俺は酷い事したから?」
「違う…あの子は最後まであなたの事が好きだった・・・」

その後、由美の部屋に案内された。
整理されてたが、ほとんど昔のままだ。出窓にある写真立てには 一緒に海に行った時の写真が入っていた。
何故・・・。
お母さんは戸棚から一通の手紙を取り出した。
「遺品の整理をしてたら手紙が出てきてね。もし哲也君が訪ねてくるような事があったら渡して欲しいって。」
俺はすぐに手紙を読み始めた。懐かしい由美の字。
手紙の中にはあの時の由美がいた。そして手紙には真実が書かれていた。
手足が震え、俺は涙が止まらなくなった。

由美・・・

8、手紙
哲也へ
この前はありがとう。
哲也とまた話ができて嬉しかったよ!
この手紙読んでるという事は・・・ きっと私、死んじゃってるのかな?
今、病室です。
これから手術前の検査。
もう覚悟は出来てるから死ぬのは怖くないけど、哲也にちゃんと伝えたい事があるの。
この前、哲也は何も聞かなかったけど、私本当は嬉しかった。
でも、また哲也を苦しめる事になるのが嫌だっただけ。
だって私は哲也を忘れないけど、私の事は忘れて欲しい。
彼女が死んじゃうなんて嫌でしょ。
それに哲也、いつまでも泣いていそうだし・・・
ごめんね、ちゃんとお別れしたかったのに。

来てくれてありがとう!
もし私が死んで生まれ変わったら、また付き合ってほしいな!
「俺の傍にいなよ!」って、また笑顔で言ってね。
何言ってるんだろ。
忘れて欲しいとか言いながら、忘れてほしくないみたい。
大好きだよ!
哲也と会えて、私幸せになれたよ!
ありがとう。

P.S 黒澤君とは付き合ってないから…ごめんね。嘘ついて。
   本当は別れたくなんてなかった。哲也とずっと一緒にいたかった。
   ずっと、ずっと大好きだったよ。

9、エピソード
先日の母の日の出来事。
プレゼントを渡しに《二俣川》に住む母に会いに行った。
母は俺が小学生の頃に離婚して、今は一人で暮らしている。
一緒に食事をしている時に幼稚園の頃の話になった。
悪さばかりしていて悪ガキのボスだった頃、唯一仲の良かった女の子がいた。
俺はミーちゃんと呼んでいた。
すごく気が合っていたかは覚えてないが、いつも一緒にいた覚えだけはある。
でもある日ミーちゃんは何も告げずに引っ越して行った。
子供ながらに、寂しかったのを覚えている。
「あのさぁ~ミーちゃんて覚えてる?幼稚園の時にすごく仲の良かった女の子」
母に聞いてみた。
「知ってるわよ、木下由美ちゃんでしょ!確か《大和》か《相模大塚》に越して行った・・・」
木下由美。同性同名だ。
しかも《相模大塚》に越した?
母は俺と暮らしていなかった為、由美の事は知らない。
「たしか写真あると思ったけど・・・」
母は押し入れから古いアルバムを取り出して探し始めた。
まさかな~いくらなんでも・・・
「この子でしょ?」
そこには幼い頃じゃれあっている、オレと由美がいた。
なんで今まで気付かなかったのだろう、あのミーちゃんが由美だったなんて。
由美は気付いていたのだろうか・・・

10、恋花
4月上旬、オレは由美の墓参りに行った。
場所は《さがみ野》。
今まで感じた事がなかったけど、お墓って落ち着くものだなと思った。
数年前『千の風になって』という詩が流行った。
俺もあの詩が好きで何回も読んだけど・・
それでも、そこに由美がいるような気がしてならない。
「哲也」って…
笑って声をかけてくれるような気がする。
由美・・・

帰りに《相模大塚》で下車し、よく二人で行った【泉の森】で少し休む事にした。
もう少しだけ、由美が生きていたこの場所に居たかった。

寝転んで空を見た。

俺、気付いてやれなかったな。
最期まで傍にいたかった。
俺は由美と出逢ってから、ずっと好きだった。
でも、その由美はもういない。
本当に幸せだったのか、もうわからない。
でも、俺の心の中の由美はいつでも笑っている。

由美は風になってるのかな・・・

空にはひらひらと桜の花びらが舞ってた。

著者

celery