「こちら三ツ境駅周辺、ぶらぶらオヤジの散歩道」原田 宏

 浩二は、思い出し笑いが止まらなかった。昨日の神子元島は、浮遊物によるモヤモヤ感が若干あるものの、青い潮が入ってきて、エントリー直後から、深度20メートルの海底がハッキリ見えるほど、透明度が良かった。水温は26℃あって、全く寒さを感じることも無く、まるで慶良間諸島でダイビングしている錯覚に陥ったほどだ。
 魚影の濃さは相変わらずで、イサキやタカベの群れが、ある時は滝の様に上から下へ、ある時は噴水の様に海底から沸き上がり、辺り一面を魚が覆いつくす場面に何度も遭遇した。その群れに、カンパチとヒレナガカンパチの連合軍が、猛烈なアタックを掛ける光景は、見応えがあった。2本目には、3頭だけだったがハンマーヘッドシャークもお出ましになりに、夏の神子元島ならではの光景が、脳裏にフラッシュバックしたからだ。
 昨日の疲れもあり、浩二は、この日、ユッタリと過ごす事にしたのだが、妻の由美が「ローゼンで玉ねぎが安いから、買ってきて」と用事を言いつけた。
 最寄り駅である三ツ境駅に併設している「相鉄ローゼン」の食料品売り場は、朝8時から営業している。不定期に、野菜などを特価で売り出す朝市を開催していて、この日の目玉は、玉葱とジャガイモだった。どちらも1個20円で販売するのを、由美が広告で見つけたのだ。
 浩二が、朝市開始である9時丁度にローゼンの野菜売り場に到着した時、既に人集りが出来ていた。床に、玉ねぎとジャガイモを詰めた段ボールが無造作に並べられ、取り囲んだ客たちが、我先に玉葱やジャガイモを取り合っていた。戦場のような光景を目にして浩二は怯んだが、人を掻き分け、何とか玉葱10個を確保した。
 最近の浩二は、時間はあるのに、自分で料理をする回数が減っていた。何となく、料理が面倒に感じるようになったからだ。その為、相鉄ローゼンの惣菜を購入する頻度が増えていた。ここの総菜の味は、他のスーパーよりも美味しいと浩二は思っている。特に、「煮卵」が気に入っていて、お酒の肴として購入する。買う気は満々なのに、時々しか並ばないことに浩二は、少し不満を感じていた。この日は、まだ早い時間帯なので、総菜コーナーはガランとしていて、めぼしい惣菜は無かった。確保した玉葱10個だけを会計して、家に戻る事にした。「これで200円は、安いな~」と、独り言が勝手に出てきた。
 57歳になった時、浩二は、会社を自主退職して趣味に生きる生活を始めていた。浩二の父は55歳で定年を迎え、その後は再就職もせず、気ままな生活を楽しんでいるのを見てきた。父を真似て55歳で退職するつもりだったが、実際には、様々な柵があり、57歳にずれ込んだ。このずれ込みの間、定年後の人生設計に関する書籍を多数読み、関連するセミナーを受講するなど準備を進めてきた。事前準備で分かった「定年後の要」は、有り余る時間をどの様に有効に使うか徹底準備しておくことだった。これを端的に表現したのが、「キョウイクとキョウヨウの重要性」だ。キョウイクとは教育の事ではなく「今日、行く所がある」であり、キョウヨウは「今日、用事がある」を省略した表現だ。する事も外出先も無く、家の中でジッと過ごし、時間を持て余せば、定年後の生活は惨めになるのは、火を見るよりも明らかだ。
 する事があっても、問題は簡単に片付かない。例えば、定年後は、趣味三昧に生きると宣言して、ゴルフ中心の生活を送り始めた人が、半年もしない内に、ゴルフが苦痛になり、仕事を探し始める事例を、人生の先輩から聞いていた。仕事の合間の息抜きにゴルフをするのが楽しいのであって、心底、ゴルフ好きではなかったのだろう。この様に、趣味三昧の生活について忠告する人もいたが、浩二は意に介さなかった。
 10年前から始めたダイビングは、既に総タンク数1000本を超し、毎日、海に行っても飽きないだろと確信していた。利用しているダイブショップは、常連客が同好会の様な活動をしていいて、ダイビングだけでなく、気の合ったメンバー同士で、食事会を開催したり、寄席やコンサートに行ったりして楽しんでいる。
 先日も、横浜ベイシェラトンホテルの28階に、仲間6人が集合して、食事会を催した。30代の女性も含まれていて、様々な話題で盛り上がった。話し相手が同年代の人しかいない状況は、寂しい。齢を重ねれば重ねるほど、自分より下の年代の人達との交流が重要になると浩二は思うようになっていた。特に、女性との交流は、自然と高揚感が湧き出るようで、普段、口数の少ない浩二も、「女優の○○は、伊勢佐木町の外れにある名画座○●でデートをした」とのワイドショー的な話題で場を盛り上げようと、はしゃいでいた。
 相鉄ローゼンでの買い物を済ませた後、ボンヤリテレビを見ていたが、ビーチサンダルを買う事を思い出した。底がすり減って穴が開いてしまったビーチサンダルは、昨日、帰宅の際、処分したばかりだ。次回、海に行くときにビーチサンダルが無いと不自由する。
 東希望が丘神明下公園の横の道を進むと急な下り坂になる。そこを自転車で下ってライフ希望ヶ丘店のダイソーに行くことにした。横浜は都会のイメージが強いが、郊外には農地が点在している。この斜面の一帯も、畑になっていてトウモロコシ、茄子、キュウリを始め、ハス、オクラ、落花生など多種類の野菜を栽培している。畑の近くには直販ブースがあり、収穫した野菜を直接購入できるようであった。
 畑に囲まれるように、釣り堀「水郭園」がある。横浜市には釣り堀が何カ所かあるが、水郭園の雰囲気が良いためか、映画のロケ地として使用された事もあると浩二は由美から聞いていた。映画のロケで、有名な俳優が来たときは、近所の人が大勢、ロケを見学しに来て一寸した騒ぎになったようだが、釣りに興味のない浩二は、水郭園の前を通り過ぎて、ライフ希望ヶ丘店に向かった。
 ダイビングを趣味にしている浩二の仲間に、釣りをやっている人は一人もいない。ダイバーは、海の中で、魚の大群を数多く見ているし、大型のサメやエイに直接触る事もあるので、「魚を捕まえる事なんて、何時でもできる」と勘違いしているのかもしれない。
 以前、靴下やパンツなどの下着類もダイソーで購入していた。宿泊数の長いツアーでは、使い古しの下着類を身に着けていき、着替えた時にホテルで廃棄して、荷物を減らすことがある。100円ショップで購入した下着類なら、使い古していなくても気兼ねなく廃棄できるので重宝する。浩二は、100円ショップに行くと下着類を探しているのだが、最近、売り場で見かけなくなった。100円で販売したのでは、利益が出ないので、販売中止にしたのかもしれない。
 そもそも、100円ショップは、どうやって儲けを出しているのだろうか?浩二は何時も不思議に思っていた。例えば、クリアーファイル。文房具店では、40袋の商品が300円位で販売されている。ダイソーの商品は、品質的に全く問題ないにも関わらず100円だ。浩二は、モノの値段がどの様にして決まるのか?分からなくなっていた。が、先日、『「3足1000円」の靴下を買う人は一生お金が貯まらない』との妙に長いタイトルの本を読んで、少し謎が解けた気がした。例えば、48頁には、次のような記述があった。
 
 100円ショップの代表格である『ダイソー』の矢野社長は、インタビューで「いちいち商品に別の値札を貼るのが面倒だったから100円均一にした」と語っています。私たちも、つい「100円ならいいか」とカゴに商品を放り込んでしまいます。
 
 更にネットで検索したところ、次の様な解説記事を見つけた。
 
 100円ショップが成り立つ理由の一つが「ロスリーダー戦略」だ。「ロスリーダー」とは、マーケティング用語の1つで、集客を目的に採算を度外視して価格を安く設定した商品のこと。この商品だけでは赤字になってしまうが、こうした目玉商品を陳列しておくことによって集客を増やして、他の商品も合わせて購入してもらうことでトータルの利益を上げる仕組みだ。つまり、100円ショップには、原価が100円以上の商品も存在している。
 
 100円ショップでは、価格につられて、必要ない商品まで購入しがちであるが、安いと実感できる目的商品だけを狙い買いする事が、重要であると知った。と同時に、クリアーファイルは、ロスリーダーなのだろうと浩二は、勝手に理解した。
 ダイソーから戻った浩二は、何だか空腹を感じた。朝食は、トーストにコンビニで買った卵サラダを乗せたものを、5時に2枚食べただけだ。だから、11時を過ぎた時には、空腹感を感じても不思議ではなかった。昼食は、ガッツリ食べようと思い、三ツ境駅からほど近い中華料理店「清香楼」に行くことにした。浩二は、この店を時々利用しているが、定休日を気にしたことが無かった。商売好きな中国人経営の店だから、年中無休で営業しているのだろう。 
 清香楼は、4人用と6人用のテーブルが主体で、お一人様には、少し利用し辛いが、丁度、一番奥の2人用のテーブルが開いていたので、そこに座った。
 以前は、平日限定で、500円のサービスランチがあり、浩二のお気に入りだったが、いつの間にかサービスランチは終了し、5種類の定食から選ぶシステムになっていた。浩二は「茄子の四川風味噌炒め定食」を頼んだ。定食を頼むと、ご飯とスープのお代わり無料になるサービスが嬉しい。ご飯とスープの両方をお代わりする事もあったが、最近は、量を食べる事が苦痛になってきたので、スープのお代わりだけに留めている。お代わりをしなくても、丼飯は、一杯で充分腹が膨れる。食べる量が減った事は、浩二に、老化の階段を確実に上っている事実を感じさせた。
 この店では、ランチ以外食べたことが無いので、本当の中華料理の力量を、浩二は知らない。ランチの時間帯の店の混みようからすると、夜に利用しても、結構、質の高い料理を提供しているのだろうと推測している。
 店内のテレビを何気なく見ると、認知症をテーマにしていた。浩二は、以前聴講した講演の中で、認知症の具体的予防策として四つ示されていたのを思い出した。それが、
① 1日に、10人以上と声を交わす。
② 1日に、1000字以上の文章を読む。
③ 1日に、100字以上の文章を書く。
④ 1日に、一回は、大声で笑う。 だ。
 1年に100冊読むことを目標にしている本好きの浩二にとって、②の項目は既に実践している予防策であった。最近読んだ本で、面白いと思ったのは、有名なフランス料理店で総料理長をしている高橋徳男氏の著作「メニューの設計図」だ。「フランスでは、タンポポを好んで食べる」等、浩二が初めて聞くような記述が満載だったからだ。フランスに限らず、ヨーロッパ全域で、タンポポは食べられているらしく、著作では、「ヨーロッパでは、タンポポが食用として栽培されており、なるべく強い陽にあてず、白い茎を多く残すように育てられている。その柔らかさと独特の苦みをサラダとして食べるのだ」とあった。日本人が筍を食べるのと似た感覚だと浩二は思った。浩二の出身地である新潟県の山間部では、5月頃になると筍を食べる。その筍は、孟宗竹ではなく、「根曲がり竹」で、細くて白い先端部分の10~15センチだけを切って食用にする。白くて柔らかな食感と、少しの苦みを尊ぶのは、人類共通の楽しみなのだろうと納得した。
 浩二は、日々の生活を記録として残す習慣は無いが、ダイビングは別で、海の状況やその日の出来事をダイビング日記として記録している。例えば、【8月○日・伊豆大島】の項では、次のような文章を書いた。
 
 東海汽船のジェット船では、入港間際、船内放送で、唱歌「われは海の子」が流れる。
  我は海の子白浪(しらなみ)の
  さわぐいそべの松原に、
  煙たなびく苫屋(とまや)こそ
  我がなつかしき住家(すみか)なれ。
 幼少からの馴染の曲なので、一番だけではあるが歌詞を覚えている。先日、伊豆大島の元町港に入港する際、聞こえたこの曲に「苫屋(とまや)」と言う表現が用いられている点に、はたと疑問が生じた。「苫屋」は何を意味するか?歌詞の流れから、粗末な家の事を表していると想像したが、正確な意味は分からなかった。電子辞書版の広辞苑で検索すると、「苫で屋根を葺(ふ)いた粗末な家」とあった。粗末な家を思い浮かべた点は、間違ってはいなかったが、「苫」が相変わらず分からない。更に「苫」を検索すると「菅や茅を菰のように編み、和船の上部や小家屋を覆うのに用いるもの」とあり、「茅葺屋根の粗末な家」を意味する事が漸く分かった。
「苫」の漢字を見て、北海道の苫小牧市の名が即座に思い浮かび、きっと苫小牧市の名前の由来に関係しているのではないかと思った。苫小牧の名前の由来をネット検索してみたところ、アイヌ語に「トマコマイ」ととの呼び名があり、その発音の当て字だとする説があることが分った。苫とは直接関係が無い事は、茅の生息の北限が、群馬県、福島県辺りであり、北海道では茅が自生する筈が無かった。全くの見当違いに、自分でも呆れた。

 昨年、浩二はダイビング日記として原稿用紙100枚以上書いていた。これだけで、③の項目も実践していると安心した。
 浩二は、お笑いが好きだ。先日も桜木町にある「にぎわい座」で寄席公演を観てきた。テレビでは見かける事のない芸人ばかりであったが、思いの外面白く、特に漫才の「ホンキートンク」の漫才は、大笑いの連続だった。テレビのお笑い番組も良く見るので、④の項目も大丈夫だろうと思った。
 問題は、①だ。会社に所属していた時は、「1日に、10人以上と声を交わす」など、意識せずにやっていた。だが、浩二の今の生活パターンは、当時とは全く異なっている。自分の部屋で、読書やダイビング日記を書いて一日が過ぎ、誰とも会話をしない日もある。更に、社交性の無い性格が災いして、近所付き合いが殆どない生活を送っている。
 多くの人と会話する事が、社会との繋がりを意識させ、脳の活性化に役立つ事は、浩二にも理解できる。しかし、社交性が無い人間が、多数の人と無理やり会話をするのは如何なものか?自分の意に反して、不得手なことに注力すると大きなストレスが生じる。認知症の予防策が実践できずとも、ストレスを感じることが無い自然体の生活が、浩二には合っているように思い、①の予防法は気にしないことにした。
 満腹感に浸り、清香楼から家に戻った浩二は、次回の英会話の準備に取り掛かった。神奈川県民センターの会議室を会場としている英語の勉強会では、毎回10分程度、自分の選んだテーマに関し英語でスピーチする。まずは、テーマを決めなくては次の作業に進めない。浩二は、相鉄が毎月発行している「相鉄瓦版」に掲載された記事が面白かったので、この記事に絡めた話をすることにした。
 「相鉄瓦版」の今月号のテーマは「当世ニホンゴ事情」であったが、特に、翻訳家・金原瑞人氏の記事に興味を覚えた。記事の表題は「日本語と英語の悩ましい関係」で、冒頭、以下の記述があった。
 
 英語と日本語の大きな違いの端的な例が一人称です。英語には「I」しかないのに対し、日本語には「私」「僕」「俺」「わし」「われ」などいろいろな言葉があります。僕はたまにインタビューを受けるのですが、その記事が載った新聞を見ると「僕」が「私」になっていることがあって、自分としては違和感を覚えるんです・・・・というエピソードも英語には訳しようがありません。
 
 英語と日本語において一人称の扱いに大きな違いがある点に関して、浩二は異論がなかった。が、英語には「I」しかないと断言している箇所に、違和感を覚えたのだ。以前、浩二は、英語の勉強のためにテレビ番組「セサミストリート」を見ていた。これは、アメリカの子供向け番組であるが、この中でクッキーモンスターと言うキャラクターが登場する。彼は、”Me want cookie”の様に、自分の事を「I」ではなく、常に「me」と表現する。この点につき、ネット上では幾つかの解釈がなされており、「クッキーモンスターは、人間ではないので、標準英語から外れた表現を使っている」とか「英語圏の子供が、英語を習得する過程で、文法的に外れた表現をする時期があり、それを真似した」との説明を見つけた。一般的に知られていないだけで、英語の一人称として「I」以外の表現があるに違いないと浩二は考え、この点を中心に話そうと考えたのだ。
 また、「英語には訳しようがありません」との記述に関連した話題を追加しようと思った。英語の翻訳に関し、機械翻訳の進展が目覚ましい事を感じていたからだ。浩二は以前、「Yahoo!翻訳」と「Google翻訳」の翻訳能力を比較したことがあった。結果は、「Yahoo!翻訳」の翻訳力が「Google翻訳」に比べ数段勝っていたことから、その後、浩二は機械翻訳として「Yahoo!翻訳」を利用していた。ところが、最近、「Google翻訳」の機能が格段に改善されたとの噂を聞き、その真偽を確認する事にしたのだ。その結果、翻訳能力が以前とは比べ物にならない位、向上している事に驚いた点を付け加えたいと思ったのだ。
 今までの機械翻訳では、翻訳された日本語は木で鼻を括った様な不自然さを持ち、機械翻訳感丸出しであった。ところが、現在の「Google翻訳」で得られる日本語訳は割と自然な感じになっている。更に、文法的に間違った英文や不完全な英文であっても、英文の伝えたい内容を推測して、論理的な日本語に翻している点に驚いたのだ。
 グーグルは、AI(人工知能)において、世界屈指の開発力を持つ。事実、グーグル傘下のDeepMindが開発した、人工知能システム「AlphaGo」は、世界ランキング1位のプロ囲碁棋士を完全に打ち負かすほどの能力を見せつけ、、大きなニュースとなった。グーグルの有する高いAI技術が、「Google翻訳」にも搭載されているとネットニュースでは報じている。AI技術は、日進月歩で進化し続けている。この調子でAIが進化し続ければ「英語には訳しようがありません」との記述が、過去の常識になる日も近いかもしれない、と浩二は考えたのだ。
 スピーチの内容に目途がついた浩二は、気分転換の為、汗を流しに行くことにした。
 3年前にオープンしたスポーツNAS瀬谷は、瀬谷駅南口から這ってでも行ける距離にある。浩二は、このクラブのオープンに合わせて入会した。「運動と健康管理」とのありがちな目的であるが、定期的にスイミングをすれば、ダイビングのスキル向上に繋がると考えたからでもある。
 浩二は、更衣室がある3階まで、階段で上がった。2階はプールゾーンだが、プールの深さとその上の空間部分の2重構造になっているため2階分の高さを占める。階段を利用すると実質、4階まで上がる事になるので、運動の足しになると思っている。プールで30分ほど泳いだ後、サウナ付き浴室に入った。
 ここのサウナ室は、広くて気持ちが良い。地方のホテルで、お風呂に付属してサウナ室が設置されている場合も多いが、5人も入ると一杯になってしまうような狭いサウナ室だったりして、気持ちが落ち着かない。NAS瀬谷のサウナ室の中には、テレビがある。座ってじっとしている事しかできない状況で、テレビの存在はありがたい。浩二は、12分計が一回りするまで、我慢しようと目標を建ててはいるが、この日のテレビ番組がつまらなかったこともあり、10分でギブアップして、出てきてしまった。
 サウナ室の横に水風呂があるが、浩二は入ったことがない。サウナ風呂の入り方として、サウナ室で熱くなった身体を水風呂で冷やし、またサウナ室に入る温冷交代浴があり、健康増進に役立つと言われている事は浩二も承知している。サウナ好きの友人は、「サウナから出て、直ぐに水風呂に浸かると、意識が飛びそうなほど気持ちが良い」と言って、水風呂を勧められた事もある。健康な若人が、やるのは問題ないだろうが、急激な温度変化は循環器系に大きな負担を掛ける事は明白だ。健康目的で利用している施設で、心臓麻痺を起こして倒れ、病院に救急搬送されては笑い話にもならない。特に高齢者の仲間入り目前の人間には、禁忌だと浩二は思っている。
 中年以降の健康管理に血圧計と体重計は欠かせない。浩二の家にも備え付けてあるが、家庭用の装置は心許ない。それに対して、NAS瀬谷の設備は業務用で精度が違う。血圧計として、㈱エー・アンド・デイ社の全自動血圧計TM-2657がロッカールームに備え尽きられている。これは「上腕式血圧計(腕を通す全自動タイプ)」と呼ばれている機種だが、このタイプの血圧計は「正確に血圧が測定できる」と日本高血圧学会で推薦しているので、心強い。
 体重計は、㈱タニタ社の業務用精密体重計 WB-150がパウダールーム(洗面台やドライヤーを使う場所)内に設置してある。「 50g単位で正確な体重計測が可能」を謳っていて、体重変化を正確に把握することが出来る。実際、お酒を飲んだ翌日は、明らかな体重増加が観察され、お酒の飲み具合が体重増加に反映されてしまう。現実を突きつけられると、お酒の節制や、ダイエットに励むための動機づけになるので、正確な体重計の存在は健康管理の上で必須だと感じている。
 スポーツクラブNAS瀬谷を出て、鎌倉街道を三ツ境方面に自転車を走らせている時、浩二の頭に焼き鳥がチラついた。そこで、瀬尾精肉店に向かうことにした。
 三ツ境駅北口の笹野台商店街にある瀬尾精肉店は、いつ定休日なのだか分からない位、毎日営業している。そして、夕方の5時頃から、店頭で焼き鳥を販売する。ツクネや軟骨、皮、カシラなど、品揃えも豊富なので、色々食べてみたい気はするもの、浩二は、「もも」に拘っている。「一本80円でこの味なら、お値打ちだ」と常々思っていて、浩二は、何時も通り「もも」を10本買った。既に焼き上がっている焼き鳥を手渡すのではなく、炭火で再加熱する手間を惜しまない。この過程で、焼き鳥担当のオジサンは、右手に持った鋏で、焦げすぎた個所を切り取る技を披露してくれるが、この様な細かい心遣いが嬉しい。電子レンジの世話にならなくとも、家に持って帰って直ぐに温かい焼き鳥が食べる準備ができた。
 焼き鳥を買うと小袋に入れた七味唐辛子をおまけに付けてくれるが、浩二は、七味に入っている山椒があまり好きではない。一味唐辛子の単純な辛さでタレの味を引き締める方が旨いと思っている。おまけの七味唐辛子は、由美が適当に料理で使っているようだった。
 瀬尾肉店からの帰り道、三ツ境踏切の向かいにあるローソンで、缶ビールとジャックダニエルのポケット瓶を購入した。家に帰ると、浩二は、焼き鳥を皿の上に並べ、一味唐辛子をタップリかけた。そして、焼き鳥、ビール、焼き鳥の順に交互に口にした。テレビのBSでは、「水戸黄門」をやっていた。勧善懲悪番組である水戸黄門は、ストーリー展開が決まっていて頭を使う必要が無いので、酒を飲みながら観るにはうってつけの番組だと浩二は思っている。缶ビールが終了し、ジャックダニエルに口を着け始めた頃、浩二は、今年の潜り納めについて、気になり始めた。
 海の水温は、気温よりも二か月ほど遅れて下がる。だから、冬支度を始める11月になっても、伊豆の海の水温は20~22℃に保たれている。だが、流石に12月ともなると、5ミリのウエットスーツではきつい。やはり、沖縄まで遠征しよう。いつもの様に那覇に宿泊して、慶良間ブルーを堪能しようと思った。明日、航空会社の格安ツアーをネット検索して、予約する事に決めた。
 ジャックダニエルが空になるころ、浩二の意識はフェイドアウトし、後ろに敷いてあった布団に倒れ込んでいた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 『こちら三ツ境駅周辺、ぶらぶらオヤジの散歩道』

著者

原田 宏