「こども電車」小林あみ

               1 
「本当に一人でだいじょうぶ?二俣川までお母さんもいっしょに行こうか?」
「だいじょうぶ。ぼく一人で行ける。これはぼくの冒険なんだから、お母さんはついてこないで」
 なんどもだいじょうぶだと言っているのに、お母さんはまた同じことを聞いてきた。ぼくよりもお母さんのほうが心配しているみたいだ。
 
 大ちゃんから電話がきたのは三日前の水曜日だった。大ちゃんはお母さんの弟だ。ぼくのおじさんだから、ほんとうは「大おじさん」とよぶべきなのかもしれないけれど、大ちゃんはいつも
 「オレをおじさんって言うなよ。大ちゃんと呼んでくれ」
 と言っている。だからぼくは大ちゃんって呼んでいる。大ちゃんは鳥の研究をしている学者なんだ。しょっちゅうジャングルやら無人島やらへ行っている。フィールドワークっていうらしい。
 お母さんは
 「ふらふらしてないで、ちゃんと大学の研究室におさまればいいのに」
 と言っているけれど、研究室よりジャングルや無人島の方が大ちゃんは楽しいんだろうな。パソコンにむかって論文を書いているより、鳥をおいかけて冒険してるほうが楽しそうだとぼくだって思う。大人になったら、ぼくも大ちゃんみたいに冒険に行きたい。
 
 その大ちゃんから電話がかかってきた。大きくて元気な声だ。
 「おう、ユウタか、ひさしぶりだな。南半球の島から帰ってきたぞ。南半球って知っているか?去年、ユウタが行った沖縄よりも、今度の島はずっとずっと南にある。南のはてと言ってもいい。日曜日にうちに遊びに来いよ。そうだ、ユウタはもう九才になったんだろ?ちょうどいい年だ。てはじめに小さな冒険にちょうせんだ。ユウタ一人だけで電車に乗ってここまで来い。ユウタはいずれ本物の冒険家になるんだから、その練習さ」
 南半球ならぼくも知っている。いつか冒険に出る日のために、ちきゅうぎをいつも見ているからね。

 というわけで、ぼくは今日、相鉄線に一人で乗って大ちゃんの家に行く。一人で行くのははじめてだけど、家族でなんども行ったことがあるから行き方は知っている。二俣川駅で一回乗りかえがあるだけだからそんなにむずかしくないはずだ。
 それでもお母さんは心配らしい。
 「二俣川駅で電車をおりたら、二番ホームからいずみ野線に乗るのよ。乗りかえて六つ目がゆめが丘駅、乗りすごさないようにね。パスモはちゃんと持ってる?ゆめが丘駅から大介の家までの道はわかってる?」
 お母さんは注意することをたくさんぼくに言ってくる。そんなお母さんをお父さんはわらっていた。
 「ユウタは九才なんだぞ、つまりほとんど一人前の男ってことだ。ちゃんと一人で行けるさ」
 「うん、ぼく、だいじょうぶだよ。いってきます!」
 お父さんとお母さんにおくりだされて、ぼくは瀬谷駅にむかった。
 
 相鉄線に一人で乗るのは初めてじゃない。大和にすんでいる友だちの家から一人で電車に乗って帰ってきたことがある。
 前にも一人で乗れたんだから、だいじょうぶ。そう自分にいいきかせてみたけれど、やたらと口の中がかわく。電車のじこくにあわせて家を出てきたので、それほど待たずに各駅停車に乗れた。
 土曜日昼間の相鉄線の車内はすいていた。あいている席はたくさんあったけれど、ぼくはドアの近くに立っていることにした。ここなら外がよく見える。三ッ境、希望ヶ丘、そして乗りかえの二俣川。
 二俣川駅で電車をおりて、ねんのためホームを見まわした。うん、二俣川駅だ。エスカレーターを上がって、二番線にエスカレーターで下りる。家を出る前にお母さんと確認したとおりにできた。
 二番線でいずみ野線を待っているあいだは不安だったが、湘南台行きの電車はちゃんと入ってきた。いずみ野線でもぼくはドアの近くに立った。ここからは見なれない駅がつづく。電車がとまるたびに、ぼくは駅の名前を確かめて、のこりの駅の数を数えなおした。
 いずみ野線はなんどもトンネルの中を進む。トンネルに入ると、まどガラスが鏡になる。そこには不安そうな小学生の顔がうつっていた。
 数えていたのこりの駅の数はゼロになり、電車はゆめが丘駅についた。プシューとドアがひらくと同時に、ぼくは電車をおりた。二俣川からゆめが丘駅までは十分くらい、とお母さんは言っていたけれど、一時間も電車に乗っていたような気がした。
 ゆめが丘駅の改札をぬけると、大ちゃんの住んでいるアパートが見えた。ぼくは両手をぐーんと空につきあげひとのびすると、ゴールにむかって走りだした。

                2
 マンションのベルをおすと、すぐにドアが開いて大ちゃんの顔がのぞいた。
 南の島の太陽にやけて、大ちゃんの顔はしょうゆせんべいくらい茶色になっていた。
「おぅ、ユウタ一人でちゃんと来れたんだな。初めての一人旅はどうだった?ドキドキハラハラしたか?」
「ドキドキハラハラなんてしないよ。楽しかったよ」
本当はドキドキハラハラしたのだが、正直に言うのはかっこう悪いから、ぼくはちょっとみえをはった。
「それはすごいぞ。よし、今日はユウタの最初の冒険の日だ。記念におみやげをユウタにジュヨしてさしあげよう」
 大ちゃんはかわひものついたペンダントを出してきた。それはにじ色に光っていた。
「パウア貝だ」
 大ちゃんはぼくをいすの上に立たせると、オリンピック選手がひょうしょう式でメダルをかけてもらうみたいに、ぼくの首にペンダントをかけてくれた。それから大きな両手でぼくの手をつつみ、握手をした。
 「初めての冒険の成功、おめでとう」
 電車に一人で乗ってきただけなのに、おおげさだよね、大ちゃんって。
 おもしろいから、ぼくも得意げに胸をはって
 「ありがとうございます」
 とまじめ顔でおじぎをかえした。
 「ユウタの成功を記念して、二人でしゅくはいをあげよう。今度の旅行で買ってきたお茶があるんだ」
 外国語が書いてあるはでな紙箱からとりだしたティーバッグで大ちゃんはお茶をいれてくれた。それから二人で
 「かんぱーい」
 マグカップをコツンとぶつけあってお茶をのんだ。それは、ちょっとコショウのような味がして、正直言うとあんまりおいしくなかったけれど、こういう味が外国ではおいしいのかな。
 大ちゃんがぼくの胸を見て言った。 
「そのペンダントには意味があるんだ」
そういわれて、手のひらにのせてまじまじと見てみると、ペンダントはひらがなの「し」の形ににていた。
「どんな意味?」
「それは『フック』、つりばりだ。パウア貝をほったフックをマオリたちは旅のお守りとして身につけている。ぶじに家に帰ってこれるようにっていうお守りだ。冒険のときはユウタもそのペンダントを身につけるといい」
 手のひらを動かすと、ペンダントは青色にも銀色にもかがやいた。緑色やピンクが混ざっているようにも見える不思議な色だ。
 「きれいだね。ありがとう、だいじにするよ」
 大ちゃんはつづけて、鳥のかしこさや、無人島でのくらしのことを話してくれた。他のどの大人ともちがう。大ちゃんの話はいつもすごくおもしろいんだ。ぼくらは夢中になって話しこんだ。
 いつのまにか、赤い夕日が部屋いっぱいにさしはじめていた。
 大ちゃんは、しまった、という顔をした。
 「ユウタの帰りが遅くなると、おねえちゃんにおこられちゃうからな」
 大ちゃんはゆめが丘駅までぼくを送ってくれた。
「夕方になっちゃったけど、ユウタは一人で帰れるよな。気をつけて帰るんだぞ。乗りかえだけはまちがえるな。二俣川駅からは相鉄本線海老名行きだぞ。おっと、パスモはなくすなよ、駅から出られなくなるからな。ちびっこ冒険家、また遊びに来いよ」
 「うん、ありがとう。また、くるよ」
 ぼくはバイバイと手をふってゆめが丘駅改札で大ちゃんとわかれた。
 
 夕方のいずみ野線は大人ばかりが乗っていた。みんなだまっている。大人たちでいっぱいなのに、電車の中はだれの声もしない。毎日同じ電車に乗っているんだろうに、大人どうしは友だちにならないんだろうか?つらつらとそんなことを考えながらぼくは電車にゆられていた。
 やがて電車は二俣川駅についた。数人の大人といっしょにぼくは電車をおりた。来た時とはぎゃくに、二番ホームのエスカレーターを上がり、一番ホームに下りる。
 下りエスカレーターに立ながら、ぼくは上着のポケットの中をさわってみた。
あれ?ない。パスモがない。おかしい、たしかに上着のポケットにいれたはずなのに。ぼくはホームのベンチにすわり、ズボンのポケットやリュックの中をさがしたがパスモは見つからない。どこかでなくしたのか?
「パスモはなくすなよ。駅から出られなくなるからな」
 大ちゃんの言葉を思い出した。ぼくの心ぞうの音が急に大きくドキンドキンとひびきはじめた。ホームにはおおぜいの大人がいるというのに、だれもぼくのことを気にかけない。まるでぼくのことが大人には見えていないかのようだ。
 ぼくはひとりベンチにすわって空を見あげた。夕焼けが終わろうとしていた。あたりはどんどんくらくなってきた。乗り換えの電車はこない。もうすぐ夜がはじまる。
 
 3
 パスモは見つからない。乗り換えの電車も来ない。ひとりぽっち。
 とほうにくれていると、遠くから電車の音が聞こえてきた。乗りかえの電車がきたらしい。
 すべるようにホームに入ってきた電車が、目の前でとまった。それはかわった電車だった。たった一両の青いころんとした形はまるでおもちゃのようだ。「海老名」と書いてあるはずのところに、まるでこどもが書いたみたいな手書きの文字で「こども電車」とあるのが、ふざけているみたいだ。
 プシューッ。
 ドアが開くと、そこにはぼくと同じくらいの年の男の子がニコニコえがおで立っていた。しゃしょうさんがかぶっているようなこん色のぼうしをかぶっている。
「むかえにきたよ。ようこそ、こども電車へ」
 びっくりしてぼくは心ぞうがとびだしそうになった。
「ぼくのことをむかえにきたって?どういうこと?」
「パスモやきっぷをなくしたこどもをむかえにきたのさ。パスモがなくちゃ駅から出られない。駅から出られなくなったこどもたちは『こども電車』にのって旅をしているんだよ。きみもパスモをなくしたんだろ?これからぼくたちといっしょに旅にでよう」
 旅?こどもだけの旅?冒険だろうか?
 電車の中をのぞいてみると、たしかにこどもばかりが乗っていた。男の子もいれば女の子もいる。ようちえんくらいの小さな子もいれば、ぼくよりも大きい子もいる。おかしなことに半ズボンの夏の服の子もいれば、コートにマフラーの冬の服の子もいて、季節はまちまちのようだった。どの子もほほえんでぼくを見ていた。
 「さぁ、乗った乗った。新しい子が入るのはひさしぶりなんだよ。みんな楽しみにしてる。いっしょに電車の旅にでかけよう」
 ぼくは冒険にでかけたい気持ちが半分、この電車に乗ったらお父さんやお母さんに会えなくなってしまうんじゃないかという不安が半分。その両方の気持ちが心の中にあって、どうするか決めることができなかった。
「さぁ、いそいで乗って。電車が出るよ」
 ぼうしの男の子は近づいてくると、ぼくの手首をつかんだ。その手があまりに冷たくてぼくはせなかがすぅっとした。
「きみはもう駅から出られない。こども電車に乗るんだよ」
 さっきとはうってかわった低いゆったりした声だった。男の子の顔はえがおだったけれど、どこかさびしそうだった。すんだ茶色の目でまっすぐに見つめられると、きりがかかったように頭がぼんやりとしてしまい、ぼくは男の子に手を引かれるままに、ふわふわと一歩、また一歩と前に進みはじめた。
 あと、一歩で電車に乗ろうとした時だった。
 かすかなあたたかさを感じて、ぼくは自分の胸を見た。そこには、大ちゃんにもらったあのペンダントがぼうっとにじいろの光をはなっていた。あたたかで美しい光だった。
 そうだ、ぼくは瀬谷駅にもどらなくちゃ。家に帰らなくちゃ。お父さんとお母さんが待っているんだから!
 それまできりがかかっているかのようにぼうっとしていたぼくの頭が、とつぜん、はっとさめた。
 「ぼくは乗らない」
 ぼうしの男の子の手をいきおいよくふりほどき、電車にくるりと背中をむけた。視界のすみにこども電車のドアがしまるのが見えた。
 電車のうごきだす音にふりかえってみると、電車が走りでていくところだった。流れていく電車の窓から乗っているおおぜいの子どもたちが見えた。一番後ろの窓に立っていたのは、ぼうしの男の子だった。男の子はじっとぼくを見ていた。その表情はうらやましい、と言っているように見えたけれど、ぼくの思いすごしだったのかもしれない。
 ひとなでの風が一番線のホームを音もなくふきぬけていった。こども電車は夜の暗さのなかに消えていった。
 
 ぼくは全身から力がぬけたようになり、へなへなとホームのベンチにすわりこんだ。どれくらいの時間すわっていたのだろう。長いことすわっていたのかもしれないし、いっしゅんだったのかもしれなかった。
 足元を見ると、けいこうとうの明るい光の中、ベンチの下にぼくのパスモが落ちていた。最初からそこに落ちていたのか、今そこにあらわれたのか、ぼくのつかれきった頭ではわからなかった。
 
 4
 気がぬけたまましばらくベンチにすわっていると、乗りかえの電車がホームに入ってきた。ぼくはのそのそ乗りこみ、あいていた席にドサリと腰をおろした。
 相鉄本線にゆられていると、こわばった体がだんだんとほぐれていくのがわかった。仕事帰りの大人たちにまじって、同じようにぼくもつかれきった顔をしていたにちがいない。
 
 電車は瀬谷駅についた。電車をおりて改札をぬけるとそこにお母さんが待っていた。
 「お母さん」
 自分でも思いがけないうわずった声だった。
 「おかえり、よく一人で行ってこれたわね」
 なにごともなかったかのような、平和なお母さんの声だった。
 「お母さん、どうして駅にいたの?」
 「この電車でユウタが帰ってくるって大介から電話をもらったから、むかえにきたのよ」
 帰り道、ぼくはお母さんと手をつないで歩いた。小さなこどもみたいだけれど、なんだかお母さんと手をつなぎたかったんだ。
 商店街のお店のあかりがいつもよりもやさしくて、「おかえり」と言ってくれているようだった。
 みちみち、ぼくはさっき二俣駅でみたこども電車のことをお母さんに話した。
「こども電車?そんなのあるわけないじゃない。パスモだってホームに落としただけでしょ?はじめて一人で電車に乗ってきんちょうしてつかれたのね。電車の中でうたたねして夢をみたのよ。」
 お母さんはわらいとばしてぼくの話を信じてくれなかった。
 本当にあれは夢だったんだろうか?それとも、こども電車は家に帰れないこどもたちを乗せて、今もどこかを走っているのだろうか?
 
 お母さんがのんびりとつづけた。
 「あ、また大介からへんな話でも聞いて、それが頭に残っていたんじゃない?困るわねぇ。大介っておふざけがすぎるのよ、いつも」
 お母さんはこんな風にいつも大ちゃんのことを困った弟だと言うけど、ぼくは大ちゃんが大好きなんだ。
 大人になったらいつか大ちゃんといっしょに冒険にいこうと決めている。

著者

小林あみ