「ずっとここで…」あき

 まもなく、その時を迎える。
私は軽く目を閉じ、静かに左耳を傾ける。「ガターンゴトーン ガターンゴトーン」と、ゆっくり走り始める一番電車の音。澄んだ空気の中を次の駅へ進んで行く。私はその音を見送り、この町に無事、朝が来たことを確かめると一眠りする。きっと毎日毎日、同じように…
 生まれ育ったこの町に戻って来ることをどこか楽しみにしている。今は家族の都合で少し離れたところに暮らしているが、やはり慣れ親しんだ場所は落ち着く。私は人生の半分以上をこの町で過ごしているのだから。
 ここはかつて鎌倉郡と言われていた。「鎌倉」と聞くと、武士が政権を行ったあの鎌倉時代を想像してしまうが、ここはそんな表舞台とは違って、きっと、のどかでゆったりとした時間が流れていたのではないかと思う。私が幼少の頃は、どこまでも広い空と、どこまでも平らな土地が広がっていた。裕福な人はわずかで、土地を耕し、質素な暮らしをしていた人が多かったように思う。
 私の生まれた家は駅の近くにあって、父は自営業をしていた。父の実家が畑を持っていたこともあって食べ物には困らなかったが、父の趣味も災いして、お金は無い方だった。お祭りの時期となると、父が長期不在になってしまうのである。芝居が好きな父は、神社の祭りに招かれた旅役者の後をついて、次の何処かへ行ってしまうのだ。そのようなことで、お金には少々困っていたようだった。若く嫁いだ母は小さな子供を抱え、だいぶ苦労していた。私は辛抱強い母の姿を小さいなりに感じ取っていた。小学校から帰ると私には弟達の世話と畑仕事が待っていた。さぼることが出来ない性分の私は兄弟の中でも貧乏くじを引いてしまう。皆、遊び盛り。上の兄弟からは「お前がやれ・やっとけ。」などと仕事を押し付けられることも度々。家の仕事が嫌でもなく、家族といるのが一番嬉しかった私は、理不尽なことと思いながらも、それは納得してやっていたことだった。今の時代でも、どの家にもある話である。
 そして私には、けして忘れることが出来ない小学校時代の恩師との思い出がある。
家がお金に苦労していた頃のことだが、私だけクラス写真を買うことが出来なかった。申し込み締め切りのギリギリまで母に何回も何回も買うことをお願いしていた。
普段は我がままを言ったことがないが、この時ばかりはどうしても欲しくて粘ってしまった。皆の前で写真を手にしたかったのだ。買わなかったのは私一人、辛く悲しいことだったが、下校時に先生が私を呼び、こっそり写真を渡してくれたのだった。
先生は「うん、うん」と二回頷いてニッリ微笑み、モノクロの写真を手に乗せてくれた。私はこれは皆に内緒のことだと思い、胸に抱え家に持ち帰った。帰る途中でチラッチラッと写真を見て、なんとも言えない嬉しさでいっぱいだったことを覚えている。写真を受け取ったあの時は驚きもあり、はっきり「ありがとう。」と言えなかった。あの先生の気遣いには感謝しかない。先生はお元気だろうか?
 小学校は今も健在で同じ場所にある。近く
には長く長く続く桜並木があり、春になると車や人で溢れている。どこまでも続く桃色の道が見事だ。人々が方々から花見に訪れ、家族連れでゆっくり時間を過ごすらしい。今ではかなり有名な観光名所となっている。「八福神」という全国でも珍しいものもあり、お参りに来る人も多い。畑が広がる田舎町が賑やかになった。電車や車が手助けをしてくれて、徐々に人を呼び、建物を増やしてくれた。買い物も便利になって、ずいぶん暮らしやすくなったと思う。
 この町は更にどのように変わっていくのだろう。私はここでじっと見守ることにしよう、
先に住んでいる主人と共に。少し窮屈な住まいだが、この町で過ごした新婚時代をなんとか思い出して。
 朝は一番電車を、昼は目の前の母校から溢れ出る元気な子供達の声を聞き、夜は最終電車を。「ガターンゴトーン ガターンゴトーン」「ガターンゴトーン ガターンゴトーン」静かに左耳を傾けて、一日が終わったことを確かめる。もうまもなく…。

著者

あき