「どこかのだれか。」淀川勝喜

 「お名前はどうなさいますか?」
 横浜高島屋の輝いているディスプレイの前で、店員さんにそう聞かれた僕は、急に恥ずかしくなって小さな声で二文字を呟いた。

 コートがそろそろ必要ではなくなる四月上旬の夕方ごろ、不透明な分厚いビニール袋に入った荷物を持ち、僕は相鉄線横浜駅の二階の改札を通った。先ほど海老名行きが出発したようで、乗り場には新しい人の列ができ始めていた。僕は人の少ない乗り場に見つけて電車を待った。
 待つと言っても、五分ほどで次の電車がやって来るのでそれほど苦痛にはならない。それよりも苦痛で、少し笑ってしまう人間の習慣が電車の到着後に起きる。
 「…………………」
 無言の圧力が背後から押し寄せてきて、反対側のドアから乗客全員が降車する様子をじっと見つめている。その圧力は目の前のドアが開くまで高まり続け一気に解放される。
 
 「…………ふう」
 《楽しくない椅子取り合戦》を制した僕は、膝の上に肩掛けカバンと手荷物を置く。車内に人が次々と入って来て、目の前に仕事帰りのサラリーマンがスマホをいじりはじめた。僕はこれから三十分かけてかしわ台駅に向かい家に帰る。

 五年前に二十歳を過ぎた僕は、ある事情があってかしわ台周辺に引っ越すことになった。そして五年間も日常的に相鉄線を利用して、たくさんの思い出を作ってきた。
 電車の車内では、窓の外に流れる風景を眺めて、季節の移り変わりを感じる事が出来るし、何気なく他人を観察していれば、ちょっと可笑しくて笑える人に出会ったりする。
 いつだろうか、海老名駅から横浜に向かう際に、反対側に座った五十代過ぎのおばさん(かなり奇抜な色彩の服装をしている方)が、大胆に鼻の穴をゴリゴリとほじりながら《あなたに合う、パワーストーン入門》みたいな本を読んでいたのを発見してしまえば、心の中で「そのストーンでいいのか!?」と何回も笑いながらツッコミを入れてしまうし、週末の終電に乗った際には、泥酔した中年のサラリーマンのおっさんに絡まれ「おいお前、ケンカしようぜ、かかってこいやぁ~」と車内の通路で大の字になりながら言われたのは、多少イラつきはしたが、喧嘩を売って来る相手がフニャフニャに倒れている状態なのが可笑しくてしかたなかった。
 しかし、彼(サラリーマン)のような姿を見てしまうのは悲しくなる事の方が多い。辛い現実を変える事が出来ず、嘘でもいいから自分を強いキャラ設定にしようと、過剰に自慢話を繰り返したりしているのだろうが、その行為は僕がかしわ台周辺に引っ越す事になった原因の一つでもあった。
 福岡県に生まれ、同県の工業高校を卒業した僕は、先生と親が言う通りに茨城県の会社に就職した。専門学校や大学に行く道もあったが、《やりたい事》や《何に興味があるのか》が僕には無かったし、分からなかった。それは同級生にも言えることで、みんな黙って就職して社会人になった。
 
 僕が就職した会社には大きな寮があって、全国各地から同い年の同期が集まった。不安だらけの僕は毎日同期と食事を共にし、夜にテレビゲームを遊んだり、お互いの事を話し合ったりした。
 会社はとても忙しく責任を与えられる為に、能力のない新入社員は帰る理由がなく、許されるまで残業するしかなかった。ここで問題だったのは、残業を強要する上司や、残業代を誤魔化している会社ではなく、僕自身の《やる気の無さ》だった。
 
 電車に揺られること十数分経って、二俣川駅に到着すると、横浜駅から車内に溜まっていた空気が一気に吐き出される。僕は反対側に座っている旅行帰りの女性を見た。大きなビニール袋にはディズニーのキャラクターがプリントされており、舞浜にある夢の国で遊んできたことが分かる。季節ごとに変わるグッズをカバンにつけていることから、彼女は何回も心を癒すために遊びに行っているのだろう。彼女は自分自身を理解している。
 《自分が何に癒されるか》を理解している人間は賢く、《他人を傷つけること》が癒しになっている人の形をした動物よりも、進化した人間に近いと僕は思っている。少なくとも僕やあのサラリーマンよりも。

 「定年まであと四十年もあるのか」
 その考えは、やる気のない僕にとって、死の宣告のようなモノだった。家族や友達がいる福岡から遠く離れ、「俺たち社畜だな」と笑いあう《しか》ない同期に囲まれ、《何もない僕》は不摂生を自慢し、無茶苦茶なキャラを演じる事で《しか》自分という存在を確立出来なかった。夜中までダラダラと残業をし、会社から寮までの交通手段を失った僕は、一時間かけて徒歩で寮に帰り、朝早く会社に行くこと《しか》やる事はなかった。
 そして僕は一年ほどで体を壊す。医者からは躁鬱病と診断され、こんな生活をあと四十年するのかと、絶望した。
 気持ちのハイとローを繰り返していた僕は会社に行けなくなり、寮で引きこもって生活するようになった。母親に病気の事を電話で伝えた時の事はよく覚えている。僕は母を泣かせてしまった。

 「何のために生まれてきたのか?」

 会社から帰ってきた同期と酒を飲みながら、よくこんな話をした。しかし結論が出るわけもなく、「社畜」という平成生まれには笑う《しか》ない単語を口から出すだけで時間は過ぎていき、互いの傷をなめ合っているだけで、誰も行動することはなかった。
 その焦りからなのか、頭が狂った僕は急に町中を走って車に跳ね飛ばされた。運よく軽症で済んだが、当たり所が悪かったら死んでいただろう。
 
 会社を辞めることを決めた僕は、母と喧嘩をするようになった。辞めたとしても僕に《何もない》事は母も理解していて、「これからどうするとね?現実は甘くないよ」とよく言われた。
 僕はたくさんの嘘をついて辞める理由を探した。とにかく《建前しか言えない会社》や《心配してくれる母》からも逃げ出したかった。
 自己都合で会社を退職した僕は、実家のある福岡には気まずさから帰ることが出来ず、高校時代から付き合っている彼女の家に転がりこむという《情けない》結末を迎えた。
 そして、その彼女とかしわ台に住むようになってもう五年も経った。その間に、自分がどれだけ情けなくて弱い人間かは嫌というほど思い知った。つまり、自分探しの青春時代が終わりを告げ、あとは覚悟して行動するだけの時代になった。
 幸いにも母とは誕生日のプレゼントを贈りあえるくらいには関係を修復することが出来た。今になっては全てに感謝している。母だって成長する努力をしたのだ。僕は尊敬している。
 
 かしわ台に住むようになり、三年ほど経っても、前の会社の同期とはたまに酒を飲んで近況を聞いている。そこで僕は、同い年の同期が仕事を苦に《自殺》したと聞いてショックを受けた。彼は何故逃げなかったのか。一緒に時代を生きていく数少ない仲間を一人失ったことは、残念なことで後悔しか残らなかった。
 
 「間もなく、かしわ台、かしわ台」
 アナウンスで起きた僕は、電車を降りてエスカレーターを昇り、改札を出てお気に入りの風景を見る。
 かしわ台駅は、建物を出ると左右に陸橋の道路があり、その下には相鉄線の車両基地広がっている。電柱や電線が空を遮ることなく、遠くには海老名方面の町や山を見ることが出来るこの風景を僕は好きだった。会社を辞めて初めてかしわ台駅に来た時は「空が広くて綺麗でいいなぁ」と思ったことをはっきりと覚えている。
 
 僕はビニール袋に入った手荷物を持って、気分よく坂を上っていく。同棲生活が上手くいっているかは分からないが、安定した生活が出来るようになれば、今すぐにでも結婚したいし、子供だってたくさん欲しいと思っている。出来ることなら全て女の子が望ましいのだが。

 僕は帰り道に《寺尾公園》を必ず通ることにしている。寺尾には森がそれなりに残っていて、毎年僕の家にはカブトムシやクワガタがやってくる。寺尾公園も巨大な木が生えていて、秋になると地面に落ちた黄色の葉っぱに太陽の日が当たり、キラキラと輝く美しい光景を見る事が出来る。僕は疲れた時に寺尾公園のベンチに座って爽やかな風を感じたり、木々の葉が擦れる音を聞いたりしている。
 彼女の口撃(こうげきという。かなり口調は汚い)を食らうと僕は鬱に入ってほとんど動けなくなるのだが、徐々に回復してくると寺尾公園で休憩している。
 そんな僕が夜中の二時くらいに、照明も消えている真っ暗闇の寺尾公園の中心で涙を流しながら星空を見ていたら、鼻歌を歌っている中年サラリーマンが僕に気づいておらず、絶叫したのはかなり面白かったと記憶している。僕はすぐに謝って家に帰った。

 「…………………」
 家に到着した僕が玄関のベルを鳴らすが、中から鍵が開くことはなく、
 「ちょっと待って、いまいいところ!」という彼女の声が聞こえてきた。
 僕は肩掛けカバンの中に手を突っ込み、指の感触を頼りに鍵を探す。財布や手帳、ノートやゴミをかき分けながら、柔らかいモノを掴む。それを引き抜くとピカチュウの小さなぬいぐるみキーホルダーが現れた。待ちきれない僕は鍵を開けて家に入った。
 
 「おかえり~」
 奥の部屋でテレビアニメを一生懸命に見ている彼女が玄関までやって来た。僕は手に持っていたモノを前に差し出す。
 「ひょ!」
 喜んだ彼女は袋に顔を突っ込んで匂いを嗅いだ。
 「ケーキだ!いいと~?」
 「誕生日やけんね、プレートに名前を書いてもらったよ。あとロウソクもあるけんさ」
 「やった~、あとで食べよ~」
 彼女がケーキを冷蔵庫に入れているのを横に、僕はお風呂場に向かう。
 
 まだ何も成してない僕に、あの頃の焦りが無くなったわけではないが、とにかく現実を見てしっかり生きようと思う。

 少なくとも今日の僕は《幸せ》に生きれていられているのだから。

著者

淀川勝喜