「ほろ苦いメロンソーダと甘い缶ビール」本多 隆

 かつて横浜の大衆文化を一手に担った娯楽の殿堂、それが『相鉄ムービル』。
そこでは稀に不思議な出来事が起きた。
それは世紀をまたいで、移転した今でも変わらない。

 その日、外回りの仕事が思いのほか早く片付いた花井高子は『相鉄ムービル』に行った。
平日こんな明るい時間に映画館に行くのは久しぶりだった。
 学生時代、彼女は映研、つまり映画研究部に所属し、映画は映画館のスクリーンで観ることにはこだわりがあった。
職場の同僚たちは、「そのうちテレビで放映するよ。」とか、「半年もすればDVDで発売されるよ。」とか言って、映画館で観ることに消極的だが、彼女に言わせると、百倍違うと。
大画面の迫力、音響の繊細さ、何より、余計なものに気を取られないのがいい。
映画はスクリーンで観なければもったいないとまで公言している。
 そんな彼女のルーツが『相鉄ムービル』と二十年以上前閉館になった『ライオン座』だった。相鉄西横浜の実家から、電車で5分、徒歩でも30分こんな立地に映画館があったのだから、それは小遣いが許すかぎり、映画を観まくった。
 大学に入って、映研に入部したのも必然だった。入部して初めて知ったのだが、映研は映画を観るだけではなく、映画を作った。もちろん、劇場で公開される超大作ではなく、8㎜フィルムで撮る、いわゆる自主映画だ。
スタッフ、キャストは部員が持ち回りで行い、予算も数万円、都内にある上映施設や学園祭で上映し、評判がいい作品だと、他校の映研に貸し出すこともあった。高子は在学中、自主映画数本に主演し、映研のマドンナとして君臨した。
彼女にとっては、ありきたりな言葉だが、青春時代だった。
 話が脱線してしまったが、映画を観ることは彼女の人生の一部であり、呼吸するのと同じくらい重要なこととなっていた。
 高子は一度だけ結婚をし、夫の転勤により愛知県で暮らしていたので、十年以上『相鉄ムービル』には縁がなかった。
5年前に離婚し、横浜の実家に戻ってからは、毎週のように通うようになった。
もちろん、時にはハズレと言える映画もあった。ただ、ハズレ具合が爽快なものもある。その爽快さが愛すべきものとなる。
ヒットしていても、自分の嗜好にあわないと感じるものもある。
だからこそ面白いのだと考える。
世間一般からみれば、かなり違った観賞をしていることは、自分でもわかっている。
 横浜駅西口五番街に向かって歩く。左に交番、右に立ち食い蕎麦屋がある路地を入るとそこは、なんとなく80年代アンドロイド狩りを描いたSFカルト映画の世界のようだ。いつもここを通るとき、高子はそんなことを思う。間もなく、階段を上ると『相鉄ムービル』が見えてくる。
 この長いタイトルの日本映画は辛口のラブコメディーで、高子が『邦画のひと』と呼び、年間200本は劇場で映画を観る、30年来の付き合いとなる恩田先輩が「まあ、観て損はないでしょう。」とメールで太鼓判を押していたので、そんながっかりすることもないだろう。
 チケット売り場は今どきの自動券売機ではなく、昔ながらの出札と呼ばれる対面式というのもまた嬉しい。効率は悪いのだが、ぬくもりを感じる。
チケットを購入し、売店でポップコーンとメロンソーダを買って、劇場に入った。
映画といえばメロンソーダというのは、子供の頃からの定番だった。天王町にあった、いわゆる二番館と呼ばれ、封切からしばらくすると3本立てで安く観られる『ライオン座』で、ガラス瓶入りのメロンソーダをよく飲んでいた。
上映中にこの空瓶が館内を転がる音は今でも数々の名画とともに忘れられない。
いつものように、前から七列目の中央通路左側の席に座った。周囲に人がいない。よしよし、これで映画を独り占めできると彼女は思った。
まだ、開映までは5分くらいはある。
眼鏡のレンズを拭きながら、のんびり待った。
スマホの電源を切ってバッグに仕舞った。
観客は20人前後、昔は立ち見などざらだったが、指定席制、入れ替え制になって、そういうこともなくなった。
それがいいのかわるいのかわからないが、そういう時代なのだ。
高子がいつも楽しみにしているドラマ仕立ての温泉のコマーシャルが終わり、予告編が始まったころ、前方左手の扉が開き、またひとり観客が入ってきた。
シルエットは男性だ。スクリーンを横切って、中央通路を高子に向かって歩いてくる。
前に座られるのいやだなと思っていると、六列目の中央通路右側に座った。
斜め前、まあよしとするかと思っていると、缶ビールを開ける音。
その後ろ姿に、彼女は気付いた。
あのなで肩はどこかで見覚えがある。そう、だいぶふくよかになってはいるが、映研時代付き合っていた竹野先輩だ。
後味が悪い別れ方をしてから、会っていなかった。よりによってこんなところで再会するとは。しかし、幸いにも竹野先輩は気付いていなかったようだ。平日のこの時間に映画館にいるとは、どういう仕事をしているのだろう。彼女も普段働いている時間であったなら、
絶対、ここにいないはずだった。まさに、ピンポイントの偶然である。
一瞬、声をかけようかとも思ったが、今更、また嫌な思いをするのもいやだなと留まった。
気が散らない程度に面白い映画でよかった。

 相鉄西谷駅で降りて、北口エスカレーターを下り、右手に線路をみる細い道を家に向かい歩いている時、恩田武史はワイシャツの胸ポケットに振動を感じた。
立ち止り、スマホを取り出し、ディスプレイを見ると、花井高子からメールが入っていた。
『相鉄ムービル』での偶然の出来事が、長いタイトルの日本映画の感想とともに書かれていた。
恩田は同輩である竹野勝彦に確認せずにはいられなかった。
帰宅すると、早速、LINEで竹野に連絡した。
 
恩田「ご無沙汰。」
恩田「今日、相鉄ムービルで缶ビール飲みながら長いタイトルの日本映画観ていた?」
竹野「えっ、観ていたけど。いたの?」
恩田「通路をはさんで斜め後ろの女性に気付かなかった?」
竹野「いいや、誰?」
恩田「花ちゃんだよ。」
竹野「えっ、どうして声かけてくれなかったんだよ!」
恩田「(かかわりたくないからじゃないの。)」
竹野「今度、花ちゃんに会わせてよ。」
恩田「(だからかかわりたくないんだってば!おめでたい奴だな。)」
恩田「折を見てね。(花ちゃんに言えないよ。少しは察しろよ。)」
竹野とのLINEを終えて、恩田は呆れた。
あいかわらず自分勝手で空気が読めない竹野に対して、そして、好奇心で軽はずみなことをした自分に対して。

 竹野勝彦は恩田武史からの連絡を受けて動揺した。
そんな偶然があったのかと。しかも、まったく気づかなかった自分がいた。
 竹野はテレビ制作会社に就職し、アシスタントディレクターを数年勤め、やがて、深夜枠のドラマ演出をするまでになったが、なかなか成果が出せず、また、収入も乏しくなり、やがて廃業した。今は警備会社に勤めている。
二十年前に結婚し男の子がひとり産まれたが、半年で妻が乳飲み子をかかえて出て行き、やがて離婚した。
夜勤で不規則な仕事のなか、唯一の楽しみは映画館でビール片手に映画を観ることだった。
酔いのせいで、観たことすら忘れている映画も沢山ある。
いつかは映像の世界に復帰する夢を捨ててはいない。
警備員になって五年、仕事の合間に企画書を書きためている。
竹野は、出来れば、もう一度、もう一度だけ高子に会いたい、そう思った。竹野が高子にした仕打ちは許されるものではないが、会って、一言だけ、詫びたい。
そして、出来ることならば、友人として、やり直したい。

 その後、花井高子と竹野勝彦が、また偶然の再会をすることはなかった。
人生ってやつは映画のようにドラマチックにもロマンチックにもいかないものである。

                   完

著者

本多 隆