「またこの街で」遅咲きヒース

目覚めればまた、ユウウツな朝。気だるく、足が重い。
誰もが体験したことあるであろう、“そんな日”の始まり。
なぜこんな憂鬱感に襲われているのか、私はその理由を知っていた。
だからこそ、外に行きたくないし、人に会いたくなかった。それでも、私は出かけることにした。
かつて毎朝のように通勤・通学で慣れ親しんだ駅の改札に入り、相鉄線に乗った。平日の、ラッシュ時間を過ぎた少し遅めの時間帯にも関わらず、空席はパラパラ。車内は思いの外、混んでいた。ピーク時以外の相鉄線は、閑散としているイメージだったが、それはとうの昔のことだったのかもしれない。
私はドア付近に立ち、右手で銀のポールを掴んだ。俯きがちに車窓を眺め、ひたすらこう願った。知り合いに会いませんように、と。でもまぁ、普通に考えれば、私の世代はもうとっくに出勤しているか、家事や育児に忙しく、この時間にバッタリ電車で会う確率の方が低いはず。そうは思っていても、乗客から見えにくいよう、ひそかに身を縮めずにはいられなかった。やたら1駅の間隔が長く感じられた。
乗り換えの二俣川駅に着くと、足が勝手に動いた。数年のブランクを感じさせないほどスムーズに。気が付けば、反対側ホームの定位置に来ていた。ここは、目的の駅の階段に一番近い乗降口なのだ。こんなことだけは、しっかり身についているのだから…。私らしいというか、何というのか。感心するより、なかば呆れて苦笑の笑みがこぼれた。
二俣川を離れ、しばらくすると車内アナウンスが響いた。
「まもなく希望ヶ丘、希望ヶ丘です。」
希望ヶ丘駅といえば、受験のお守りに「ゆめきぼ切符」を買いに来たことがある。ちなみに、「ゆめきぼ切符」とは、相鉄線の「ゆめが丘」と「希望ヶ丘」駅で期間限定で販売される縁起物の乗車券のこと。駅名にちなんで、夢や希望が叶うとされ、自分用はもちろん、先輩や友人の合格祈願に購入するのが、学生時代の定番だったのだ。相鉄線あるある、である。
…あの頃は、良かったな。まだ希望に満ち溢れていて。
その瞬間、「希望」という言葉が胸に刺さった。それと同時に、何とも言い難い灰色の気分が押し寄せてきた。
…こんなはずじゃなかったんだけどなぁ。
深い悲しみのような、絶望のような、暗闇に包まれるような、あの感覚が襲ってきた。どうして、こうなってしまったのだろうか。本来なら今頃は…。そんな気持ちと共に、うっすら涙が込み上がってきた。
…何を隠そう、私は失敗をした。
人生に大きな爪痕を残す、大失敗を。
私はこの失敗を機に、ふたたび相鉄線沿線に戻ってくることになった。
人生のどの時点で軌道修正していれば、こんなことにならなかったのだろう。
もう、どこで間違えたのか、わからない。だって、私の人生は紆余曲折していて、思い描いていた人生のレールとはかけ離れたものだったから。途中で、挫折や妥協をしたし、時には逃げることも選択した。それでも、置かれた環境でそこそこ満足できることがあったから、さほど間違えた道を歩んでいる感覚はなかった。
とはいえ、もちろん、うまく行かないと最初は「こんなはずでは…」と落ち込むのだけれど、いつも時間が解決してくれたのだ。自分なりにコツコツ頑張っていれば、思いがけないタイミングで、今の人生だからこそ味わえる素敵な出来事が起こった。私はそれを神様からのギフトと呼ぶのだけれど、神様からのギフトは、「理想とは違うこの人生も悪くない。」と心のどこかで思わせてくれた。
でも、今回の失敗に限っては、今までのようにはいかない気がした。例え、どんなに時が経ったとしても。私史上最大のミスが残した爪痕はあまりにも深すぎる。言うならば、不器用ながらに必死に作り上げてきた、いびつな形をした人生の塔が、一気に崩壊してしまったようなものだ。とにかく、ここ最近すっかりふさぎ込んでしまったのは、この失敗が尾を引いているからだ。
頭では、もう悔やんでも仕方ないと理解していても、心は複雑なのである。情けないやら、恥ずかしいやら、腹立たしくもあり、惨めで悲しい。心が折れそうな負の感情をギューッと凝縮して詰め込んだ状態。作り笑顔を浮かべる気力すら起きない。
…こんな状態で、果たして、今日は大丈夫なのか?
ふと我に返り、急に不安が膨れ上がった。
ちょうどその頃、相鉄線は目的の駅の一駅手前を出発するところだった。進行方向左手に、瀬谷の住宅街が広がったと思ったら、とんがり屋根の教会や、小高い森が見えてくる。緑の木々の麓にある真っ白な深見神社の看板を通り過ぎると、電車はあっという間に地下鉄に早変わりし、大和駅のホームに到着。
…着いてしまった。
エスカレーター前にできた長めのれるの後ろに並び、少し時間を稼いでみたものの、あまり効果はなかった。本当は、さらに寄り道をして心の準備をしたかったけれど、諦めることにした。手土産のケーキを持ち歩くには、暑すぎる。保冷剤を入れてはもらってはいたけれど、それだけでは少し心許なかった。覚悟を決めて、目的地に直行することにした。
大和の駅を出て、昔と変わらない街並みに懐かしさを感じながら歩いた。と、言いたいところだけれど、すぐに大和の町の変化に気づかされるのであった。駅周辺のビルのいくつかの店舗は私が以前来た頃と違っていたし、東側にある駅前の大通りは図書館通りになっていて、その先には真新しい近代的な建物(後で知ることになるけれど、図書館や芸術文化ホールなどを兼ね備えたシリウスという、大和市文化創造拠点)が、そびえ立っていた。それでも、街の大枠には馴染みがあるから、どこかホッとするものがあった。
それにしても、こうして大和に来るのは何度目だろう。両手では数え切れない回数だけれど、そこまで頻繁には来ていない。とくに、社会人になってからは、めったに訪れることがなかった。
…薄情者?そうかもしれない。なぜなら、私の場合、大和に来ていないと言うことは、祖父母に会いに来ていないということになるのだから。
祖父母の家は、駅からちょっと距離がある。だから、いつも色々なことを考えながら歩く。大抵、元気かなとか、前回会ったときのことを思い浮かべているだけだけれども。だけど、今回は極力何も考えないようにした。ただひたすら、歩くことに集中して。そうでないと、足が勝手にUターンしてしまいそうだったから。
ここで大和に住む祖父母のことを少しだけ紹介すると、祖父は昭和生まれの堅物。自分の意見を曲げない口うるさい頑固なおじいちゃん。その上、結構おしゃべりで、機嫌に左右される気難しさがある。それから、中肉中背だけれど、妙な威圧感さえ感じられる。一言で言うなら、敵に回したくない厄介なタイプ。一方、祖母は小柄でおっとりした朗らかな女性。こちらも、おしゃべり好き。よく片手を口に当てて笑うクセがある。時に冷静で計算高いところがあるけれど、孫には常に優しくて理想的なおばあちゃん。この二人の共通点といえば、戦争を経験していることと、考え方がかなり古風であること。
今どき、「内孫」や「外孫」なんて言葉を耳にすること自体少ないと思うけれど、私の祖父母は生粋の内孫びいき。跡取りである伯父の子供、すなわち私の従兄弟との待遇の差は歴然だった。例えば、お年玉の金額が違うとか。二人の内孫びいきを加味しても、私にとっては優しくて素敵なおじいちゃん、おばあちゃんには変わりない。正直に言えば、面白くないと思ったこともあるけれど、今は亡き、もう片方の祖父母もかなりの内孫びいきだったから、ある意味慣れっこだった。それに、亡き祖母に受けた男尊女卑に比べたら、どうってことない。…おっと、余計なことを話すぎてしまった気がする。
では、なぜ大和の二人に会いに行く足が重いのか。それは、祖父母が私の失敗を嫌う人たちだと知っているから。母から聞いた話によると、母がまだ若いころから、その失敗をすることだけは許さないと語っていたそうだ。今回私がその失敗をしたことを母が伝えたので、二人とも既にご存知なのだが…。いやむしろ、その失敗を知ったからこそ、顔を見せるように言われたのだ。
会いに行ったら、きっと祖父は「今どきの若者は…」から始まり、永遠とくだりが続くことであろう。はっきり言って、そんな祖父の金言に耳を傾けられるほど立ち直れていないし、聞く勇気もない。そもそも、どんな顔をして会いに行けば良いというのだろうか。今の私の唯一の味方は、手元にあるこのケーキ。我が家の最寄り駅近くにある美味しいケーキ屋さんのもので、祖父母はそこのカシスムースが大好きなのだ。とはいえ、ケーキでごまかせるわけがない。
…嫌だなぁ。
こんな時、自分が思い描いていた大人像とは違って、案外頼りなくて、子供っぽいことに気づく。十代の頃と、そう変わっていないのではないかとさえ思う。大人になっても、嫌なものは嫌だし、怖いものは怖い。知らないことだって沢山ある。みんなも、同じようなことを感じることがあるのだろうか。
ユウウツな気持ちと反比例するように、目的地までの距離が縮まる。どんなに足が重かろうと、止まらず歩けば目的地に辿り着くのだ。大通りを抜けて、ちょっと入り組んだ細道に入り、曲がりくねった区画になったら、いよいよ目的地に到着だ。

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祖父母の家を出てから、1時間くらいになるだろうか。
はじめは大和駅に向かって歩いていたけれど、まっすぐ帰る気にはなれず、行きに見つけたシリウスに立ち寄ることにしたのだった。玄関口にいる人型ロボットを横目に最上階の6階まで上がってみた。フロア全体を軽く見渡した後、迷わず外のテラスに出て、日陰の椅子に腰かけた。サンサンと陽光が降り注ぎ、いかにも夏らしいジリジリとした蒸し暑さが感じられるのに、頬にあたる風は妙に涼しかった。私は西側にうっすらと見える山を見つめながら、祖父母とのやり取りを思い出していた。
結論から言うと、意外な展開だった。
覚悟していた、長いお説教などいっさいなかったのだ。
「話は少し聞いたよ。…おまえさんも大変だったな。」
開口一番、祖父はそう言ってくれた。そして、言葉の出ない私に向かって、こう続けた。
「ずいぶん辛い思いをしたんだから、しばらくゆっくり休んだらいい。」
あの時、お礼を言うべきだったのかもしれないが、私の口は開くことがなかった。適切な言葉が見つからなかった。
ところで、私がした失敗とは、離婚のことである。生涯の伴侶を得たと思っていたけれど、新婚のうちに、まさかのスピード離婚。元夫が不倫相手に本気になってしまったのが、破局の理由だ。これは、私にとって誰にも言いたくない黒歴史だ。自分は価値のない女だと、世間に思われるのではないかと怖かった。加えて、上辺の甘い言葉に騙されても気づかない愚かな女だったということも知られたくなかった。だから、誰かに会うのが嫌だった。何か言われるのではないか、変な目で見られるのではないか、常にそんな気持ちがつきまとうようになっていた。
ただでさえ、祖父母は離婚は悪と考える方。我慢が足りないだとか、身内の恥だとか。とくに祖父は、「自分の目の黒いうちは、絶対に離婚は許さない。」と母に言ってきた張本人だ。今どき、三人に一人が離婚する時代とは言われているけれど、そんな論は通用しない人である。「自分の顔に泥を塗った」と怒られる覚悟でいたのに、祖父の言葉は優しかった。あまりにも、予想と違う反応に私は驚きを隠せなかった。
祖父は、私の離婚について、もう深く追及する気はないようだった。
心配で、ただ私の顔を見たかったらしい。
沈黙の後、祖父は隣に座る祖母に話かけた。
「おい、誰だかわかるか。お前さんの孫だよ。」
…ショックだった。
しばらく会わないうちに、祖母の痴呆は進行していて、私を見ても誰だか認識できなくなっていたらしい。祖母は、私に向かってニコッと微笑み、なぜか自己紹介を始めた。私のことを「ちゃん」付で呼んでくれる、あのおばあちゃんは居なくなってしまったのだと胸が痛んだ。
年を取るとは、きっとこういうことなのだ。
まだ半日しか経っていないと言うのに、ずいぶんと色々な感情が交差した。
私は椅子から立ち上がって、駅に向かった。すれ違うベビーカーを押して歩いている同世代くらいのママたちは、いかにも幸せそうで明るい表情だ。その時ふと、自分の幼いころの記憶が蘇った。昔、祖父母と一緒に電車を眺めたことがある。なんだか無性に線路を眺めたくなり、駅の西側から続くプロムナードを歩いてふれあいの森の入り口付近まで向かった。ここは、電車を眺めるのに絶好の場所なのだ。小高い緑の丘を背景に走る、のどかな相鉄線が見られる、まさにフォトジェニックなスポット。
今日は運が良いことに、周りに誰もいない。この景色を独り占めしながら、幼い頃や学生時代の日々を思い出していた。思えば、私の思い出は、いつも相鉄線沿いにある。きっとこれからも、この街で時を重ねていくのだろう。
近くの花壇に咲く、黄金に光るひまわりが、なんだか私にエールを送ってくれているような、そんな気がした。前に向かって歩くように。

著者

遅咲きヒース