「まほろば」太田裕二(猫ひた水曜レッド)

 青と緑のコントラスト。公園のベンチから見上げた空の青と、それを縁取る緑の草木。その彩りに感じ入りながらも、視線を落とす。公園の地面は芝生の緑が相場だと思っていたが、ここに広がるは灰色のアスファルト。そんな思惑が外れた事も相まって、軽くため息をつく。ふと声が聞こえた先には、ブランコではしゃぐ小さな少年とそれを見守るお母さん。そう、こんな穏やかな風景は相場通りである。
 ここは相鉄線弥生台駅を出てすぐの公園。あの不思議な猫に誘われるようにここまで来たものの、あやつはどこへ行ったのだろう。あやつ?猫ちゃん?猫の呼び方に迷う事すら、今の僕を象徴している。
 ある場所を探しに僕はこの街に来た。
 その場所とは。
 ―まほろば。

 「ここが相鉄線の電車基地だ!普段走っている電車がどんなものなのか、よーく見るように。」
 かしわ台高校名物、夏休み明けの課外授業“相模鉄道車両センター見学”。ここには電車を整備する大きな車庫、そして、一日の運転を終えた電車が戻ってくる線路が集結しており、まさに電車基地と呼ばれるにふさわしい場所だ。
 「来年の夏休みは受験勉強に追われてるのか…」なんていう半ば無責任で他人事風味の心配を携えた高校二年生たちが、学校の校門に似たセンター入口の門に集まっている。その一行を前に、担任の三上先生が電車好きゆえの喜色満面を讃えて語っている。先生の愛、いや、もはや偏愛は、残暑と呼ばれる季節に夏のエッセンスを加えている。
 車庫に入る前に、副担任の岡村先生がヘルメットの被り方を指南する中、同じ班の小早川がからかい気味に僕に言う。
 「あれ、弥生ちゃんはどこいった?」
 矢継ぎ早に、
 「しっかり見とかなきゃダメじゃん!」と谷水も追随する。
 「はいはい、うるさいぞ。」
 この僕の返答までが、最近の僕らの会話の定型文ワンツースリー、アンドゥトロワだ。
 生徒全員が車庫にぞろぞろと入っていく中、ふと背中に妙な視線を感じた。くるりと振り返ってみたが誰もいない。気のせいだろうと車庫へ向かい始めると、やはり視線は僕にまとわりついたままだ。そろりともう一度振り返る。やはり誰もいない。が、不意に視界の下へ目を見遣ると、そこには白と茶のまだら模様、少し不揃いな毛並みながらどこか愛くるしい表情の猫がいた。
 目と目が合う。目と目で通じ合う事はないが、普段ここまで猫と目が合う事はないというほどの見つめ合い。猫が何かを僕に伝えようとしているのでは、という初めての感覚。不意に僕の心によぎるは、高鳴る予感と胸騒ぎ、それらが綯い交ぜになった何か。
 不意に猫が門の外へ走り出す。僕は直感、いわば第六感で猫を追いかけた。
 猫は道なりに歩道を進み、ある所では坂道を登り、道を曲がり、少し小高い山の方へ向かっているようだ。少しずつ息を切らしながらも猫を追いかける。猫が走る。走る。走る。それを追いかけ、僕も走る。走る。走る。
 なんとか食らいつきながらも、もう限界…と思った瞬間、あやつは足を止めた。
 「なんだここ…?」
 気がつくと、なにやら厳かな雰囲気に包まれた森の中にいた。あやつは石碑の前に座っており、そこにはこう刻まれていた。
 “秋葉山古墳群”。
 こんな所に古墳があったんだ…、という驚きも束の間、あやつはそっと茂みの奥へ消えていった。なんとなくその方角を意識して道なりを進むと、目の前に古墳が現れた。小高い山のように盛り上がり、教科書で見たような鍵型になっている。
 と、ここで古墳のそばに誰かが立っているのに気がついた。その後ろ姿で、僕は誰だかすぐわかった。

 「え、、なんでここに…?」
 「…あら、そっちこそなんでここに?」
 まるで僕がここに来るのを見越していたかのような、いつも通りの飄々とした口ぶりに少し圧倒されつつも、僕が見つけたのは同じクラスの弥生だった。
 そう、何を隠そう、この弥生こそ、僕の初恋の相手、その張本人である。

 弥生に初めて会った時、少し物静かでポーカーフェイスながら、表情のどこかに優しさを宿した佇まいは、周りに流れる時間を少し穏やかにする、そんなタイプの人だな、と思った。仮にいまではないどこかの時代の人とするならば、平安時代の女性、といったイメージだろうか。少し浮世離れしたその雰囲気に、気がつけば僕は恋をしていた。
 そして小早川、谷水にこの話をした途端、二人は嬉々として僕の事をからかい、告白するよう促すようになった。乗せられるとなんだかいい気持ちになる性分の僕は、“人生一度きり”なんて大それたことを掲げ、告白にチャレンジするのも悪くないなと思うようになった。そして今回の課外授業は、告白の機会を作れるチャンスの一つだったのである。

 古墳群は木々に囲まれてるゆえ、強い日差しは遮られているものの、蒸し暑さだけは残っている。
 「前話したでしょ。戦争がなかったと言われる縄文時代が好きだって。そこから時代が流れ、権威というものが生まれ、その象徴でもある古墳が作られた。その時代の移り変わりを想像すると何とも言えない気分になるから、一回古墳をこの目で見てみたかったのよね。」
 こんな掴みどころのない感性に対しても僕は魅力を感じていた。
 ここで僕はふと、ある事に気がついた。
 今こそ、弥生に告白をする待ちに待ったチャンスではないか??誰もいない二人きりの空間。偶然が生んだ産物。
 その意識が芽生えた瞬間、自分の中の臆病虫が急に動き出した。確かに弥生に対して恋のような気持ちはあるが、果たして付き合うなんていう青春の一コマを自分が切り取っていいのか?はたまた万が一告白できたとしても、その答えなんてわからない。神のみぞ知る。いやもはや神すらその解答は持ち合わせていないかもしれない。いまの微妙な距離感で仲良くいるというのもそれはそれでいいかもしれない。
 頭の中の螺旋階段を必死に昇り降りするも、出口は見つからないままだ。
 でも、この気持ちを燻らせたままでは、この世界を彩る何千何万の色の中で、何か一色足りない気がする。
 もし告白したらどうなるかという未来思考のベクトルと、古墳という果てしない過去ベクトルは打ち消し合うわけでもなく、僕を引っ張り合いその場に立ち竦ませた。
 そんな僕を見かねてかどうかはわからないが、弥生が口を開いた。
 「相鉄線に私の名前が入ってる駅があるの知ってる?弥生台駅。そこにね、まほろばって呼ばれる場所があるの。安らぐ場所、住みよい場所って意味らしいんだけど、なんでもね、そこでは願いが叶うっていう噂があるんだって。」
 「まほろば…。」
 「そこで待ってる。」

 僕の返答も待たぬまま、弥生は古墳群からスッと去っていった。
 “まほろば”ってなんだ?そこへ行くべきか、電車基地へ戻るべきか、その逡巡も許さぬほどの時間で、目の前にまたあの猫ちゃんが現れた。
 再び猫ちゃんと目が合う。なんのけなしにこの猫ちゃんについてきたらここで弥生に会った。淡い期待が胸をよぎる。再び歩き出した猫ちゃんに、僕はついて行こうと決めた。

 猫ちゃんに引き連れられるように辿り着いた弥生台駅。ここまでの道すがら、不思議な事に駅員さんも乗客も、猫ちゃんには気を留めなかった。
 改札を出た途端、左へ曲がり走り出す猫ちゃん。あまりの不意打ちにまた見失ってしまった。あやつだけが頼りなのに…。
 駅を出てすぐの階段の下には、公園があった。電車基地を飛び出してからどれくらいの時間が経っただろう。体に少し覚える疲労を和らげるため、公園のベンチに座り空を見上げる。
 青と緑のコントラスト。視線を落とせば、灰色のアスファルト。
 声の聞こえる方、ブランコで遊ぶ親子を眺めていると、視界の端から弥生が現れた。
 「あの坂道を下っていった先よ。」
 そう言って少女の様に駆けていく弥生。都会の喧騒とは程遠い落ち着いた街並みの中、とりつくしまもなく弥生はまた行ってしまった。
 言われた通り、公園横の坂道を下る。すると、何かの畑が見える。
 近づいてみると、どうやらナス畑のようだ。生まれて初めて見るナス畑、そこに没入しかける僕に、そうはさせまいとあの猫がまた現れた。
 猫を見つけた安堵に、「ナス畑でつかまえたぞ。」と、どこかで聞いた事あるような響きを呟く。
 猫が歩き出す。次こそは見失わぬよう、細心の注意を払おう。
 車通りの多い道を進んでいくと、橋が見えた。「阿久和川」と書いてある。猫と同じく橋の手前で曲がり、川の流れに沿って歩く。すると相鉄線の高架橋が見える。そのふもとにある小さな橋を渡ると、猫は近くの石段を降り、川辺につき出した場所で歩みを止めた。
 周りには緑の草が生い茂り、人が歩いて出来たであろうけもの道もある。川べりにはまるでステージのように存在する石の階段。
 「ここが“まほろば”…。」
 どこかに書いてあるわけではないが、心が安らぐ。“まほろば”はここで間違いない。
川べり、そして猫のすぐ隣に座り、そっと水面に触れる。その冷たさが心地よい。
 頭の整理がつかぬまま進んだ、この電車基地から“まほろば”までを頭の中で振り返ってみる。
 弥生にいつどうやって告白しようか、そんな迷いに支配されていたここ最近。そのチャンスでもあった課外授業。そんな時にふと現れた猫。誘われるようにたどり着いた古墳。そこで出くわした弥生。そしてまた猫に導かれるようにやってきた“まほろば”。願いが叶うと弥生が言っていた場所。

 ここで告白すべきかどうか。隣には猫がいる。
 「大丈夫かなぁ…」
 君は猫である。返答なんて期待もせずに、ふと語りかけたその刹那、猫は僕の目をじっと見つめた。
 高架線を電車が走り抜ける。その轟音に川のせせらぎも、そよぐ風の音もかき消される。
 「きっと大丈夫―。」
 不意に響いた声。
 まるで、目の前にいるこの猫が僕に語りかけたような、いや、そうとしか思えないような。
 時が止まった感覚に襲われたのも束の間、通り過ぎて行った電車。あとに残るは静けさという音だけ。
 え?さっきの声は誰の声だ?
 周りを見渡しても誰もいない。改めて猫の方を見遣る。と、もう猫はいない。
 猫の姿を探そうと、改めて周りを見渡す。すると、遠く高架下の向こうから、誰かが歩いてくる。
 紛れもない、弥生だ。
 気のせいだろうか。今見える世界が、今まで見てきた世界より一色だけ鮮やかに見える。
 きっと大丈夫―。
 さっき聞こえた声を心の中で繰り返す。
 僕は地面を強く踏みしめ、弥生が待つ方へ歩き出した。

著者

太田裕二(猫ひた水曜レッド)