「もう一つの横浜」カナヤン

 今日も仕事で遅れてしまった。もう夜八時を回っている。僕は融資の審査書類をキャビネットにしまい、事務所を後にした。エレベーターでビルの十一階から一階へ下り、横浜駅へ歩を進める。駅東口から地階へ下り、広い通路を西口方向へ直進していく。通路は帰宅の途につく群衆で、まだかなり混雑していた。再び上階へ出て西口の手前まで進み、そこから相鉄ジョイナスへ方向を変えた。
 ここから暫くの間、ブティックや洋菓子店等のお店が、賑やかに続いていく。今日は気が向いたので、行きつけの洋菓子店に立ち寄り、シュークリームを三個購入した。その先に相鉄線横浜駅が見えてくる。広いフロアの左側に自動券売機が、正面に自動改札機がずらりと並んでおり、いつ見ても壮観である。
 僕はいつものように、各駅停車の電車に乗り込んだ。マンションがある上星川駅まで直に着いてしまうが、急行に比べて乗客が少ない分、電車内は乗り心地がいい。僕は今、小旅行気分を味わっている。なぜなら僕が今住んでいる上星川という場所は、僕にとってさながら、癒しの地と言いえる魅力に溢れているから。摩天楼のそびえる〝みなとみらい〟や、豪壮な中華街等が一般的な横浜のイメージとするならば、ここは自然と安らぎの地という、もう一つの横浜と言える。
 上星川駅の間近に日帰り温泉施設があり、休日等はしばしば、妻や小学校三年生の息子等家族と共に繰り出し、ゆっくり温泉を楽しんでいる。駅前のロータリーを挟んだ反対側には〝上星川商店街〟が展開しており、飲食店、鮮魚店、青果店、生花店、クリーニング店等多彩なお店が軒を連ねている。僕はここを勝手に、〝癒しの町の名店街〟とイメージしている。温泉の後はお気に入りのレストランでお昼ごはんを食べて、お腹が膨れた後は商店街をぶらついて、好きな物を見て回る。お菓子、野菜、魚等、何でも面白そうな品物のショッピングを楽しむ。また駅の近くには大きなスーパーマーケットもあるので、ここで必要な物も購入することができる。
 話しが脱線したが上星川駅は起伏に富んだ地形に位置し、駅前の温泉施設を左手に見ながら帷子川に架かる橋を渡り、引き続き暫くバス道路を上っていくと、やがて丘の上に出る。この一角に、僕等家族の住む賃貸マンションがある。
 帰宅すると、いつものように妻が出迎えてくれた。今日の夕食は、鮭のホイル包み焼きと秋野菜のサラダとのこと。行きつけのお店で買った食材という。息子は既に夕食を済ませて、部屋で宿題をやっていた。僕はお土産のシュークリームを妻に手渡し、後で食べることになった。着替えを済ませてダイニングに戻り、今日の出来事を妻と話しながら食事を楽しんだ。その後居間に移動して、ウイスキーのオンザロックを嗜む時が、僕にとって至福の時である。居間の窓から臨む夜景がまた、絶景なのである。高層ビルや繁華街を彩る無限なキラ星のごとき横浜の中心街を、一望できるのである。つい数十分前まで自分がその中で奮闘していたことが、何でもない些細なことだったように、感じられてくる。
 その時、息子が手に図面らしき紙を携えてやってきた。シュークリームのお礼に加え、
この場所にはいつ探検に行くのか、という催促である。その図面は以前、家族で外観だけ偶然見たことのある、〝渓谷〟の案内図であった。男性とは不思議な生き物で、何やら未知の世界に対する探検心に突き動かされる習性がある。この件はつい先日、家族でいつも歩くバス道路から上星川駅方面を目指してウオーキングを開始した時、息子がふと見つけた迂回路を行こうと、提案した時に遡る。その迂回路は道と言うよりも、長く緩やかな階段であった。もちろん周辺は住宅街だが、意外にも手付かずの草地や立木等が残されており、僕は新鮮な感覚に浸れた。息子は息子で一度芽生えた探検心は冷めやらず、更に突き当たりのT字路を、バス道路とは逆の右方向へ進むことになった。長い階段は相変わらず続いて行き、やがて広い道路である環状二号線に出た。ここで〝渓谷〟の表示を見つけたのであった。もっとも僕は既に地図上でその存在を知っていたのだが、幹線道路沿いに広がるその森林地帯を実際に見た時、その大きさと意外性に驚かされた。しかし上から見ているだけでは、渓谷の存在は確認できなかった、探検はまたの機会に譲り、この日はデジカメで案内図を撮影して帰ったのである。僕らは二週間後の土曜日に、家族でこの地へ探検に行くことになった。
 本当のところ、僕も興味が尽きなくなってきた。横浜の中心地から決して遠くはない場所に、なぜこんな原野同然の自然が残されているのか、その渓谷にはどんな生き物がいるのか、今から下調べしてやろうと意気込んでいる。こんなことを繰り返しながら、僕は僕にとってのもう一つの横浜で、新たな感動の引き出しを増やしている。完

著者

カナヤン