「ゆく先」駒鳥つばさ

小さい頃から、電車が好きだった。幼稚園前から、母さんに抱っこされて電車を見に行くのが大好きだったらしい。父さんとは手をつないで一緒に電車を見に行ったり、紙で電車を作ったり、おもちゃの電車で一緒に遊んだりした。おもちゃの電車も本物の電車も、どっちも大好きで、僕にとって、なくてはならないものだった。
 大好きな電車に毎日乗れるようになったのは、高校生になってからだった。僕が通う高校は、偏差値はあまり高くない、校則が厳しい公立高校だ。細かい校則は時々面倒くさいけれど、学校全体が落ち着いているところは悪くない。不良も少ないし、茶髪も金髪もいない。僕は大人しい方だと思うけれど、クラスにも仲良くしている子がいるし、パソコン同好会という部活にも入っている。部員は全員男子で、みんな変なやつだ。それぞれが何かのオタクなので、似たもの同士のところもあり、好きなものはそれぞれちがっているけれど、でも、一緒にいて楽しい。彼女はいないし、成績も普通。高校生活は、特別なことは起きないけれど、毎日楽しい。
平凡に見える毎日の楽しみに、通学がある。中学までは歩きだったけれど、高校には電車に乗って通う。これが、毎日とても楽しみだ。相模鉄道の、二俣川から瀬谷駅まで。たった十分くらいだけど、大好きな電車に乗ることそのものも、電車のデザインが変わることも、電車内がきれいなことも、広告が変わることも、全部楽しい。僕の高校生活は、変化はないけれど、穏やかに幸せに送れていた。

 三年生になり、進路を真剣に考えなければならなくなったとき、我が家で事件が起きた。父が、退職したのだ。会社の経営が行き詰まり、解雇ではないらしいが、辞めてしまったのだ。元々うちは金持ちではなかったところに、大変なことになった。父の年齢では、再就職先を見つけるのは大変だと聞いた。様々なことを知ったり、想像したり、考えた結果、僕は進路希望を就職にすることにした。大学にいって、遊んだり勉強したりしながら将来の夢を見つけようと思っていたけれど、そんな余裕はなさそうだ。それに、やりたい勉強があるわけじゃない。両親に、進路希望は就職だと言ったところ、それで良いのかと問い詰められた。確かにやりたい仕事があるわけではないけれど、行きたい大学があるわけでもない。だから、これで良い。両親は複雑な顔をしながらも、納得してくれた。

高校で行われる、民間就職希望者の説明会に参加した。心構えや基本事項の説明を受けた後、希望者は昨年の求人票を見て勉強して行きなさいと言われた。ばらばらと帰っていった子が、半数以上だった。僕は、就職以外の進路を考えていないし、就職について知識もない。情報を仕入れなければ、と思って、昨年の求人票が閉じられた六冊のファイルを、方端から見ていった。
 二冊目のファイルの中に「相模鉄道株式会社・駅係員」の文字を目にしたとき。僕は息が止まるかと思った。こんなファイルの中に、「将来の夢」が挟まっているんだ。第一希望は、もう決定した。色も形もわからない自分の「進路」に、鮮やかな色がついた瞬間だった。

二回目の進路説明会で配られた用紙に、希望する職種、会社名、理由を記入した。頑張ろう、と心に強く決意する。何が何でも受かるんだ。希望用紙を提出すると、それと交換に志望理由や自己アピールを練習する紙がもらえる。その二枚目の紙を書いて帰ろうとすると、就職担当の中田先生から呼ばれた。
「何ですか」
「加藤君の、志望理由なんだけど、『好きだから』だけでは、理由が弱い。その仕事に就きたい理由だから、その業種や職種を希望する理由を書かなければならないの。文章の量はあるし、言葉遣いはとてもきれいで読みやすいんだけど、これじゃ、内容は薄い」
 何を言うんだ、この先生は。中田先生の授業を受けたことがないので人柄はわからないが、僕はとても嫌な気持ちになった。
「好きだから、そこで働くんじゃないですか」
「仕事を志望する理由だから、それだけでは足りないのよ」
 この人は、小さい頃から僕が電車好きであることを知ってて、そんなことを言うのだろうか。全く知らないだろう。生徒が夢を見つけたというのに、そんなことを言ってつぶして良いのか。そもそも、自分だって学校が好きだから、先生になったんじゃないのか。
「好きでもないのに働けないと思うんですが」
「うーん。あのね、電車が好きなだけでは、理由にはできない。志望理由に、電車が好きなことを沢山アピールしてくれてはいるんだけど、書くべきことは違うんだ。社会人として、この職場で、会社で働きたい理由を書くの。電車が好きなだけなら、電車に乗っていればいい。電車好きの、お客さんでいればいいじゃない」
 普段、僕は怒らないほうだと思う。だけど、許せない気持ちでいっぱいになってしまった。中田先生を見る。が、上手く言葉が出てこない。
「僕は、電車が好きですから」
しばらくの沈黙の後、そういった。中田先生は、ため息をついた。
「そういうことを書くものではないし、それだけ書いても受からない。大人として、仕事を希望する、理由を書く。書き直していらっしゃい。」
そう言って、志望理由の下書き用紙を僕に渡した。僕は無言のまま受け取り、部屋を出た。

 今まで授業ですら会ったことがない人に、僕のことなどわかるわけがない。あんな人に、僕の気持ちは分からない。あいつはきっと、電車の良さも、分かってない。頭がぐるぐるする。志望理由練習用紙は、家に持ち帰ったきり二度と開かなかった。

 数日経っても、僕の思いは変わらなかった。電車が好きだ。この気持ちは、変えられない。だから、相鉄の採用試験を受ける。好きじゃないと、仕事は続けられないんだ。下書きを出す気にはならなかったけれど、紙を広げて相鉄への思いを書いてみた。すらすらと、十分な長さの文章が書けた。

パソコン同好会で集まったある日のこと。友人の隆と、進路の話になった。隆はゲームが好きで、ゲームクリエイター科のある専門学校に行きたいと言っている。専門学校のAO入試は、早くから始まる。調子、どう?と聞いたところ、志望理由って難しいよなと返ってきた。難しいのかな。僕は、すらすらと書けたけど。それを隆に言ってみた。
「隆も、ゲームへの想いはいっぱいあるだろ」
「うーん。でもさ、志望理由にできる内容かっていうとそうでもなくて。それを言われちゃってさ」
「担任?」
「ううん、進路の中田先生。あの人に、ただゲーム好きなだけならゲームで遊んでればいいじゃないって言われちゃって」
「それ、僕も言われた! あの先生、むかつくよな。何もわかってないのに、偉そうにさ。趣味もなさそうなのに」
「え。俺は、なるほどって思ったけど」
「ええっ」
「だって、中田先生の言うとおりじゃん。俺はさ、ゲームやるの好きだしゲームのキャラ覚えるのも描くのも好きだし、隠しコマンドも好きだし、雑誌とかも、色々好きなんだけどさ、それだったらプレイヤーで十分なんだよ。先生が言ってるのは、プレイヤーじゃなくクリエイターになれるのかってことでさ。俺、クリエイターになれるのかなって、考えたんだ」
「・・・」
「で、クリエイターとして、ゲームが好き、ゲームを大事にするって、なんだろうって。そうしたら、メンテが早いとか上手いとか、面白いゲームを作れるとか、色んな才能の人を知っているとか、いっぱい必要なことがあるって気がついた。で、その中で、俺は何ができるだろう、何をしたいんだろうって、考えたらわかんなくなっちゃったんだ」
僕は、黙り込んでしまった。僕も、ゲームで遊ぶことは好きだ。だけど、作る人の気持ちや仕事なんて、考えたこともなかった。作る側、っていったい何を考えるんだろう。
「隆、絵うまいじゃん」
「でもさ、漫研や美術部より下手じゃん。描きたい絵を描くのと、言われた絵を描くのって、違うし。背景とか、女の子の小物とかは、全然描けないし。PC同好会だって、入ってるけど、ほとんど何もできないしさ。他の学校とかだと、プログラミングの授業とかあるんだって」
「そんなの、学校のせいだよ。それだけで将来決まるの?」
「んー、だからさ、『好きだから』って理由だけじゃ、限界があるなっていうのは、俺はわかったんだ」
「なんだよ、それ。それ以外に、何があるの?」
「俺は、進学だからな。プログラミング、キャラデザ、メンテ・・・その他、できる技術を身に着けて、それを、やれます!って言えるようにするんだ。俺は、ゲーム会社で働きたいよ。だから、色々技術を勉強して、ゲームの役に立てるようになるんだ。そのために、学校に行く」
「・・・」
「プレイヤーじゃなくて、クリエイター側になるために、専門でスキルを身に着ける! なんか、わかってすっきりしちゃった。まあ、なんのスキルを身に着けるかは迷い中なんだけどさ」
 僕は、隆の言っていることが理解できてしまった。彼の言う通りなのだ。確かに、「好きなだけ」ではゲーム業界でプロとしてやっていくことはできない。そして、その理屈は自分にも同じように戻ってくる。僕は、どうなんだろう。好きなだけではなく、何か電車のためにできるだろうか。鉄道会社、電車、お客さん、のために、何かできるんだろうか。今の自分にできることなんて、何もない。パソコン同好会に入っているけれど、技術があるわけではない。隆みたいに、これから役に立つ技術を身につけることも、できない。僕は、何も持っていない。
就職という進路選択をするなら、やりたいことをハッキリもたなければならないし、言えなければならない。自分に、何の知識も技術もないとしても。ふいに、隆の置かれている境遇が羨ましくなった。僕と隆は、ただの友人だ。希望する進路の分野も、現在置かれている立場も、考え方も違う、別の人間だ。僕の感じている不安や、焦りや、絶望は、僕だけのものだ。
しかし、僕の友人には、想像力があった。隆は、僕の相談にあっさりと乗ってくれた。

「なら、これからのやる気を語るのはどう?会社で働いたことがないのは、みんな同じなんだから、詳しく強く、やる気を話せた人が勝つと思う」
「なるほどね」
「まだ経験値も武器もないけど、これからレベルアップしますよ!俺の属性はこれですよ!っていうのをアピールする」
「おお。僕の属性か・・・」
「パーティ組むならこいつが良い!と思わせなきゃだからな」
「わかりやすい! でも、僕はそんな役に立つ人間じゃないからなあ」

どうすれば良いかという答えは、出なかった。でも、隆と話していて発見があったこと。相談に乗ってもらって元気がでたこと。重いもやもやが、少しだけ軽くなった気がした。
帰り道、ホームで電車を待ちながらぼんやりと線路を見わたす。遠くまで続く線路。線路は続くよ、どこまでも という歌詩が頭をよぎった。この、どこまでも続く線路を、電車を、いったいどれだけの人が支えているのだろう。
線路の果てまでは肉眼では見えなくて、僕はじっと凝らした後に、目をこすった。肉眼で見えない遠くまで、線路は続いている。会社も、そうなのではないか。僕たちの目に見えていないだけで、沢山の人が働いている。沢山の仕事がある。プラットフォームにすべりこんできた電車に乗り込んだ後に、ふと、ここから見えるはずのない、最後尾の車両にいる車掌の姿を想像した。

「好きなことと進路ねえ」
「志望理由、どうしようかと思って」
「難しいよなあ」
翌日のパソコン同好会では、二人来ていた二年生を放置して、俺と隆と明の三人は話し込んでいた。明もゲームが好きで、パソコンも扱えるほうだけど、趣味は趣味だと割り切って決めている。四大に進学をして、経済や経営の勉強をして、上手くいけばゲーム会社の会社員になりたいということだ。パソコンが好きでプログラミングもできるのは強みだと自ら武器を認め、マーケティングや宣伝を勉強したいという動機を準備して、入試の面接に臨むらしい。こいつも、自分のことをちゃんとつかめている。二人も、自分のことをちゃんと決められていて、すごいと思う。
「すごいな、隆も明も。僕なんて、電車が好きなだけじゃ、何も志望動機は書けないんだ。ということくらいしかわかってないよ」
「健は、鉄道会社に入ったらどの仕事やりたい、とかないの?やっぱり運転手?」
「うーん。あんまり運転したいという願望は強くないな。どっちかっていうと、車掌さんの方がやりたい」
「なんで?」
「え。僕が見たことある車掌さんって、みんな爽やかで格好いいしさ。乗客の安全を守っている、って感じがいいなって」
「そっか。健は、運転手より車掌なんだね」
「うん。駅員さんも憧れる」
「その辺からさ、志望っていうか、希望っていうか、やりたいものが見えてこないかな」

僕は、友人たちの話を吸い込むように聞いていた。なんてわかりやすい。そして、二人とも親切だ。持つべきものは、やっぱり友達なんだ。殺伐とした進路活動の中だけど、僕は気持ちがほっこりと温かくなった。

「ありがとう。僕、やっぱりみんなのこと、好きだわ。それが原点なのかな、って思った。だから、お客さんとか、一緒に電車を動かしている人とか、周りの人の役に立てる駅員さんになりたい」
「おー! 結論出たじゃん」
「しかも、健っぽいし」
「本当だな」
「みんなのために、働く健!」
「掃除も絶対サボらない健!」
「大人しいけど、気配り健!」
「そうだよ。だからお前、先輩から部長任されたんだぞ」
「もう代替わりしたけどな」
「今日は二年生を放置して、自分の話ばっかだけどなー」
「あ! 本当だ、ごめん!」

 大丈夫ですよー、もう部活は僕らの代ですし、先輩たちはまったりして下さいー、と二年生の新部長が笑う。進路って大変そうだなと思いましたー、ともう一人が付け加える。
「来年はお前らも同じ悩みが来るんだぞー」
 明るく言う隆に、後輩たちが笑う。
 僕はゲームは好きだけど、パソコンが好きなわけでも得意なわけでもなかった。二年生の時に、なぜか部長に指名され、驚きながらも引き受けた。僕よりも、隆や明の方が、人に指示を出したり盛り上げたりするのが上手い。なぜだろう、と思ったけれど、任された仕事は自分なりに一生懸命こなした。僕がこの部活の部長を頑張れたのは、パソコンが好きだからではなくて、仲間たちが好きだからだったと思う。
 もし、相模鉄道に就職出来たら。今よりもっと、周りの人のために頑張ろう。同じ駅で働く仲間だけではない。お客さん、どこまでも続く線路に、携わっている人、全員のために。そのために、自分ができることは。やれることは?

 家に帰ると、志望理由練習用紙を広げ、自分が書いた文字を、全部消しゴムで消した。書き直したものを、明日、中田先生に読んでもらおうと思う。いや、その前に、隆と明に読んでもらおうか。
 机の上には消しゴムのカスがいっぱいだったけれど、それが気にならないくらい、僕は熱中してシャープペン走らせた。
                             完

著者

駒鳥つばさ