「ゆめが丘にて」齋藤すみれ

『どうして、『ゆめが丘』っていう駅名な
 のかな?』
改札口を抜け、エスカレーターに乗りなが
ら、幸子はぼんやりと考えていた。エスカレーターを降りると、夕暮れのプラットホームにはいつものように優しい風が吹いていた。そしてオレンジ色の夕陽をバックに、富士山のシルエットが美しく見えていた。幸子はいつも、ゆめが丘駅のホームから見える朝の富士山から元気をもらい、夕方の富士山から一日の疲れを癒され、この十年間を過ごしてきた。
 幸子の勤め先は、ゆめが丘駅から畑を抜けて十五分くらい歩いたところにあった。幸子は子育てをしながら、事務の仕事を続けていた。子は七歳になる男の子だ。他の母親と幸子が少し違うとすれば、その男の子にはは生まれながらの障害があるということだった。結婚五年目に授かった待望の男の子だったが、赤ちゃんは情緒的な障害を背負って生まれてきたのだった。男の子の名前は、拓也。どんなことがあっても自分の人生を自分の力で切り開いていけるように・・・という思いで、幸子が名付けたのである。
 拓也はこの春、小学校二年生になった。小学校は地元の学校ではなく、少し離れた特別支援学校に通っている。通学には電車を使い、幸子と共に、毎日小さな旅をしていた。しかし何もかも初めてのこと尽くしだった昨年に比べれば、幸子も拓也もほんの少しだけれど余裕ができ、ようやく周りの風景にも心がいくようなってきたといったところである。
 
 拓也はその日、朝からちょっと機嫌が悪かった。前の日の夜、お気に入りのテレビ番組がスポーツ中継のために中止になったからである。拓也の世界には、自分だけのルールがあり、そのルールが守られないととても不安な気持ちになってしまうことがあった。
 拓也はいつも決まった時間に起きて、決まった時間に朝ご飯を食べ、決まった時間の電車に乗って通学していた。電車に乗って座る座席も決まっていて、その席に座れなかったときは、もう大変。大切な忘れ物をしたかのように落ち着かなくなってしまうのである。拓也にとっては、毎日同じことを同じように繰り返すことが、とても大切なことなのであった。それは拓也自身にしかわからない儀式のようなものだった。
 幸子はそんな拓也のことを理解しているつもりでも、時々憂鬱になってしまうことがあった。何故なら、ちょっと時間がずれただけでも大騒ぎで、パニックのようになってしまうこともあったからだ。家の中にいる時ならまだしも、外でパニックを起こされた時には、周囲の視線に耐えられないほど恥ずかしい思いをすることもあった。そんな時は一番つらいのは拓也自身なのだということを思い、何とも切ない気持ちになるのだった。
 拓也のお気に入りの席は、一両目の先頭座席。運転席から外がよく見えるところが大好きだった。同じ時間に同じ電車に乗り合わせる人々も拓也がその席に座ることを認めてくれていたようで、だいたいその席を空けてくれていた。しかし、である。
 夏の暑さを戻ったような9月初めのある日、
拓也はつらい気持ちで電車の中にいた。その日は近くの小学校の遠足がぶつかり、拓也と同じ二年生くらいの子どもたちが大勢電車に乗り込んできた。そして拓也のいつものお気に入りの席に座ってしまったのである。
案の定、拓也は不機嫌になり、その不機嫌を見て、幸子も不安な気持ちになっていた。拓也は自分の中においては言葉を持っているものの、外に出して人とコミュニケーションをとるための言葉は持っていなかったので、ただただ表情やしぐさで不快感を露わにしていた。
 すると、その席に座っていた女の子が、突然言った。
 「この席は景色がとても得見えるので、順番に座りましょう。みんなにこの景色を見てほしいからわたし一人で座っているのはもったいないわ」
その女の子の言葉で、一駅ごとに座席の交
代が始まった。隣にいた子が次に座り、その次はその隣の子が座り・・・という具合にどんどん順番に最前列の席に座った。そして、ついに拓也のところにも順番が回ってきたのである。
 拓也は勇気を出して、その席に近づいていった。自分だけの座席、だれにも座られたくない自分を待っていてくれる座席の前に行った時、拓也は初めて言葉に出して、自分の気持ちを伝えることができたのだ。
「ありがとう」
 周りにいた子どもたちは、電車の座席に向かって「ありがとう」と言う拓也のことを、けげんな顔で見ていた。しかし、幸子だけはちがった。初めて拓也の声を聴き、涙が止まらなかった。拓也がこんな形で言葉を発するとは思ってもみなかったのだ。
 そうこうしているうちに小学生たちは学校の最寄り駅に到着したのか、電車を降りて行った。幸子は、静かになった電車の中で自分の涙が落ちるのを意識し、必死に泣くのをこらえていた。拓也はそんな母を見て、心の中で『お母さんは、どうして泣いているのかな』と思ったに違いない。

 電車はいろいろな人の人生を乗せて走り続けている。雨の日も風の日も雪の日も、同じ時間に同じ場所に、正確に人々を送り届けている。その生業の中には、思ってもみなかったことが起きることもある。拓也がなぜ、電車の中で言葉を発することができたのか・・それは、拓也が心から電車を愛していたからに違いない。拓也にとって、電車の中は、心が落ち着く大好きな場所だったのだ。毎日電車に乗ることが、彼にとってどれだけ楽しいことだったか・・・。幸子は、言葉が出るようになった拓也から多くのことを聞くことができるようになり、はじめて我が子の思いを知ることができた。拓也は言葉を使って自分の気持ちを話せるようになったので、不安や憤りをパニックという形で表現することは少なくなっていった。そして表情が、驚くほど落ち着いていくことが、だれの目にも明らかだった。
 幸子は考えていた。
 『「ゆめが丘」という駅名は、「夢がかなうところ」という意味だったのではないだろうか・・・』と。
 少なくとも、幸子にとって拓也が言葉を話
すということは、夢のような出来事であった
に違いない。こうしてひとつの夢が叶うこと
で、人間は自信を得ることができ、また次の
階段へと進んでいくのである。「夢の実現」
は人間にとって、生きる原動力ともいえるも
のなのだろう。

 「ゆめが丘」の駅を降りると、今日も駐輪
場のおじさんが、拓也に「おはよう!」と声
を掛けている。そのおじさんの声に負けない
くらい大きな声で拓也が
「おはようございます!!」
と応えている。傍らにいる幸子は、子どもの
可能性を垣間見た気がした。そう子どもの可
能性は無限なのである。
 ゆめが丘の駅から見える富士山が、道行く
人に夢や希望を与えてくれるように、幸子は
拓也もいつか人々に希望を与えるような人に
なってほしいと思わずにいられなかった。そ
して願わくば幸子自身も、拓也からもらった
希望を出発点に、誰かの役に立ちたいと考え
ていた。
 いつも間にか、ゆめが丘の駅のすぐ前の畑
には、キャベツや大根などの冬野菜が育ち始
めている。冬野菜だけではなく、野菊やパ
ンジーが秋風に揺れ、道行く人にやさしく語
りかけているようだった。
夏のトウモロコシ畑を横目に拓也と歩んだ
道を、今幸子は前よりもずっと明るい気持ちで歩いている自分に気付いていた。そうして心の中で、「人生悪くないな・・」と思えるようになっていた。幸子は
『これからも、拓也と二人きりだけれど、
 何があっても希望を失うことなく、夢を
 もって生きよう!』
 と心に誓いながら、空を見上げていた。
 空の向こうに、雪をかぶった凛とした美しい富士山が姿を見せ、幸子にエールをおくっているようだった。
 
 富士山が、とてもきれいに見える駅。「ゆめが丘」はみんなの心の中のふるさとであるに違いない。駅から始まる物語もある。電車から変わる人生もある。幸子と卓也がそうであったように・・・。 

著者

齋藤すみれ