「ゆめが丘駅のプリン」でこぽん

 私が36歳の時に、息子のゆうが生まれてきてくれました。
 ゆうは、小さく生まれて、なおかつミルクをあげても戻してしまう逆流性食道炎だったので、なかなか大きくならなかったのです。
 なおかつ、癇のつよいこで、なかなか寝付けず、やっと寝ても物音がすると、すぐに
目覚めてしまうという地獄。
 ひと時もじっとしていないので、起きている間は私の心が休まることはないのです。
 食にも一切興味がなく、何を作っても食べてくれない。
 公園に一緒に行ったお友達の子供が、私が息子のゆうのために作ってきたおにぎりをいつも食べたいというので、ゆうに食べる?と聞くが、いらないと冷たい返事ばかり。
 しょうがないので、お友達の子供さんにおにぎりを食べてもらう。
 「あ~あ、また食べない」母の心はチ~ンとむなしい気持ち・・・。
 それでも、次回は食べてくれるのではと淡い期待をもって、おにぎりをもって公園へ行く日々でした。思惑に反して、次回もその次も食べてはくれませんでした。
 そんなゆうが、大大好きなのは、相鉄に乗ること。
 小学生に上がるまでの子供は、切符が無料なので、駅も近いこともあり、2人だけの長い時間を少しでも潰すために、おもりをかねて電車へ乗りまくりました。
 電車の中ではおとなしく座っていてくれたので、私にとっては、ほんの少しだけほっとできる瞬間でした。
 そのころ、3歳のゆうは、出たばかりの10000系という電車が大好きで、10000系来ないかなとホームで2人で待つのですが、なかなか来ない。
 寒い時期も暑い時期も、プラットホームに立って2人で待つが、やっぱりなかなか来ない。
 10000系が来ないと乗らないとだだを怒るゆうを無理やり引っ張って、やってきた違う電車に乗せて、家路を急ぐ日々。
 あ~2人で家にいるのもつらいけれど、外に出てももっと大変・・・。
 そんなつらい子育ての中、緑園都市駅に優しい相鉄の駅員さんがいて、沢山相鉄の話を聞かせてくれました。
 駅員さんに「息子が10000系に乗りたいというんだけど、一体どこへ行ったら、乗れるんでしょうか?」というと、「二俣川の待避線にいるよ」と教えてもらいました。
 それから、ゆうと2人で二俣川の駅を降りて、横浜側を覗くと、なんと10000系いるではないですか。
 「あ~10000系。」大きな声をあげて、ゆうが喜ぶ喜ぶ。
 とりあえず、私は、ゆうが線路に落ちないように見張っていればOK。ラッキー。
 10000系を見るだけのために、しばらく二俣川駅に通いました。
 そんな鉄生活の中で、特に忘れられないのは、ゆめが丘駅。
 冬の寒い時期は登りホーム側の西側をのぞくととてもきれいな富士山が見えるのです。
 2月の寒い時期にコンビニで買ったプリンを持ってゆめが丘駅のホームへゆうと出かけました。
 ゆめが丘駅は上下の線路にホームが真ん中に一つなので、登りの電車も下りの電車も同時に楽しめるのです。
 ゆうは大はしゃぎしながら、上下に走る相鉄の電車を眺めながら、私は富士山を眺めながら、プリンを食べました。
 富士山もきれいだったけど、2人で食べたプリンの味もおいしかったこと。
 あ、ゆうが電車を心ゆくまで見れたのは、言うまでもありません。
高校生になったゆうは、今でも大げさに、あの時のプリンは、今まで生きてきた中で一番おいしいプリンだったというので、可笑しいのですが・・・。
 そんなゆうは、今では高校へ相鉄で通っています。
 もうすぐ、20000系という電車が走るらしいのですが、今ではネットでいつ電車が来るか調べられるので、学校の帰りに20000系を求めて、相変わらず相鉄の電車の写真を撮って、鉄生活を満喫しています。
 今では、息子からいろいろと助けてもらうことが多くなり、すっかり頼れる存在になってきました。いろいろと私がミスったり、忘れても怒ることはありません。
 でも、私はゆうが小さい頃はものすご~く怒っていました。ゆう、ごめんね。
 子育てはものすごく大変だったけど、いつの日か立場が逆転する日が来るとは思いませんでした。
 子供は大きくなるものなんですね~。
 自分が歳を取ったときに、若い人がそばにいてくれるのはいいものだなと思います。
 息子と一緒に出掛けることも少なくなりましたが、私にも息子にも相鉄は思い出の詰まった大事な電車なのです。

著者

でこぽん