「アブラカタブラ」義若ユウスケ

 ある日、目覚めると母ちゃんが家にいなかった。
「おい探してこい」と父ちゃんがぼくにいった。
「しょうがねえなあまったくもう」と歌うようにつぶやいて、ぼくは新品の白いテニス・シューズに足をとおした。そして軽やかなステップで二歩すすみ、玄関のドアに手をかけた。
「おい待てよ」と背後から父ちゃんがいった。「これもっていけ」
 手渡されたのはズシリと重たい布袋だった。ヒモをほどいて確かめると中には団子がたくさんはいっていた。吉備団子だった。
「いらないよ。好きじゃない」とぼくはいった。
「バカヤロー。おなかがすいたらどうすんだ」と父ちゃんはいった。
 ぼくはしぶしぶ団子袋をコートのポケットにいれて、玄関のドアをおしあけた。
 出発。
 外はさぶかった。はく息がティッシュ・ペイパーみたいに白くて、なんだかぼくは嬉しかった。
「ねえねえねえ母ちゃんを知りませんか?」とぼくは道ばたですれ違うひとたちみんなに声をかけた。「ぼくの母ちゃんが行方不明なのです」
「知らねえな」
「知るもんか」
「見当もつかん」
「おいおいまずはおはようございますだろうが」
 と道ばたですれ違った人々はぼくにいった。手がかりゼロだ。
 がっかりしてぼくは捜索を中断した。
 公園のベンチに腰かけてかじかんだ手にほうっと息をふきかけた。もう十二月だ。手袋をしてくればよかったな、ってぼくは思った。
 なにかが鼓膜をふるわせた。十五歳のぼくは耳をすました。ギュルギュルギュル。なんと自分のおなかが鳴っているのだった。
 そういえば朝ごはんがまだだ。ぼくはコートのポケットから団子袋をとりだして、吉備団子を三つ口にほうりこんだ。パサパサしてたけど、おもいのほか悪くない味だった。ほんのりと甘くて、シンプルで嫌みがない。それでも、美味しいとはいいがたかった。しいていうなら普通。
「普通だ」とぼくはつぶやいた。
 そこへ、ガサゴソという音をたてて草影から一匹の犬があらわれた。炎のように赤い、ただただ赤い、みていると目がチカチカしてくる犬だった。
「おいそれ、うまいのか?」と赤犬はいった。
「普通」とぼくはこたえた。
「いいや、そんなことないだろう。みてたぞ。お前はそれを三つもたべたじゃないか。うまくない団子を三つもたべるわけがない。きっとうまいにちがいない」と赤犬はいった。
「なるほど。論理的考察だね」とぼくはいった。
 ミーン、ミーン。ミーン、ミーン。
 どこかで蝉が鳴いている。冬だというのにおかしな話だ。
「ほしいのかい?」とぼくはたずねた。
 赤犬はすこし、考えてから、
「ああ、ほしいね。のどから手がでるほどほしい。おおげさに聞こえるかもしれないけど、本当にそのくらいほしいんだ」といった。そして、「アイアムハングリー」とつけたした。
 まったく、神奈川の生きとし生けるものときたら、野良犬までこんな調子なんだ。キザったらしくて、愛らしい。
「ほらよ」といってぼくは吉備団子をいくつか放ってやった。
「やったね」といって赤犬は吉備団子にとびついた。
 ミーン、ミーン。ミーン、ミーン。
 どこかで蝉が鳴いている。ミンミン蝉だな。冬だというのに、おかしなやつだ。
 赤犬は団子をたいらげた。
「サンキュー」と赤犬はいった。それから、「恩にきるよ。今日からおれはあんたの仲間だ。どうぞおれを、あんたの人生のおともにしてくれ」
 ぼくはふきだしてしまった。まったく、おかしな犬もいるもんだ。
「いいよ」とぼくはいった。「おまえがそうしたいのなら、そうするといい」
 こうして赤犬がぼくの仲間になった。
「母ちゃんを探してるんだ」とぼくはいった。
「だれだって何かを探しているものさ」と赤犬はいった。
「きみも何かを探しているの?」とぼくはたずねてみた。
「骨」と彼はいった。「おいしい骨」
「ふうん」
「あと猿かな。元気なやつ」
「猿? どうしてまた」
「犬猿の仲ってやつを、ためしてみたいのさ」と赤犬はいった。
 ふうん、とぼくはいった。
「パープル・アフロを見ませんでしたか?」とぼくは道行く人々にきいてまわった。ぼくの母ちゃんは髪が紫色で、アフロヘアーなのだ。「パープル・アフロを見ませんでしたか?ねえねえ、パープル・アフロを見ませんでしたかあ?」
 目撃情報はゼロだった。きっとこの辺りにはいないのだろう。ぼくたちは場所を移動することにした。
「どこを探すべきかな」とぼくは赤犬にきいてみた。
「希望ヶ丘だよ」と赤犬はいった。
「なぜ?」
「なんとなく、かな。犬の嗅覚だよ」
 ぼくたちは希望ヶ丘にむかった。
 道中で猿と雉があらたに仲間になった。くわしいことは教えない。とるにたらない話なのだ。ちょっとした出会いがあり、ちょっとしたドラマを経て、友情が生まれた。それだけのことだ。
「おい猿、おれはおまえを待ちわびていたんだぜ」と赤犬はいった。
「きみは赤いな。ちょっと赤すぎる。不気味だ」と猿はいった。
 赤犬は大喜びだった。
「このやろう不気味っていいやがったな!」と赤犬は目をキラキラさせていった。「ケンカだケンカだケンカだあ!」
「よしきた」と猿はこたえて、赤犬に飛びかかった。
 ぼくは雉と顔をみあわせて、苦笑しあった。まったく、犬猿の仲ってやつにもこまったもんだ。
 そうこうしてる間に日がくれて夜がきた。青い月夜だった。寒空の下を、ぼくたちはおしくらまんじゅうしながら歩いた。みんなでくっついていれば体があたたかかった。
 希望ヶ丘についたのは二十二時ごろだった。
「ついたね」とぼくはいった。
「ついた」と赤犬がいった。
「本当にここ?」とぼくは赤犬にたずねた。
「本当にここ」と赤犬は確信にみちた口調でこたえた。「おれの勘がそういってるんだ。あんた、疑うってのか?」
「べつに疑ってやしないけどさ」といってぼくはあたりを見回してみた。
 希望ヶ丘は暗闇のなかに沈んでいた。なにも希望ヶ丘だけにかぎった話じゃない。日本中がそうなのだ。夜だった。
「おーい」とぼくは暗闇に呼びかけてみた。「母ちゃんやーい。おーい」
「なあにー?」とすぐに暗闇から返事があった。高い、鈴の音色のような声。まちがいなく母ちゃんだった。
「むかえにきたよー」とぼくはいった。
 沈黙。母ちゃんはなにか考えているようだった。
 ゆるやかに時が流れていく。頭上では青い三日月が、時計の針のようにゆっくりと空を進んでいった。
「おーけー」と母ちゃんがいった。「じゃあ、帰りましょうか」
 暗闇から母ちゃんが姿をあらわした。まるで幽霊みたいに、ぬう、とあらわれたので、ぼくたちはみんな腰をぬかして地面に尻餅をついてしまった。
「おい、この人があんたの母ちゃんかい?」と赤犬がいった。
「そうだよ。この人がぼくの母ちゃんだ」とぼくはこたえた。
「なんて奇抜な髪型なんだ!」と赤犬はいった。
 母ちゃんは紫色のアフロをフサフサゆらしながら、
「ベイビー、おむかえをどうもありがとね」といった。
 夜風がつめたかった。
 どこかで蝉が鳴いていた。ミーン、ミーン。ミーン、ミーン。ミンミン蝉だ。冬の夜中だというのに不思議なやつだ。
「あっぱれ」といってぼくは親指をたてた。もちろん蝉にむけてやったのだ。「あっぱれだ。おまえはえらい!」
「たしかにそうだ」と赤犬が相づちをうった。猿と雉もまったくもってその通りだというようにうんうんうなづいていた。
「さあ、帰ろうか」とぼくはいった。
「ええ」と母ちゃんはいった。
 ぼくと、ぼくの母ちゃんと、赤犬と、猿と、雉は、みんなでおしくらまんじゅうをしながら線路沿いを歩いてぼくの家にむかった。
 家では父ちゃんが吉備団子をいっぱいつくってぼくらを待ちかまえていた。
「もう、吉備団子はいらないよお」といってぼくはパタリとあおむけに倒れた。赤犬と猿と雉もあとにつづいた。
「もう、吉備団子はいらないよお」
 犬パタリ。
「もう、吉備団子はいらないよお」
 猿パタリ。
「もう、吉備団子はいらないよお」
 雉パタリ。
「あなた、ただいま」と母ちゃんはいった。母ちゃんはほんのすこしだけもうしわけなさそうな表情をしていた。
「おまえ、愛してるよ」と父ちゃんはいった。それから、「おまえ、愛してるよ」と父ちゃんはいった。
 父ちゃんはその夜、「おまえ、愛してるよ」以外の言葉を母ちゃんにいわなかった。そんなロマンチックな夜もあっていいと、ぼくは思う。
「あなた……」
「おまえ、愛してるよ」
「あなた……」
「おまえ、愛してるよ」
「あなた……」
「おまえ、愛してるよ!」
「まったく、胸焼けしちゃうよ」と赤犬がうんざりしたようにいった。「あんたの父ちゃんと母ちゃんにはまいっちゃうね」
 ぼくは赤犬にウインクしてやった。それから、
「アブラカタブラ」とささやいた。
「え、なに?」と赤犬はたずねた。
 ぼくはくりかえした。
「アブラカタブラ。アブラカタブラ。アブラカタブラ」
「なんだよ。どうしたんだよいったい」と犬はいった。
 ぼくはその質問にはこたえなかった。
 その夜、ぼくは夜をてっしてささやきつづけた。
「アブラカタブラ。アブラカタブラ。アブラカタブラ。アブラカタブラ。アブラカタブラ。アブラカタブラ。アブラカタブラ……」
 おしまい。

著者

義若ユウスケ