「アユの棲む帷子川」かおる

 横浜の川にもアユがいる?
そんな話を小耳に挟み、噂の真実を確かめたくて横浜市の中心を流れる帷子川に足を運んだ。
アユの遡上を促すために今年新たに設置された魚道の場所まで行ってみようと思った。
横浜駅から相鉄線の快速に乗り約十分ほど揺られて、降り立ったのは鶴ヶ峰駅。賑わう商店街を抜けると正面に畠山忠重公小公園が見えた。公園わきの小道から見下ろすとすぐに帷子川が出迎えてくれた。
昔は蛇行して暴れ川と言われていた帷子川も河川改修でその名残をわずかだけ残し今はその流れを穏やかに変え海に流れ行く。その水の流れる音は都会の喧騒をかき消すようだ。
 ゆっくり川を眺めて歩く、と言う事はどれ位振りだろうか。川面に流れる風が心地よく頬を横切っていく。
 場所ごとにその都度表情を変える川の姿に私は少し驚いた。自然豊かな川の環境、目を凝らすと浮かぶ魚影や草花、鳥のさえずり。これが都会の中心を流れる川なのかと。
 本当にアユは居るのかもしれないと思うと自然と足取りも軽くなった。
 草木が風に触れて聞こえる音に紛れてどこからかカワセミの鳴き声が聞こえた。声を頼りに誘われるように歩いていた。
 散策中は色んな人とすれ違った。印象深かった事はどの人も川を眺めている事だった。
川面を指差し何かを見つけている人、カメラを構えている人、ただ静かに川に耳を傾けている人、川を眺めながら立ち話している人。
こんなにも川という存在が人を惹き付けるものだとは知らなかった。人は大昔から川に寄り添って生きてきたのだろう。しばらくその流れを見つめ一人考えに耽っていた。
 そんな風景を見ているとたまらなく誰かと話をしてみたくなり思い切って声を掛けてみた。
帷子川沿いに住んでいて、毎日カワセミや季節の野鳥を観察しているのだというその方は
ポケットに忍ばせていた小さなアルバムをそっと差し出し大切そうに見せてくれた。自分で撮影したというその写真は、カワセミやガビチョウ、アオサギ、カルガモなどの色々な野鳥が写っていた。
「これがカワセミのお母さんで、こっちが子供。それでこうやって餌を上げてるんだ。あの辺でホバリングして狙いを定めてダイブして魚を捕まえるんだ。そうそう、この前なんかタカなんかもこの辺りにいたらしいよ!こっちはガビチョウ、こいつは鳴き声がうるさくてね!ん?ヒバリより?うん、ヒバリよりうるさいよ」と、身振り手振りを交えて楽しそうに教えてくれた。
「次々に魚道が出来て、今年も新しく鶴峰橋の所に魚道ができたでしょう?だからアユやオイカワなんかの魚も遡上してきて餌が豊富になったんじゃないかな?ほら、あそこにも魚道あるだろ?カワセミはあそこで魚を狙っている事が多いよ」と、言ってその人は少し先にある魚道を指差して教えてくれた。
 また別の人は、「この前までここで釣りをしていたよ。自分の釣ったアユは小さかったけど、いつも来ている人は三十センチぐらいの大きいアユを釣ってたよ!どうやったらあんなでかいのが釣れるのかねぇ。聞いてみたかったよ」と悔しそうに話してくれた。世間話の中でもアユ釣りの解禁日が楽しみだと言っていた。
 アユは確かにいるんだな。
世間には横浜の中心を流れるあの帷子川にアユが遡上してきているということはあまり知られていない。けれど、アユは確かに帷子川にいて、きっと地域の人達にとってはアユの存在はごく当たり前の帷子川の景色なのだろう。
そう思うほど、ごく自然にアユの存在は語られていた。
 また別の人は、長年帷子川のゴミ拾いを行ってると言った。
「川の中のゴミは拾っても拾っても無くならないよ!でもね、昔よりは随分綺麗になったよ」と笑顔で話してくれた。
帷子川の自然を未来の子供たちに残したいという志を持って毎月数名で活動されているという。昔はとてもじゃないけど泳げなかった事や入るのも危険だった事、何度か薬品の垂れ流しで沢山の川の魚が死んでしまった事。今はアユも遡上する自然豊かな川に生まれ変わった事など色々なお話を聞いた。
「あ!」
と、話の最中でその人が川面を指差した。その指先に見えたものは、これから産卵のために川の下流に向かうアユの群れだった。水中にキラッキラッと光る魚影がこの目にも確認出来た。
 確かにこの帷子川にはアユはいた!
力強く苔を食むアユに思わず私は胸が熱くなり興奮気味に長い間眺めていた。
 しばらくして日が傾いてきたので色々な貴重なお話を伺えた事にお礼を言いその場を後にした。
 駅に向かい川沿いを歩きながら先ほどの川掃除の人達の話を思い出していた。
それは、こんなにも帷子川の自然を愛し帷子川をもっともっと良くしようと炎天下でも雪の積もる日も河川の清掃ゴミの回収を精力的に活動されている皆さんが実は皆意外にも他県の出身だと言う事。
地元出身だとしたら故郷の川を愛し守ろうとする気持ちは解る気がする。しかしなぜ他県出身の人達がこんなにも帷子川を大切に思い活動されているのか・・・。
 私なりに考えてみた。
 もしかしたら、子供の頃ずぶ濡れになって魚採りをした事、虫を追いかけてどこまでも走った事、鳥のさえずりに季節を感じた事。帷子川の自然と自分の故郷での思い出をそれぞれ重ねているのではないかと。そんなかけがえのない忘れかけていた忘れたくない思い出がこの帷子川の環境にはきっとあるんではないかと思った。自分の過去を癒せるのは自分自身しかいない。その事を誰もが胸にしまいながら生きている。
 哲学的に一人また考えに耽りながら歩いていると風に乗ってひらりと落ち葉が足元に落ちた。足を止めてそっと手に持ち空に掲げてみた。橋の上から西の空を見上げると群青色と橙色の美しいグラデーションをバックに富士山がこちらを眺めていた。
その様に私は思わず息を呑んだ。
 あぁ、きっとこの街はいい街だな。
そう思うと風に乗って遠くから相鉄の汽笛が聞こえた。

著者

かおる