「カラッカゼ」朝比奈ヒロノブ

   カラッカゼ

 東京行の新幹線は小田原駅から慌てることもなく、静かにいつものように加速をはじめた。次の新横浜までは三十分程度であり、ここでいつものように車内販売のオネーサンの登場となるのだが今日はどうだろうか。出張帰りの新幹線で直帰とならずに会社に戻る場合は車内で缶ビールを飲むわけにはいかず、熱々のコーヒーで頭を落ち着かせなければならないのでかなりあてにしているのだ。
 通路のドアが開いて車内販売の登場となり、手を挙げてオネーサンを呼んでコーヒーをひとつ購入し、そのままブラックですすりながら外の流れる景色をぼーっと眺めた。
『あと何回こんな風景を眺めるのか・・・』
和田啓介は自分の近々の未来を想像もできずに彷徨う視線に気が付き独り言を放った。秋もやはり季節どおりやって来て、衣替えも万全な世間様を見渡してみる。そして年が明けて冬将軍を北に帰り、春の知らせが届き、夏がくればとうとう定年となり、勤めもご苦労様となる予定だ。
 見慣れた景色から新横浜が近づいているのに気が付いた。来年の今頃はどうなっているやらわからないことに振り回されそうな自分に呆れてしまう。残りのコーヒーを飲みほした。ぬるくなった苦味が浸みていくのを意識しつつ間もなく新横浜に到着する車内放送を聞きながら、カバンを肩にかけ、カラのカップを持ってドアに向かった。
 ホームのゴミ箱にカップを捨て、改札を抜けて外に出たところでまだ陽がある時間であり、やはり会社に顔を出して今日の出張の片付けをしなければならない状況を思い知った。
8分歩いて周辺のビルやらマンションに圧倒されても取り敢えず建ってますと気概を見せる様な気がする小さなビルに着いた。
『ただいま帰還しましたよ』
 いつもの出張帰りのあいさつを声に出しながら事務所のドアを開けた。
『お疲れ様です』
 机に向かっていた数名の同僚がこちらを向きにやっと笑い顔で返答した。
『まったくのあちらの勘違いだったんですね。笑えないけど笑っちゃいましたよ』
 若手の石川健司がうれしそうに近づいて来た。
『そんな予感はしたがこれも商売だからね。みやげ話しにはならないけど、みやげはあるぞ、お茶うけにでもしてくれ。』
紙袋を手渡した。
『おお、お約束のうなぎパイですね。ありがとうございます。』
十数名の職場だから全員に一口二口渡れば良いのだ。早速、石川が包装を開けて配る準備を始めた。
 和田は奥にある職場の長である千葉の席に進んだところで目と目が合った。いつもの不愛想な顔つきが出来ないらしく、目じりが下がっておまけに肩が揺れてやがる。笑いをこらえるのも楽ではないといった風である。
『えらく大変だったな。ご苦労さん。』
『まったく、あちらの会議室は懐かしのドリフのコントを見てるような気がしたよ。』
『まあ、社長自らの勘違いの発注間違いでの大騒動だからな。社長さんから平謝りの電話がかかって来たよ。昨日の剣幕は尋常ではなかったからなおさらだ。』
千葉と和田は同じ年齢であった立場は違えど二人の会話はこんな調子であった。
 退社時刻までは一時間はあるので出張精算やら出張の顛末をまとめたりと細かいことを片付けていた。ふと外を見ると西日もだいぶ弱くなっていることに気が付いた。
『もうこんなに陽が短くなってきているのか?』
早いもんだなとは口に出さなかった。

 市営地下鉄で横浜に向かった。横浜から海老名まで相鉄に乗っての帰宅となるのだがこの区間の移動は高校の通学の頃の区間とまるで同じであり、目に馴染んだ風景を何十年も通り過ごしているのだ。違うのは横浜からの行先に合わせてJRや他の私鉄に向かうこと。
『昔は国鉄と云ってな・・』
と平成生まれの同僚にまた始まったと言いたげな顔を向けているのもお構いなしについつい如何に横浜駅が工事が完了することなく、絶えることなく継続しているのかを延々と語りに入ってしまい鉄板ネタだと信じてしまう自分に笑ってしまう。
 地下鉄を降りて地上に向かう。五番街の入り口に出てきた。ここは建物と道があんまり変わることなく存在しているのが変に落ち着く、相変わらず老若男女の人でごった返しているところ、勤め人も訳の分からん若いのも行きかう光景に昔は自分が訳の分からん若い衆に見られていたのだろう。相鉄に乗り始めた頃にはすでにあった立ち食いソバ屋がある。
カウンターに立てるのは何人だろう?5人もいれば一杯であり、大概はどんぶりを受け取ったら外に立ってソバをすするのでホントに立ち食いである。最近では一見立ち食い風でも席に座って喰うスタイルが増えているがここには昭和がある。
 今日は昼を抜いているのでやたらに空腹で夕刻ではあるがひとまず何か喰いたいが何かかっこよく、しゃれたモンで小粋に行ってみたいが似合わないし、財布の中身と相談すると慣れないことはしないほうが無難であるとのお達しがある。迷うことなくの立ち食いソバと相成る。かき揚げ天ぷらの食券を渡しながら『ソバ』とボソッと伝えると見事な手際でかき揚げ天ソバが出てくる。食券には天ぷらそばと印字されているのについつい習慣とは恐ろしいもので『ソバ』と口から出てきてしまうのだった。
このときに両手は開けとく、サッとカウンターを開けて外に持ち出すときにスムーズに移動したいから。粋な所作だよな、見習ってもらいたいもんだと和田のささやかな自己陶酔の独り言を振りまき、汁をすすった。。
 
 腹が落ち着くとのんびり歩き始めて海老名行きのホームの列に並んだ。座りたいとも思ってないと呑気なものだ。座りたいと思えば、予選からポールポジションを狙うがごとく、一本待って次に備えるが人間、考えることは皆、知れているようで同じような輩が虎視眈々とフロントローからのスタートダッシュに賭けなければならない。たかが、相鉄乗って海老名に行くのに大層な話になってきたところで和田は妄想をやめて、海老名行き乗り込んだ。
 海老名行きに乗ると次は二俣川となり、和田は今年の夏の出来事を思い出して薄ら笑いを堪えるのに難儀した。突然、本田から電話が掛かって来たのは8月の始めであった。
本田は中学校の同級生で数少ない海老名在住の男であり、昔からのやらかし屋で楽しく笑わせてくれるのでいつもつるんでいた。
『和田、突然なんだけどヤバイよ、俺、すんごくヤバイ』
といつものごとくあわただしい口調で始まったのは本田からの電話だった。
『相変わらずだな、今度はどしたんだ?』
『免許がどっか行っちまったんだ。』
『だからよ、免許の足が生えてどっか歩いて行った訳がねんだからよ。またどっかのおきっぱなんじゃねーのか?』
『とことん探したけど見つかんねんだ。どうすりゃいい?』
『まずケーサツ行ってさ、届けを出してよ、それからだな。』
 今までの経験からすると探し物は探している間は出てこないとなんの根拠もないことに揺るがない信念を持って本田に伝えた。
 結局、ないものはないの通りで探すことを諦めた本田は二俣川の試験場に再交付をすることにした。たまたま和田は夏に更新月となるので日曜日に一緒に二俣川に出かけようという話になった。
『たまんね~な。この暑さ。尋常じゃねーよ』
 本来年末に更新となる本田はこの時期に試験場に来た経験がないので駅からの坂道を登りながら文句を吐きながら歩く。
『フタマタってこんなに暑いのか?』
『どこでまこの暑さだよ。夏だしな。』
『夏生まれじゃなくて良かったけど、なんでこの季節に無くすかな?』
 免許は無くすし、暑さで汗だくだし、どうしようもない文句のつけ場がないが怒る元気も出ないようだった。
 違反もない和田は更新のみなのでスムーズに交付されたが本田は再交付なのでそれなりに時間が掛かっている。きっと、違反した訳でもないのになんでこんな目に遭わなきゃいかんのかな?とかブツブツ言いながら過ごしているのだろうなと和田は気長に待っていた。
そこにあたふたと本田がやって来た。
 『わりい。御免やたら時間が掛かった。さっさと帰ろうぜ。一杯やっていこう。』
 海老名駅に戻ってから、本田が蕎麦屋で飲もうと言い出して南口から歩きだした。
 観雑の時間のタイミングが良かったのか、すぐに座れたのですかさず生ビールふたつを注文した。
 『今日は余計な時間を突き合わせてごめんな。ここの払いは俺が持つからよ。』
 本田は汗を拭き、やってきたジョッキをふたつ受け取りひとつを和田に渡しながら言った。まずはぐびっと一息に半分ほど飲み干した。
『かああ、たまんないな。しかしえらい目に遭ったな。』
『ホントに災難だったな。』
『どっかに厄払いに行かないとダメかもな』
『また、有鹿神社か?』
『まあ、考えてみる。来年のことも神頼みもあるしな。』
『来年て、定年後のことか?』
『そうだな。いよいよだな。』
『なんとかなるさなんて昔は云ってたもんだ』
 ビールから焼酎が始まっていつものようにグダグダ話しが続いたが最後にざるそばを2枚づつすすっての終了となった。
『今日は俺が持ちってことで。』
本田は会計をつかんで立ち上がった。
『それじゃ、ゴチってことで』
和田は店の外に出た。まだ暑さが残っている。
いきなり、店の中から本田の叫び声が飛び出してきた。
『うわわわわわ!』
店内にはいると本田が目を見開き口をパクパクしているではないか、何事であろうか?
レジの店員は怯えているようだ。支払いは済ませていたらしく、本田の手にはレシートと小銭が握られていた。
『な、な、なんでもないですよ』
となんでもない訳ないのは明白だがとりあえず店の外に出るしかない。
『おい、どうした?そんなに飲んだわけではないだろうに』
『あった』
本田の目はどっかにいってるようだった。
『なにがあったんだよ?』
『免許』
『そりゃ、そのために今日さ、フタマタ行ったんだろうが』
『無くした免許あった。』
 本田は消えそうな声で答えた。
『どこにあったんだよ?』
『財布の中にあった。』
『はっ?』
本田はたくさんのポイントカードに挟まった免許に気が付くことなく、紛失したと思い込んで騒いでいたのだった。それをたまたま今日、支払いをするときに発見したのだった。
『もう、やってらんねーよ。くそ暑いなか、汗だくでフタマタ行ってよ。何なんだよ。マッタクよ』
目が泳いでいた本田は行き場のない怒りの処理に困った目になりつつあった。
『いまさらしょうがねーだろ。』
『まったくよー。暴れてやろうかな?』
『俺たち来年はさー還暦なんだし、頼みますよ本田さん』
『かあああ、還暦か。憂さもはらせねーか?』
『まー今度は俺がおごっちゃうからさ、今日のところは退散てことでシャンシャンにしようぜ。ウダウダ行ってもしゃーねーよ。』
『そりゃそーだな』
本田は喜怒哀楽が激しいけど切り替えがはやいのは大昔からまったく相変わらずで結構楽しいと感じて何十年経つのか、早いもんだ。

思い出し笑いをこらえているうちにいつもの相鉄は海老名駅に着いてしまった。
改北札に向かって歩き始めると秋も深まっている気配がする。風が少し冷たくなってきてる。
『また、丹沢おろしの季節か。』
和田はつぶやく
『冬の海老名駅は丹沢からのカラッカゼが吹きっさらしだから冷え切ってるよな』
と毎年冬になると本田の同じセリフを吐くのを思い出した。
来年のこの時期にはなにやっているのか和田はぼんやり想像してみたが居酒屋で騒いでる本田が頭をよぎってついつい笑ってしまった。
海老名の駅前はお構いなしに年末年始の準備に賑やかな人の流れが続いていく。。

著者

朝比奈ヒロノブ