「グリーングリーン」関根美紀子

 フェイスブックのメッセージ箱の見かけない名前に律子は手を止めた。よくくる友達申請の一人だろうとメールを開いた。

りっちゃん
こんにちは。私は、昔りっちゃんの近くに住んでいた藤森恵子です。覚えていますか?もしも覚えていたら返事をいただけると嬉しいです。

 「恵子ちゃん・・・・・・」
 律子は、茶色がかったショートの髪とくりくりした目の恵子ちゃん顔を思い出した。

*   *  *  *   *   *

 あっちにいったら、律子の体調もよくなるといいんだけど」
 律子の母は、三ケ月になったばかりの亮太を抱いて後部座席に横たわっている律子を振り返って言った。
「ああ」
 父親はハンドルを握ったまま前を向いて言った。
「お母さん、のどが痛い」
 律子の言葉に母親は、大きくため息をついた。
 
 律子の父の会社が川崎にあり、社宅に住んでいたが空気が悪く律子はしょっちゅう体調を崩していた。会社が海老名へ移転することになり、その際会社が横浜の戸塚に分譲住宅の建売をして、社宅に住んでいた人たちが引っ越しをしてきた。緑ヶ丘団地と名付けられた分譲住宅は、すべて同じ会社の人たちだった。
「えー、どれがうちかわからない」
 律子が目を丸くして言った。
「本当ね、お母さんでもわからなくなりそうだわ。下から三段目の右から三番目だから、いい?そうだ、まちがえないようにノブに赤いリボンまいておくよ」
 母は、六歳の律子にわかるように赤いリボンをドアノブに結んだ。
「山ばっかりだね」
 緑ヶ丘団地は、山々に囲まれ手つかずの自然がいっぱいだった。
「ほら空気がおいしいわよ。おいしい空気を吸うと元気になるわよ」
 母の言葉に律子は口をパクパクさせてみたけど、空気のおいしさはわからなかった。
 年の瀬に引っ越してきたので、両親は残り数か月を幼稚園に通わせなくてもいいだろうと律子を幼稚園にいれなかった。律子は、毎日住宅地を囲む山や野原を駆けまわって遊んでいた。いつどこで会ったのか記憶にないが、同じ団地に住む同じ年の恵子ちゃんと一番の仲良しになっていた。
 二人ともショートカットで背格好も同じで、すぐに意気投合した。
 住宅地のはずれに、自然にできた大きな池があった。そこにはザリガニたくさんいた。男の子たちは、小さなザリガニを餌にしてマッカチンをというアメリカザリガニを釣るのを楽しみにしていた。小さなザリガニの背ワタをはがして、糸にしばりつけるその工程が律子は気持ち悪くてできなかった。
「りっちゃん、こうやるの」
 恵子ちゃんは、手慣れた手つきで小さなザリガニの背ワタをはぐとえさにした。棒にくくりつけた糸を池の中に垂らしていたら、ひっぱられて釣り上げたら
「マッカチンだ!マッカチン!」
 恵子ちゃんや男の子たちが大きな声をあげた。律子は、あまりに大きなザリガニにびっくりして手を放してしまった。
「もう、りっちゃんたらあ」
 恵子ちゃんは、くやしがった。そして、顔を見合わせて大笑いした。
 その池で、恵子ちゃんがある日
「ねえ、りっちゃんここで泳ごうよ」
 と言った。
 二人して裸になって遊んでいたら、恵子ちゃんのお母さんに見つけられて二人して洋服を持って山の中に逃げ込んだこともあった。

 緑ヶ丘団地のてっぺんに山を切り崩した斜面がある。そこで泥ダンゴを作った。泥ダンゴを固くするために土の中に何日も埋めて、取り出して手でこすって艶を出した。そして、斜面から転がしてどちらの泥ダンゴが割れないかを競いあった。
 今のようにゲームもない当時、自然を駆使していくらでも遊ぶことができた。そして、律子は風邪ひとつひくこともなくなっていた。

 律子は、恵子ちゃんのメールを見て一瞬にして当時に戻った。
 
恵子ちゃん
もちろん、覚えているわよ。懐かしいです。元気ですか?四十数年ぶりかな?岡津も変わりましたよ。ちょっとは、おしゃれになりました。(笑)でも、まだ二人で遊んだ場所があちこちに残っています。本当に懐かしいです。今は、夫と母と一番下の息子とここで暮らしています。私たちもおばさんになりましたね。
                                    律子
りっちゃん
返事ありがとう。本当にりっちゃんだったのね。私は、小学4年になる時に大阪に引っ越してきたでしょう?それからずっと大阪にいます。ここで結婚して、今はカバンにいつもあめちゃんをいれたおばさんよ。子供は息子が一人、今年東京の大学にいくことになったの。それで、来月に私も一度住むところを見に行くことになり、もしもりっちゃんに会えたらと思いました。
                               恵子
 
 二人で何度かやりとりをして、十月の日曜日に会うことになった。
 横浜でおいしいものを食べようといったけど、恵子ちゃんは、今回の滞在は時間がないので、どうしても自分が住んでいたところをまわってみたいと言った。

 恵子ちゃんが大阪へ引っ越しが決まったころ、恵子ちゃんの両親が律子を連れて毎週休みの度にあちこち連れ出してくれた。
 恵子ちゃんは、両親の愛情を十分に受けているように見えた。芝生の庭には、恵子ちゃんのお父さん手作りのテーブルとイスがあり、よくそこでおままごとをした。恵子ちゃんの学習机もお父さんの手作りで、ピンクのかわいい蛍光灯があった。その蛍光灯がほしかったのを覚えている。私も一人っ子だったらよかったのにと律子はよく思ったものだ。

 十月の暖かな日に恵子ちゃんがやってきた。横浜駅で待ち合わせをし、お互いわかるかな?と不安だったが、一目でお互いを見つけ出した。白い綿のワンピースをきた恵子ちゃんは、当時のままショートカットだった。大振りのイヤリングがショートカットに合っていて、ほっそりと美人だった恵子ちゃんのお母さんに似ていた。
 
 横浜のにぎわいに恵子ちゃんは戸惑っていた。
「車で迎えに来ようと思ったんだけどね、相鉄線にのってもらおうと思って電車で来たの」
 律子がいった。
「相鉄線?」
「そう、当時は電車通ってなかったでしょう?」
「うん、なんにもなかった。バスしかなかったよね。バスで戸塚にいくのが楽しみだった」
「本当に何にもなかったよね。お魚食べたいと思ってもお魚屋さんもないし、みんな御用聞きだったわよね。お肉屋さんもきたし、そうだお豆腐屋さんのお兄さん覚えてる?」
 律子がいうと
「覚えてる、覚えてる!二人でお兄さんと一緒に団地の中まわってお豆腐売ったよね。お母さんたちに内緒だよって、お駄賃もらったよね」
 二人は、昔話に花を咲かせつい大きな声になってしまい、二人顔を見合わせて口もとに人指し指をあててしっーと言ってクスクスと笑った。
「ねえ、移動スーパーいっていうのもこなかった?」
 恵子ちゃんが言った。
「あったあった、パンとか色々なものをのせてたね。今思うと、すごく不便だったけど、なんか毎日楽しかったよね」
「ほんま楽しかった」
「あっ、恵子ちゃん大阪弁」
 二人して、肩を寄せ合って笑った。
「大阪に引っ越して、あっちは街中でとても便利になったの。でも、子供時代を過ごしたこっちが私の故郷。ゆったりと時間が流れて、緑がいっぱいで、朝から晩までりっちゃんと遊んで、ほんと楽しかったな」
「恵子ちゃんは、一人っ子ですごく大事にされていて、私羨ましかった。私がほしいものなんでも持っていたし」
「当時は、本当に恵まれていたわね」
 恵子ちゃんは、バッグから飴を取り出すと律子に一つくれた。
「大阪に行って、お父さんが知り合いの人と事業をスタートさせたんだけど、軌道に乗らなくてね。そのうちに、お父さん癌になってあっという間に亡くなったの。それで、お母さんは、働いたことのないような人だったでしょう?それでも働かないわけにいかないから、お母さんいくつもパートの掛け持ちをしてね。私も、家でお母さんの内職の手伝いをよくしたの。生活が一変しちゃって、毎日怖かった。この先どうなるんだろうって不安だった。あのまま、お父さんが事業なんて立ち上げないでずっとこっちにいたら病気にもならなかったんじゃないかって思ったこともあったけど」
 恵子ちゃんはそういうとり津子を見て微笑んだ。当時やりとりをしていた文通もすぐに恵子ちゃんから返事がこなくなり、途絶えた。そんな理由があったのだ。
「そうだったの。知らなくてごめんね」
「でもね、今は幸せよ。息子も大学生になったし。旦那もね、お母さんのことも大切にしてくれるのよ。お母さんね、今年の春まで持つかなって感じなの」
 恵子ちゃんは律子を見て言った。
「病気なの?」
 恵子ちゃんは、うなづいた。
「お父さんと同じ病気。お母さんにとってもね、ここでの暮らしが一番輝いていたみたい。庭で三人で写した写真が今も飾ってあるの。緑ヶ丘団地どうなったかなあって、言ったりするのよ。だから、私が見てくるよっていってきたの」
「そうだったの」
 律子は、当時と変わらない場所がどのくらいあるか思い浮かべた。

「うわっ、何ここ?おしゃれ、ここが岡津?あの岡津?緑園都市っておしゃれな名前、都市?昔は村みたいだったのに」
「ちょっと村ってなによ」
 律子は、緑園都市駅で降りてきょろきょろとまわりを見渡す恵子ちゃんに言った。
「うわあ、お店があるわ。ローゼンっていうの?」
 恵子ちゃんは、スマホを取り出して何枚も写真を撮った。
「若い女の子が多いのね」
「駅前にフェリスがあるのよ」
「えっ、あの山手にあるフェリス?私入りたかったわ」
 恵子ちゃんがいって、二人で大笑いした。
 律子の家に向かう途中、恵子ちゃんの家のあった場所へ行った。そこは、家が二軒建っていた。
「ここかあ、こんなに広かったんだ。でも、目の前の公園はそのままなのね」
 恵子ちゃんの横顔が少し寂しそうに見えた。

 律子の家で、母親が作った手料理にお寿司をとって三人でお昼を食べた。律子の母親は、昔のアルバムをひっぱりだしてきた。
「ほら、恵子ちゃんのお母さんは美人だったけど、お母さんそっくりね」
 律子の母が言った。
「今は、こんな」
 恵子ちゃんが、お母さんの写真を取り出して見せた。病院のベッドで寝ていたが、まわりを恵子ちゃんの家族に囲まれて微笑む笑顔は、穏やかな時間に満ち足りているようにも見えた。
 律子の母が、恵子ちゃんのお母さんにも会いたかったわといって涙ぐんだ。
「さ、では、私たちは団地探索にいってきます」
 律子はそういうと、恵子ちゃんに、さっいこうといって立ち上がった。

 二人の思い出の場所としてまず小学校へ行った。昔は木造づくりだったが、今は鉄筋になっていた。でも、校門には昔と変わらず一本杉が立っていた。恵子ちゃんと二人、この一本杉の前でおめかしして新しいランドセルを背負った当時の写真を思い出した。
「懐かしい。一本杉さん、私のこと覚えてる?」
 恵子ちゃんは、一本杉を見上げて言った。
 学校の前にある神社は、昔と何ひとつ変わらぬ姿だった。お正月と夏祭りくらいしかにぎやかにならない神社だったが、学校帰りに時々境内で遊んでいた。小学校のすぐ上に建つ中学への道路の両脇には桜の木が並んでいて、毎年入学してくる子供たちを華やかに迎えてくれた。
「変わらない所もたくさんあるのね」
 昔のままの商店、山の中にある小さな鳥居、二人で泥ダンゴを転がした斜面、日がな遊んでいた山の中の広場など、まだ当時のままの姿のところがたくさんあった。
「ねえ、りっちゃん、あのマルメロの・・・・・・」
「いこう、グリーングリーン!」
 律子が言った。
「まだあるかな?」
「行ってみよう」
 律子が言うと恵子ちゃんはうなづいた。

 小さい頃、二人して団地から遠く離れたところまで探検に行った。団地の一番上の山の中を歩いていくと頂上から一本の細い道が延びていた。その山道を下っていくと畑に出た。畑のわきを歩いていくと、通りに果実がたくさんなっている庭があった。二人で木の棒をとってきて、その実をとろうとつついていると、やっと一つの実がおちてきて二人して飛び上がって喜んだ。
「こらあ!」
 と声がして、二人して縮み上がった。
「とるなら、もっと大きなものを」
 声のする方をみると、腰に手をあてて微笑む若い女性が立っていた。
 長い髪を後ろに結わき、ほっそりとした体つきに化粧っ気のない白い肌の顔が学生にも見えた。
「はいりなさい、お嬢さんたち」
 女性はいうと、ウィンクをして平屋の玄関の扉をあけた。
 恵子ちゃんと二人顔を見合わせて、おずおずとついていき部屋にあがった。そこは、襖をはずして一部屋にした開放的な畳の部屋に、大きな白いグランドピアノがあった。南の窓からは部屋いっぱいに太陽が差し込んでいた。
「ピアノかっこいい」
 恵子ちゃんが言った。
「ピアノを自由に弾きたくてね。まわりに家がないようなところを探していたら、こんなに田舎にきちゃったわ。今ね、マルメロのジャムがあるの。一緒に食べましょう」
「マルメロ?」
 律子が言うと
「お嬢さんたちが採ろうとしていた実ですよ」
 と言われて、二人して頬を赤くしてうつむいた。
「あはは。私の名前はゆみ、なかむらゆみ。東京で学校の音楽の先生をしていたの。だけど体調を崩してね、今静養中」
「ゆみ先生?」
 恵子ちゃんがいった。なんでも物おじせずに、話しかける恵子ちゃんをすごいと律子は思った。
「そうよ」
 そのあと、当時珍しかったフランスパンを出してもらい、それにマルメロのジャムを塗って食べた。
 山の中の一軒家、とびきりの美人が住んでいて、白いグランドピアノがある。マルメロというジャムにフランスパン。それだけで、子供だった二人には、最高の隠し事であった。ただ、歩いてかなりの距離があったので、あまり行くことはできなかった。
 小学2年生から4年になるまでの間、誰にも秘密にして二人してよくゆみ先生の家にいった。畑で採れた野菜を近所の人がくれたといって、スープを作ってくれたり、かわいい花柄のランチョンマットを敷いてくれたり、毎回何があるのだろうワクワクした。
 そして、ゆみ先生がピアノを弾いて歌を教えてくれた。
「グリーングリーン」
 という曲だった。男の子と父親の話で、父親がある日いなくなってしまうという話だった。
「お父さんはどこにいっちゃうのかな?ねえ、寂しいよね、この曲」
 恵子ちゃんがいうと
「どこにいったのか、それは恵子ちゃんやりっちゃんが想像することね。想像はいくらでもできるから。このグリーングリーンのところ、好きよ。青い空や緑いっぱいのこの場所みたいだからね」
 ゆみ先生はいった。
 二人は、グリーングリーンのところを力いっぱい歌った。
 恵子ちゃんの引っ越しと共に律子も行くことがなくなり、いつでも行ける距離であったが次第に存在が薄れていった。

「グリーングリーン丘の上にはララ緑が広がる 緑が広がる~」
 恵子ちゃんが小声で歌った。
「ゆみ先生どうしているかな?だいたい、ゆみ先生は何歳だったのかもきかなかったわね」
 律子が言うと
「本当、まるでおとぎ話みたいね。ねえ、りっちゃん、こっちの道だっけ?」
 昔の面影はあるが、ところどころ舗装されて新しい道ができていた。
 山道を下っていくと、畑があった場所に家が十軒ほど建っていた。区画がされていて、当時のゆみ先生の家はなかった。
「確かここじゃない?」
 律子が言った。そこには、二階建てのコンクリートでできた家で表札には佐伯と書いてあった。
「そうね、きっとここだわ。変わっちゃったね。そりゃあなくなるはずよね、45年も経っているもの」
 恵子ちゃんが言った。
「恵子ちゃん、想像してみましょう。私たちが昔ここにきてグリーングリーンを歌っていたころを」
 律子が真面目な顔で言うと、恵子ちゃんは笑って、そうね想像しましょうといって目をつぶった。そして、目をあけると
「りっちゃん」
と大きな声をあげた。
「うわあ、なに」
 その大きな声に律子は、さらに大きな声をあげた。恵子ちゃんの指さす方を見た。塀から顔を出したマルメロの木が見えた。
「マルメロ」
 恵子ちゃんが言った。
「なにか?」
 白髪の色白の女性が二人の声に気づいたのか、奥の庭からまわって門扉の方へやってきた。
「ゆみ先生?ですか。私たち、あの小さい頃ここによくきていた。律子と恵子です」
 律子が一気にいうと、白髪の女性は一瞬にして目じりにたくさんの皺を作った。
「まあ、まあ、まあ。なんていう日かしら」
 ゆみ先生は、私たちを迎え入れてくれた。
 部屋には、白いグランドピアノはなくなっていた。お孫さんなのか小さな男の子と女の子の写真が飾ってあった。 
 ゆみ先生は、あのあと体調がよくなり先生として復帰をして、職場結婚をしてここで二人の男の子を育てたこと、この緑の多い場所を離れることができずに、ここでずっと暮らしていたことを教えてくれた。
「ゆみ先生は、本当にいたのね。おとぎ話じゃなかったわ」
 律子が言うと
「そうよ、ちゃんと生きていてすっかりおばあさんになったわ」
 ゆみ先生は、昔と変わらずピンと伸びた背筋で、以前はなかった優しい皺を作って微笑んだ。
 三人で当時のことやこれまでのことを時間を忘れて話し込んだ。帰り際、ゆみ先生は二人に瓶詰にしたマルメロのジャムを持ってきた。
「嬉しい、これ、母のお土産にします」
 恵子ちゃんは大事そうに胸に抱えて言った。
 私たちの姿が見えなくなるまで、ゆみ先生はいつまでも手を振っていた。

 外に出ると、日は傾き始めていた。
「りっちゃん、今日はほんまにありがとう」
 恵子ちゃんが言った。
 振り返ると、山間にオレンジ色の富士山が小さく見えた。
「ここは、どこからでも富士山が見える場所がたくさんあるのよね」
「そうね」
「子供の頃を過ごした場所がここで本当によかった」
 富士山を眺める恵子ちゃんの横顔が、子供の頃と変わらずに見えた。

著者

関根美紀子