「ストロベリーハウスでつかまえて」柴山晴

 かしわ台の駅前まで迎えに来た知子は、哲彦を待っていた。
 二人は、八王子の大学で学生の頃、文学部の同じクラスで知り合った。
 彼女には通学コースだが、哲彦には慣れないところだった。列車を乗り継いでくる。バブル最盛期でも単線が残っていた、青と緑の混成編成の横浜線。町田で丸っこい車窓の小田急線。それらを乗り継いで、海老名から、先頭が食パンのような緑色の電車でかしわ台へやってきた。
「お待たせ。」哲彦は笑顔の知子に語りかけた。
 かしわ台は昭和五十年にできた駅だ。
 しかし、周囲は開発前からの歴史が古い。谷に囲まれた土地で、泉の水で田を潤していたという。古くは矢倉沢往還沿いで大山詣の宿場町でもあった。いまはその名残をなぞって国道二四六号線の高架が頭上を走り、渋谷と伊勢原を結んでいる。
 この地で生み出され紡がれた絹は、後の相鉄本線を通って横浜の港まで運ばれていた。
「長い坂だね。」哲彦は言う。
「そうでしょ。」知子が答える。
 駅から降りて谷に下ると、高架下に「売り上げ県内一」の貼り紙がある酒屋さんが、一軒ある。そこから谷を上がりきると、知子の住む家があった。少し先へ行くと、海老名の地名の由来通り、切り立った河岸段丘にでる。ここからの眺めは富士山と丹沢連峰という絶景だ。
「うわあ、すごく眺めのいいところに住んでいるんだね。」知子はまんざらでもないという顔をする。これがのちの、哲彦の勤め先を決めるきっかけとなる。
 二人の初めてのデートは、駅前のイチゴ畑だった。正確に言えば「ストロベリーハウス」だ。今でこそ海老名はキャラクターにイチゴをモチーフに採用している。まさにあまずっぱい思い出だ。
 あるときは、土曜や日曜に当時のムービルで映画を観に横浜まで二人で、足を運んだ。
 映画館デートは、当時、周りが田んぼばかりの海老名で待ち合わせした。ゆるゆると丘を縫う相鉄本線で、クロスシートに並んで座り、一路横浜に 向かったものだ。そのゆるやかさは、二人のようであるが、時をさかのぼれば横浜の建築資材運搬のためゆるやかな路線になったというのだ。
 緑の豊かな丘陵地帯を抜けて、いつも建設中の横浜駅に三十分ほどでたどりつくのが常だ。よくティム・バートン作品を観たものだった。
 時は経ち、卒業してからのある日のこと。就職して海老名に移った哲彦は、知子に知らされたことがある。
「わたし、ほかに好きな人がいるの。」
 哲彦は一瞬、頭の中が真っ白になる。
 それを聞いた、大学時代からの二人を知る人々も、驚きを隠せない。程なく、知子は「ほかの人」と家庭を持った。
 海老名にはいまは、大型ショッピングセンターやマンションが建ち並ぶ。海老名に住むことになった哲彦は、横浜に出張することもある。クロスシートの車内の様子を見ると、知子とのあまずっぱい思い出がよみがえる。
 かしわ台も変わった。駅舎が建て替えられ、イチゴ栽培のハウスも駐車場や喫茶店、温泉になっている。特急も通過してしまう。いつ行っても工事中の横浜駅も落ち着いた雰囲気になっている。短時日ではあるが、時は移った。知子もかしわ台には住んでいない。
 さらに、紺色一色の相鉄線の電車は、海老名から渋谷まで出るという。
 一人さみしくではあるが、哲彦は、もう一度、家族連れでもいいから知子に会いたいと思っている。
 今日も林立するマンション街の海老名に、哲彦は住んでいる。二人とももうすぐ五十代。時の移り変わりは二人にも早い。

著者

柴山晴