「デートの帰り」ムクレレ

「今日はありがとう」
楽しかった と小さく付け足したあかりさんは
お酒が回ったのか少し頬を赤らめたまま、
空席の目立つ相鉄線の電車の中で
「遠いのにありがとね」ともう一度言った。
私が知っている海老名といえば
小さいころに家族と映画を見に来ていた特別な地であったが
今では女性とデートをするようなスポットへと変わっていた。
することといえば相も変わらずに映画を見ることだが
サティからイオンと名称が変わったことが、私の海老名の思い出を上書きではなく別名保存させてくれている。
本当は遊園地やスケートなど
アクティブなデートスポットへと足をのばしたいが
いかんせん踏み出せない理由が私にはあった。

お腹が弱い。
このことは、人間が生きていく上で一切の活動に制限をもたらせる。
特に12月の冷えた空間のなかで
1時間以上もアトラクションに並んだり
氷の上で体を冷やしながら動き続けるということは
付き合えるか付き合えないかという中でさまよっている私にとっては論外であった。
その点映画はいい。
2時間近く時間が潰せるうえに、どうしようもなく腹痛に襲われた際には何か理由をつけてトイレに行けばよいのだから。
ビナウォークではなくイオンを選んでいるのは
トイレが映画館の中にあるからである。
チケットを購入し劇場内へと入る権利と同時に
その中のトイレに行く権利をも同時に得ているのだ。

幸いにも彼女が見たい映画があり
その映画がとても面白かったようで
そのあとの夕食の際にもとてもうれしそうに映画の感想を話している彼女を見て
ほっとしている自分がいた。。

彼女と初めて会ったのは2か月前。
いわゆる合コンだった。
よくある友達に誘われて人数合わせで、というやつだ。
3対3で、今だから告白すると一目ぼれだった。
こんな子と出会えるのなら合コンも悪くないなと思っていたが
ひと通り自己紹介が終わった後に彼女のおしぼりを見ると私とは全く違う方向を向いていて、
今時まだこんな方法を取っているのかとおかしく思っていると
次第に緊張はなくなり、普通にこの場を楽しもうと思えた。
結局1次会では一言も喋れずじまいだったが
2次会のカラオケの中で音楽や映画の趣味が合うことがわかり
ダメもとでデートに誘ってみたところ
あっさりOK の返事がきた。
あの時は目にもとめていなかったと今日何度も言ってきたということは、
今では多少の気は持ってもらえているのかもしれない。
そのため、今は何としてもぼろを出すわけにはいかないのだ。
海老名を選んだのは、
そんなに人混みがないところがいいという私の要望と
ちょっとしたものでもよいからイルミネーションが見たいという彼女の可愛い要望を両方満たしていたからで、
イルミネーションと呼ぶにはとても些細なものではあったが、
一応あかりさんは嬉しそうにしてくれた。

1つ年上と言っていたので、今は23歳だろうか。
誕生日くらいは聞いておきたいものだな、と思い
さりげなく会話を切り出す。
「相鉄線って、動物園の広告とか出してるんですね。」
そういって、遠くの方に見える中づり広告を指さす。
「ほんとだ。あれじゃない?中山の方にある。確か三ツ境からもバス出てたし。」
「あー。そうですね。行ったことないけど。そもそも動物園自体最後に行ったの小学生とかかもしれないです。」
「私この前上野行ったよ!亜美たちと。パンダ見たかったんだけど、めちゃめちゃ並んでたから諦めちゃった。」
亜美とは、あかりさんの一番の友人で、例の合コンにも来ていた。
私はほとんど会話をしなかったが、あかりさんが度々亜美情報を提供してくれるので
今では割と亜美通になっているかもしれない。
「パンダすごい人気ですよね。上野って、一通りいるんですか?」
「いるいる。オカピまでいてびっくりしちゃった。」
「へー。オカピって、あそこでしか見れないと思ってました。」
再度中づり広告を指さす私。
「羊もいました?羊。」
「羊?いたかなぁ。私はたぶん見なかったけど。好きなの?」
「うん。特に見てもなんとも思わないんですけどね。一応ひつじ年なんで、親近感というかなんというか。動物園に行ったときは必ずマークしてた気がします。10以上前ですけど。」
「なるほどね。でも確かにそれはわかるかも。私うま年だから、馬見ると謎にテンション上がるもん。」
「馬は、わりといますね。」
「まあね。競馬はやったことないけどね。」
「僕、ひつじ年の牡羊座なんですよ。」
「へえ。そのパターンは初めて聞いた。私牡牛座なんだ!誕生日近いかも。」
「ほんとですね。おうし座だと、4月ですか?」
「いや、ギリギリなの。5月19日。家族みんなふたご座だから、昔はよく仲間外れにされたんだよね。」

よしよしよし

懐かしそうに笑いながら話す彼女の横で、
違う種類の笑顔を浮かべながら私は心の中でガッツポーズをした。
無理に会話を合わせてくれるところも嬉しいし
直接誕生日を聞くよりも
さりげない会話の中で引き出した方が
覚えていた時に喜ばれるのだと、まとめサイトに書いてあった。

気が付くと、電車はちょうど大和駅を出るところだった。

今思えば、このころからちょっとした違和感はあったかもしれない。
だがこの時の私は、あかりさんとの会話がうまくいったことに意識を集中しすぎて、
普段なら研ぎ澄まされているはずの感覚が鈍っていた。

うっすらとしていた違和感は、瀬谷駅を過ぎたあたりで確信に変わる。

お腹が痛い

どうしようかと迷ったが、
あかりさんとは終点の横浜まで一緒だ。
置いて降りるわけにもいかない。
それまで一言一言を聞き逃すまいと思っていたあかりさんの言葉が、
急に遠くに聞こえる。

何が原因だろうか。
ポップコーンは我慢した。
カイロも背中とお腹に貼ってある。
夜ごはんも、お酒は控えめにしたし、揚げ物よりもサラダや煮込みなど消化に良いものを選んで食べた。
落ち度は万に一つもないはずだ。

「聞いてる?」
その言葉でハッと我に返る。
「あ、すみません。」
どうやら私にも誕生日を聞いてくれたらしい。
答えはするものの、頭の中ではそれどころではない。
どんどんと痛くなっていくお腹。
ズシン、ズシンと
一歩ずつ近づいてきているようだ。

だが私にも腹痛持ちの意地がある。
こんな時の対処法だって持ち合わせている。
息を細く吐きながら、下腹部を反時計回りになでる。
これで一時はごまかせるはずだ。
誕生日の話題も一息つき、あかりさんは再び今日観た映画の感想を話している。
次第に落ち着いてきたこともあり、私もその感想に参加する。

正直、映画の内容などあまり覚えていない。
だが私としては次のデートの約束を、横浜駅に着くまでにしなくてはならない。
「あかりさんは、ほかに見たい映画はないんですか?」
「うーん。あ、あの予告でやってたやつ、ちょっと気になるかも。ホラーの!」

よかった。
もちろん2回連続で映画デートなんて真似はしないが
ここから話を広げて次のアポイントにつなぎたい。
だが、、、

どうやら波がまた来たようだ。
額を脂汗が通過した。12月の電車の中で私一人が汗をかいている。
これはもう限界かもしれない。
あかりさんにはあとで謝ろう。
とりあえず私は2回目のデートよりも何よりも
今トイレに行きたい。そう思い顔を上げると、
タイミング悪く丁度ドアが閉まったところだった。
掲示板には、「急行横浜行き。次は終点横浜」と書いてある。
となると、今いるのは、、、

しまった。
急行で次が横浜ということは、
今いるのは二俣川。
相鉄線の急行は、二俣川駅から8駅通過し、終点まで10分以上ノンストップなのである。
ああ、終わった、と思った。
もう、あかりさんの言葉は私の耳にはなにも届かない。
ただただ、トイレに行きたい。
それだけだ。
いくらお腹をさすっても、もう痛みは逃げてはくれない。
ズシンズシンと近づいてきていた「ヤツ」は、もう私の目も前に回り込み顔色を窺っている。
もう無理だと思ったその時。

奇跡は起きなかった。
私はすぐさま「ごめん」と告げ
せめてもの念を込めて違う車両へと走った。

それ以来、あかりさんとは連絡を取っていない。
そんな苦い思い出が、数年経った今でも
相鉄線に乗るたびに思い出す。

著者

ムクレレ