「トレイン・ブレイン」かわ はな子

 『特急、湘南台行きが発車致します』
プルルルル、と発車ベルが鳴る。同時に、私は新型車両の灰色の革のシートに腰掛ける。

 朝六時半、横浜駅。気温は十三度。ドアが閉まり、電車はゆっくりといつもの通学風景をたどり始める。運よくピッカピカの、紺の電車に乗れたことに少し浮かれる。シートは程よく固いし、夜になるとオレンジ色の灯りがついたりして、いろいろと女子高生のつぼをついているのだ。

 高校生になって、電車を使い始めた。それから二年半以上経とうとしている。ほぼ毎日部活で学校に行くから、もう往復で千回は相鉄線を使っているかもしれない。それだけ乗っていれば愛着も湧くし、その電車について何でも知っているような気分になってくる。生まれてからこの土地を動いたこともない。だが、私が知らないことだってもちろんあった。

 いつものように、学校帰りに電車に乗っていた時のこと。
「おねえちゃん、そうてつかわらばんを知っとるかい」
「そうてつ、かわらばん?」
いきなり隣に座っていた白髪のおじさんに話しかけられたのだった。その日は早く帰れる日だったから、他に乗客はまばらだった。
「あのな、これは相模鉄道じゃろ。相鉄。それの瓦版だから、相鉄瓦版ってのう」
私は何がなんだかさっぱり分からなかった。このおじさんはだれで、なぜ、なんのために私に話しかけたのか見当もつかなかった。ひとまず私は、この人を心の中で『相鉄おじさん』と呼ぶことに決めた。
「僕はね、相鉄瓦版に載ったことがある」
と相鉄おじさんはどや顔で言った。しかし相鉄瓦版が何だか分からないのだから、そんな顔をされても困る。
「おじさん、その相鉄瓦版ってなんなんですか」
「駅にどこにでも置いてある。僕は、天王町駅前の商店街でな、甘酒を売っておってな、けっこう長年やってきたもんで、急に相鉄の人が来なさって、いろいろおしゃべりしたところで、『記事にさせてください』なんて言うもんだから、困っちゃったんだけど、一応載せさせてあげたわけだ」
困っちゃうのはこっちの方だ、と思った。相鉄おじさんの出どころは分かったわけだけど、やはり相鉄瓦版が何なのかは依然全く分からない。瓦版?それって昔、新聞ができる前に配られていた、あの瓦版のことかしら。じゃあ、駅員さんなんかが売り歩いたりしているのだろうか。いや、でもさっき、置いてあるって言ってたな。
 「あの、おじさん。そのおじさんが載っているという相鉄瓦版は、どうやったら手に入るのですか」
おじさんは少し考え込む。
「相鉄瓦版は、駅の中にあって、いま、二百ウン十号だかで・・・」
そこで電車が天王町駅に到着する。その瞬間話の途中だったにもかかわらず、相鉄おじさんはさっと立ち上がって行ってしまう。私はもやもやした気持ちで大きくため息をついた。

 翌日になって、駅でその瓦版とやらを探してみた。それはきっぷ販売機の横にひっそりと置いてあった。『ご自由にどうぞ』という箱に入っている。相鉄瓦版は手のひらサイズの広報小冊子だった。パステルカラーに可愛いイラストがのった表紙で、昔の瓦版のぺらっとした、チラシのようなイメージは取り消された。私はその紙のザラっとした質感や、載っている相鉄沿線の小さな出来事や取り組みの情報が気に入った。そうして一冊持って帰った。
 
 この出来事の数週間後、毎年出場している放送の大会のテーマが発表された。私は放送部で、インタビューからニュース原稿を作る練習をしていた。そして、大会では自分の原稿をアナウンサーのように読み上げて、評価を受ける。今回のテーマは『継承』だった。何かピンとくるものがあって、私はインターネットで相鉄瓦版について調べ始めた。そこで相鉄瓦版は四十年ほど前に誕生し、年に八回ぐらいのペースで発行されている広報紙だと分かった。
 しかし、原稿を書くにはやはり取材をしないと厚みがでない。私は横浜の相鉄本社に電話をかけて、取材してもよいことになった。家からそれほど遠くないところに相鉄本社はあり、そこに出向くと、嬉しいことに広報担当のベテランの方が対応してくれた。昔、北杜夫や赤川次郎などの有名作家が作品を書き下ろしていたことなどを教えてくれた。取材が終わると最近の三年分の瓦版と、創刊二百号記念の回の瓦版をプレゼントしてくれた。それと、そうにゃんグッズも少し。
 家に帰って、さっそく原稿作成に取り掛かる。もらった瓦版をめくってみる。創刊二百号記念の冊子に、面白い見出しが見つかった。

『相模鉄道 廃止された駅をめぐる』

廃止された駅。知りたい!そんな気持ちでページをめくっていく。そこに載っていたのは、例えば、二俣川と鶴ヶ峰の間には『二俣下川駅』がかつてあったこと、無くなった理由は戦時下の節電のためで、駅と駅の間を長くするために間引きされたことなどであった。
 さらに私は、約一年前の瓦版に相鉄おじさんの顔を見つけ出した。おじさんは自分の店をバックに、白い作業着を着て、笑顔で写真に写っていた。記事を読むと、彼は空襲の体験談を語っていた。かれの商店街の店は一度焼けてしまったけれど、皆で協力して再興させたらしい。そうか、横浜にも爆弾が落ちた時代があったのだ。自分にとって遠い歴史だったことが急に現実味を帯びて感じられた。
 二百号以降の瓦版にも、神奈川新聞のアーカイブが再掲載されていたり、地元の当時の人々と街の様子が、各駅の変遷や相鉄沿線の風景の移り変わりとともに、はっきりと映し出されていた。
 そう、私は鉄道というものがどれほど深く土地の記憶を刻み、継承しているかということを、初めて知ったのだった。そして思うがままを原稿に起こした。
 
 
 電車は未だ通学風景をなぞっていたが、実は今日は学校に行くわけではない。
 今日こそが、発表の日である。つまり、このアナウンス原稿をマイクの前で読み上げて、ひとりひとり順位をもらう。大会会場は毎年変わらず海老名にあって、それゆえ今回の原稿を読むにはうってつけの場所に感じられた。

 『二俣川、二俣川でございます』
快活なアナウンスが聞こえる。二俣川で、急行海老名行きに乗り換える。相鉄ユーザーとしての勘から、そろそろ部活の仲間と遭遇しそうな予感がする。今度は銀ボディに赤ラインの、馴染みある電車に乗り込む。
「あ、おはよう」
案の定、乗っていた。同期の友と、何人かの後輩が長いシートに並んで座っていた。他に数名の客がいた。
 私は友人の横、ふかふかの朱色のシートに腰をおろした。さっきの灰色シートとはぜんぜん違って、体ごと沈み込むように柔らかかった。その沈み込みとつるつるした制服のスカートのせいで、体が傾き、滑り、思わず友人と近づきすぎてしまう。
「ちょ、近い」
彼は苦笑いしながら、空中で私を押し返すようなジェスチャーをして、座り直すように促す。
「ごめん。このシート、パンみたいにふわふわだからさ」
私も笑いながら、少し横に移動する。寒くて強張っていた体がほぐれ、急に心の奥があったかくなってくる。
 しばらく沈黙が続く。ふたりとも今日の大会のことを考える。私たちは、今日だけは、順位という数字で争うことになる。お互いの努力を知らないはずはないのに。思考の遠くの方で後輩たちのおしゃべりの声が聞こえる。

 電車はせかせかと進み、いつの間にか相模大塚付近を走っているようだった。今日は寒かれどすっきりとした秋晴れで、車窓から見え始めた緑やのびやかな青空が、昇って来た朝日を受けて光を放っている。
 そこで私はふと、窓の横にスイッチが二つ、あるのに気がついた。私はそれを通学途中にも何度か目撃していた。が、たくさん乗客がいる中では触る勇気が出ないものだった。
 しかし、今なら―、という気持ちが湧き上がってくる。
「ねえ、見て。窓の開閉スイッチがある。開けてみようよ」
そう皆に提案した時の私の声は思ったより弾んでいて、驚いた。それほど無意識に心の底で開けてみたい、と考えていたのだろうか。
「開けてみる?」
友人は普通の声のトーンで言い、提案に乗ってくれたようにみえた。だから私は立ち上がって、迷いなく「開」スイッチを押した。
  ス――――…。
ほとんど音もなく窓は開いた。代わりに外の空気が電車に切られる音と、車輪の音と、爽やかな風がぶわっと舞い込んだ。
「お―――…。」
私たちはその涼しさに顔をほころばせた。窓は半分ほど開いて止まった。思ったより大きく開くのだと感心した。
冷たい風を顔に受けながら大きく深呼吸すると、ようやくちゃんと目が覚めて、やる気がみなぎってくる。――勝ちたい。勝ちに行ってるんだ。ついに大勢の人に伝えられる喜びを噛みしめなくてはならない。何日もかけて練りに練った原稿を、読みに読んだ原稿を。そして鉄道というブレイン、海馬には、街の記憶の引き出しが沢山あるということに気がついた感動を。相鉄の百年の歴史には、百年分の街の歴史も刻まれている。電車に揺られながら、過去と現在への想いが幾重にも募っていく・・・。
 私は「開」スイッチの上にある、深緑の「閉」スイッチを押して窓を閉めた。またおとずれる静けさが、私の心を落ち着かせた。それからまた座って、今日のこれからを考えた。

(あとから知ったことだけど、最新型では自動窓の開閉ボタンはそれぞれメロン色とオレンジ色の線で縁取られていて、ネオンのように光っている。かなり、カッコよかった)

 『まもなく海老名 終点です』
電車はだんだんスピードを緩やかにしていった。そして定位置にぴったりと止まった。
 ドアが開き、友人たちが立ち上がり向かっていく。ようやく自分も立ち上がる。

 さあ、大会はどんなものになるだろうか。相鉄おじさんは、また今日もどこかで自分と街の自慢をするのかな。でも、今日は休んでも大丈夫だよ。私が自慢する番だから。

 そう思ってから、ひとつ、深呼吸する。
 そして、
 私は友人たちを追うように、光差すプラットホームに向かって歩きだしたのだった。

著者

かわ はな子