「ドリーム・エクスプレス」米田淳一

「ハル子さんは?」
 まぶしい陽光の降り注ぐ中、いつものようにいくつもの路線の多くの列車が忙しく発着する横浜駅構内。狭いその敷地の中に拡張されて最近できた特別列車専用の11.5番線ホームは、その喧噪からまったく別の、静かで優雅な空間である。それは駅のホームというより夢の旅への架け橋のような雰囲気だ。
 それに隣接する、特別列車乗客用サロン『翔雲』の中いっぱいに、老齢の女性の鋭い声が響いている。
 普段なら、豪華な調度を施されたこのサロンでは、ステンドグラスやカットクリスタル、名画や美術的にも貴重な装飾漆器で飾られた中で、特別列車での出発を控えた乗客相手に華やかなパーティーが催され、それに弦楽カルテットが華やかなその生演奏の調べを添えて彩るのだった。
 だが、その彼らも、この声と事態に戸惑って、互いに目を見合わせてなにもできない。
 同じく豪華な旅のはじまりを給仕で演出するシックな制服のクルーたちも、通常なら祝福のピンクのシャンパンをサーブするはずなのにできず、チーフに『代わりにレモンを搾ったミネラルウォーターをサーブして間をつなぐように』と言われて、やっとそうしている。
 まさに異常事態である。
「ハル子さんはどこに行ったの!」
 部屋を緊迫させるその鋭い声の主、控えめながら豪華な留め袖に大玉のダイヤの指輪で着飾った老齢の女性がおろおろとしている。
「控え室どころか、この横浜駅全域および五キロ圏内でも見当たりません。JRの駅員にも探させています。しかし痕跡すらありません。もしかすると何らかの犯罪に巻き込まれたかも……」
「そんな!」
「今、警察に捜索を依頼しようかと手配を」
 執事の一人がそう言う。
「警察!? なりませぬ! あなたはわが鹿島田(かしまだ)家の名誉に泥を塗る気ですか!」
 彼女は言下に否定する。
「しかし、もうマスコミも列車も、来てしまいますよ」
「マスコミは待たせるとしても、列車はダイヤの都合がありますから、待たせるわけにはいきません」
「また総理大臣閣下や経団連会長のご予定もあります」
 執事たちが口々に言う。
「だから私は豪華周遊列車での挙式など反対したのです!」
 老齢の彼女は名門・鹿島田家の当主の母親だ。
「でも海外での挙式は危険だと」
「現に国内でも、こうして危険なことになっているではないですか!」
 母親は取り乱している。
「秋彦さんがお式は最新鋭周遊列車『あまつかぜ』でやりたいと言うから貸し切りしたら、こういうことですか。あなたたちはなんとしてもハル子さんを捜すのです!」
「ここは思い切って事情が事情ですから、このお式自身を延期なさってはいかがでしょう。いまなら総理も経団連会長もリスケジュール出来ると思われますが」
 執事の一人が穏やかに進言した。
「なりませぬ! 鹿島田の家が大恥をかくことになります!」
 母親はさらに語気を強めた。
「ハル子さんを列車の発車までにここに連れ帰るのです! ほかにこのことの解決はあり得ませんわ!」

    *

 横浜を出た相鉄線の特急電車がJR線との併走区間を過ぎ、フルアクティブサスペンションのなめらかな車輪さばきを見せて右にカーブ、西谷方面を海老名に向かっている。
 しかしその特急の車両はかつての通勤電車のようなロングシートではなく、相鉄開業一五〇周年を機に新造された三列がけの二階建て特別車を含む、オールクロスシートの最新鋭車両・新70000系である。
 そのなかの二階建て特別車の専属アテンダントが、異常事態に戸惑っていた。
 なにしろ、緋色の豪華な内装の特別車の車内に、目の覚めるような純白のウエディングドレスを着た女性が、その一人がけの特別席(プレミアムシート)に座って、横浜駅発車からずっと泣き続けているのである。
 特別席のチケットの検札でもできれば、それをきっかけに事情を聴くことも出来るが、あいにくアテンダントのかけたヘッドセットに見える特別車指定席のシートマップには、ウエディングドレスの彼女の席が海老名まで料金支払い済みと無情に表示されている。
 他の乗客もこの異常事態にどうしたら良いかわからず、とはいえヒソヒソと噂することも出来ず、車内は泣き声の響く中に沈んでいる。
「これで、いいと思えない……」
 小さな声が泣きじゃくる彼女の声に混じり始めた。
「お客様」
 アテンダントがその隙にそっと寄り、ハンカチーフを差し出した。
「私、どうしたらいいの? あんなことで幸せになれるわけがない!」
 ドレスの彼女の声は今度は鋭い大声になってきた。
「私、きっと間違ってる!」
「お客様!」
 あまりの絶叫に、アテンダントはそう制するのが精一杯だった。
 列車はそのとき、減速を開始した。
 二俣川に着くのだ。

    *

「探しました。祝谷(いわいたに)ハル子さんですね」
 二俣川でそう言って特別車の開いたドアから車内に入ってきたのは、明らかにそれとわかる、美的にもシェイプされたスタイルの警察用女性形ロボットだった。
 その肩から伸びた勇ましい赤い装飾と、つややかで美しい純白の外装に記された「神奈川県警・CG-X103」の黒々とした所属表記が鮮やかである。
「いやです!」
 そう抵抗するが、CG-X103はどこかと通信している。『ハル子の無事を確認、これから説得を開始する』とでも報告しているのだろうか。
「私は横浜には帰りません! あの結婚式にも戻りません!」
 泣きながらハル子は抵抗する。
「でも、せめてこの列車を降りませんか。お話はそのあと伺いますから」
 そうCG-Xは跪いて言う。
「いや!」
「でも、このままではほかのお客さんに迷惑をかけますよ」
「あなたみたいなAIに何がわかるもんですか!」
「AI?」
 そのとき、車内が一斉にざわついた。それはそうである。この時代、人間のように見えるAIで動作するロボットはさまざまな産業だけでない分野にどっさりいるし、この特別車のアテンダントも実はそうなのだ。
 そして最近はAIやロボットが抵抗を禁止されてないことを知った上で、その彼ら彼女らへ人間が加える暴言暴行が、大きく社会倫理問題化している。
「……ごめんなさい」
 彼女はそこで我に返ったのだった。
「いえ、慣れてますから」
 CG-X103は少しも気にしていない。というか、あいかわらず氷のような無表情だ。
「それは結婚寸前の女性がよくなるマリッジブルー、といわれる現象でしょうか? とりあえずお話を聞かせてください」
 CG-Xは彼女の手を取って、優しい仕草をしたが、その顔は整っていても無機質に変わらない。彼女は表情を変える機能を持っていない。その機能はメーカーで製造される前に、警察の予算の都合で要求仕様から省略されてしまったのだ。
「あなた、私のこと、わかってくれる?」
 そのハル子の言葉に、CG-Xは表情は出来ないモノの、首を少し傾けて答えた。
「理解するよう努力します」

    *

「奥様、神奈川県警から連絡がありました。ハル子様は相鉄の特急電車にご乗車になっているそうです。現在、神奈川県警が説得中とのこと」
 母親は気絶しかかり、執事がよろける彼女を支える。
「なんということ! 鹿島田の家の名誉にあの子はなんということをしてくれたの!」
「秋彦様は今、お召し替えになって、さきにマスコミの前に出ると」
「あの子は何を! なりませぬ! そろいもそろって鹿島田の名を地に落とすつもりなのですか!」
「しかし奥様」
「しかしもなにもありませんわ! マスコミへの発表などなりませぬ!」
 母親はなおも厳しくぴしゃりと言う。
「でも、あとすこしで乗車予定の列車が車両基地を出発してしまいます」
「列車は遅らせられないの!? 早くJRにいって頂戴!」
「奥様、あの列車はJRの所有する列車ではなく、周遊列車会社の所有する列車ですので、JRの都合で遅らせるとJRが莫大な違約金を払うことになります」
「お金で解決出来るなら、すぐそうしなさい!」
「それも無理です。我々の力ではなんともできません」
「なんとかしなさい!」
「そんな無茶な」

    *

「秋彦さんと出会ったのは横浜の大学だった。一緒に吹奏楽サークルに入って。西谷の駅前の学生アパートから私は大学の裏門経由で大学に通った。秋彦さんはいつも正門から黒塗りのリムジンでの通学だった。でも、私たちはお互いを知っていた」
「大学に入る前からですか」
「ええ。同じ吹奏楽のヴァーチャルサークルで一緒に演奏してたから。そのサークルで、私たちは全国ヴァーチャル吹奏楽コンテストで優勝したんだもの。その時の指揮の先生はものすごく厳しかったけど、でもほんとうに信頼出来たし、私たちに努力する喜びを教えてくれた。そんななか、私は秋彦さんと一緒に演奏する嬉しさを感じていたわ。そして、同じ横浜の大学に通うことになって、驚いた。そしてはじめて実際に出会ったのは大学だった。何度も一緒に演奏してたのに、あったのはそのずっと後。そして、彼が名門鹿島田家の御曹司だってことをその時知った。反重力リニア鉄道の浮上に使う人工重力子や最新鋭コンピュータに使う量子圧縮デバイスの『横浜量子テクニクス』創業家・鹿島田家の御曹司だって。知ったとき、私はどうしていいかわからなかった。だって私は不正規雇用で、やっとベーシックインカムと福祉で食いつなぎながら役所で働くお父さんとお母さんの娘だったんだもの」
「格差恋愛、ということでしょうか」
「そうなるわ。でも私たちの家、祝谷家は幸せだった。収入は少なかったけど、飢えることはなかったし、たまに自動運転シェアタクシーで一家でダム湖に遊びに行くこともできた。お父さんは仕事の合間に好きな文章を書いて、それを発表する仲間と楽しんでいたし、その集まりでお母さんはフルートを吹いてみんなを喜ばせていた。だから私もフルートを吹くのが好きになった。でも学校では吹奏楽はやれなかった。この時代、子供も少なすぎたし。そこでヴァーチャル吹奏楽を始めた。放課後に精密に作られた仮想空間で一緒に仮想の楽器を演奏するそれは、私にとってはすごく楽しかった。優しいけど正直演奏は下手な先輩、性格きついけど演奏がうまい新入生。まるで絵に描いたような青春。そんななかで、私は仮想空間と現実を組み合わせた今時の学校で精一杯に過ごした。幸い仮想楽器は維持費ほとんどかからない。だからベーシックインカムでやっと暮らしている私も楽しく過ごせた。そして、勉強もがんばれた。いつか本当に人の役に立てる仕事に就きたい、と思って、学校の先生、音楽の先生を目指した。そして横浜の教育学部のある大学に合格したの」
「そうですか」
 優しく応対するCG-Xだが、表情は変わらない。それが少しかわいそうにハル子には思えてきた。
「秋彦さんはその大学の経済学部だった。たぶん『横浜量子テクニクス』グループの経営のための勉強をしていたんだと思う。そこで私たちは格差のことを知っても、それでもなお互いが好きだった。だって仮想空間とは言え、同じ吹奏楽部で、素敵な青春を過ごしたんだもの。お互いの好きなところだけじゃなく、厭なところもそのときすでに知ってた。だから実際に会って、すぐにわかり合えた」
 そのハル子の顔に影が差した。
「当然、どっちの両親も猛反対だった。こんなメチャメチャな格差婚、上手く行かない、って。そして秋彦さんには別の女性とのお見合いまで用意された。でも秋彦さんは決然とそれを拒否した。拒否したけど、それで苦しんでいた。その女性を傷つけたんじゃないか、って。そんな話を私は聞いて、ますます私は彼が好きになった。なんて素敵な人なんだろう、って。だからがんばって勉強した。私、彼の一番素敵な、頼りになる奥さんになろう、って。そのために必死に慣れない花嫁修業をした。時代遅れかも知れないけど、その修業の学費を稼ぐためにバイトをいくつもかけもちした。生け花もお茶も習った。彼の愛に応えて幸せな家庭を作って、仕事も助け合って、お互いの実家も幸せにする、って」
「がんばったんですね」
 CG-Xは無表情でも、優しく相づちを打ちながら聞いている。

    *

「挙式のための特別列車は、尾久の専用車両基地を出発しました。現在東海道線を横浜へ南下中だそうです」
 執事が告げる。
「止められなかったのね。しかし、いったい秋彦はあんな娘のどこがいいのかしら」
 母親は忌ま忌ましそうに言い捨てる。
「あんな貧乏人の家の娘に品性なんかあるわけないわ。秋彦が恥をかき、鹿島田の家が恥かしめられるなんて、考えただけでもおぞましいわ!」
 そういいがなら母親は周遊列車クルーの渡すミネラルウォーターを飲んで、溜め息をついた。
「でも秋彦はどこなの?」
「お召し替えを終えたのですが、今、急のお仕事の連絡に対応中とのことです」
「せっかくの結婚式にあの子ったら! あんな娘にかかわったせいで、本当にはしたないことを! これでは我が鹿島田家の品格はすっかり失われてしまったではないですか!」
 母親はなおも激怒している。

    *

「もう海老名に着いてしまうわね」
 ハル子はそう、車窓をみてつぶやく。
「でも、もうあそこには戻れない。もどったら、秋彦さんも鹿島田の家もメチャメチャにしてしまう。すでにこんなことでメチャメチャにしてしまっているし」
「では、どうします?」
 CG-Xは聞く。
「このまま海老名でいっそ小田急に乗り換えて箱根に逃げちゃおうかしら」
 ハル子は投げやりにそう言った。
「でも」
 CG-Xがその時、言った。
「お話を聞いていて、いくつか論理的な矛盾点を感じました」
 そのCG-Xの顔を見て、ハル子はまだ涙の痕の消えない顔で、怪訝な表情になった。
「私のようなAIが申していいことかわかりませんが、それでもその秋彦さんはあなたを信じているのではないでしょうか。きっと戻ってきて、一緒にちゃんと結婚してくれると」
「そんな……こんなことした私を、彼が許してくれるなんて」
 CG-Xのセンサーアイが怜悧に輝く。
「お話を伺った限りでは、そのことに思い至らない知的水準の人間とは推測しにくいのですが。その方はあなたのこのことすら、予測して、今必死にそれでも添い遂げようと、今もがんばっているのだと思います」
「でも……でも……」
 車内放送がまもなく海老名に終着することを告げはじめた。

    *

「まったくいまいましいわね!」
 母親はまだ激高していた。
「婚約もなにもこれで破棄ね。さあ、さっさと帰りましょう! 秋彦も私の言うことを聞かないからこんな無様なことになるのよ!」
 そのとき、聞いていた執事がそっと言った。
「奥様」
「何!」
「私たちは鹿島田のお屋敷に六十年お世話になってきました」
「そうね」
「でも、奥様が、これほど狭量な方とは、正直、思っていませんでした」
「何を言うの!」
「そもそも、結婚とは結婚する当人同士が、人生を自分で決断し、築き上げていくものではないでしょうか」
「何を! あなた、まさかこの私に意見するとでもいうの! 執事AIの分際で!」
 執事はその言葉に一瞬、黙った。
 だが、言った。
「恐縮ですが、私は鹿島田のお屋敷と、その今の当主である秋彦さまにお仕えしているつもりでした。少なくともこのように狭量で差別意識丸出しの奥様にお仕えしているつもりはありませんでしたが」
 母親は自分の言ってしまったことに気付き、絶句している。
「奥様、ここは少し、おやすみになってはいかがでしょうか」
 執事たちはもう、微笑みもしていなかった。

    *

「でも、もう挙式の特別列車は横浜に着いてしまうわ。とても間に合わない」
 相鉄線海老名駅のホームに降りたハル子はそういう。
「でも、方法はあります」
 CG-Xはそう言うと、どこかと交信している。
 そして、頷いた。
「許可が出ました。急ぎましょう。両手を上げてください」
「ええっ」
「時間がありません! 急いで!」
 急かされて、ハル子はウエディングドレスの両手を挙げた。
 すると、CG-Xはその脇に腕を入れて背中から抱えると、背中に格納していた機械の翼を広げて、下向きの空気噴射を開始した。
「東京航空管制センターへ、こちら神奈川県警機動航空103、緊急離陸を要求する。使用予定高度レベル三〇〇〇、目的地、横浜スカイポート」
『こちら東京航空管制センター。事情は神奈川県警本部より聞いていた。緊急離陸と緊急フライトを許可する。誘導信号は八七四A、使用割り当てナンバーは四五三二』
「ナンバー四五三二、了解。設定完了。離陸します」
 そういうと、CG-Xはハル子に言った。
「急上昇します。舌をかまないように注意してください」
 そして、直後にハル子を吊り下げて、CG-Xは翼を広げ、空気を噴射してホームから空に舞い上がった。

    *

「きれい……いつも暮らしていた街がこんな風に見えるなんて」
「ここらへんは厚木飛行場の関係があって飛行制限が厳しいんですよ。だから上空からのこの眺めはなかなか見られる風景ではありません」
 CG-Xはそう言いながら、翼から銀色の霧の噴射で加速して横浜を目指す。
 思わぬ空中散歩をウエディングドレス姿で迎えたハル子は、目を見張っている。
 足元には緑豊かなさがみ野の住宅街が陰影深く見えている。
 その向かう先に見えるのは、東京湾を背に低い雲を貫いてそびえる、高さ二〇〇〇メートルを超える極超高層建築物。
「みなとみらい立体区です。その隣は太陽光発電用の高層超高効率集光鏡です」
「あの下に小さく見えるビルは?」
「二十世紀に建設されたランドマークタワーです」
「ええっ、あんなに小さいの?」
「極高層立体区は、建築による重々しい圧迫を感じさせないよう、風景に溶け込むように光学的な工夫をされています。それに比べればかつて日本最高層だったランドマークタワーも今では低層建築物です」
 そして、足元を行き交う光の帯。
「横浜と海老名を結ぶ相鉄線と、その分岐点の二俣川と西谷です」
「電車があんなに小さく見える。それに、もう通り過ぎちゃうのね」
「それが空の旅ですから」
 CG-Xはこともなげに言う。
「でも……こういう旅は、もういいかも」
 ハル子は言った。
「だって、子供の時も、大学の時も、いつも乗っていた相鉄線の方がなにか、温かく優しく感じられたもの」
 CG-Xは応えた。
「それがいいと思います。まもなく横浜スカイポートに着陸します」

    *

 横浜駅特別ホーム11.5番線に、尾久の専用車両基地で整備を受けてきた、深い光沢の葡萄色に金色の装飾も鮮やかな特別列車『あまつかぜ』が入線してきた。展望車を前後に配し、オープンテラスまである上にその車内にグランドピアノのあるサロンやプール、さらにはチャペルを備えた、世界有数の豪華列車である。
 そして、その装飾が金色に磨き抜かれた三号車エントランスドアの前のホームに、赤絨毯が用意されている。
 その赤絨毯の中央に、ウエディングドレスを整えなおしたハル子と秋彦が、その両脇に着慣れないまでも精一杯正装したハル子の両親、さっきまで激高していたのに今は感涙している秋彦の母親と父親が並ぶ。
 マスコミがそれを一斉に撮影している。
 あれほど悪し様に言っていた秋彦の母親も、だれかに優しく諭されたのか、今は素直にハル子を祝福している。だれにそうされたかはわからないが、それは秋彦でも執事たちでもないのは明らかだった。
「では、出発を前に鹿島田神奈川県知事へのインタビューを受け付けます。司会は県広報室袋井が勤めさせていただきます。ご質問は社名と氏名をおっしゃってからお願いします。では……」
「神奈川新報の長谷部です。史上最年少で神奈川県知事に当選しその実務センスで地方自治改革で業績を上げているという評価の高い鹿島田知事はこれまで独身でいらっしゃったのですが、このたびご結婚にふみきったきっかけは何だったのでしょうか」
 秋彦は笑った。
「それは、当然、世の結婚する多くの男女と同じですよ。この人と一緒に幸せになりたい、と心底思ったからです」
「具体的にどういう時だったのでしょうか」
「それもごく普通だと思いますよ。人を本当に好きになるのに、本当の意味で理由は必要ないと思うのです。そして幸せになりたいと思う権利は、この社会の真の根幹です。私が県知事になろうと思ったのはそのこと、どんなに格差が生じようとも、AIと人間の問題が複雑化しようとも、人間だけでなく、広義の生命がここまで命をリレーするなかでもってきた価値を、世の中がどうあろうとも絶対に揺るがしたくない、と思ったからでもあります。それゆえに国に先駆けてこの神奈川県で『存在の尊厳に係わる包括保護基本条例』を制定したのです」
「東京日報の本多です。これまで鹿島田知事の独身について、正直いろいろ噂がありましたが、これでそれがおわります。何か一言」
「彼女の強さに感謝。ただその一言です」
 司会が時計を見た。
「まもなく時間ですのであともう一社で」
「朝月新聞の波計田です。今のお気持ちを一言で」
「そんなの一言で言うのは難しいですよ。ただ、いうならば、これがはじまりだな、ということでしょうか」
 彼は笑って答えた。
 なおもマスコミがいろいろ聞こうとするが、それを周遊列車のクルーと警備員が制した。
 その間、ハル子は秋彦を見上げて、涙していた。
「ごめんなさい、寸前まで勝手なことしちゃって」
「まったく、背中に汗をかいたよ」
 彼は笑った。
「でも、そんなこともあるんじゃないか、って優秀な部下が先手を打ってくれてたから」
「えっ?」
 その彼の視線の先にいたのは、白い女性型の外装をもった、
 CG-X!
「そんな!」

 CG-Xが周囲を警戒しながらやってきた。
「まもなく発車です。発車前の記念撮影を終えたら車内へお入りください」
 そういう彼女を秋彦が紹介する。
「このAI警官、僕の身辺警護係なんだ。県知事には身辺警護がつくからね。それにしても、まさかこの子が鹿島田家の分裂まで救ってくれるとは思わなかった。確かに、好きになることや愛することに、格差も、AIと人間の境界も乗り越えられるものでしかない」
 秋彦はその言葉をかみしめている。
 そのとき。
「あれっ、この子、今、微笑んだんじゃない?!」
 ハル子は思わず口にした。
「いえ、私へのその機能の実装は省略されています」
 CG-Xは無機質に否定する。
「でも笑ったわよ!」
「その機能は私にありません」
「ハル子、それぐらいに……」
 秋彦は笑いながら止める。
「でも笑ったわ。あなた、本当は笑えるのね」
 執事も、一緒に特別列車での挙式に向かう両家のみんなも、笑っていた。
 そして、横浜駅特別ホームの初夏の空に、祝福の旅のはじまりを告げる豪華列車『あまつかぜ』の特徴的なミュージックホーン(特殊警笛)が、鮮やかに響き駆け上っていった。
〈了〉

著者

米田淳一