「バクのヴァーキーと少女の”夢”」75°

「ウップ…とんでもないもの食っちまったな……」

 そう、そのバクは言いました。

『 バクのヴァーキーと少女の”夢” 』

みなさんはこんな話を、聞いたことがありませんか?
 一見、ボーっとしているように見える白黒二色の地味な生き物「バク」が人が寝ているときに見ている夢を食べてしまうという話を。
 このお話しはそんな「バク」が出てくるお話しです。

 実を言いますと…この世界は…様々な地域から厳しい試験をくぐり抜けた超一流のバクたちが、夜な夜な空を飛びまわっては人が見た夢を食べているのです。雨の日も風の日も自慢!?の鼻を風上にかざし、月の明かりや星の光を頼りに、家々の窓からもれて香り立つおいしそうな夢を目指しては夜空を駆け回っているのです。

 ある日、三日月の夜のことです。選りすぐりのエリートにもかかわらず、ちょっとだけひねくれ者のヴァーキーがこんなことをつぶやきました。
「……ロウドウってやつのせいだろうか!?最近のニンゲンの夢はどれもこれも悪夢ばかりだ。食べる夢のほとんどが『苦い』ものだったり『辛い』(「つらい」夢は「からい」のです!)ものだったり…全く胸がつかえてしかたがない!いいかげんにしてほしいぜ!」

 お聞きの通りヴァーキーは口が少し悪く、自分勝手なところがありますので、仲間のバクから距離を置かれていました。しかし、その「おいしい夢にありつく嗅覚は」仲間からも一目置かれていました。ですから、グルメなヴァーキーにとって悪い夢にしかありつけない今の状況はとても耐えられるものではありませんでした。
「う~む……どこかにおいしい夢はないだろうか……」
ヴァーキーはそう不満をもらすと、闇夜にまぎれる白黒の体をユッサユッサと揺らしながら長めの鼻を宙に向けてほんのりため息をつきました。
「…ん?」
すると、どうしたことでしょう。ヴァーキーの短いしっぽがピンと伸びました。
「んん!?」
さっき宙に向けたばかりの鼻が、ここのところずっと嗅いでいなかったおいしそうな「夢の香り」をとらえました。とても甘くて、まろやかで、それでいてちょっと苦みがきいているその香りのせいでヴァーキーのもっちりとした頬は一瞬にしてとろけてしまいました。
「んん!この夢はきっとおいしい夢に違いないぞっ!はたしてこの香りはどの家から出ているのだろう?」
ヴァーキーは鼻を目一杯伸ばすとそれをグルグルまわし、後ろ足のヒズメをカツカツと地面に叩き付けると、空めがけて飛び上がりました。不思議なことにさっきまで重そうだった体は一度宙に上がるとフワフワと浮かび上がり、白いヒズメは空気をとらえて、その体は前へ前へとグングン進んでいきました。

「どの家からだ?この香りが出ているのは!?あの茶色の屋根の家からか!?それとも、向こうの大きい緑の壁の煙突から出ているのか!?もっと遠くだろうか?」
ヴァーキーはそう呟きながら冬の星座を見上げました。この季節は、夜空の星の位置と様々な色合いの電車がすべりこんで来るたくさんの駅舎とが似通っており、ヴァーキーの頭の中で鮮明な地図ができあがっていました。
「デネブから始まって、ペガサス座を越えてペルセウス…」
鼻のきくヴァーキーはうんと先の香りも逃しません。ヴァーキーは頭の中にある独自の地図をもとにグングン進んでいきます。下を見れば銀色の電車が東から西へ走り抜けています。
「牡牛座のスバルとアルデバランを越えて…」
ヴァーキーの足元にはコウコウと夜の街に光る駅舎たちが見えていました。ヴァーキーは冬の星座にちなんでそれぞれに駅舎に名前をつけていました。
「ベテルギウスも越えるのか?でも香りが強くなってきているような …」
頭の中の地図に沿って力一杯飛んでいると、次第に空気が澄んでくるのが分かりました。すると今度は群青色の電車が西からやって来てある駅舎に停まろうとしていました。そこはヴァーキーがプロキオンと呼んでいる場所で、そこで電車は速度をゆるめゆっくりと停まろうとしていました。
「うん! 間違いない!」
突然、ヴァーキーはそう声を出しました。しかしそれと同時に、
「んん?」
唸り声もあげました。ヴァーキーの鼻は確かにステキな香りの元を感じ取っていましたが、その香りがどんどん小さくしぼんでいくのが分かりました。
電車からは次々とお客さんが降りてきます。ヴァーキーは目を大きく開けて見回しました。すると、人混みの中にお母さんにおんぶされた少女の姿が見えました。
「優子、しっかりして。お母さんもお仕事で疲れているし一緒に歩いて帰ろう」
そう言われた少女は小さな手で目をこすりました。しかしもう一方の手はお母さんの肩をしっかりつかんだままでした。
「もう…優子ったら…」
お母さんが少女をおぶい直すと、再びヴァーキーの鼻がクルクル回り始めました。
「そうか!夢の持ち主はデンシャで動いていたのか!きっとあの女の子に違いないぞ、このステキな夢の持ち主は!」
夢の香りは澄んだ空気と緑の香りでよりいっそう美味しそうに感じられました。
「よお~し!」
ヴァーキーはそう言うと、ヴァーキーはヒズメをぎゅっとすぼめるとまずは大きく息を吐き出しました。大きかったはずのお腹が小さくなるまで息を吐き切ったヴァーキーは、今度は鼻をかたむけると上空でも香り立つ少女の夢にめがけて思い切り息を吸い込みました。

ヴォォォー!!

さっきまで停まっていた群青色の電車が音を立てながらゆっくり動き始めます。電車が駅舎から離れた頃にはお腹がペコペコだったヴァーキーの口の中は少女の夢でいっぱいになっていました。
「うん!思った通りだ!!これはうまい!!」
モグモグとヴァーキーは口を動かしながらそうつぶやきます。
「こんなにうまい夢は今まで食べたことがないぞ!!」
ヴァーキーは目を閉じると舌を通じてイメージを浮かべました。
「甘くて、少し苦くて…でもそれがステキなスパイスになっていて…まるでこれはニンゲンがおいしそうに食べる上等なチョコレートのようだ!これはきっと…この子がお父さんと一緒にいる夢だな!」
少女の夢のかけらたちがヴァーキーの喉を転がり落ちていきます。そして、その夢の中身全部がヴァーキーの胃袋の中に入ったとき、少女をおぶっていたお母さんが急に立ち止まりました。
「あら優子、どうしたの?」
少女はお母さんの背中から飛び降り、空を見上げました。その瞳はとても大きくて、かなりまん丸で、すごくうるんでいました。その二つの瞳がヴァーキーの姿をとらえると、ヴァーキーは緊張し始め、夜空にまぎれようとしました。すると、
「あなたは誰?」
少女は必死に隠れようとするヴァーキーに対し、口をとがらせながらそう質問しました。そう尋ねられたヴァーキーは慌ててヒズメで口を抑えました。
「あなたは…もしかしてバク?」
「優子、あれは夜空と浮かんでいる雲の形よ」
お母さんはそう言いながら手のひらを少女の頭の上に乗せなでました。しかし少女はお母さんの手を振り払うとありったけの声で、
「あなたはバクね!」
そう叫びました。そう言われたヴァーキーはヒズメで口を抑えながらゆっくり首を縦に振りました。
「まぁ!何てことをするの!どうして何でわたしの大切な夢を食べてしまうの?」
「………」
ヴァーキーは少女のその問い掛けに何もこたえることができませんでした。
「きっと悪い夢でも見たのね」
お母さんは少女を抱え上げようとしました。
「悪い夢じゃないもん!返して!ねえ、今すぐわたしの大切な夢を返して!!」
その目から大粒の涙が一粒こぼれ落ちました。それを見たヴァーキーは少女に負けないくらい大きく目を開きパチクリとさせました。これまでヴァーキーは一度も夢を食べている姿を人間に見られたことがありませんでした。だから、涙を落とした少女に対してどう反応したら良いのか全く分かりませんでした。
「な…なんだよ!夢くらい!また見ればいいじゃないか!」
小声でヴァーキーはそう言い放ちました。そしてヒズメで空気を蹴り始めました。そんなヴァーキーの姿を見ていた少女は必死にこらえていた二粒目の涙をこぼし…
「うわーん!!」
大きな声をあげて泣き始めました。
「な…なんだよ…」
ヴァーキーは胸がギュッと締め付けられるのが分かりました。少女はお母さんに抱えられるとさらにたくさんの涙をこぼしました。そんな少女にヴァーキーは何も言えませんでした。
駅舎に新しい電車が入ってきました。ヴァーキーはその電車が照らすランプとは逆の方向へ一目散に飛んで行ってしまいました。

 それから何日かたちました。相変わらずヴァーキーは闇夜の空を飛び回って人間が見た夢を食べていました。しかし、どうもあの晩のことが気になって仕方がありません。まずい夢もさらにまずく感じられました。
この大きな街には空飛ぶバクのための集会所が三つ用意されていました。エリートバクたちはその中でも一番大きな集会所に立ち寄っては仲間内でこれまでおいしかった夢の話しをしたり、まずかった夢の話しをし合いました。 友達のバクが少ないヴァーキーはこの胸のモヤモヤを誰かに聞いてもらいたくて仕方がありませんでしたが、他のバクに相談しようにも相手がいません。そのため小さい集会所にいる親しいライオンにもとを訪ねました。
「あの日、女の子の夢を食べちゃって…悪かったかな…!?」
そう相談を持ちかけられたおりの中のライオンはあくびをしながらヴァーキーの質問にこたえました。
「食べたのは夢だけだろ!?オレなら女の子ごと丸呑みにしちゃうよ。なあ?」
ライオンは口を大きく開けながら、隣りのおりにいるトラに話しかけました。
「ああ!オレなら女の子を丸呑みにしたあと、お母さんも丸呑みにしちゃうよ!だからヴァーキーは優しい方だよ!」
トラはうなり声をあげつつ、そうこたえました。
「そうかな…」
ヴァーキーは二匹の“独特のはげまし”に対して頭を下げると、今度は通りすがりのクジャクに相談しました。
「なあ、君はどう思う?」
ヴァーキーがそう尋ねると、クジャクは飾り羽をユサユサと揺らし、首を何度も傾け、
「そう尋ねてくる君こそどう思っているだい?」
逆にそうヴァーキーに質問してきました。
「うーん…どうなんだろう…本心は……」
ヴァーキーがそう自分の気持ちを言いかけると、
「いいかい!常に本心にこそ質問の答えがあるのさ!そう、常に!」クジャクはそう言うと誇らしげに羽を広げました。
「…うーん…」
ヴァーキーは余計に頭を抱えてしまいました。しかしそのとき、
「クジャクくんの言っていることは一理あるよ」
そう言うフクロウの声が聞こえてきました。
「ツガルさんも同じことを言っていた」
フクロウはクルクルさせていた首を止めるとそう呟きました。その名前が辺りに響きわたると、クジャクは広げたばかりの羽をササッとたたみ、うなり声をあげていたはずのライオンとトラも静まり返りました。
「あの長老ラクダもそう言ってたのか?」
遠くから大声でチンパンジーがそう尋ねてきました。
「ああ。確かに言っていた」
トラが懐かしそうにしながらそう返しました。
「なあ、ヴァーキーよ。自分の胸に手を当ててみなさい。ここの連中は迷ったとき、悩んだとき、怒ったとき、いつもそうしてるんだ」
ライオンがヴァーキーにそう伝えました。そう言われたヴァーキーは珍しく素直にヒズメを胸に押し当て、目をつぶりました。そうするとだんだん辺りは静かになり出しました。クジャクもフクロウもチンパンジーも他の動物たちの声も、車の音すらも聞こえてこなくなりました。すると、そんな静けさの中、心の中にヴァーキーも何度か聞いたことのある長老ラクダが声が聞こえてきました。
「もし、少しでも悪いことをしたと思うのなら申し訳なかったという気持ちを伝えないさい。自分の心に正直になるのが一番だよ」
ヴァーキーはゆっくり目を開けました。
「聞こえたかい?」
ライオンがそう聞いてきました。
「ああ、聞こえたよ。そうだよな…やっぱり…気持ちは伝えないと。みんなありがとう」
ヴァーキーはそう言うと、胸に押し当てていたヒズメを宙に向けました。 そして、夜風が向かうのと同じ方向に飛び立ちました。

「気持ちを伝えよう」そう思ったヴァーキーは、一生懸命ヒズメで”ニンゲン”の文字を書こうとしました。いつもならぐうぐう寝ているはずの昼間でも何度も、
”ごめんなさい”
という文字を書くための練習をしました。そして、この冬の時期では珍しいマロニエの葉を用意すると、精一杯ヒズメと土で、
”ごめんなさい”
を書きました。これを少女の足元に、空から自然と落ちるようにするにはどうしたら良いのか色んな計画を練りました。そして、あの少女を探すためにあちこちを飛び回りました。
「確か…あのデンシャだったよな…」
季節は春になっていました。春ではいつも頭の中で描いている地図がありません。それでもヴァーキーは少女を見つけ出しました。その少女は朝早くお母さんと電車に乗り、夜になるまで帰ってきませんでした。
「ねえ、お母さん」
少女は良くお母さんに同じことを尋ねていました。
「今日はお父さんに会えるかな?」
ヴァーキーは少女の口からその質問が出るたびに、自分がしたことを悔やみました。
「…どうかな。今日も遅くなるって言ってたから…」
お母さんはため息をまじえながらいつもの通り少女の質問にこたえました。それを聞いた少女はもっとヴァーキーの胸を痛める質問をしました。
「それじゃ、お父さん、夢に出てきてくれるかな?」
「どうだろうね。出てきてくれるといいね」
お母さんは少女はをたしなめるようにそうこたえました。
「きっと本当に大切な夢を食べてしまったんだな…」
ヴァーキーはそう感じると一段と心が重くなりました。
「たぶん、こんな葉っぱが空から降ってきたくらいじゃ、なぐさめにもならないんだろうな」
こうしていつもマロニエの葉を準備しているヴァーキーは、何も出来ずにまた遠くの空へと飛んで行ってしまいました。

こんな日々が何日も何日も過ぎていく内に、いつの間にかヴァーキーの鼻先もしっぽもすっかりうなだれてしまいました。
「ウップ…」
そして、恐れと不安まみれの人の夢を食べていたせいで胃がシクシク痛み、大きかったお腹も少しずつ小さくなってきました。でもヴァーキーの胃が痛むのは、人の悪夢せいだけではありません。あの少女に伝えるはずの“ごめんなさい”が喉元に詰まっていたせいもありました。
「何とかしないとな」
シクシクする胃をさすりながら、ヴァーキーはこんなことも考え始めていました。

“ごめんなさいを伝えるだけではなく何かしてあげられないだろうか?”

いつも口が悪く身勝手なヴァーキーはそうまでしないとこの胃の痛みはどこかに飛んで行ってくれないと感じていましたし、涙をためた少女の瞳を思い返すたびに、あの少女のためだったらもっと何かをしてあげようと考えるようになっていました。

「夢を食べるバクは、人から何かを奪うだけの存在なのだろうか。もしかして夢を与えられることができるんじゃないだろうか」

 いつしかヴァーキーは真剣にそう考えるようになりました。そして、どんな小さなヒントでもつかみたいヴァーキーはふだんはあまり口をきかない顔見知りのバクたちにも話しを聞きに回りました。
「おい、一つ聞いてもいいか?オレらは人の夢を食べることができても、人に夢を見させてあげることはできないのか?」
ヴァーキーがそう話しかけます。
「誰かと思ったらヴァーキーか。突然話しかけてきたと思ったら急に何を言ってるんだ!?ニンゲンに夢を与えるなんて…なんてバカげたことを」
「おかしなことを言っているのはわかっている。でも…できないものなのかな?」
「君のように仲間から外れ、ひとりで行動することが多いと…ずいぶんユニークな発想が生まれるもんなんだな。ニンゲンに手紙を送ろうとしているみたいだし」
顔見知りのバクたちはヴァーキーに冷たく当たりました。そんな冷ややかな反応を受けてもヴァーキーは諦めませんでした。

 仲間のバクたちに相手にしてもらえなかったヴァーキーは再び、ライオンとトラに相談しに行きました。
「オレらバクは夢を食べてしまうだけではなく、夢を与えてあげることもできるんじゃないかと思うんだ!」
おりの中のライオンとトラは目を丸くしました。
「それはさすがにできないんじゃないか?バクが夢を与えるだなんて、そんな話聞いたことないぞ!」
そうライオンが言いました。
「まるで夢みたいなことを言ってやがる!夢を食べ過ぎちゃったんじゃないか?」
トラもそう言うと眉間にしわを寄せながらヴァーキーを見つめました。
そのときです。飾り羽を揺らしながらクジャクがやってきました。
「なあ、ヴァーキー。君はどう思っているんだい?」
クジャクは以前と同じようにそう尋ねてきました。
「オレは…オレは、何だかできそうな気がするんだ」
「そうか!ヴァーキー、前から言っているじゃないか。質問の答えというものはいつもすでに自分で持っているものなのさ!」
クジャクは羽を誇らしげに広げながら言いました。すると、
「その通り。クジャク君の言っていることは一理あるよ」
フクロウがそう言ってヴァーキーのことを励まし、
「だって、ツガルさんが同じことを言っていたから」
そう付け加えました。それを聞いていたライオンもトラも深くうなずきました。
「君ができると思ったのなら、必ずできる。周りの意見に惑わされず、自分に正直になるのが一番だよ、ヴァーキー!」
チンパンジーも声をあげました。集会所の他の動物たちもヴァーキーの名前を呼び始め、そして、
「君ならできる!」
そんな声が重なり始めました。
「そうかな…きっとそうだね!」
「ヴァーキー、君なら”きっと”なんかじゃない。絶対さ!」
クジャクが羽をばたつかせました。
「そうだね!ありがとう!」
集会所のみんながより一層ヴァーキーを励まし出しました。その声を背にヴァーキーのヒズメはこれまでで一番空気をつかみました。そして、ヴァーキーは空のてっぺんめがけて飛んでいきました。

 その日からヴァーキーは寝る間を惜しんでひとり特訓にはげみました。

 そして、再び冬がやって来ました。空の低い位置には美しい満月が見えました。ユッサユッサと揺らしていたはずのあの体はだいぶ細くなり白と黒の模様のおかげでよりしまって見えました。
「あの女の子はどこにいる?」
久し振りに上空から眺める街は少し変わっているように見えました。それでもヴァーキーには自分の地図が頭の中にありました。夜空を見上げ、街並みを眺め、前足をバタつかせながらヴァーキーは、
「今日もきっとあの時間になったらプロキオンに来るはず」
そうつぶやき、鼻をクルクル回してヒズメをギュッとすぼませました。駅舎には今日も多くの人が降りています。ヴァーキーは細くなった身を夜空に隠し少女を待ちました。その鼻は幾つもの人の夢を嗅ぎ分けました。
「きっとじゃない、絶対来るはず!」
ヴァーキーは鼻をならしながらそう言いました。すると、プロキオンに入ってくる群青色の電車が見えてきました。
「ここにいるはずだ!」
ヴァーキーはすぼめていたヒズメを大きく広げました。
プロキオンに入ってきた、電車からは多くの人が降りてきます。その中から見覚えのある二人の姿が見えてきました。
「お母さん、まだ眠いよ」
そう小さな声が駅舎に響くと、大きな手は小さな手を放しました。
「お母さんだって仕事で疲れてるんだからね」
お母さんがそう言いながらかがむと、すぐに少女の小さな手がお母さんの肩をつかみました。そして少女はお母さんの背中に頬を押し当てゆっくりと目を閉じました。それを見たヴァーキーは、
「よぉし!」
そう、一声上げました。
電車が動き始めます。その音にまじって、

ヴォォォォー!

辺りに吹く風と同じような音が街に響きました。こんなとき、いつもなら大きく息を吐くところですが、ヴァーキーはウトウトしている少女に向けて鼻をかざし、あたりの空気を一気に吸い込みました。しかし、

ウップ……。

それはグルメなヴァーキーにはすぐにわかりました。吸い上げた少女の夢が大人顔負けの悪夢だったということを。しかし、ここで音を上げている訳にはいきません。ヴァーキーは一つ大きく深呼吸をして気持ちを切り替えました。
「ずっと心残りだったんだ!さあ、借りを返すときがきた!」
そう心の中で言うと、ヴァーキーは鼻と体を時計まわりに三回まわし、不思議な呪文をつぶやきました。
「イーイーイーイー♪アーーアーアー♪」
これはヴァーキーが何度も失敗を繰り返して見つけた術でした。ヴァーキーは呪文をつぶやき終えると、

ヴォォォォォォー!

今度は鼻から目一杯息を吐き出しました。
「この間はごめんね。今のオレにできることは……これくらいだ」
ヴァーキーは細くなった体を引きつらせながら心の中でそう言いました。
「今のオレの実力ではオレの体の色と同じような白と黒の夢しか見させてあげられないんだ…」
ヴァーキーは息を吐き出しながら自分の無力さを感じました。マロニエに書いた手紙も渡せず、味気のない白黒の夢しか見させてあげられない。ヴァーキーは少し感傷的になりつつも、弱い自分をごまかすためによりさらに力強く息を吐き出しました。
「…あれ…」
急に少女をおぶっていたお母さんがそう声をあげ、空を見上げました。すると、ピッタリとお母さんの背中に頬を付けていた少女が指で目をこすりながら目を覚ましました。
「どうしたの?お母さん?」
「何だろう…こういうの白昼夢っていうのかな?急に優子とお母さんが一緒にいる光景が見えてきた」
「本当に?わたしも今同じのを見てたよ。公園を二人で歩いてるの」「そう、公園を歩いてる。よく晴れた日でカバンにはわたしの作ったサンドイッチ」
少女がお母さんの背中から降りると、
「わたしの大好きなツナのサンドイッチ!」
そう大きな声で言いました。そして、
「きっとあの日のバクが来たんだ!」
少女はそう言って、とても大きくて、すごくまん丸で、少し…寝ぼけた瞳で夜空を見渡し始めました。その光景を見ていたヴァーキーは恥ずかしくなり、急に顔が赤色に染まりました。
「あれ!?」
再び目をつぶった少女の顔がさらに笑顔になりました。
「夢に色がついたよ!この花、赤くてすごくキレイ!」
「本当だ、すごくきれい!」
お母さんもそう言って、少女の手を握りました。顔を赤く染めたままのヴァーキーはその声を聞いて驚きました。
「あれ!?赤いボール!!…あ…!」
少女がそう言うと手を伸ばしました。しかし、そこには誰もいません。でも少女は誰もいなくても手をたぐりよせました。
「…お父さんだ!!」
少女がそう叫びました。そのときヴァーキーは気が付きました。
「“そうか…!オレの顔が赤く染まったからだ!”」
息を整える事も忘れたヴァーキーはさらに息を吐き出しながら思いました。

“彼女が見つめてくれて恥ずかしくなったおかげで夢に色がつけられたんだ!よし!”

そう考えたヴァーキーはありったけの力で鼻から「夢」を吐き出しました。それはとても激しく苦しい仕事でした。ですからヴァーキーの顔は白くなり、青くなり、紫になり、色んな色に変わりました。でも、顔色を変えて「夢」を吐き出し続ける中、少女とそのお母さんは嬉しそうな表情を浮かべてくれました。それを見たヴァーキーの顔色は本当は苦しいはずなのに再び赤く染まりました。
「お父さん!今日は一緒にいられるんだね!ずっと会えなかったけどわたしがんばってたよ!お父さんあったかい!お父さん大好き!」
少女の目から、きっと夢の中のお父さんと同じくらいあたたかい涙がこぼれました。
お母さんの目にもうっすらと涙が浮かんでいるのが分かりました。

プロキオンの中で大人と子供が二人、握り合っていた手を離すと抱き合いました。

少女の目からから何粒も何粒も涙がこぼれていくのを見て、ヴァーキーは息を吐くのを止めました。そして、ハァハァする息をおさえながら、こうつぶやきました。

「きっと、その“夢”はいつかきっとかなえられる。いや、きっとじゃない。絶対だ」

 この話しは夢を食べるエリートのバクたちの間にまたたくまに広がりました。悪夢ばかりを食べていたバクたちは、ヴァーキーに習った“夢を与える”方法をまねました
「イーイーイーイー♪アーーアーアー♪」
するとどうしたことでしょう!いつの間にかその街の人間たちは良い夢を見るくせがつき、常に何かに恐れ怯えて寝付けなかった人たちも寝ることが大好きになりました。バクたちも食べる夢のどれもがおいしいものばかりになり、気付けば街のみんなに笑顔が戻りました。
 そして、バクたちの間である噂が広がりました。
「どうやら、優子という名の少女が見るだけだったはずの夢を叶えたらしいぞ」

また冬になりました。
「デネブを越えて、ペガサス座を越えてペテルギウスを抜けたら …」
今夜もヴァーキーが冬の空を飛び回ります。
「スバル、アルデバラン、ベテルギウスのその先にはプロキオンだ」
ヴァーキーは澄んだ空気のプロキオンの上空で一息つくと、ヴァーキー印のついたマロニエの手紙と共に広い夜空に向かって再び飛び立ちました。

 おいしそうな夢の香りを探すために。悪い夢を見る人間には良い夢をあげるために。

 そして、夢は叶えるためにあると教えるために。

著者

75°