「バックホームトレイン」多摩佐武郎

 入院手続きが終り、妻が帰ってひとりになった。窓辺の椅子に腰かけて外を見た。朱色に染まった西の空をバックに灯りを点滅させながらヨコハマネイビーブルーの九千系電車がトンネルを縫っていく。下り電車は満員ではないが多くの仕事終わりの帰宅の途につく乗客を乗せている。小高い丘の上にある病院の個室から眺める光景は明日の手術をひと時忘れさせてくれた。医療保険が下りたので個室にしたが、ちょっとしたホテル並みだ。首筋にできた脂肪腫除去手術は二泊三日で退院出来るので、そんなに難しい手術ではないと執刀医からは聞かされている。心配はしていない。切るのは脂肪だが、束の間の贅沢な骨休めだ。
 
 田所慎也が高血圧と高脂血症の薬を定期的に処方してもらっているかかりつけ医に首筋のしこりを診てもらったのはお盆過ぎの事だった。
「リンパ腺が腫れているのでしょうか?首筋から背中にかけてここ一週間痛みがあります」
「田所さん、これはたぶん脂肪腫ですね。リンパ腺が腫れているのではありません。しこりを触って、それ自体に痛みがないのなら首筋の痛みとは関係がありません。しこりの方が気になるので総合病院の形成外科を紹介しますので、検査をしてもらってください」
しこりは年月をかけておおきくなったもので今まで自分が気付かなかっただけのようだ。形成外科でのエムアールアイ検査で脂肪腫が確認され、摘出手術を受けることになった。

 上司である経理担当取締役に呼び出されたのは五十五歳になる数か月前だった。会社は数年前に外資に吸収合併されてから定年まで勤めあげることが難しくなっていた。五十歳を過ぎて役員になれないものは五十五歳で決断を迫られる。系列の子会社がないので、出向や転籍はなく割増退職金がもらえるリストラプログラムに応じるか、役職を解かれ部下なしの参事になり給料半分未満で六十歳まで残るかだ。それ以降残るのは更に難しい。
「それでどうする?」取締役が聞いてきた。
「会社に残ります。前から決めていました」面談は雑談を含めても三十分足らずで終わった。あっけないものだ。
 
 毎日、朝九時から夜遅くまでの長時間労働はこの歳ではこたえる。解放されるには辞めるのが手っ取り早いが、特にやりたいことも見つけていない。ノウハウ本では仕事以外の趣味を定年後に始めるのでは遅い。五十歳までに見つけておけと言う。至言かも知れない。長時間労働もそうだが、通勤も決して楽しいものではない。幸い役職定年になれば部下もいないので、業務遂行責任もあるようでないに等しい。就業時間はかなり裁量がきく。先輩方を見ても早朝型か、ゆっくり型で通勤ピーク時を避けてマイペースでやっている。
 
 会社が横浜に本社を移転したのは田所が三十代前半の事で、これを契機に一戸建てを相鉄いずみ野線沿線に購入した。春には和泉川沿いの桜並木が艶やかに咲き誇り、四季折々に梅、つつじ、銀杏、楓が街を彩る。子供達がまだ小さくて自転車に乗り始めた頃、弁当持参でよくサイクリング行ったものだ。相模平野の一角を占める自然豊かなこの地が気に入っている。通勤時間もいずみ中央駅利用ドアツウドアで一時間以内だし、子育てに必要な教育環境も沿線に整っていた。また比較的リーズナブルな価格設定で無理のないローンが組めた。通勤を始めてみると以前に利用していた路線に比べ混雑率は低いと感じた。都会のサラリーマンは給料の中に我慢代としての「痛勤手当」が含まれている言われているが、相鉄のそれは田所の中では痛勤ではなく、まさしく文字通りの通勤だ。
 
 参事になったのを期に、さっそく時差通勤を始めた。朝早く出て、帰りも早くなった。おかげで夏なら黄昏前、いや日のある内に会社から解放される。そんな或る日、同期入社の北川と横浜駅前の馴染みの居酒屋で飲むことにした。
「北川。俺たち、こんな時間から飲めるなんて幸せだな」
「ああ。役員にはなれなかったが、負け惜しみではなく、給料を返上して時間を買ったと思えば正解さ。悪くはない。それにお前のところは息子さん二人が大学を卒業して働いているから楽隠居だろう」
北川が口髭をビールの泡で白くしながら言う。
「まあな。ローンも繰り上げ返済で完済したし、後は老後に備えて溜め込むだけだ。お前こそ親から相続した大和の家があるから、後は大学生の娘さんが卒業したら、楽勝だよな」
砂肝のコリコリ感を噛締めながら応じた。
「早く帰宅出来るようになって気づいたんだが、通勤電車の車内の年齢層が前と違うな」
「どういう意味だ?」と北川。
「早い時間の帰宅だと同年輩の勤め人が多いと思う。第一線を退いた六十歳前後から上の世代が半分以上だと思う。俺たちも晴れて仲間入りさ」
「何だか寂しいこと言うなよ」
「違うんだ。一生懸命働いてきて、家を買い、家族を養って、子供を一人前に育て上げた誇りを内に秘めた安心感のある表情の人が多いよ。ひと仕事をやり遂げた人達だ。立派なものさ」
「お前がそうだから、そう見えるのさ。そんな人達ばかりとは限らないぞ」
「それと、俺は通勤電車を今までは仕事場に連れて行ってくれる手段としか見ていなかった。でも今はマイホームに送り届けてくれるやすらぎの乗り物と捉えている」
「行きと帰り利用しているから、現役バリバリの時も今も行き帰りの電車は同じだよな。アウトバウンドとインバウンドの繰り返しだ。電車は同じでも乗る人の立場や利用時間帯が変われば見方も変わると言いたいのかな。何を日常の中心に置くか、それによって感じ方も変わると。全面的に同意はしないが、言いたいことはわかるよ。そろそろお前の言う安らぎの乗り物で帰るか」

 「秋の日は釣瓶落とし」とよく言ったもので、外はすっかり漆黒の闇に包まれ、夜の帳が下りた。また一編成下り電車が大勢の人を乗せて過ぎ去っていく。
 相鉄に乗って、いやお世話になって二十年以上経つが様々な出来事が思い出される。大事なプレゼンを控えて緊張のあまり、腹痛に見舞われ途中下車したこと。息子の中学受験に付き添い電車を間違えそうになり駅員さんに助けられたこと。酔いつぶれて何往復した後に湘南台駅で車掌さんに起こされたこと。車内に携帯ラジオを忘れ二俣川駅で受け取り、ちゃんと戻ってきて改めて世の中捨てたものではないと実感したこと。
 病室に静謐な時間が流れる。病室の灯りを消す。窓が銀幕になり、行き交う電車がエヌゲージのミニチュアサイズになる。今日も一日頑張った人、疲れ果てた人、楽しいことがあった人、辛いことがあった人、それぞれの日常を乗せて電車が家路に導く。相鉄電車と共に二十数年を過ごした自分がそこに居た。

著者

多摩佐武郎