「プレイボール」堀遼平

 波のように襲ってくる吐き気と止まらない脂汗。満員電車の熱気の中、一人幽霊のように青白い顔をしている飯田の姿を見て、周囲のサラリーマンは皆揃って無理くりスペースを作り出し距離を保つ。乗り換えをする横浜駅まではあと二駅という所まで来ていたが、白い目線と絶え間なくこみ上げてくる吐き気に耐え兼ね、星川駅で途中下車してしまった。
 どうして俺はこんな事をしているのだろうか。便器に沈む自分の吐瀉物をぼんやりと見つめながら考える。まだ十九歳。中学や高校の同級生は大学で人生の春を謳歌しているそれなのに俺はボロ工場でこき使われている。
「ちくしょう……」
 胃液の味がする口でそう呟いて、飯田はあの夏の自分を恨めしく想う。あの時さっさと負けていればと考えずにはいられなかった。
 
 二年前、十七歳の夏。俺はちょっとした地元のスターだった。万年初戦敗退を繰り返していた我が校の野球部は、全国屈指の激戦区と言われている神奈川県大会で異常事態ともいえる勢いで強豪校を破っていった。その中心に居たのは、自分で言うのもなんだが、どう謙遜しても背番号1を背負ったエースの飯田大輔であったということは疑いようがないだろう。決して速い球を投げられるわけではないが、指先が器用で変化球のコントロールには自信があった。緩急とコーナーを使い分ける変幻自在のピッチングが、面白いように強豪校のバッター達を手玉に取り、三振の山を築いた。この弱小チームで勝ち抜くには、それが唯一の方法であった。味方の貧打により、延長戦まで縺れる試合もあったものの、ロースコアゲームをモノにして勝ち上がっていった。
 この珍事とも言える快進撃に校内はおろか、地元商店街も巻き込んで街はおおいに沸き返った。五回戦は甲子園出場経験のあるシード校と当たるという事で、全校生徒及び近隣住民からなる大応援団が球場に駆けつけた。
 あの日、大声援を全身に受けながらマウンドに立つと、得も言われぬ高揚感がこみ上げてきた。そしてそれが大きな力となり、俺は一世一代のピッチングを見せ、そしてそれが人生を狂わせた。
 
 ようやく吐き気も落ち着いたところで時間を確認すると、とっくに始業時間を回っていた。慌てて上司に電話をかけたがもう作業に入っているのだろうか出なかった。仕方がないので留守電に体調不良により休む旨の伝言を残した。仕事を休んだことで少しばかりの解放感を得た俺は、星川駅からぶらぶらと散歩でもして気分転換を図ることにした。梅雨入りしてからぐずついた天気が続いていたが、今日は久しぶりに青空が広がっていた。朝は憂鬱で気付けなかったようだ。
 南口から何気なく進んで行くと、こんもりと緑が茂っている公園に差し掛かる。ああ、そう言えば星川駅は保土谷球場の最寄りだったな。
 再びあの夏に想いを馳せる。自分の人生を狂わせたあの試合の舞台こそ、ここ保土谷球場であったのだ。ここから自分の人生は大きく狂ってしまった。
「ノーヒットノーランなんてするんじゃなかった」
 ふと、溢れたその言葉は今となっては紛れもない本心であった。
 達成翌日の地域紙のスポーツ面にはでかでかとマウンド上で躍動する自分の姿が載せられ、更に全国紙の紙面にも小さくコラムで取り上げられていた。
 結局、快進撃はここまでで次の六回戦ではその夏の優勝校に3対0で敗れたものの、自分としてはやれることはやり切った達成感があったし、ちょっとしたスターとして地元では時の人となり、生まれて初めて女の子にもてはやされたりもして正直なところ満更でもなかった。
 
 夏が終わり秋になると周りは一気に受験モードに切り替わり、俺の野球人生もこれで幕を下ろすと考えていた。その矢先、思いもかけない話が舞い込んできた。
 ある日、顧問から放課後に校長室へ来るようにと呼び出された俺は全く身に覚えがないながらも、何かまずい事をしたのではないかと恐る恐るドアをノックした。中に入るよう促されたので開けてみると顧問の先生、校長と並んで見知らぬ好々爺然とした男が座っていた。
「君が飯田君だね」
 男は立ち上がりながらそう言うと、品定めするような目で俺の全身をくまなく観察した。
「うん、しなやかで良い身体をしている」
 まったく話が見えて来ず、「あの、どちら様でしょうか」と聞くと、男は名刺を差し出した。そこにはあまり高校野球以外には明るくない自分でも聞いたことのある社会人野球の名門の監督と記されていた。
「うちで野球を続けてみないか」
 ノーヒットノーランを達成した試合で対戦相手の野手を視察に来ていた折に、偶然俺の事を見つけて一目ぼれしたという。有馬という男のその誘いは、高校野球で燃え尽きた心に再び火を点けた。
 しかし、両親の反応は思わしくなかった。
やはり親心としては大学に進学して堅実な人生を送ってほしかったのだろう。
「野球を続けたいのなら、大学で野球部に入ればいいじゃないか」と両親は口を揃えて言った。実際、その道も残されていた。しかし、主要な大学野球リーグの一部に属するようなところは、甲子園出場者を中心に全国から高校生をスカウトしており、一般入部を受け入れているところはほとんどない。しかし、自分のもとにはこの秋になっても有名大学からのオファーは一つもなかった。一部リーグにこだわらなければ、いくつか入部セレクションを受けることもできたが、よりハイレベルなチームが俺を必要としてくれている事が何より嬉しかったし、その期待にこたえたいと思った。
 話し合いは全くの平行線を辿り、親との関係は日に日に険悪になっていった。そして行き着いた結論は「援助はしないから勝手にしろ」ということだった。
 
 かくして有馬監督に入部の意向を伝え、放課後は毎日練習に参加させてもらえる運びとなった。期待に胸を膨らませてグラウンドへ足を踏み入れたが、初日で早速心を折られることとなる。
 社会人野球というのはノンプロと呼ばれるほどなので、アマチュア野球の頂点と言われるほどレベルが高く、プロ野球チームからのドラフト指名が確実視されている選手がひしめいている。ましてやここは名門という事もある。解ってはいたはずだが、あまりのレベルの違いに圧倒された。球速はもとより勝負にならないが、自信を持っていたコントロールや変化球のキレも自分の数段上を行っていた。何より恐ろしいのは、そんな投手が何人も所属しており、そのうちの何人かは大会の登録メンバーにも入れないという事実であった。
 とんでもないところに来てしまったと怯みはしたものの、親に啖呵を切ってこの道へと進む決断をしたのは紛れもなく自分であったので、先輩達の背中を目指しがむしゃらにトレーニングに励んだ。高校を卒業して、正式に入社をすると社宅に引越し、午前に簡単な仕事をこなして午後は野球にのみ集中できるという環境なので、四六時中ウエイトトレーニングや投げ込みに勤しんだ。トレーナーや有馬監督からは無理をしすぎるなと釘を刺されたが、ちょっとやそっとの努力ではこのチームでエースになることはできないと思い、目を盗んでは練習をした。そして高校を卒業してから一年が経とうかという春、当然のごとく怪我をした。
 右肩関節唇損傷。プロ野球の投手に多くある選手生命に関わる怪我で、原因は投げ過ぎによるものと診断された。完全に自己責任であった。
「指示を守れない奴は要らない」
 そう告げる有馬監督の目はあの校長室で初めて会った好々爺然とした姿とは真逆の冷たさを孕んでいた。そして突き放すように言った。
「この怪我は、手術をして投げられるようになっても以前のレベルまで戻る例はほとんどない。正直に言うと、お前はもう投手として大成する見込みはないんだ」
 事実上の戦力外通告であった。

 それから、打ちひしがれる間もなく決断を強いられた。親に頭を下げて実家に戻るか、野球部は退部するもののこのままこの会社で働いて社宅に置いてもらうかの二択だった。貯金は少々あったが、社宅を出てアパートを借りるには未成年だと親の承諾が居るため難しい。更に、野球しかやってこなかった高卒の十九歳という自分のスペックを鑑みたら、すぐに仕事が見つかるとは到底思えなかった。結局、実家には戻らずに、春からこの会社の関連工場で働くこととなった。
 今はそこから三か月と半分が経とうとしているが、上司によるパワハラとも言える理不尽な叱責や過酷な作業にどうしても慣れることができなかった。朝起きると、まず身体が怠く、食欲もない。なんとか鞭打って電車に乗ると、あまりの憂鬱さに満員電車の中でいつも吐き気を覚える。この間、心療内科で見てもらったところ、鬱の初期症状が出ていると診断された。
「ここから俺の人生が狂ったんだよなあ」
 球場の周りを歩きながら独りごちる。強豪相手にノーヒットノーランなんて目立ち方をしなければ、きっと有馬監督も俺のことを見付けず、このような事態に陥ることもなかっただろう。直接的な原因は勝手にオーバーワークを行ったせいなのだが、やはり分岐点はあの夏のノーヒットノーランだろう。そう考えるとあの頃の自分を呪わずにはいられなかった。
 梅雨が明けると、いよいよ今年も夏の県大会が始まる。高校野球は筋書きのないドラマだなんて誰かが言ったが、どうか今年は誰かの物語がバッドエンドを迎えることがないようにと願った。
 
 穏やかな天気の下、球場をぐるりと一周散歩して満足できたのでそろそろ帰ることにする。ここからだと和田町駅の方が近いのでそちらへ足を向けた。
 腹が減ったので駅前の定食屋に寄ることにした。安くてボリュームのあるランチセットに舌鼓を打っていると、同世代くらいの男女グループが隣に座った。そうか、ここは学生街だったなと思い、彼らの方を見つめる。進路を決める当時は野球のことしか頭に無かったが、自分もこのようにキャンパスライフを過ごす可能性があったという事実を思うと彼らを羨ましく、そしてそれ以上に恨めしく思う。
 見ていても辛いだけだと、定食の残りを掻き込みさっさと店を出ることに決めた。その時、ふと彼らの会話が鮮明に耳に入って来た。
「浪人して友達出来るかなって思っていたけど、意外といっぱいいて助かるなあ」
「あー、こいつなんて二浪だしな」
「うるせえ。お前なんか一浪に加えて留年が濃厚だろ」
 やいのやいのと皮肉を言い合う彼らを見て、ふと自分の中で何かが弾けた。
「その手があったか!」
 いきなり大声を上げたせいで白い目線を一身に浴びたが、そんなものはお構いなしだ。急いで会計を済ませて店を出る。そしてスマートフォンを取り出し上司の番号に発信する。
「もしもし、おい飯田か! 今どこにいる」
「あ、俺辞めるんで。サヨウナラ!」と吐き捨ててすぐに着信拒否登録を済ませる。そして別のところに電話を掛ける。
「もしもし、お袋。俺、大学に行くよ。勿論自分で貯めた金で」
 
 さっき俺の物語はバッドエンドだと言ったが撤回する。浪人? 留年? そうか、大学は何歳でも入れるのか。なんで気付かなかったのだろう。人生という筋書きのないドラマはまだ始まったばかりじゃないか。
 
 飯田大輔、十九歳。ここがプレイボール。

                   了

著者

堀遼平