「ミートソース」匿名希望

 駅構内のコンビニの前に、大きな立て看板が立てられたのはいつからだろう。
 視界に入ってはいたのだが、足を止めてじっくり見るには、毎日が忙しすぎた。
 今日は仕事で大きなミスをやらかしてしまい、お客様に平謝りだった。この歳になってこっぴどく叱られるのは結構きつい。重い脚をひきずるようにして、乗客の中で一番最後に階段を上がってきた私は、ひっそりした改札口を出る前に、なんとなくその看板を見てみようという気になった。
 それは一九六〇年代の三ツ境駅。今とは似ても似つかぬ古い駅舎だった。
 私はこの景色を知っている。当時は上りと下りの改札が別々だった。そういえば上りの改札の軒下には、ツバメの巣があって、春には雛が誕生していた。売店の前に赤電話があって、雨が降るとここから電話して傘を持ってきてもらった。駅に関する子供の頃の記憶が、急速にフラッシュバックする。
 と同時に当時の他の記憶も蘇る。思い出というのは時に切ない。胸がチクチク痛み出した。なんだか息がしづらい。吸えるけど、吐けない。あれ、周りの音が聞こえなくなってきた。海の中にいるみたいだ。立っているのがつらい。目の前の白黒の景色と同化して、その奥のコンビニまで白黒に変わっていく。まずい、まずい、まずい。
 ゆっくりと息を吐いて、また吸う。呼吸を整えて顔を上げると、私は写真の中の古い駅舎の前に立っていた。さっき見ていた写真ではなく、これはリアルだ。その証拠に周りの色は戻っていた。
 駅に近づくと十歳前後の女の子が、電車で到着するおばあちゃんを待っている。それが私で、相手がおばあちゃんだとわかるのに時間がかからなかったのは、オレンジのワンピースが当時の私の一番のお気に入りだったからだ。
 その夏、母がひと月入院した。まだ小さい私のために、川崎に住む祖母が暫く面倒を見てくれることになった。私は言葉が少しきつい祖母と一ヶ月も暮らすことに、少々不安を感じていた。けれど十歳の子供に選択肢などない。子供心に「最初が肝心」と笑顔の練習をした。
 私の家は高台にあり、駅から二十分歩く。祖母は「三ツ境は坂が多いな」と早速文句を言ってきた。けれど自宅近くの坂の上から夕焼けに染まる富士山を見て「へえ、三ツ境はこんなに綺麗に富士山が見えるんか」と嬉しそうに言った。「川崎では見えんよ。これは贅沢だ。ゆきちゃん、これから頑張ろうな」
 ぎこちなく始まった祖母との生活だったが、徐々に慣れて私は色々手伝うようになった。足が悪かった祖母のかわりに、買い物に行くのが主な仕事だった。ほぼ毎日、放課後になると駅前の相鉄ストアというスーパーに祖母の書いたメモを持って出かけた。帰りに三十円のアイスキャンデーを買うことを許され、食べながら帰った。当たり前だが祖母の料理は田舎風で、私は母の作るスパゲッティとかグラタンとか食べたいなと思いつつ、それを口に出すことはなかった。
 祖母は孫を猫可愛がりするでもなく、淡々と世話をしてくれた。母は少し過保護気味だったので、その扱いの違いに戸惑った。例えば母は朝の天気予報を見て、傘を持たせてくれる人だったが、祖母はそれをしない。だから私は学校から何度か濡れて帰ることになった。玄関で髪を拭いている時「なんで傘、持って行かんかったの?」と言われ、母だったら校門まで迎えに来てくれたかもしれないのに、と心の中でつぶやいた。
 子供心にストレスが溜まっていたのだろう。ある夜、私は祖母に言った。「ミートソーススパゲッティが食べたい、おばあちゃん、作って」
 「おばあちゃんはそういうの作れないんだよ、ごめんね。あと少しでママが退院するから、そしたら作ってもらい」
 「いやだ、食べたい。どうしても食べたい」
 自分でも我儘だと分かっていたが、止められなかった。泣きながら同じ言葉を繰り返す私に、祖母が困った顔をした。
 祖母はもう一人の娘、つまり母の妹に電話した。何やら沢山メモを取っていた。その日の夕飯はミートソーススパゲッティだった。
 嬉しさと申し訳なさが混ざった複雑な味がしたその赤い麺は、大皿にこんもりと盛られて、まるで夕焼けに照らされた富士山のように見えた。
 それから一週間が過ぎ、母が退院した。私は思う存分甘えられる存在の帰還が嬉しくて、明らかにはしゃいでいた。まだ本調子でない母のためにそれから三日間滞在してくれた祖母が、とうとう川崎に帰る日となった。
 放課後、駅まで私一人で見送ることになった。家を出てすぐに祖母はボストンバッグを私に持たせ、富士山に両手を合わせた。そのあとは「自分のことは自分でしなさいよ。ママのお手伝いしなさいよ。我儘言っちゃダメだよ」と駅に着くまでずっと、今後の私の生活態度についての指示をして、私はほとんど相槌を打つだけだった。
 別れる寂びしさはなかった。正直、ようやく前の生活に戻れるという嬉しさが勝っていた。
 駅に着いて、切符を買う。販売機から出てきたおつりが三十円だったので、「ストアでアイス買って帰んな」とにやりと笑って私に渡してくれた。
 改札に入る直前、おばあちゃんは私の方へ向き直って、ボストンバッグを下に置いた。「ゆきちゃんはよく頑張った。いい子だったね」と私の頭を皺くちゃの手で撫でた。そんなことしてもらったのが初めてだったので動揺してしまった。急に胸がチクチクし出して言葉が出ない。お礼を言わなくちゃ、三十円のお礼を。この一か月のお礼を。今の今まで言えてなかったのだ。
 でも、声が出ない。
 改札に入る祖母の丸い背中を見たら、突然涙が溢れた。
 「おばあちゃん、ミートソース、美味しかった。すごく美味しかったよ。ありがとう」そう叫ぶのがやっとだった。
 振り返った祖母は孫の泣き顔に驚いた後、とても嬉しそうに手を振ってくれた。私は祖母が乗り込んだ横浜行の急行電車が見えなくなるまで、手を振って見送った。
 「大丈夫ですか。あちらで休みますか」駅員さんから声をかけられた私は、例の立て看板の前でうずくまっていた。「大丈夫です。少し気分が悪くなっただけです。ありがとうございます」と言って立ち上がった。少しだるさは残っていたが、束の間のタイムスリップのおかげで、もう会えるはずもない祖母に再会でき、私は得をした気分になった。あの時私の頭を撫でてくれた祖母の優しさを思い出させてくれた。そう、振り返った祖母の笑顔はとびきり優しかったのだ。
 改札を出て、家へ急ぐ。歩道橋の上からしばしピンク色の富士山を眺める。空はまだ少し明るく、水色を保っている。そのパステルのグラデーションは、ため息が出るほど美しい。
 お腹がすいたな、うちにトマト缶も玉ねぎもあったっけ。ちょっと引き返して、ローゼンでひき肉だけ買って帰ろう。
 階段を駆け下りる足どりが、びっくりするほど軽かった。

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匿名希望