「ランニング・ストリート」カナヤン

 優斗はこの単身者向けマンションに住み始めて、かれこれ半年になる。南向きで四階の角部屋に位置し、バルコニーと壁側に設けられた二面の窓からは、穏やかな朝日が射し始めていた。五月中旬の朝方は熱くも寒くもなく、目覚めは気持ちいい。起床した彼は窓を開けて、環状四号線沿いの街並みに目を向けた。沿道に林立する飲食店の看板群を、車が縫うように走り抜ける度、そのエンジン音が朝の静けさを切り裂いていく。
 彼は中堅リース会社である富士リース㈱の横浜支店で、営業の仕事に就いている。昨年十一月、月例の人事異動で、大阪支店から横浜支店勤務を命ぜられたのだ。元々横浜とは縁もゆかりもなかったが、会社の借上げ社宅制度に則り、自ら転出先のアパートなりマンションを探さなくてはならなくなった。昨年の十月下旬頃、彼は新任地・横浜の関内へ挨拶や引継ぎで赴いた際、不動産会社も訪ねるスケジュールを組んだ。その時真っ先に考えた転居先が、叔父・義夫が住む横浜市の瀬谷区であった。義夫は三十年以上前、大学進学と同時に茨城県水戸市から上京し、ここ瀬谷にテラスハウスタイプの庭付き二階建て住居を購入して、今も住んでいる。年齢は六十歳代前半だが、高校時代に剣道で鍛えた筋骨質な肉体にオールバックの厳つい顔は今も健在で、何事も力で押す豪快な性格だ。彼は義夫に瀬谷区がどんな町かを聞き出してから、不動産会社に候補物件の内覧を依頼し、あわよくば物件の賃貸契約時に保証人も依頼しようと考えていた。
 しかし彼の思惑通りに事は進まなかった。彼は肝心の義夫とは、一度も連絡がつけられなかった。携帯電話やスマホ等の通信手段を持たない義夫との連絡は、家の固定電話だけであった。彼は何度も電話を架けたが、義夫宅の電話は常時留守番電話になっており、何度メッセージを残しても梨のつぶてだったのだ。結局彼は義夫の話を聞けないまま、業者任せで相鉄線の瀬谷駅から徒歩圏のマンションを適当に選び出し、内覧の依頼をかけたのであった。建物賃貸借契約の保証人は、実家水戸市に在住する父・純一にお願いした。純一は義夫の兄にあたる。彼に義夫とのコンタクトや保証人の件を提案した純一にしてみれば、面目丸潰れであっただろう。しかし彼は義夫とコンタクトをとれなかったことを、気に病んではいなかった。自称自由人の義夫はエレベーターの保守会社に勤めており、忙しく現場を飛び回っている。義夫の大雑把な性格は心得ており、むしろ彼は義夫宅の近くという安心感に魅かれて、この地を意識したのかもしれない。ところが不動産業者の担当者に同行して町の紹介を受けるうちに、彼は見る見る、町の魅力に引き込まれていった。
 相鉄線瀬谷駅北口にはレンガを敷き詰めた大きな広場があり、それを囲むように大型スーパーマーケット、書店、銀行等、生活する上で必要な施設が、概ね集積している。真新しいファミリー向けの大型マンションも駅の間近に建てられている。駅南口に目を転じると、ここは一転して、趣のあるレトロな商店街が軒を連ねている。彼が不動産業者に紹介された賃貸マンションは、駅から六百メートル程、環状四号線を泉区方面へ下り、小路から分岐した静かな住宅街に存している。駅から徒歩十分程の地点だが、先述の通り環状四号線沿いには多くの店が並んでいて、至極便利な印象を持った。
 彼は、朝もやが冷めやらない早朝の時間帯が好きだ。未だ殆どまっさらな一日を、目と耳で感じられる一時でもある。水曜日のこの日、彼はジョギングで汗を流すことにした。先週日曜日に休日出勤した為、この日は振替休日を取得していた。会社では日中の時間を殆ど椅子に座って過ごしており、中性脂肪が気になり出した四十歳近い独身男は、普段極めて不健康な生活を送っている。若い時は全体の筋肉に張りがあり顔も引き締まっていたが、今は全体的に、体が丸みを帯びてきている。せめて休日くらいは、運動不足を解消したいのだ。
 彼は顔を洗い黒系の上下トレーニングウエアに着替え、エントランスから外へ出た。空気を少し冷たく感じるが、それがかえって、心身のリフレッシュに程良い刺激を与えていた。彼は軽い柔軟運動を済ませ、環状四号線へ通じる小路を五十メートルほど歩いた。環状四号線へ出てからは相鉄線・瀬谷駅方面へ向かい、体を慣らしながら、徐々にペースを上げて走り出した。暫くの間、スーパーマーケット、創作海鮮料理店、回転寿司店と道沿いに並ぶ飲食店の看板を間近に見上げながら進み、その後、高架橋を過ぎた信号の手前で小休止した。
 この地点を境に、風景は一変する。急激に店の数が減っていき、やがて草原地帯を一直線に縦断する、通称〝海軍道路〟へ入る。障害物が何もない広大な平原は、さながら北海道の日高にある牧場のような風景だ。道路沿いに植えられた数百本もの桜は、新緑の葉を風になびかせている。彼は桜が満開であった一カ月程前、この平原に麻衣子とお花見に繰り出したことを思い出した。花見客で賑わうその時期、海軍道路は長大な花のトンネルに包まれる。今は広々とした新緑の風景を、一人占めしている。彼は息が上がり額に薄く汗をかいてきたが、疲れは感じていない。むしろ毒素が抜けたようで、至極爽やかだ。終点のT字路まで走り軽く深呼吸してから、同じ道を引き返した。
 今日の十二時、彼は星川駅の北口で麻衣子と待ち合わせ、大学時代の旧友・徹が半年程前に開店したカフェで、食事する約束をしている。また食後は天王町駅まで足を運び、彼女の買い物に付き合うことになっている。麻衣子とは、星川駅に近い大型スポーツクラブのスカッシュ・スクールで知り合った。彼女は星川駅近くの大型マンションに両親と同居し、近隣の有料老人ホームで介護職に就いている。この日は朝十時に夜勤明けなのだ。どうせお昼ごはんを食べてから寝るのなら、いつもとは少し趣向を変えてみたいと、初めていくお店に、喜んで付き合ってくれた。彼より五歳年若い彼女は、徹夜の後でも、まだ活動できるエネルギーが残っているらしい。
 徹は、東京都内の私立大学に通っていた時の同級生だ。彼は学生時代から四十歳までに独立し、いずれ横浜で古本屋を開店すると夢を語っていた。活字が好きで、博学な男だった。彼は出版社に就職し開業資金の貯蓄に勤しんできたが、ここ数年は中学生向けの受験指導への感心が高じ、地元の小田原市で、予備校の講師に転身を図っていた。その一方彼はカフェを開店する一年程前から、並行して本格的なサイフォン式コーヒーの研究に没頭し始め、いよいよ開店を決意した昨年以降、店舗の場所探しを本格化した。彼は横浜に住んでいる優斗に、横浜の土地柄や利便性について、何度も相談を持ちかけた。とは言え住み始めて日が浅い優斗とても、十分なアドバイスができたわけではなかった。自らが住んでいる横浜市瀬谷区や、勤務先がある中区の説明に終始した。結果、徹は相鉄線・星川駅に程近いある大型マンション一階の店舗を借りて、開店するに至った。店名は〝サーティエイト・カフェ〟だ。因みに徹は店の開業に合わせて、星川駅近くのアパートへ転居している。駅近くに行政庁舎や大型商業施設が集中し、多くの人が集まる上に家賃相場も手頃とくれば、カフェの開店を志す彼が注目して何ら不思議はない。
 優斗にしてみれば徹が星川に来てくれたお陰で、町の新しい魅力に触れることができたし、駅近くのスポーツクラブの会員になったことが、麻衣子との出会いにも繋がった。彼は徹が星川に来てくれたことに、感謝していた。
 優斗はワイン色のシャツに水色のカーディガンといういでたちで、十一時過ぎにマンションを出た。環状四号線から一本分け入った住宅街を歩いて行く。静かな住宅街の要所に自家製の美味しいパン屋、品数豊富な生鮮スーパーがあり、その小さな店舗に驚くほど多くの人が詰めかけている。瀬谷駅の手前からいちょう通り商店街に入る。この街路樹に彩られた街路は、昭和の世界にタイムスリップしたかのような、懐かしい雰囲気を醸し出している。
 彼は横浜行きの相鉄線・快速に乗車した。通勤で横浜に行く時と違い、社内にいる人達も車窓から見える街並みも、全てがゆっくり流れているように見える。星川駅で下車して北口の改札へ行くと、仕事用の着替えを入れた大きな青いトートバッグを肩に掛けた麻衣子が、先に待っていた。ストライプのシャツに黄色いカーディガンをまとい、ぴったりしたデニムで決めている。肩まで伸ばした髪から花の香りを漂わせた彼女は、とても十六時間の夜勤を終えた人には見えなかった。
「おはよう。夜勤、疲れたでしょう。」
「ううん、そうでもないよ。体は疲れているけど、まだ気は張ってるから。でもご飯食べたら眠くなるかも。いろいろあったからさ。」
 彼等は駅の北口から帷子川に架かる橋を渡り、国道十六号と並行する丁字路へ出た。道路を挟んだ向かい側には保土ヶ谷区役所があり、その周りは他の行政庁舎や複数の高層マンションが存する。お昼時になり、多くの人がお昼ごはんを食べる為、町に繰り出してきている。
「おっ、いらっしゃいませ。彼女かい?」優斗達が来店すると、徹は素っ頓狂な声を上げた。徹は切れ長の目と、口角を上げて白い歯を見せる笑顔が特徴のイケメンだが、この時は細い目が、いつもより大きく見開かれた。
「いや、何ていうか、友達なんだよ。連絡もしないで急に来ちゃって、悪かったな。」優斗はそう言いながら、実は彼女を連れて行き、徹を驚かしてやる魂胆でもあった。
「綺麗なお店ですね。」麻衣子は大きな目で徹を見上げながら、緊張した表情で相槌を打った。
 白っぽい外観の正面口上部に、〝THIRTY‐EIGHT CAFE〟と黒字で表記された看板があり、モノトーンで斬新な印象だ。四人掛けの白いダイニングテーブルセットが五卓置かれ、徹自らが、接客とコーヒーの抽出を担当している。この他、奥の厨房にシェフが一人いて、通常はこの二人で店を切り盛りしていた。割とかわいいお店だ。お食事時ということもあり、二つのテーブルは既に埋まっていた。徹はお客様のオーダーを受ける一方、サイフォンによるコーヒーの準備に余念がない。その合間を縫って、彼等のテーブルへ水を運びに来た。
「どうぞごゆっくりおくつろぎください。今日のランチはこちらでございます。お決まりになりましたら、お呼び下さい。」と挨拶し、二人にメニューを手渡した。渡しながらも、視線は麻衣子に釘づけになっている。彼女を意識しているのか、徹はやけに馬鹿丁寧だ。優斗はチキンソテー・ランチ、麻衣子はアスパラとキャベツのクリームパスタ・ランチに決めた。店自慢の深入りコーヒーは、食後に運んでもらう。優斗は徹が注文を聞いてカウンターへ戻ろうとした時、耳元に顔を寄せ、「相談って、何の件?」と小声で伝えた。
「いかしてるな。優斗、結構やるじゃない。」徹も声を潜めて声を発するが、優斗の質問とは全く噛み合っていない。
「相談の件だけど・・」
「ああ、そうだったっけ。」徹はとぼけたようにそう答えたが、態度は妙にぎこちない。
「優斗、富士リースだったよな。ちょっと、リースの契約のことで相談があるんだ。今忙しいから、後で頼むよ。」徹との会話は、そこで途切れてしまった。
「学生の時の友達って聞いたけど、優斗さんとは、全然タイプが違うのね。」麻衣子は長い葛藤から漸く解放された人のように、ほっこりと笑いながら言った。
「そうなんだ。俺と違って、ワイルドだけど腰が低いでしょう?」
「そういう意味じゃないけど。優斗さんは優しいし痛いところに手が届く、いいところがあるじゃない。」麻衣子は一転して表情を曇らせたが、またすぐに別の引き出しを開けるかのように、「それはそうと、今朝さあ、施設で困ったことがあったの。」と話しを切り替えた。
「仕事上で、何か問題でも起きたの?」
「そうそう、入居したばかりの九十歳のご入居者様で、すごく礼儀正しくい方で、いつも朝六時には起きててね、寝る時に外しておいた耳穴式の、すごく小さな補聴器を両耳にはめる介助があるんだ。若い子がその当番で対応したんだけど、その機器に付いている小さな部品が外れてしまったらしいの。それをご入居者様に見せたら、これは四十万円するって言うのよ。施設長が休みだから主任の私が家族に連絡して確認したんだけれど、詫び状を出して弁償しろと怒っているの。施設長には経緯を説明したけど、メーカーに問合せて連絡を待てと言われただけ。先方は納得していないの。」
「素人の俺が出る幕じゃないかもしれないけれど、弁償はないと思うな。機器の機能を壊したわけではないし、付属品が外れただけなら、また付けられるはずだし。」
「それが付かないから、困ってるのよね。」
「でもさあ、メーカーからの連絡を待つしかないよ。動きようがないわけだし。」
「お客様、大変お待たせ致しました。」そこへ徹が例によってうやうやしい雰囲気で、注文した料理を運んできた。メインディッシュは底の深い大きな葉っぱの形をした白いお皿の上に、たっぷりと盛りつけられている。料理は美味しく、カウンターの徹にジェスチャーと視線で「満足!」とサインを送った。徹も動きながら、笑顔で頷いた。
 優斗と麻衣子は十三時頃店を後にしたが、彼女は自ら予告していた通り、ぼちぼち眠気を催してきたようだ。母親から頼まれた小豆の買い物を済ませた彼女は、一直線に星川のマンションへ戻り、眠りに落ちたい様子だ。徒歩で隣の天王町駅近くの洪福寺松原商店街へ行く予定であったが、電車で行くことにした。この商店街は〝横浜のアメ横〟と称される通り活気に溢れているが、この日はゆっくり過ごす余裕がなかった。麻衣子は元々目していた専門店で小豆を購入し、優斗は屋根に空き箱を積み上げていることで有名な八百屋で、デコポンを二袋分購入した。一つは自分の分、もう一つは叔父・義夫へお裾分けする分だ。
「今日はありがとう。今度はスカッシュをやって、お店をゆっくり見て回ろうね。」
「こっちこそ、お疲れのところありがとう。」
麻衣子は先程一瞬見せた硬い表情に戻り、今度はそのままだった。優斗はその表情の変化を敏感に感じ取ったが、仕事で疲れたのだろうと受け止めていた。
 優斗は隣の星川まで麻衣子と一緒に相鉄線で戻り、そこから瀬谷まで一人で戻った。瀬谷駅南口を出て、いちょう通り商店街には入らず、環状四号線へ直接抜ける道を選んだ。
環状四号線のお馴染みの通りを泉区方面へ下り、梨畑がある地点で道路を横断し、大和市方面へ暫く進んでいった。この辺りはテラスハウス風の団地が立ち並んでいる。その中にソテツやもみじの木等が所狭しと入り乱れて植栽されている、義夫の家に辿りついた。
植木鉢を避けながら玄関前に進みインターホンを鳴らすが、例によって応答はない。天王町で購入したデコポンの袋にメモ書きを付けて、ドアの取っ手に引っかけた。いつもこんな調子だ。どこかに遊びに行きお土産を買う度にこうしてお裾分けに行くのだが、会えた例がない。窓に空いた僅かな隙間から猫が出入りしている様子から、叔父夫婦が住んでいることが感じられる。
 それから二週間余が過ぎた。優斗は取引先である回転寿司店の倒産により、機器のリース債権の回収不能を巡る問題に忙殺されていた。そんなある日の夕方、徹からスマホに電話が入った。
「何だ、徹か。電話なんて珍しいな。」
「すまない。ラインじゃなくて、直接相談したいことがあってさ。」
「そうそう、後でとか言っておきながら、二週間もいちゃったな。」
「まあいいんだ。ところで仮にさ、リースの支払いが残っている段階で事業を廃止した場合、リース物件を返せば支払いはチャラになるのか。姑息な質問で、笑われそうだけど。」
「中途解約になるから、残金は一括請求になるな。リース物件も引き揚げることになるけど、徹、まさか?」
「いや、いろいろ考えているところだが、中学生の受験指導というか、俺やっぱり、人の教育に携わるべきじゃないかと、改めて考えているところなんだ。」
「カフェ、せっかく上手くいっているのにか?」
「うん、どうするかは、俺が決めることだから。それはそうと・・」徹はここで少し間を開けてから続けた。「優斗がこの前連れてきたあの子、麻衣子さんが、あれから一人でよく来店するんだよ。」
「マジで?」優斗は自分の心臓の鼓動が聞こえていると錯覚する程、驚かされた。
「あのお昼ごはんを食べに来た日、あの後二時頃、今度は彼女、一人でまた店に来たんだよ。仕事中、後輩が何十万円もする補聴器を壊してしまって、先方の家族からは詫び状を書いて弁償しろと、凄まれていたらしい。但し、未だメーカーの対応方針は決まっていないとか。結局、この段階で謝罪文は時期尚早だから、まずは経過報告書を作成し、上司を巻き込んで、とにかく謝りに行くべきだとアドバイスしたんだ。」
優斗は唖然とした。そう言えば、自分はそこまで親身になって、麻衣子のことを心配してあげただろうかと。
「そんなことがあったのか。」そういうだけで精いっぱいだった。
「ところがその直後、メーカーから連絡があったらしい。この小さな部品は時々外れるものだそうで、その時の対処方法も教えてくれたということだよ。結局、何事もなく終わったんだけど。」
「それはよかったな。」
「それから、彼女はよく店に来るようになった。彼女から小洒落た店に飲みに行こうと、何回も誘われている。そっちの都合はどうかと思ってさ。」
「それは二人で行きたいっていう彼女の意思だから、俺のことはいいよ。二人で行ってきなよ。俺はそれなりに、楽しくやっているから。」優斗はそう言いながら、明らかに動揺していた。
「いや、彼女はそんなつもりはないよ。」徹は困惑気味に、怒ったように声を高めた。
 この日仕事を終えた彼は、京浜東北線で横浜へ行き、横浜から相鉄線で瀬谷まで戻り、どこへも立ち寄らずにマンションへ一直線に向かった。身から出た錆とは言え、浅はかな自分に腹が立っていた。マンションに入室してすぐシャワーを浴びると、夕食も摂らずにゴロンと横になってしまった。
 それから何時間経たであろうか、彼はインターホンのけたたましい音に目が覚めた。時間は夜九時を回っている。面倒臭そうに寝ぼけ眼で対応に出ると、そこにオールバックの髪型に豪快な笑みを浮かべた義夫が立っていた。完全に意表を突かれた彼は、「あっ!」
と言ったきり言葉が出てこない。
「よお、久し振り! お前が近くに引っ越してくるって兄貴から聞いて、いつ遊びに来るかと思ったら全然来ないから、遊びに来てやったぞ。」義夫はそう言って、なぜか近くのスーパーで購入した焼きソバのパックを、彼に差し出した。彼は何度もお土産を持参して、その度に空振りだったので矛盾していると思ったが、この際、細かいことはどうでもよかった。
「義男叔父さん、今まで挨拶もしないで、大変申しわけありませんでした。散らかっていますけど、どうぞお上がり下さい。」彼は座布団を出し、冷蔵庫からビーフジャーキーと缶ビールを二本出してきた。義夫は胡坐をかいて、どっかりと座った。二人は缶ビールで乾杯して、久し振りの再会を祝した。
「お前も忙しそうだな。でもあんまり頑張りすぎてもダメだ。俺も最近まで好き放題にやってきた。なにしろ心身ともに、自信があり過ぎたからな。でも今は自分の体を粗末にしたり、会社の部下や身内に無理を強いしてきたこと等、大いに反省しているんだ。」
「叔父さんが通り過ぎた後はペンペン草も生えない、何だかブルドーザーみたいなイメージでしたけれど。何かあったんですか?」
「うん、あれは二ヵ月程前だったよ。俺急に具合が悪くなって、即入院することになったんだ。エコノミークラス症候群だった。幸い一週間程で退院できたが、このことが、改めて俺にこれまでの自分の行いを反省させる、いい機会を作ってくれたんだな。病院で横になりながら、今までは自信過剰で、自分の体や周りの人達に、どれ程苦労を強いてきたことかと。退院してからは睡眠を毎日六時間以上摂る、バランスの取れた食事を心掛ける、他人の話しを良く聞いて優しくする・・・上げればきりがないが、俺は考え方を随分変えたんだ。」
優斗は、自分の預かり知らぬ間に義男を揺るがしていた出来事に、改めて驚かされた。しかしその相も変わらぬ前向きな人柄はやはり尊敬に値するし、益々頼れる存在に思えてならなかった。また義男の話から、彼は自分の思慮を欠いた言動が麻衣子や徹を失望させた点があるのではないか、もしそうであるならば、今すぐ改めようと思った。
「叔父さん、ありがとう。俺も至らない点があれば、考え方を変えてみようと思うよ。」
この後二人は世間話を中心に時間を過ごし、十時頃お開きとなった。
 翌朝、優斗は新緑のランニング・ストリートを走っていた。彼の気持ちは、今まっさらな状態にリセットされている。部屋に戻ってシャワーを浴びた後、彼は徹に電話した。
「昨日はせっかくのお誘いを断って、申しわけなかった。今度、皆で飲みに行こうよ。」
「おう、そうこなくちゃ。店の方は俺に任せてよ。」徹は安堵した声で、そう答えた。

著者

カナヤン