「一歩一歩」プラス1センチ

 相鉄線鶴ヶ峰駅の下りホームに沿っている少し上り坂の狭い道が、最近日課にしているウォーキングコースの一部になっている。
 鶴ヶ峰駅南側は駅直結の高層ビルのココロットの裏手からすぐに住宅街となっている。西谷の浄水場へ向かう水道道の両側に、昔からの入り組んだ細い道路があり、適度に坂道もあったりする街並みだ。昔は駅の階段を降りるとすぐに雑然とした街が始まっていたが、ビルができて随分と駅前はきれいになり、買い物も食事もかなり便利になった印象だ。開発前、その階段前あった回転寿司屋さんやケーキ屋さんが自分は結構好きだった。
 ウォーキングコースと言っても何があるわけでなく、単に入り組んだ生活道路の端をちょこちょこ歩くだけのもので、人通りが少しだけあって、車がそれほど通らず、信号もないというありふれた静かな住宅街をただ歩くルートだ。
 そして、日課と言っても雨が降ると休みにしてしまうような軟弱なもので、それを始めた理由もまた、年に1度の健康診断で腹部の成長が止まらないという結果を受けてという情けないものだったりする。腹部の成長は2年前の健康診断時から顕著となり、結果とともに推奨された1日に30分以上の運動をすることを案外すんなり決意させるほどだった。

 そのウォーキングもきちんと日課となるには時間を要した。寒いとやらない、暑いとやらない、仕事が忙しいとやらない、土日はやらないと何かと理由をつけてはくじけてしまって、歩数計で1日の平均が7000歩台に終始していた。
 そんな自分が本気で取り組み始めたのは今年の夏の初めだった。50歳になる前の記念にとエントリーしてみたマラソン大会の抽選に当たって参加できることになったのだ。当然のことだが、タイムを出そうと思っていたわけではなく完走が目標で、それも無理せず可能な限り歩いてみようというチャレンジである。
 中学・高校時代は文化部だったが、100メートルを12秒台で走るくらい運動はまあまあできた。今でも歩く速さは人より結構速い方だ。20歳代までは仲間とテニスコートで遊んだりすることもあったが、ここ20年ほど運動らしい運動はしていなかった。マラソンをなめるなよと言われそうだったので家族以外には誰にも話さずに、とにかくやってみる事にしたのだ。歩数計の平均もようやく9000歩台を記録するようになった。

 ある日、随分前から日程を決めて仕事をお休みさせてもらい、朝から下り電車で海老名まで行き、小田急線沿線の山へのちょっとしたハイキングを予定していた。しかし、前夜からの雨が残っていて心が折れてしまい家を出発するのをやめてしまった。
 雨はお昼前には上がってお日様が出てきてしまったものだから、タイミングの悪さを痛感する。結局、その日は洗濯をしたり、溜まっていたテレビ番組の録画を延々と観て過ごしてしまった。本当はちゃんとした運動と気分転換をするつもりだったのに。
 夕食後、気持ちを切り替えていつものウォーキングへ出た。雨上がりのせいかいつもより空気がおいしく感じ、少しの冷たさもあった。何軒かのお庭からキンモクセイの良い香りも流れてくる。
 そしていつものようにホーム沿いの道を通った時に、ちょうど下り電車のドアが開き幾人かが下車した。車内には立っている人もいるくらいの乗車率で、寝ている人やスマホをいじっている人などが歩きながらも見ることができた。
 今までは電車が止まっていても意識することはなかったが、このときは自分と関係なくいつもの時刻どおりに電車は動いているという、その景色をみたとき「疎外感」を強く感じた。いつもは自分もその疲れた雰囲気の車中のひとりなのに。
 その日の自分に流れていた時間はきちんといつもと同じ量で、人や電車はいつもの時間の流れを過ごしていたのだ。なぜかその日の自分は時間を浪費したように思った。その日1日過ごしたぞという、日頃は意識しない達成感みたいなものがなかったためか。

 「千里の道も一歩から」などの故事を引かずとも、日々の努力・積み重ねが大事なのは明白で、心では意識しつつも実現出来ない日常があったりする。それと同時に日々の変わらない安心・平凡な日常を大切にする自分もいたりする。矛盾を含んだ人の心と天気は思うようにならないのが常だ。
 さて、今年の健康診断で腹部の成長はプラス1センチだった。3ヶ月間ほど本気で取り組んでみたもののやはり成長を止めることはできなかった。
 そしてマラソン大会は、季節はずれの台風で中止となった。翌日は台風一過で快晴だったのに。なんという巡り合わせの悪さ。大会前のラスト2週間は毎日15000歩を記録するくらい歩いたが、まだまだ練習が足りないのを神様はちゃんと見ていたのか。
 
 モチベーションを保てるのか非常に不安だが、健康と出場できるのかわからないが来年のマラソン大会のためにこれからも日々主腰の努力をしよう。1日1万歩という目標と、歩く自信がついたらようやく走って練習してみようと思う。その時は新しくランニングコースを探さなくては。

著者

プラス1センチ