「七サバ巡り」牧野恒明

 一日の仕事を終えた人々を乗せた湘南台行きの電車内には安堵感とけだるさをミックスさせたような空気が漂っていた。
 気恥ずかしくなるような立派な花束を膝の上に置いた津田孝雄は、目を閉じたまま百合の香りが染み込んだ頭を左右に振った。
「終わったなあ・・・」
 今夕、職場での退職送別会を終えての帰りだった。孝雄は耳の底からわき出す、うっとうしい耳鳴りを追い出すように振った頭の中で平凡だったかもしれないが、山あり谷あり
いやいや谷の方がはるかに多かったサラリーマン生活のコマをフラッシュバックさせていた。
 酒を飲み交わしながら同期の仲間と将来を語り合った愉快な時間もあった。ずる賢い嫌な奴もいた。上司から侮辱的なことばを浴びせられたたことも数え切れないほどあった。
 が、明日からはそれもこれも全部「過去」になる。そう思うと定年を迎えた寂しさよりほっとした気持ちの方がはるかに強かった。
「終わったなあ・・・」
 この電車には何年乗ったのだろう。引っ越してきた当時は白色の車体の上下に鮮やかな赤い線が入った車両だった。その後、赤い線は青とオレンジ色に変わった。そして最近になっていわゆるネイビーブルーの車両も登場した。それぞれの車両に、それぞれの思い出が重なった。
 想い出・・・というより孝雄には、決して忘れられない、忘れてはならない、忘れたくない、しかし記憶のかなたに沈殿させたい時間があった。それは娘の美咲姫(みさき)と一緒に過ごした二年という時間だった。
 美咲姫は肌の色が、どちらかといえば少し黒い方だったが、きりっとした目もとの子だった。富士山の神様、木花咲耶姫(このはなさくやひめ)のような気品のある美しい子になるようにとの思いで付けた名前だった。
 だが美咲姫はわずか二年でその生涯を閉じた。
 二年間美咲姫と暮らした都内のマンション
住まいはあまりにも辛過ぎた。美咲姫が初めてアンヨした部屋、美咲姫が使っていたミッキーマウスの柄のタオルケットや食器、もちろんおもちゃにも、すべてに可愛い盛りだった美咲姫の面影が張り付いていた。
 そんな思いを吹っ切るためには思い切ってよその土地へ移ろう、と孝雄は決心した。

 新しい家は横浜市郊外の泉区に構えた。そこは横浜駅から相鉄線の電車に揺られることおよそ三十分、いまだに畑や鎮守の森が住宅地の中に点在するところだった。
 何といっても素晴らしいのは富士山の眺めだった。特にいずみ野駅の南側に広がる農地から眺める夕映えの富士山は絶景だったし、行きつけのスーパーマーケットの屋上から湘南台の街並みの向うに見る富士山も素晴らしかった。
 孝雄は富士山を見るとき、必ず胸の内で手を合わせた。それは、大自然に対する畏敬の念の表れだった。そして亡き美咲姫の面影を富士山に重ね合わせてのことでもあった。
 
 電車は弥生台駅に着いた。○○台と名の付く駅は多いが、ここ弥生台駅は周辺の宅地開発に伴う遺跡調査が行われたとき、古代の住居跡や土器・石器などが多数発掘されたことに由来するそうだ。また、駅開業が三月弥生だったことも駅名の由来になっている、と駅前に設置された区役所の案内板にある。
 駅名もどこか優雅だが、桜の季節にはホームが花の天井に覆われる。        
 ホームの屋根越しに見るライトアップされた桜は五分咲きというところだろうか。この冬はいつになく寒い日が多かったが三月になって暖かい日が続いたためか、ここ数日で急に花数が多くなってきた。
 時計の針は、八時半前をさしていた。ちょっとだけ花を見ていこう、そう思って孝雄はホームに降り立った。
 花は孝雄の定年退職を祝うかのように見えた。昔「仰げば尊し」をバックミュージックにして桜のトンネルが流れる映画の一シーンがあったことを思い出した。定年は確かに人生における区切り、卒業式でもあった。
 ホームの椅子に腰を下ろし、そんなことを考えていると急にめまいを感じた。ここ数年来、耳鳴りとともにたびたび悩まされている症状だった。
「ストレスからくるメニエール症候群でしょう」と医者からはいわれていた。
 いつもそうであるように、しばらくするとめまいは収まったかのような気がした。

 気がつけばいつ入ってきたのか、湘南台行きの電車が停まっていた。電車は濃い霧の中に、その輪郭をぼやかして停まっていた。昼間、小雨が降っていたが、夕方から晴れて寒くなってきたので夜霧が立ち込めてきたのかもしれない、そう思って孝雄は車内の人になった。
 この先、延長六百メートルの和泉トンネルを抜ければいずみ野駅、そして線路が左にほぼ九十度カーブした先がいずみ中央駅。あと数分で到着予定だった。
 孝雄が乗った車両には乗客はたったひとりだけだった。その先客は、腰の下まで届くような真っ白な絹地のような上着と、淡い青色の裾を豊かに広げたロングスカートをまとっていた。そして、これも腰のあたりまで届きそうな豊かな髪をうなじのあたりで束ねた娘のようだった。   
 よほど濃い霧なのか、霧は車内にまでたちこめていた。車両の窓も、天井も、そして床までが見えなくなっていた。見えるのは反対側の席に座った先客の娘だけだった。
 いつ発車したのか、電車は音もたてず滑るように和泉トンネルに入っていた。だがいつまで経っても電車はトンネルから抜け出なかった。トンネルの中なのに車内は静まりかえっていた。
「どうしたのだろう、この電車は・・・」
「この電車はタブノキの中に入ったのよ」
 私のつぶやきに娘がゆっくりと、抑揚はないが澄みきった声で答えた。
「タブノキの中、それはどういうこと?」
「私たちは佐婆神社(さばじんじゃ)のご神木の中の世界に入るのよ」
 また娘がいった。娘と目が合った。娘は確かに亡くなった美咲姫に違いなかった。美咲姫が生きていればこの娘ぐらいの年頃になっているはずだった。
「美咲姫じゃないか?」
 思わず問いかけた孝雄に
「美咲姫?私が?いいえ違います。私は佐婆神社の木花咲耶姫と申しますのよ」
 娘はまるで能面をかぶったような表情だった。

「サバ」と名の付く神社は泉区のほか隣接する瀬谷区や大和市、藤沢市に点在する。「サバ」を表す漢字は「鯖」であったり「佐婆」であったり、また「左馬」であったりとさまざまである。この地域に「サバ」という名のつく神社がなぜ集中しているのかについてはいろいろな説があるそうだが、はっきりしたことは分からないらしい。
 佐婆神社は左馬頭源満仲(さまのかみみなもとのみつなか)と木花咲耶姫を祭神としている。
 左馬頭とは平安の昔、当時の貴重な乗り物であり、また時には戦車でもあった馬や馬に関する一切を司っていた左馬寮のトップをいう。源満仲は、のちに源氏を興した祖のひとりとして崇められたとされ、この地の氏神として祀られたと考えられている。
 一方、富士山の神である木花咲耶姫が遠く離れたこの地に祀られたのは、この辺りがかつては高台であり、往時の人々がここから見る富士山の姿の美しさに憧れたという単純な思いからではないかと筆者は考える。
 そして、言い伝えによると一日のうちに七つのサバ神社を巡ると病から解放される、とされている。これが七サバ巡りといわれている風習である。
 
 「そう、あなたは神様なの?でも驚いたなあ、なんで神様が私の前に」
「あなたはいつも富士の山を大切になさっていますよね。これからあなたを七つのサバ神社にご案内しますの」
 そういって娘は立ち上がると、孝雄を先導するように歩を進めた。後に続く孝雄は桜の花びらを敷き詰めた山道を歩いていたかと思うと、次の瞬間にはうっそうとした木々に包まれた暗い森の中・・・そこには湧き水で朽ち果てた落ち葉が分厚く重なっていた・・・を歩き、また、苔むした石段を登っていた。長い石段を登っているのに少しも息が切れることはなかった。娘も孝雄もまるで地上十センチの空中を歩いているかのように思えた。ふたりの周りは相変わらず濃い霧に包まれていた。
「ここが中之宮左馬神社よ、ここは下和泉鯖神社・・・」
 こうして娘は次々にサバ神社と名のつく社を巡っていった。
「さあ、ここでおしまいですのよ」
 娘はそこが下飯田左馬神社だといった。
 かすかに電車の音が聞こえてきた。あれほど濃くたちこめていた霧がいつの間にか消えていた。気が付けば、霧が晴れたのと同時に娘の姿も消えていた。

「大丈夫ですか」
 孝雄に声をかけたのは白い上着に薄い青色のフレアーのスカート姿の若い女性だった。
「あっ、あなたは・・・」         
 木花咲耶姫、といいかけて孝雄はことばを飲んだ。
 孝雄は隣の椅子を抱きかかえるようにもたれ込んでいた。
「ああ、ありがとう、大丈夫です。めまいの持病がありますもので」
 孝雄は照れくさそうに、声をかけてくれた女性に礼のことばを返した。入ってきた電車は二十時三十二分の湘南台行きだった。
 わずか数分間の幻の七サバ巡りだった。

 後日、孝雄は佐婆神社を訪ねた。そこにはしめ縄が巻かれた巨大なタブノキが確かにあった。しかし、どこにもその中に入れるようなうろは見当たらなかった。
 乗り慣れた相鉄線の電車が神社のすぐ後ろを軽快に走り去っていった。いつも車内から見ていた景色だが、今度は景色の中から電車を見る孝雄だった。
 そしてめまいの発作もすっかり消えたのだった。それは富士山を崇めた孝雄に対する木花咲耶姫からのご褒美だったのかもしれなかった。それとも美咲姫からの定年祝いのプレゼントだったのだろうか。いやいや、サラリーマン生活のストレスからの解放によるものだったに違いない。

著者

牧野恒明