「乗り換えネイビーブルー」御堂綾

 最寄りの相鉄線上星川駅で下りの各駅停車を待つ。英語のクラスで出された課題をやるために、今日は土曜日だが朝から大学に行くことにした。部活の試合にでも行くのだろうか、近所の中学の生徒でいっぱいのホームを、最近たまに見るようになった車体が全部紺色の電車が通過していく。
 乗っていい電車は相鉄だけ、と中学の時まで親から言われていたのを思い出す。渋谷や新宿に女の子が行ってはダメ、という意味で。でも言われなくても行きたいとは思っていなかった。一人で出かけるのは横浜駅西口の有隣堂に本を買いに行く時ぐらいだったし、たまに友達同士で出かけるときは、海老名の大型ショッピングモール、からの映画館が定番だった。高校に進学したらそんな決まりは言われなくなったけれど、沿線の学校だったから結局相鉄しか乗ることはなく、受験生になって進学先を選ぶときも、基準は家から通いやすいかどうかが一番だった。
 ホームに各駅停車が入ってくる。この四月から、沿線にある女子大にめでたく進学することになって、また相鉄を使って通学している。入学して気づいたことだけど、意外に遠くから来ている学生もいる。最初のころはどの教室でも初対面の子とは、
「どこから来てるの」
「上星川」
「どこ、それ」
「ここから電車で十五分のとこ」
「ちかっ」
という会話が交わされた。
 緑園都市駅で降りて大学へと歩く。家の玄関を出てから校内に入るまで三十分くらいだから確かに近いかもしれない。
 図書館に入ったら、同じクラスの友達も偶然来ていた。
「おはよう。課題やりにきたの?」
「そう。こんな朝からはるばる」
はるばる、という言葉の通り、彼女は一時間半ほどかけて自宅から通学していると以前聞いたことがあった。
「家、どこだったっけ?」
「東京の端っこの方。新宿の先。乗り換えが面倒くさくて嫌になる」
東京の端っこって一時間半もかかるのか。そして嫌になるほどの乗り換えって何回くらいなのだろう。一時間半電車に乗ってどこかに行ったことがないから距離感が全然わからないし、乗り換えと言えば星川での快速の接続しか知らないからその面倒くささ加減が実感できない。
「あのさ、課題終わったら今日ひま?」
唐突に友達が聞いてきた。
「いや、特に予定はないけど」
「他の女子大の子集めて合コンに行くんだけど、来ない?一人欠席が出そうで」
「合コン?」
入学して二か月。周りでそんな話をしているのは耳に入っていたけど、自分に話が振られるのは初めてだ。ついに私も大学デビュー?
「行ったことない?」
「うん、初めて言われた」
「まあ、こっちも急だから。無理しなくて全然いいけど。新宿で夕方からやるの」
「新宿で?」
横浜でやるんじゃないのね。そうか新宿か。女の子が行ってはいけない街だ。遠いな。
「いいや。普段の格好だし。また今度誘ってね」
「うん、わかった」
そして昼前に課題を終えた友達は、新宿へと向かった。
 私はそのまま図書館に残ったが、課題は全然進んでいなかった。
 最後に都内に出たのはいつだっけ。スマホで過去の写真を見てみる。二月に入試で行ったのを除くと、去年の秋に高校の友達といくつか大学の学祭に行ったのが最後か。一人で出たのは、記憶にも記録にもない。今度は大学の最寄りの緑園都市から新宿まで乗り換えを検索してみる。二俣川で急行に乗り換えて、横浜から湘南新宿ラインに乗るらしい。トータル一時間は私には遠い道のりに感じたが友達は毎日こんなコースなのか。
 遅々として進まないレポート用紙と残り電池三十パーセントのスマホを机に置いて目を閉じる。
 高校の先生に、この大学の志望ですって言ったときのことを思い出す。あなたなら受かるでしょうし大丈夫でしょうと言われた後にこう付け加えられた。「女子大でしかも沿線から通うのですから、意識して世界を広げる努力をしないといけませんよ」って。世界を広げる努力って言われてもね。いきなり合コンとかハードル高いじゃん。いままで相鉄沿線でうろちょろ人生送ってきた私にとっては。
 考えるのをやめて目を開ける。課題は進みそうになかったので、机の上を片付けて図書館を出た。
 緑園都市の上りホームで電車を待つ。相鉄、といえば、都内に直通するという話があったような気がする。あれいつからだっけ?検索してみると、JR直通が二〇一九年度下期、東急直通が二〇二二年度下期、となっている。ということは、最短で私が大学四年になるころには、ここから乗り換えなしで都内まで行けるようになるってこと?いままで横浜と海老名、あるいは湘南台を往復しているだけだった相鉄が、いきなり首都・東京に乗り込んで行っちゃうの?今までは横浜行きしかなかった上り線の行先表示に、新宿とか渋谷とか表示されている電車を想像してみる。ダメだよ、相鉄が一人でそんなとこに行ったら。
 しばらくしてやってきた各駅停車に乗る。昔からある銀色の八両のやつ。以前から、急行や快速、特急は比較的新しい色の車両なのに、なぜ各駅停車はこんな古臭い車両が多いのだろう思っていたけれど、これもそのうちなくなっちゃうのかな。ずっと乗ってきた電車が、今までと違う世界へと走っていくように思えた。
 五分ほどして電車は二俣川駅に到着した。急行に乗り換える人が降りて、隣のホームに並ぶ。いつものようにドア付近に立って、この待ち合わせ時間をやりすごそうとしていたら、紺色の急行電車が入ってきた。さっき検索したとき初めて知ったけど、これはヨコハマネイビーブルーと名付けられた新しい塗装で、都内乗り入れを意識したものらしい。
 乗ってみようかと急に思った。
 いつもならこのまま各駅停車に乗りつづけて上星川で降りるところだが、ここで急行に乗り換えて横浜まで。横浜に着いたら、JRに乗り換えて、新宿に行ってみようか。合コンに行くためではなくて、普通に行くだけ。
 銀色の古い電車から、ネイビーブルーの新しい電車に乗り換える。さっきはホームで通過するのを眺めていた電車に乗って、上星川を通過する。相鉄が数年後に見る世界を、私が今行って見てくる。
 乗っていい電車は相鉄だけ、じゃないよね。

著者

御堂綾