「二俣川で」花日

ふたまたがわー二俣川です。ご乗車ありがとうございました・・・
アナウンスと同時に急行海老名行きのドアが開く。
帰宅を急ぐサラリーマンたちの後に続いてホームに降り、向かいの各駅停車へ乗り換える人々の間をぬって改札へ向かう。

再開発工事中の南口を抜けると辺りはすっかり暗くなり、すぐ左手にある西友から漏れる照明の光が、駅からまっすぐに伸びた緩やかな坂道を照らしていた。
途中、笑い声と共に学習塾から出て来る子供達や疲れた様子で店のシャッターを降ろす不動産 の営業マンの横を通り過ぎながら重い足取りでその坂道を登る。
会社員にとっては華の金曜日だが気分は晴れない。最近は何もかもうまくいっていなかった。

2か月ほど前に異動した先の部署では、持ち前の人見知りをこじらせている。会議後のちょっとした雑談に入れず、一人でさっさと会議室から出て行ったり、知らない漫画の話で盛り上がる後輩の話についていけず一人黙々と昼食をとったりしていると、早速お局様に目をつけられた。仕事で何かあるたびに早足で私のデスク横に来ては大声で嫌味を言い続け、その後は決まって周囲にも「迷惑をかけられて可哀想な私」自慢をする。周囲からは同情と、なかなか打ち解けない新人への扱いに困っているような目を向けられる日々から早くも逃げ出したくなっていた。

半年前に同棲を始めた彼氏とは生活リズムの違いからすれ違いが続いている。
他人といると気を遣いすぎて疲れてしまう自分とは対照的にとても社交的な彼は、平日は会社の同僚と終電まで飲み歩き、週末は大学時代の友人と旅行に行く。
たまに一緒に過ごす休みは家で寝てばかりの彼に嫉妬と寂しさを感じながらも、彼氏を束縛する女にはなりたくないというプライドがそれを表に出すことを許さなかった。

503号室の鍵を開けて真っ暗な部屋へと入りバッグから携帯を取り出す。暗闇に光る待ち受け画面を見ると彼からのLINEが目に入った。
「ごめん、友達の家に泊まる。」「明日の夜帰るね。」

ヒールを脱ぎ、足裏に痛みの余韻と疲れを感じながらベランダに直行し窓を開ける。

空気がこもってむっとする部屋にひんやりとした心地よい風と鈴虫の鳴き声が流れる。

「どこに住んでるの?」
「二俣川です。」
「ふたまた…ああ、免許センターのとこ?笑」
住所を答えると決まってこのリアクションが返ってくる。

別に好きで二俣川を選んだわけじゃない。

6年前、大学進学のため九州から上京し横浜で家探しを始めた。
初めての一人暮らしは何かと不安でセキュリティや周辺の環境にこだわっていたら横浜駅近辺では予算に合う物件が見つからなかったので、仕方なく対象範囲を広げて横浜駅から急行で約10分のこの街に住み始めた。
せっかく田舎から上京したのだから、大学を卒業して自分で稼げるようになったらすぐにでも都会へ移り住むつもりだった。

社会人になってそろそろ引っ越そうと何度か不動産屋を回ったが、なかなか今よりも良いと思えるところが見つからず結局この街に住み続けている。
意外と、この街を気に入ってしまったようだ。

この街の夜は静かだ。
窓を開けっ放しにして風の通りを感じながら、遠くで聞こえる電車の音や子供がはしゃぐ声に耳を傾ける時間が好きだ。
つかの間モヤモヤした気持ちも風に吹かれて少しだけ軽くなる気がする。

深夜は冷え込むようになってきたので窓を閉めて明かりを消す。
いつもより広く使えるセミダブルベッドの真ん中に横になって手足を広げると冷たいシーツが孤独な夜を再認識させる。

目を閉じると冷蔵庫のブーンと唸る音だけを感じる。

友達の家で何してるのかな・・・。

小さな暗い塊が再び胸のあたりで少しずつ大きく、重たくなる。
横になったまま携帯に手を伸ばしSNSやアプリを開く。しばらく眺めて飽きると脇に置いて目を閉じる。再び携帯に手を伸ばす、を繰り返しているといつの間にか眠りについていた。
一人の夜は決まってこのパターンだ。

目が覚め携帯を見ると7時半だった。
そのまま目を閉じる。再び目が覚めると10時半になっていた。
休日らしく、携帯をいじりながらベッドでごろごろするが30分ほどで空腹に耐えられなくなったので起きることにした。
冷蔵庫にあった豆腐を取り出す。
右手で食べながら左手でテレビのリモコンを操作する。
青い空と緑の田んぼが広がる景色が目に止まった。画面の真ん中ではタレントが旬の食材を使った料理を作っている。
そのままぼんやりと見続けて番組がCMに入ったところでなんとなく窓の外を見ると綺麗な青い空に薄い雲がゆっくりと流れていた。

ふと、近所にあるこども自然公園の光景が頭に浮かんだ。
名前の通り1000本の桜、蛍、紅葉と季節によって自然の変化を感じることができるその公園には、野球場やバーベキュー広場もあって週末は小さな子供づれの家族やランニングにくる人々で賑わう。

久しぶりに行ってみようかな。

さっと日焼け止めを塗って財布と携帯を手に、Tシャツにジーンズというラフな格好で家を出る。

二俣川駅から伸びる登り坂は西友の先にある短い商店街で平坦になり、商店街を抜けると始まる下り坂がこども自然公園入り口に繋がっている。

この商店街にも、つい寄り道したくなるお気に入りの場所がある。

純喫茶「昭和堂」

色素が抜けて少し黄ばんだポスターや漫画、おもちゃで溢れる小さな空間に昭和の歌謡曲が流れる。昭和にタイムスリップしたような店内は、昭和の世代にとっては懐かしい、昭和を知らない平成生まれにとっては新鮮なひと時になる。

1日限定5食のコーヒーゼリーは、マスターがこだわりのコーヒーから時間をかけて丁寧に手作りしている。このコーヒーゼリー目当てに来る客も多いため早々に売り切れてしまうことも少なくない。

携帯で時間を確認すると13時。
15時くらいに行った時は売り切れてたけどまだあるかな・・・。

少し緊張しながら引き戸を開けて店内を覗く。

「いらっしゃい」

穏やかな声のする方に顔を向けるとマスターと奥さんがカウンターの奥でグラスを拭いていた。

「あ・・・コーヒーゼリー、まだありますか?」

「はい、ありますよ」

ほっとして店内に入り目当てのメニューだけ注文する。

壁に沿って並べられた一つ一つ柄の違うマッチ箱に見入っていると、コーヒーゼリーの乗ったお盆が運ばれてきた。
このコーヒーゼリーには、マスターお勧めの食べ方がある。
まずは生クリームが乗った黒く艶やかなゼリーだけを一口食べる。コーヒーをそのまま食べているような深い苦味が口に広がる。
その後は普通のシロップより甘味が強いブランデーを少しずつかけて食べる。濃厚な苦味と甘味が口の中で混ざり合う瞬間は、まさにちょっとした贅沢を楽しむ休日という感じがして嬉しくなる。

昭和堂を出て、再び公園に向かう。

夏の蒸し暑さが和らぎ、柔らかな日差しが気持ち良く肌に当たるのを感じながら、一軒家が連なるのどかな坂道を下ると森のような公園が見えた。

公園の入り口を抜けると大きな池が目に入る。こども自然公園はこの池を中心に広がっているため大池公園とも呼ばれる。

池の周りは小さなテントを張ってお弁当を広げる家族や釣りを楽しむおじさん達で賑わっていた。

青々とした木々が池沿いを歩く人々に覆いかぶさるように枝を伸ばし木陰を作っている。

道沿いに連なる立派な木々の枝葉を見ながら散歩していると、久しぶりに顔を上げて歩いている気がした。

すぐ下の方から、きゃっきゃと可愛らしい笑い声が聞こえた。
見降ろすと、足元に、よたよたした歩きに合わせて揺れる小さな子供の頭にどきっとする。

足元に気をつけながらさっきよりもゆっくりと歩き続けて景色を楽しむ。

父親に肩車されて木の枝に手を伸ばす子供。
我が子の両足をしっかりと掴み目線だけを上にあげて話しかける父親とその隣で片手を目の上にかざし眩しそうに目を細めながら子供が伸ばす手の先を見る母親。

肩車、私も小さな頃はよくしてもらったな。
後ろ首が詰まるほど見上げないと顔が見えなかった父親の、つむじまで見下ろせる特等席では、視界を遮るものがなく、建物が小さく見えるほど遠くまで見渡せる大パノラマを独り占めしているようで嬉しかった。

お父さん、お母さんは何してるかな。
帰ったら実家に電話してみよう。

そんなことを考えながら歩いていると、いつの間にかモヤモヤした気持ちは晴れて、ほのぼのとした光景の一部になっているような幸せな感覚に満たされていた。

著者

花日