「五十年前」篁 康太

 私は五十年前に二俣川で生まれた。相鉄線は地方鉄道線で二俣川という駅は県外の人にはなじみないだろう。しかし神奈川県内では運転免許センターがあるので少なくとも名前くらいは知っている人が多い。私が生まれたときは開発中で家の周りには空き地、公園、森があった。男の子にとってそこは当然遊び場となった。今のようにインターネットもなく、娯楽施設も少なく、そしてとりたてて裕福でもない者たちは自然と公園に集まり野球をするか缶蹴り、鬼ごっこ、かくれんぼといった定番の遊びにふけっていた。私が子供のころはそれに加えて土器を集めるというのも流行った。周囲の空き地や広場で縄文時代か弥生時代かわからなかったが土器、その破片が割と頻繁に、簡単に見つけることができた。中学になり空き地や広場の数が開発によってなくなっていくにつれてこの流行も消えてしまったが。
 子供というのは物がなければないなりに遊ぶものを考えだすものだ。野球にしても場所と道具を要しない野球だった。ゴムボールとプラスチックバットでグローブはなく素手でボールをキャッチする。ベースは目印で代用した。二塁はない場合が多く三角ベースと呼んでいた。地形の関係でレフトがない場合もあった。要はやる人数と地形で基本ルールが変わったのだ。それらをどこでもやった。ちょっとした空間があればやった。道路でもやった。現在の交通量でそれをやったら暴走族に匹敵する反社会的行為だが、その時車はそんなに走っていなく、例え来たとしても「はい、車。ストップ」と言って通過したら再開した。飛びすぎたボールを撮るために他人の家の敷地に「ボール取らせてください。」と一声かけてずかずか入り込んだことも多かった。今では個人で警備会社と契約している世帯もあるだろう。一発で警報が鳴ってしまう。
 その時ヒーローになることは大変なことではなかった。みんなの前で勇気を示せばヒーローだった。典型的な例が虫取り、昆虫採集だ。夏休みの恒例行事といえば虫取りでカブトムシ、クワガタを取るべくクヌギのある森を歩き回った。目の前に一本の木がある。そこから樹液が染み出て虫が集まっている。大きなカブトが数匹それをなめている。数人の子供たちはそれっと近づこうとするがすぐに凍り付く。カブトの脇にスズメバチがいる。子どもたちは顔を見合わせる。どうする?見過ごすか?カブトは手に入れたいがハチには刺されたくない。そこで「みんな下がってろ。俺がやる」と言って見事カブトを捕獲できたらはい、ヒーローの誕生だ。これなどはまだ上等な方で危険な崖を降りる、どぶ川の両岸を渡している鉄パイプを手だけで渡るなどという蛮勇を競うのもあった。大体がこういうセリフで始まる
「お前らこれできると思うか。」
 皆がしり込みするなかでそれをやりきれたらはい、ヒーローの誕生だ。もっともその賞味期限は短くて次に誰かが何かをやったらすぐに忘れられてしまう。今のアイドル、お笑い芸人と同様だ。
 小学生のころ二歳上の兄と大池公園に行こうという事になった。今は大池自然公園という名称でアスレチックもありちょっとした名所になっている。特に花見の時期は場所取りに難儀するほどだ。その時釣りが流行り始めていだ。小学生の行動範囲では電車を必要としない大池が唯一の釣り場だった。もっともクチボソというメダカのような小さい淡水魚だったが。家から歩いて小一時間で大池に着く。釣り人は多くない。クチボソのような魚を釣ろうとする者は多くない。私たちは釣れそうな場所を物色してある木陰を選んだ。釣れるだろうか、とワクワクして用意した。その時声がした。
「お前らどこから来たんだ。」
 大池は私たちの学区外であった。私に声をかけた二人組の同年代の少年を見たことはない。向こうも同様だったのだろう。以下に続く会話は子供言葉で聞くと長く要領を得ないので大人の会話に変換しよう。
「ここで釣りをするにあたって許可を得ていますか。」
「いいえ。許可が必要なんですか。」
「当然です。」
「周囲の方も全員許可を得ているのですか。」
「あちらの方は当行政区居住の方たちで許可は不要です。あなたは区外の方ですね。それならば必要です。」
「不可解な要求ですね。公共の場所ですよ。失礼ですがあなたは行政の関係者ですか。」
 最後の相手の言葉は元に戻そう。
「つべこべ言ってんじゃねえ。」
 と言うと私を両手で押した。私は池の中に転がり落ちた。水位は私の腰ぐらいで溺れる心配はない。殴られたのではないから痛みはない。しかしパンツの中までぐっしょりと濡れて見下されている私は屈辱感で身動きができなかった。
「お前何してんだ。」
 離れていた兄が気付いた。二三の問答の後兄は実力行使に出た。私を落とした相手を同じ目にあわせたのだ。彼も水につかって攻撃心が萎えたのだろう。口調が変わった。そして友好を求めてきた。その後釣り針が池の中に引っかかってしまった時など
「俺にまかしてくれ。」
 と言って再び水の中に入って行った。私はまだ濡れたズボンを履いていたが兄が誇らしかった。あの時の兄は英雄でその賞味期限はまだ切れていない。四十年位前の話だ。
 今思うに人間の、男のと言ってもいいかもしれないが、争いというものはいつもこうして起こる。「お前俺の場所で何勝手なことやってんだ。」というセリフで始まる。暴力団抗争も戦争も。もう少し文明的な理性的な解決方法に至ることはできないものか。
 五十年住んでいると、途中で何年か不在期間があったが、多くのものは変わる。あるものはなくなる。家の近くの坂を下りたところにあった駄菓子屋はない。店名も覚えていないが「怖いおばさんの店」と呼んでいた。文字通り店主のおばさんはいつも不機嫌で怖かった。代金を払っても「ありがとう」もなかた。しかしお菓子が安く買えてゲーム機もあったのでよく行った。その時のゲームは今と違って子供だまし的なものが多かったがよくやった。長くやっているとおばさんから「早く帰んなよ。」と怒られた。カミナリオヤジという表現があったがこの場合カミナリバ、いや、やめよう。礼を失してしまう。
 二俣川駅前には銭湯もあったのだがそれもなくなった。めったに行かなかったが、それでもたまに行った。広い湯船につかることは気持ちのいいことだということを知った。そしてあるものは生まれる。建てられる。私が生まれて初めてマクドナルドのハンバーガーを食べたのは西友の並びにあったマクドナルドだ。チーズバーガーとマックシェイクを食べて感激した。これがアメリカの味かと思った。その店舗も今はないが。駅前に駅直結のマンションが建てられるなど思ってもみなかった。家を出てすぐに駅というのはどういう感じだろう。便利には違いないが何か違和感がある。味気ないものがある。玄関の扉を開いたらすぐに会社の正門だった、といったような。
 私は昔はよかった、輝いていたという懐古趣味はない。今の子どもは遊び場がなくてかわいそうだ、という同情心もない。非喫煙者の私にとって今は有り難い。昔は誰でも吸っていたし道は吸い殻で汚れていた。交通事故も多かった。昔は交通戦争と呼ばれていた。今もあるが年間死亡者数は確実に激減している。今の子どもたちは外で遊ばずに部屋にこもっていると言う人がいる。それは弊害だ。しかし私が子供のころ遠距離の人と付き合う、さらに言えば外国人と接するという事は考えられなかった。いまネットに接続すれば世界と繋がることができる。メールでやり取りすることができる。昔は文通くらいしかなく、友達が転校してしまったら大体友情はそこで終わってしまった。
 五十年生きて一つ気づいたことがある。子どものころ大人たちはなぜ時代劇が好きなのだろうと不思議だった。いつも同じ結末なのになぜ何曜日の何時に決まっていつもの時代劇を見るのだろうと思った。若いころは新しいものを好む。しかし新しいものはすぐに新しくなくなる。次の新しいものにとって代わられる。それ繰り返されてやがて古くなる。いつまでも続いているものというものはその風化に耐えたということだ。いつまでも変わらないということはほぼない。だから年を取るとそのないことを望むのではないか。その変わらないものが少しでも長く続くようにと。いつも行く居酒屋に行く。いつものように店主が迎え常連がすでに顔を赤くしている。そんな瞬間に私たちは安堵する。マンネリとは悪い言葉ではない
 会社が終わりいつもの電車に乗り帰宅する。何度繰り返しただろう。しかしそれもずっと続きはしない。二俣川に着くと家まで徒歩で十分。バスには乗らない。近距離なのだが家の近くで上り坂がある。そこが少し疲れる。昔怖いおばさんの店があったところから上りになる。その坂には昔桜の木が連なっていた。そこを登りきるとコンビニエンスストアがある。昔はスーパーマーケットだった。今は亡き父から「煙草を買ってこい。」と言われて走って行った店だった。そこを左に見て家に着く。いつものように家族がいる。常に私を温かく迎えてくれるわけではないがともかくいつもいる。私はいつものように夕飯を食べる。
 人の幸福とは思い出、記憶の量と質によるものだと思う。少年時代にあった多くのものが今はない。失われている。しかしそれが悲しくて仕方がないかと問われれば私はそうではない。思い出は色あせないし時とともに輝くこともある。大池公園のほとりに立って、または座って昔を懐かしむか。または昔桜の木が並んでいた跡地に立って散る桜の花びらを想像してみるか。まだ早い。私は若くないがそれをするにはまだ早い。将来それをする日が来るかもしれないが。 
 明日も朝は早い。早起きは慣れたが心地よく目覚めることなどはほとんどない。また朝が来た。いつもの毎日が始まる、と会社員ならば誰でも口にするであろう呪いにも似たつぶやきとともに起きる。それはわかっている。しかしいつもと同じことはよいことなのだ。いつもと同じ人がいることは安心なのだ。そう言い聞かせて私は眠る。五十年かあ。暗闇で伸びをする。憎き小僧に池に突き落とされたのがつい昨日のような気がする。それに目を吊り上げて食って掛かって行った兄貴の姿もかすむことなく目に浮かぶ。あと二十年もしたら今の心境もかなり変わっているかもしれない。昔が懐かしくてたまらなくなっているかもしれない。ただわかっていることがある。確信していることがある。あの時の兄貴の姿は今と寸分たがわず思い出の映像に写っているであろうということだ。

著者

篁 康太