「五右衛門の恋」匿名希望

 澄んだ青い空に丸くて真っ白な雲が一つポッカリと浮かんでいる。焦げ茶色の羽を羽ばたかせて、スズメのチュン吉は、大和駅前の広場に舞い降りた。広場の端には、コンビニエンスストアがある。
「おはよう、五右衛門。散歩の途中かい?」
 チュン吉はコンビニエンスストア近くの木の柱につながれたコーギーに声を掛けた。
「うん…おはよう。チュン吉」
 五右衛門は元気の無い声だ。そしてハアーと大きなため息をついた。チュン吉は首を傾げた。
「五右衛門、どうかしたの?体調悪いの?」
「実はさ…いつも散歩中に会うトイプードルの女の子を最近見なくなっちゃってさ…」
「トイプードル?女の子?」
 チュン吉はピンときた。
「五右衛門。もしかして、その子のことが好きなのかい?」
「違うよ、そんなことないよ!」
 五右衛門は慌ててブンブンと頭を大きく横に振った。だが五右衛門の頬はリンゴのように真っ赤だ。
「そうか、そうか」
 チュン吉はニヤニヤしながら五右衛門を見た。
「だから違うってば。大和駅前から引地台公園まで散歩する時に、よく一緒になったからさ。その時にお喋りしていただけだって」
 必死に否定する五右衛門を見て、チュン吉は笑顔になった。
「まあ、いいけどね。で、彼女の姿が見えなくなったから心配だと」
「そう。どこか身体の具合が悪くて入院しているかも。それともどこか遠い所に引越ししたのかな」
「ただ散歩時間が違っただけかもしれないよ」
「そんなことないよ。飼い主がおばあさんでさ、いつも同じ時間に散歩だって言っていたよ。きっと何かあったと思う」
 チュン吉はジッと五右衛門を見ると、大きく頷いた。
「じゃあ、僕が探してあげるよ、そのトイプードルの子」
「本当?」
 五右衛門は目を大きく見開き、とても嬉しそうにお尻を振った。
「その子、真っ白で艶々した毛並みで、額にハート型みたいな茶色の模様があってね。名前はエレナっていうの。家は相鉄線の線路沿いを瀬谷駅方向に向かった二階建ての一軒家でね。壁がレンガ色で、扉が赤い家だって」
「よし、わかった」
「ありがとう、チュン吉」
「お待たせ、五右衛門」
 その時、五右衛門とチュン吉の頭上から声が聞こえた。コンビニエンスストアの買い物袋を下げた中学生の女の子だ。女の子は柱から、五右衛門のリードを外し、右手に持った。
「五右衛門、行くよ」
 五右衛門は不満そうに飼い主の響子を見上げた。響子は中学一年生で、ポニーテールに結んだ髪の毛先がはねている。未だに小学生と勘違いされるくらい背は小さい。
 響子は大和市文化創造拠点シリウスに向かって、五右衛門のリードを力強く引っ張り歩き始めた。五右衛門は行きたくなさそうに足を踏ん張るものの、ズルズルと引きずられていく。名残惜しそうにチュン吉を振り返った。
「じゃあ、またね。チュン吉。エレナのことお願いね」
「ああ。任しとけ」
 チュン吉は空に向かって颯爽と飛び上がった。クルッと旋回すると、大和から瀬谷駅方面へと向かった。大和駅を出発した相鉄線が丁度地上に現れた。電車は新型の深い紺色だ。
 チュン吉は、電車を見下ろしながら、その上を飛んで行くのが大好きだ。電車の窓から車内をのぞき込むと、大勢の人が立っているのが見えた。本や新聞を読んだり、スマホの画面をのぞき込んだり。
 席に座っている人の中には、ぐっすり眠り込んでいる人もいた。まるで公園のシーソーのように頭が左右に揺れている。隣に座っている人は、とても迷惑そうな表情だ。
「人間も結構大変なのかも」
 チュン吉は小さく呟やき、スーッと飛び上がった。五右衛門が話していた壁がレンガ色で、扉が赤い家を探し始めた。しかし、なかなか目当ての家は見つからない。
「どこだろう?エレナの家」
 その時、小さな公園のベンチに座っている三毛猫の姿が目に入った。チュン吉はスーッとその猫の傍に降りて行った。
「おはよう、アンコ」
 三毛猫が、首を伸ばしてチュン吉を見上げた。
「おや、チュン吉。今日は朝早くから飛び回っているねえ」
「うん。ちょっと探し物を頼まれてね」
「探し物?」
 チュン吉は、事情をアンコに打ち明けた。アンコはフムフムと顔を上下に動かした。
「壁がレンガ色で赤い扉の家ね。それは、あそこの家さ」
 アンコが事も無げに、右手を指差した。その方向を見ると、真っ白い壁に茶色の扉の家が建っている。
「もう、アンコ。僕の話ちゃんと聞いていた?全然違う家だよ」
 チュン吉が怒って羽を羽ばたかせても、アンコは全く動じない。前足でヒゲを丁寧にこすると、フンと鼻を鳴らした。
「あそこの家、つい最近耐震工事して壁やら扉やら塗り替えたのさ」
「そうなの?」
 チュン吉は目を大きく見開いて家を見つめた。確かに壁は真新しく真っ白でシミ一つ見当たらない。扉のドアノブもピカピカと輝いている。
「それじゃあ、探しても分からない筈だね」
「で、あの家に五右衛門が恋している犬がいるのかい?」
「うん。そうらしい」
 アンコは首を傾げた。
「五右衛門には悪いが、その恋は叶いそうにないね」
「コーギーとトイプードルで犬種が違うから?そんなの、五右衛門だって分かっていると思うよ」
「まあ、百聞は一見に如かず、だね。見てみれば分かるよ」
 アンコの隣で翼の羽を整えながら、チュン吉はエレナの住む家を観察した。お昼近くになって、四輪の犬用カートを押しながら、おばあさんが家から出てきた。カートは対面式で、おばあさんはカートにいる犬に何か話しかけている。
「あっ、出てきた」
 チュン吉は急いで飛び上がり、上空からカートの中を覗き込んだ。
「えっ」
 言葉を失った。チュン吉は力無くアンコの傍に舞い戻った。
「分かったかい?」
 アンコの言葉に小さくチュン吉は頷いた。そして小さくため息をついた。
 翌朝はどんよりとした曇り空だった。何だか僕の気持ちみたいだと、チュン吉は思った。
チュン吉は、大和駅前の広場に向かった。
「おはよう、チュン吉」
 五右衛門が目を輝かせながらチュン吉に声を掛けた。いつ雨が降ってもいいように、五右衛門は青色のレインコートを着せられている。今日は広場にある樹木の柵にリードが結ばれていた。どうやら、飼い主の響子は近くのパン屋で買い物をしているらしい。美味しそうなパンの香りが、五右衛門とチュン吉のいる場所まで漂っている。
「おはよう、五右衛門」
「ねえねえ、どうだった?エレナに会えた?」
 五右衛門の瞳は期待でキラキラ輝いている。
「あのさ、五右衛門…エレナは病気じゃ無かったよ。元気そうだった」
「本当?じゃあ、また一緒に散歩出来るかな。またエレナとお喋り出来るよね」
 五右衛門は嬉しそうにお尻を振った。五右衛門の様子を見て、チュン吉は一瞬口ごもった。
「そうだね…五右衛門がエレナの姿を見ていなかった間に、エレナは子犬を生んだみたい。エレナにそっくりな額にハート型みたいな茶色の模様がある子犬。エレナは幸せそうに子犬にお乳をあげていたよ」
「ええっ…」
 五右衛門は口をダラッと開けて、黙ってしまった。
「五右衛門、大丈夫?」
 恐る恐るチュン吉は声を掛けた。五右衛門は頭を小さく縦に振った。
「そっか…でも、エレナが元気なら、それでいいよ…」
 五右衛門は小さく呟き、チュン吉に向かって笑顔を見せた。とても弱々しい笑顔だったけれど。
「五右衛門、帰るよ」
 美味しそうな香りのするパンの袋を左手に持ち、響子が右手で五右衛門のリードを引っ張った。五右衛門は力無く響子と一緒に歩き出した。
「またね、チュン吉…いろいろありがとう」
「お安い御用さ」
 チュン吉は五右衛門の姿が見えなくなるまで見送った。
「僕もそろそろ行くか」
 チュン吉は空高く飛び上がった。大和駅を出発した相鉄線の電車の姿が目に入る。灰色の車体に青とオレンジのラインが入った電車だ。チュン吉は、スーっとスピードを上げた。
「電車なんかに負けないぞ」

著者

匿名希望