「交換日記」堀 清四郎

 「あれっ! 恵子も住所は相鉄線沿線って言ってたわよ。」 後ろから突然割り込んできた同級生の村瀬香代子の声に古賀浩の顔が一瞬こわばった。 ここは関西の地方都市のホテルの宴会場。地元の県立のA高校の還暦同窓会の場所だ。A高校では、毎年の全体同窓会とは別に、恒例行事として還暦を迎えた生徒だけで同窓会をする慣習がある。全体同窓会は高校創立以来の様々な年の人が参加するが、還暦同窓会は同じ学年の卒業生だけが一堂に揃う。懐かしい顔と会えるので人気が高い。関西の地元の高校を出て、東京の大学に進学した古賀浩は、毎年の全体同窓会には参加したことはなかったが、今回の還暦同窓会には参加してみようと思い、自宅のある横浜から郷里に戻った。高校卒業以来の同級生の顔を見るチャンスだ。みんなどんなふうに変わっているだろう。同窓会の朝、ホテルの受付で胸に大きなネームカードをつけてもらい、会場の中で知り合いを探してうろうろしていると、あちこちで「よっ!」「久しぶり!」と再会の歓声があがった。同級生の男子数名が浩を見つけ、それぞれお互いの近況を語り合った。一人が浩に「今、どこに住んでいるんだ?」と尋ね、浩が「横浜の相鉄線沿線」と答えた時、後ろから村瀬香代子の声が聞こえた。

 浩には、還暦同窓会で、高校一年のときに付き合っていた沖田美智子と会えるかもしれないという淡い期待があった。しかし、同窓会の会場に入ってすぐ、同級生の情報から美智子は欠席だと知り、がっかりした。浩と美智子は、高校に入学して一緒のクラスになり、美智子が浩に積極的にアプローチして二人は話すようになった。美智子は外交的で積極的な女子で、自分とタイプの違う少し内気な浩が気になるようだった。教室内では人目があるので、美智子のアイデアで二人で交換日記をすることにした。当時、各クラスには廊下に一人一つの小さなロッカーが割り当てられていて、そこに生徒は自分の教科書や体操着を入れていた。美智子が空いたロッカーの一つを見つけ、そこに鍵をかけて二人共通の交換日記用のロッカーとした。人目のない時にロッカーからこっそり日記を取り出して、カバンに入れて自宅に持ち帰り、相手の書いたことに感想を書いて翌日ロッカーに戻した。この方法はうまくいき、クラスのだれも気が付かなかった。交換日記には、いろんなことを書いた。美智子は授業の事、先生の事、女友達とのやりとりを丸いかわいい文字で書いた。浩はときどき詩を書き、小説の真似事も書いた。浩は自分の作品を読んだ美智子の反応に期待したが、美智子は日記に「よくわからなかった」と書いて浩をがっかりさせた。
二年生になると先生と生徒のクラス分けがあり、二人のクラスが別れてしまった。教室もほかの校舎に移り、二人が共通で使えるロッカーもなくなった。交換日記は自然と消滅した。それでも浩と美智子はときどき学校の帰りに待ち合わせて、近くの公園を散歩した。

 高校三年になって、文系と理系のクラス分けがあり、理系の浩は文系の美智子とは校舎の中でそれぞれ別の階になり教室が遠く離れた。お互いの顔を見る機会が減った。たまに顔を合わせても、進学先が東京の大学を目指す浩と地元の短大を志望する美智子とで話題が違い、心理的に距離ができた。お互い、目の前の受験で頭がいっぱいになっていたこともあり、二人の交際は自然消滅した。

 卒業後、東京の大学に進学した浩は下宿代や遊び資金を稼ぐためのアルバイトで忙しく、めったに地元に帰る事もなくなった。大学を卒業後、東京のメーカーに就職し、会社の独身寮に入った。郷里に帰るのは正月だけで、親の顔を見てすぐ東京に戻った。地元の女子大に入学した美智子とは会うこともうわさを聞くこともなくなった。

 「ねえ。どうしたの。古賀君は最近美智子と会ったことあるの?」村瀬香代子の声に古賀は我に返った。還暦同窓会は会場のあちこちで話が盛り上がっていた。高校時代に美智子と親しかった香代子は、浩と美智子の交際を知っている様子だった。
「いや、高校卒業してから会ったことないよ。でもびっくりしたな。俺は就職して長いこと神奈川のJR沿線に住んでて、最近、相鉄線の緑園都市に引っ越したんだ。美智子はずっとこっちの地元と思っていたけど、横浜に来ていたのか?」 情報通の香代子は美智子のその後を解説してくれた。「美智子は短大を卒業して、そのままこちらで就職して、その会社でご主人と知り合って社内結婚したのよ。ずっと地元にいたんだけど、ご主人の転勤で横浜に引っ越していたのよ。知らなかった?」
「いや、まったく。ところで美智子は相鉄線のどこの駅って言ってた?」浩は香代子に聞いた。香代子は、「えっと、駅の名前は何だったかな。家に帰れば、美智子からの年賀状があったと思うけど。」 浩は期待した答がなかったことに失望したが、ちょうどその時、ほかの同級生が話に割り込んできて、香代子との話が途切れた。

 夕方に還暦同窓会が終わり、ホテルを出て新幹線に乗り、横浜から相鉄線で自宅に戻る途中、浩は考えた。「あの交換日記が残っているならもう一度読みたい。青春のあの頃の雰囲気をもう一度味わいたい。美智子はどこの駅のそばに住んでいるんだろう。相鉄線の駅は全部で二十五。順番に駅とその周辺を散歩していると、偶然にばったり会えるのではないか。美智子はどんな風になっているだろう。」

 浩は緑園都市駅近くのマンションの自宅に戻ると、テレビを見ていた妻の恵子が尋ねた。「還暦同窓会、どうだった?」
「ああ、楽しかったよ。高校卒業して四十年以上経つから、最初はだれがだれかわからなかった。」恵子に同窓会の話をしながらも、浩の頭の中は高校時代の美智子の色白の顔が少しずつ広がってきた。

 今年、浩は勤めていたメーカーを六十歳で退職した。高度成長の時に就職し、八十年代のバブルに踊り、九十年代から低成長を経験し、二十一世紀になってリーマンショックでどん底に落ちた。自分なりに激動の生活を過ごしたと思う。個人の生活としては、社内で付き合った恵子と結婚し、二人の子供を持ち、その二人も独立して出て行った。振り返ってみると、まあまあ平凡な人生だったと思う。退職後、退職金と溜めていた貯金でJR沿線のマンションから緑園都市のマンションに引っ越した。新しい場所で第二の人生を送ろうと思ったのだ。その場所を相鉄沿線と緑園都市が良いと提案したのは妻の恵子だった。

 「相鉄の電車はJRと比べてあまり混んでいないでしょ。それに相鉄の電車はJRほど速度が速くないので乗っていても怖くないわ。駅に置いてある椅子が大きくてお母さんと小さい子供が一緒に座れるし、女性専用車両が真中にあって、女性に優しいのよね。最近できたネイビーブルーの新型車両がスマートでおしゃれでしょ。新型車両は照明が昼と夜で色調が変化するのよ。夜は疲れた乗客が温かみを感じられる色になってるみたい。 それに、今、相鉄は大工事をしていて、そのうちJRや東急線とつながってすごく便利になるのよ。」
浩が会社勤めをしている間に、いろんな情報誌を買い込み、せっせと鉄道と住宅地の情報を調べていた恵子は饒舌だった。

 「住むほうだって、駅前に相鉄ローゼンがあり、買い物が便利よ。街も歩道が広くて散歩しやすいし、緑園都市駅前にフェリス女学園大学があって、若い女性が多く華やかだわ。近所においしいパン屋さんやケーキ屋もあるそうだし。泉区は横浜と言っても農家が多く、あちこちで地元の新鮮野菜を売っているのよ。それに相鉄線はテレビや映画のロケ地によく使われているので、スターと会えるかもしれない。」年齢の割にミーハーの恵子はうれしそうだった。

 翌週から、浩は「沿線めぐり」を開始した。恵子には、運動不足解消と相鉄線沿線の開拓を理由にした。恵子は沿線めぐりよりは、持ち前の外交的な性格を発揮して、地元の自治会活動やボランティアに忙しそうだった。

 「沿線の開拓は一人で行ってらっしゃい。引退した人は何もしないで家にずっといると、引きこもりになるそうよ。」恵子は浩に言った。
浩は沖田美智子のことを恵子に話していなかった。職場で知り合い、社内結婚した恵子には、自分の高校時代のことをうまく伝える自信もないし、なにより恥ずかしかった。
「もし沖田美智子に会ったら、まだあの交換日記を持っているかどうか聞いてみよう。もし持っていたら、見せてもらおう。もう一度自分の青春時代を見てみたい。これから時間はたっぷりある。まずは行動だ。」

 手始めに、いずみ野線からだ。浩は地元の緑園都市から開始した。浩は自宅のマンションを出ると、周辺を散歩し、喫茶店、レストラン、パン屋、ケーキ屋、フェリス女子学院大学など見て歩いた。駅から若い女子大生が列を作って坂を上ってくる。おしゃれな女の子が多いと思った。緑園都市は、恵子の言う通り、落ち着いたきれいな街並みだった。

 数日後、隣の南万騎が原駅に行った。地元の人が「みなまき」というここは昔、古戦場だったことを知った。駅前のショッピング街がコンパクトできれいに整っている。足を延ばしてこども自然公園に行った。自然公園の中の「ちびっこ動物園」では子供たちがモルモットやハムスターに触れて大騒ぎをしていた。池の周りをジョギングしている人やお弁当を食べている家族づれもいた。梅林や桜の木がたくさんあって、春には花見が出来そうだった。帰りに恵子の為に晩の総菜を買って帰った。

 また数日後、今度はいずみ野線の反対側の弥生台駅に行った。名前の由来を調べると、駅を作るときに弥生時代の住居や土器が出てきたのでこの名前になったことを知った。弥生台駅前にたくさんのソメイヨシノがあった。春にはすばらしい花見が出来そうだった。駅の周辺を歩いてみると、昔ながらの喫茶店や商店があった。帰りに改装した駅前のローゼンで晩の総菜を買って帰った。

 こうやって数日おきに、駅を一つずつ訪ねていった。
夢が丘駅では、夢が丘から希望が丘への「ゆめきぼ乗車券」を買い、親戚の受験を控えている甥や姪に送った。気の利いたユーモアに喜んでくれた。

 沿線巡りも順調にこなしていたある日、浩は天王町駅で降りて、「ハマのアメ横」で有名な洪福寺松原商店街をゆっくり歩いていた。激安で有名なこの商店街は訪れる人が多く活気がある。関西の下町育ちの浩には、ほっとするようななつかしい風景だった。
突然、背中から「古賀君」という声が聞こえた。振り向くと、沖田美智子が立っていた。高校時代と同じショートの髪型で、昔と同じ細身のスタイルだ。えくぼのできる笑顔も同じだった。美智子に出会うとしても、自分が先に見つけ、名乗りを上げるかそれとも黙ってそっと帰るか自分で決めようと思っていた浩は、この予想外の展開に驚いた。
浩は「交換日記」の続きが始まる予感を覚えた。                                                                                 
                   終  

著者

堀 清四郎