「伝次郎の背中」鹿野島孝二

 誰もが知ってる正義味方、白いマントの月光仮面。しっかと踏んだ右足を、隆と振り上げ、巨悪の権化、どくろ仮面の胸元へ、渾身こめた一撃を、エイとばかりに蹴りこんだ。どくろ仮面たまらず、「う~ん」と、もんどり打って地べたに叩きつけられた。・・・・・・・はずだった。
しかし唸っているのも、地面に額を擦り付けているのも、風呂敷マントを羽織った五歳の謙二だった。
「馬鹿だねぇ、また月光仮面ごっこやって。どこで転んだ。赤チン塗るからこっちおいで」と母親に手を引かれた瞬間、擦り傷どころではない痛みが肘から脳味噌に突き抜けた。
その時から「骨接ぎさん」に行って帰ってくるまで、大声をあげて泣きどおしだったことは謙二も明瞭すぎるほど明瞭に覚えている。
だからこの日は横浜の外れ、西谷の丘の上の建売住宅の竹垣から飛び降り損ねて痛い思いをした日として、謙二生涯の記憶の始まりとなったのである。

 昭和三十三年春、謙二の一家は父伝次郎が本社から川崎工場へ転勤になることをきっかけに、東京の社宅から引越すこととなった。
 一足先に横浜の団地に転居した同僚から
「溝ノ口の工場に通うなら横浜がいい。横浜駅からは、バスも市電もあちこちに繋がっている」と聞き込んだし「第一、東京より物価が安いし、空気もいい」と言われたことが伝次郎の決め手となった。
 ほとんど日をおかず、伝次郎は、月給三万円貯金ゼロ、食べ盛りの子供が二人いるのも省みず、金八十万円、六畳二間風呂付一軒家の売買契約を、一人済ませてきてしまった。
「お金なんかないのに、そんな借金するなんて嫌ですよ」と言いつつも、水戸の繁華街の洋服屋に生まれた母弘江にしてみれば、六畳一間、風呂なし炊事場トイレ共用の社宅暮らしは、心強くもあったが、どこか窮屈で、いつかはやっぱり一軒家に住みたいと秘かに思っていた。だから不服を言っても、決して嫌な顔はしていなかった。
「まぁ一度見に行ってみろ。相鉄線の西谷っていうところだ」と言い放つ伝次郎を、待ってましたとばかり、次の日、弘江は謙二の手を引いて横浜に向かっていた。
「西口はどちらでしょう」と尋ねながら構内を出ると、ポッンと一つビルがあるだけで、殺風景な駅前広場に、何台かの自動車がたむろしているばかりだった。
 横浜はオシャレな港町、と聞いていたが、想像していた銀座や上野のような活気は、目の前に全くない。水戸の駅の方がよっぽど賑やかだ、と弘江は早くも落胆していた。
 が、しかし「あら、明年高島屋本開業予定だって、日本橋のあの高島屋さんかね」と顔が明るくなった。一方、謙二は「ねぇねぇ、テレビやってる」と目聡く人混みを指さした。
 名店街と書かれたアーケードの入り口脇に、テレビジョンが高く据え付けられ、老若男女が群がっていた。謙二はすぐに尋ねた。
「あのテレビはお菓子買わなくても、見ていいの」
 社宅暮らしにテレビは無縁だった。ラジオだけが箪笥の上から、一日中ドラマや浪曲、落語を振りまくだけだった。
 唯一、京浜国道へ出る角の駄菓子屋では、五円以上の菓子を買うと、居間にあるテレビを店の三和土から見てもよいという約束になっていたのだ。「菓子買わないと見せないよ」といつも怒鳴られ、誰もが「因業婆の店」と、ガキのくせに難しい言葉ではやし立てていた。 
 街頭テレビと高島屋開業の看板に二人の気分は、ぐっと明るくなり「相鉄線のりば」と書かれた改札口をくぐったのである。
 しかし喜びも束の間だった。伝次郎が言った西谷の駅は日差しばかりが眩しくて、がらんとしていた。二人が降り立ったほかには、何人が乗り降りしたのだろう。平日の昼間のせいもあろうが、蒸気機関車こそ走っていなかっただけで、これが横浜にある駅なのか。
「父さんの実家より田舎じゃないか」と弘江は思った。
 松林と藁ぶき屋根、段々畑とほこりっぽい狭い道路。坂を下ると猫の額のような田んぼ。川を越えると細くて急な坂道が竹林の中をうねうねと続き、ようやく上りきると、雑木林の一角が切り開かれて、六軒の家が肩を寄せ合うように並んでいた。その後ろには、なだらかな斜面に大根畑が広がっていた。
「臭いね」謙二が鼻をつまむと、
「肥やしを撒いたばかりのようだね。すごいところだね」と弘江はまた、ため息をついた。
 鍵は開けておきました、という不動産屋の伝言のとおり、マッチ箱のような家には簡単に入ることができた。だが明かりもなく薄暗い室内は、謙二にしてみるとお化け屋敷に入るようで母の袖にしがみついていた。弘江がバタバタと雨戸を開け、光を入れると、今度は真新しい材木やペンキの匂いと畳の匂い。そして裏の畑の肥しの匂いが混じりあって、ますます二人の気分は落ち込んだ。
「謙二、どうだい広いね、この家。幼稚園近いといいね。勝一兄ちゃんの小学校も」
と慰めたつもりだろうが、
「イヤだ」としか謙二は答えられなかった。
「本当に会社に近いのかね。ここ」
 その夜、両親が言い争っていたことは、謙二の記憶にない。

 伝次郎は毎朝きっちり七時に家を出て行った。西谷駅まで徒歩十五分。西谷から七時二十分の黄色い普通電車に乗り、横浜で東横線に乗り換え、さらに武蔵小杉で南武線に、という乗り換えの多い通勤であった。今までよりどう考えても時間が短くなって、楽になったとはいえない。ただ一軒家を持った満足感は大きかった。苦労して工業学校を出してくれた田舎の母にも顔向けができる。
 それより何より、この西谷の家で一番気に入ったのは、端正な大山を前に、富士山が長いすそ野を伊豆箱根の山々にまで一杯に伸ばした姿が望めることだった。いつか家族で富士山に登ってみたい、それが伝次郎の小さな願いだった。その願いが適うよう毎日、出がけに富士を拝み、ついでに、その日の仕事が順調に行くことを祈っていた。
 ただ帰り道である。山の上に至る坂道は辛い。特に一杯飲んで帰った日などは、本当に息切れがした。そればかりではない。安普請の建売だけあって、風の強い日には、壊れてしまわないかというくらい心細い。貧乏農家の生家の柱と比べても、せいぜい半分じゃないか。我が家の柱を撫でては、伝次郎もため息をついていた。そんな懸念は引越してきて半年後の秋、現実となった。

「おい、帰ったぞ」まだ三時過ぎなのに伝次郎の声がして、弘江は慌てていた。
「何かあった。ご飯の支度、まだできてませんよ。買い物もこれから行こうかと」
「何言ってる。飯じゃない。台風だ。これからこっちへ向かってくる。」
 そう言うなり、いつ集めたのか、荒縄で縛られた杉板を縁の下から引っ張り出している。やがて「早く雨戸を閉めろ。勝一、謙二」と怒鳴る声も聞こえてきた。
 雨戸が締まると、伝次郎は大工顔負けの手際よさで、全ての雨戸を筋交いに釘付けしてしまった。それが片付くと、今度は屋根に梯子をかけ、雨どいに溜まった落ち葉を浚い、最後に下水枡のヘドロを掬っては、畑にぶちまけていた。
「これから雨がひどくなるらしい。風も強いから停電するぞ。蝋燭と懐中電灯はあるな」
 そんな亭主の段取りの良さに、弘江は感心していた。実家の洋服屋では、こういう家のことも、住み込みの仕立職人やお手伝いさんたちがやることで、主人をはじめ家人は「たいへんだねぇ。いやだねぇ」と口先だけで過ごすのが当たり前だったからだ。
「斜交いの、あの板、いつ手に入れてらしたんですか」
「ああ、先月からこの先で建売の工事が始まっただろ。そこに放ってあった材木だ」
「放ってあった、ていっても、捨てたわけじゃないでしょうよ。嫌ねぇ」
「どうせ半端の材木は焚火にして燃やすんだから、いいんだよ」とコツコツ集めていた、というべきか、勝手にもってきたものらしい。
 日が暮れると、雨がどんどん酷くなり、トタン屋根を激しく打つ音に、親子は生きた心地がしなかった。時折、風が音を立てて雑木林を吹き抜けていく。雨戸やガラス戸の下からは、細かいしぶきが吹き込んで狭い縁側を濡した。
 親子は、社宅時代の習慣がすぐには変えられず、いつものように六畳一間に、きっちりと床を延べ、早々に寝入った。だが、息を殺すよう布団を被っても誰も寝付けず、伝次郎の枕元のラジオのニュースに耳を傾けざるを得なかった。しかしそれさえ時折、聞き取りにくいほどの雨である。すると隣の空き部屋からぺしゃ、ぺしゃ、ぺしゃ、と規則正しい音がし始めた。
「雨漏りかしらね。困ったね」と弘江は起きだすと、流し台に置きっぱなしになっていたアルマイトの片手鍋を、濡れた畳の上に無造作に置いた。すると今度は少し乾いた音がポッ、ポッ、ポッと鳴り始めた。それを聞いているうちに、親子は眠りついてしまったらしい。どれだけ長い時間、雨が降り続いていたか謙二には分からなかった。
 しかし翌朝「今日は半ドンだが家の片付けより会社が心配だ」と早々に出かけて行った伝次郎が「相鉄と東横は動いてたけど、湘南もスカ線も止まって駅に入れなくて、ひでぇ目にあった」と一時間ほどで戻ってきた。鶴見や東京の下町も水浸しになったらしい。
 のちに狩野川台風と呼ばれる雨台風が昨夜通りすぎたのだった。

「謙二、下の豆腐屋さんに行って、豆腐と油揚げ買ってきてよ」
「えぇぇ、昼はご飯?チキンラーメンがいいなぁ。」
「贅沢言ってるんじゃないよ。洪水でご飯食べられない人もいるっていうのに。お駄賃やるから、兄ちゃんには内緒でさ」
お駄賃というセリフに謙二は滅法弱く、昨夜大活躍したアルマイトの鍋に小銭を放り込んで、雨上がりの坂道を下っていった。坂を下りながら謙二はふと気が付いた。
 半月ほど前から雑木林と畑の半分がブルトーザーで削り取られ、ひな壇のような空間が造られ始めたのだ。また家が建つようだ。
 ただ弘江からは「工事のトラックや機械が出入りするから危ないよ。入ったら工事のおじさんに怒られるからね」と言われていた。 
 しかし、ダメだと言われると行きたくなるのが男である。幸いに台風一過の晴天だし、薄暗い竹林の細道が付け代わるのか、新しい道も作られているように見えた。砂利すら撒かれていないが、視界は開け、駅へ続く道も見えている。
「行くしかない」勇気ある少年は、恐れることなく未知の世界に突き進むのだ。と床屋で読んだ「冒険王」に書いてあった。
 道の真中は昨夜の雨で小さなⅤ字に削られていたが、思ったほどぬかるんでおらず、てかてかした赤土の上を滑らないように気をつけて行けば大丈夫。そろり、そろりと下って行った。随分、近道になる。やったね。と思ったのが浅はかだった。
 造成地は上から削り始めて、下へ下へと工事を進めていたから、ひな壇はすぐに終わり、道に見えたものも途切れ、四方は削り落としたばかりの土砂の丘になっていた。それでも大きな塊の上を踏んでいけばなんとか歩けるし、坂下の道もすぐそこまで見えている。
 もう一度戻って、いつもの暗い道に引き返すのも面倒だ。行っちゃえ、と数歩踏み出すと、様子がガラッと変わって田んぼに踏み込んだような圧迫感が、長靴に伝わってきた。「えぃ」と足を引き上げると、ズボっと音を立てて抜けた。次の一歩も同じだった。
 三歩、四歩と進むと、今度はズブリ、ズブリと味噌のような赤土に両足の長靴が呑み込まれてしまった。「やばい」と気づいて「戻らなきゃ」と振り返った瞬間、鍋を持つ手が緩んで、十円玉が泥の上に散らばった。それを慌てて拾おうとしたら、今度は完全にバランスを崩して、上半身が前のめり、胸まで泥の海に突っ伏してしまった。
 長靴の中にはもう泥が入り込んでぐちゃぐちゃになっているし、どうにか体は起こせても、一歩も身動きが取れなくなってしまった。
「おかぁさん・・・」
 工事を再開しようと現場の様子を見に来た工事人夫に助け出されたのは、どれくらいの時間がたってからだろうか。謙二には長い間泣き叫んでいた記憶はないが、母から薄暗くなるまで怒られ、父からも「馬鹿者」呼ばわりされたことはしっかりと覚えている。

 年が明けて昭和三十四年「皇太子さんがご結婚なさるのだから、皇居前には行けないけど、テレビ見てお祝いしなくちゃ」と母の半ば強引な理由でテレビが家にやってきた。
 伝次郎も「今年の春闘も、まあまぁの数字が出るだろう。安月給なんだから、上がってくれねぇと、やってられねぇよ」と言いつつ、家に帰ってくると巨人阪神戦長島・村山の対決にかじりつき、親子そろってプロレスに興奮した。父子はお膳そっちのけで、いつも狭い床の間に鎮座するテレビに向かって正座していた。
「お父さん、私、冬のコートがないんですよ。お嫁入りのとき実家で仕立てたやつを、この前、虫干ししてたら、泥棒に持ってかれちゃったでしょ。これから寒くなるのに、買ってもいいですよね。ちょうど十月に高島屋が西口に開店するんですよ。東京まで出なくてもよくなって、ほんとに助かるわ。開店セールで買ってもいいですよね」と、そんな話をしていたのは、謙二痛恨の失策から、ちょうど一年がたった頃だった。
 弘江の一方的なおしゃべりを聞き流していた伝次郎は、肘枕から顔だけ振り向けると、
「さっきの天気予報見たか。明日はでかい台風が来るそうだぜ。この家が無事だったらな」
「そうなの、あした会社にいけるかしらね」
「また去年みてぇに横浜まで引き返すのもなんだから休みにする、と会社には言ってきた」
「そう、よかった。安心した」
 コートのことはまた来週にでもいうしかない。長期戦は覚悟、初志貫徹と弘江は腹を据えた。
 翌朝は、前の年と同じように手際よく台風対策が伝次郎の指揮のもとに進められた。
「おい勝一、犬小屋にブロック入れとけ。クロはかわいそうだから玄関にな」
 クロは兄勝一が拾ってきた犬である。真っ黒な雑種で、何の芸ができなくても、泥棒除けくらいにはなる、ということで飼うことを許されたのだ。しかし愛想のいいのが取り柄で、誰にでも尻尾を振ってしまう犬だった。
「勝一、エサ入れも玄関に置いとけよ。風で飛ぶかもしれないからな」
 去年、雨漏りを一晩ため込む功績をあげ、謙二遭難の巻き添えとなったアルマイト鍋は、今年お役御免となり、番犬の食器に成り下がっていた。
「今夜雨漏りしたら、また使うといいよね」と勝一が伝次郎に、ニヤリと声をかけると、
「それ持たせて、謙二をまた豆腐屋に行かせるか」と大声で笑いあっていた。
 日暮れ前から風が段々と強くなってきた。雨も時折バラバラと降ってはきたが、去年のように降り続くのではなく、降っては止み、激しく降っては急に止むような降り方だった。暗くなってからは、かなり蒸してきたし、風のうなりが一段と強くなって、カラカラと何かが転がるような音も聞こえた。
 ただ去年の経験があってか、あまり恐怖感もなく、知らず知らずに親子ともども、意外に早く寝入ってしまったようだ。
 しかし「勝一、謙二起きろ、雨戸を押さえろ。母さん電気はどうした、電気は。点かないのか」と伝次郎が頭の上で叫んでいる。どれくらい寝たのか、全く分からない。分かっていることは、ゴォー、ゴォーという聞いたこともない音が小さな家を襲っている、ということだけだった。
 伝次郎の小さな家は、時折ギシっと嫌な音を立てた。その度に雨戸が弓なりになり、ガラス戸がガタガタ、ガタガタと休むことなく音を立てていた。
「俺が真ん中を押さえるから、勝一は右、謙二は左。母さんは隣の部屋を押さえろ」真っ暗な中、食卓に置かれた懐中電灯の光が雨戸を照らしているが、雨戸の隙間からは叩きつけられた雨粒がガラス戸に吹き散っては、不思議と静かに垂れ落ちていった。
 バタ、バタ、バタバタバタ、と外から家を何かが叩くような音がし始めた。
「羽目板かトタンが剥がれたか。道具箱は玄関にあるな。見てくるぞ、勝一。懐中電灯持ってついてこい」
 兄がさっと取り上げると、部屋は真っ暗になり、光の線だけが謙二の瞼に残った。その気配に弘江は「お父さん、止めてください。勝一も。表に出るなんて危ないでしょうよ。やめて」と叫んだ。
「大丈夫だ」伝次郎は素早くゴム合羽を着ると、懐中電灯をひったくるように取り上げ、
「いいか、玄関開けたら、俺が出る。そしたら勝一、すぐに閉める。分かったな」
「うん」と頷いた勝一だったが、震えていることは、弟なら見えていなくても分かっていた。次の一瞬、弱まった風を読んで伝次郎は表へ飛び出した。するとしばらくして、庭に面した羽目板に釘を打ち付けている音が、風に混じってしっかりと聞こえてきた。
 一晩中、安普請の家はもみくちゃにされ、まるで船底に押し込められたようで、兄弟は母にしがみつき、母は父の手をひと時も放さなかった。
 一夜明けると風はまだあったが、抜けるような青空が庭一杯に広がっている一方、木の枝や何か分からぬゴミが、ごっそりばら撒かれていた。その中に、いつの間にかクロのエサ入れが泥まみれになって転がっていた。伊勢湾台風と朝のニュースがその被害を伝えていた。

 その翌年「こんな家じゃ、勉強部屋もない。これからは大学だ」と宣言すると、伝次郎は子供たちの将来のためだと、また借金をして大幅に家を建て直してしまった。
 会社には大卒社員が毎年増え、伝次郎のような現場あがりの人間は出世とは無縁になっていた。それはそれで構わなかったが、
「経験と勘じゃ通用しない。科学の時代になったのだ」と、年下の大卒上司に言われても、反論もできない。そんな悔しい思いを子供にはさせたくない、と伝次郎は決心したのだ。
 さらなる借金返済のため、伝次郎は黙々と働き続けた。仕事に打ち込んでいれば悔しい思いより、モノを造る喜びの方が大きかったからだ。しかし、家族で富士山に登るという夢は、どこかに忘れてきてしまった。変わらなかったのは、毎朝七時二十分の相鉄電車に乗ること。そしてきつい坂を上って、家にたどり着くことだった。その習慣は万年係長として定年退職するまで続けられた。
 もっとも、退職しても晴れた日には必ず、富士を拝みに散歩へ行くことが伝次郎の日課であった。

著者

鹿野島孝二