「僕の住む町・住んだ町」長閑 蛍

 蝉の声が日ごとに大きくなり、待ちに待った夏休みがやってきた。
先生から渡された通知表と宿題さえ無ければ、明日から天国のような時間が待っている。
 僕は小学6年生、ここは宮城県石巻市。僕が生まれて育った町だ。
 海が目の前、そう僕の父ちゃんは漁師なんだ。のりを作っているんだ。
パリパリのおいしいのりは海からの贈り物。
 さあ遊ぶぞ。何して遊ぼうか。昔から色の黒かった僕は、みんなからクロって呼ばれている。みんなも黒いけど並ぶとやっぱり一番黒い。夏休みが終わるころには、真っ黒だ。
 「今日も天気がいいなあ。」親友のしんちゃんを誘って日和山へ行ってみよう。海辺の長い橋を渡る。暑いけど自転車で疾走すると風があたって気持ちがいいよ。
 息をきらしながら登って日和山に着いた。いい景色だなあ。今渡ってきた橋が見えるよ。木陰で一休み。向こうでおだんご売っている。食べたいな。けど長いお休みはこれからだ。節約、節約。
 そんな時、しんちゃんが「あそこにかわいい子がいる」と指差した。
白いワンピースを着た髪の長い子だ。僕らと同じくらいの年かなあ。下を見下ろしていたその子がこっちを向いた。僕と目が合った。そしてにっこり笑った。僕はなんだかはずかしくて下を向いてしまった。でも胸がドキドキする。いなくなってから、しんちゃんが「あの女の子俺に微笑んだ」と言い出した。僕は「いや僕に笑ってくれたんだ」と言い合いになってしまった。
 この辺では見かけない子だった。
 夏休み最初の日の出来事は、思い出として心に残ったが、長い夏休みが終わって登校するころには、すっかり忘れてしまっていた。
 また学校に行く日が来てしまった。憂鬱だ。足取りも重く学校に向かった。
 先生が来て、みんな立ち上がった。
 すると先生は女の子を連れて入ってきた。
その子を見たとき、一気に記憶が蘇った。あの子だ。日和山にいて、僕に笑いかけてくれたあの子だ。
 その子はミカちゃんっていった。親の転勤で横浜市旭区から越してきたと挨拶した。
 そしてなんと、なんと、たまたま空いていた僕の隣の席にやってきた。
 僕は緊張した。でもミカちゃんは「初めましてよろしくね」と挨拶してくれた。う~んやっぱり覚えてないか。僕の「よろしくね」は少し震えていたような気がする。
 目のクリっとしたミカちゃんは結構気さくに話しかけてきて、人見知りする僕にもすぐに打ち解けられた。
 町内を案内するっていって、しんちゃんと3人で休みの日に自転車で出かけていった。
 ミカちゃんも今まで住んでいた横浜をいつか案内してくれるって言ってくれた。
 横浜って行ったことはないけど、前にテレビで見た山下公園を見下ろす高台に住んでいたんだろうな。などと勝手な想像を巡らせていた。
 そして、もうすぐ中学生になるというある日、その出来事は起きた。
 僕はその日、その時間、小学校の教室で授業を受けていた。
 突然起こった大きな揺れ。地震だ。先生はすぐ机の下に隠れなさいと叫んでいた。
 揺れはとても大きくて長かった。ガラスの割れる音もした。怖くて、怖くてたまらなかった。
 机の下で不安そうにこっちを見ているミカちゃんと目が合った。僕は精一杯見栄を張って「大丈夫」と一言言った。でも顔はこわばっていたと思う。
 揺れが治まってから、しばらくして僕らは校庭に並ばされ、「高台に避難する」との先生の指示通り、裏の山を登って行った。またいつ大きな揺れがあるか不安な中、それでも順序良く登って行った。
 上に着くか着かないかの時に、ゴォーという地の底からの叫びのような音が遠くに聞こえ、茂みの間から海岸の方を見ると海の水がしぶきを上げてこちらに迫っている。
 あっと思い見ているとみるみるこちらに押し寄せてきて、学校まで飲み込まれてしまっていた。
 僕の家は海岸に近く、もうそのあたりは濁流が渦巻いている状況だ。父ちゃんや母ちゃんはどうしただろう。逃げられたのかな。
 だんだん暗くなり、下の方にある僕らの小学校は車のぶつかる大きな音がしたり、火が出て火事になっているようだった。
 僕らは先生から近くの中学校の避難所に向かうことを告げられ、分散してそれぞれ指定された避難所に向かった。
 避難所ではみぞれも降ってきて、暗くて寒くて怖くて、みんなで肩を寄せ合って、不安な一夜を過ごした。
 夜が明けても寒さは厳しく、もらった毛布にくるまっていた。みんなにおにぎりとペットボトルの水が配られた。
 高台に住んでいる子たちは親が迎えにきていた。ミカちゃんも高台の家なので、両親が迎えに来て、「頑張って」と声をかけてくれ自分の家に帰って行った。
 父ちゃんと母ちゃんはどうしただろう。ちゃんと避難できたのかな。
 それから3日たっても4日たっても迎えに来ない。心配だ。そして心細い。
 父ちゃん、母ちゃん。
同級生も親戚の人に迎えに来てもらう人もいて一人減り二人減り残っているのは、数人になってしまった。そして一週間がたち、もうダメだったのかもしれないと思いかけた時、避難所の入口に懐かしい母ちゃんの顔があった。
 思わず駆け寄り母ちゃんに抱き付いた。そして涙が次から次へと、とめどなくあふれ出た。
 うれしくてこんなにも涙が出るものなのか。そのあと、母ちゃんから父ちゃんが津波に飲み込まれて亡くなったことを聞いた。
 今度は悲しい、悲しい涙がホホをつたっていった。なんでも一度は一緒に逃げて無事だったのに、ようすを見てくると出かけたきり戻らなかったということだ。余震で、足元が崩れて濁流に流されたのを見た人がいたらしい。なんで父ちゃん出かけたの。
 そうして、住む家を無くした僕らは避難所にしばらく住むことになった。
 時々ミカちゃんが来て、励ましてくれたのが唯一の楽しみだった。
 2週間もたったころミカちゃんが両親と来てくれて、横浜の知り合いがアパートを経営していて、僕らのことを話したら、そういうことだったら、「格安で住む場所を提供してくれる」と言ってくれている。とのありがたいお話だった。
 僕と母ちゃんはかつてミカちゃんが住んでいた横浜に向かうことになった。
 旅立ちの日、ミカちゃんが僕と母ちゃんを送りに来てくれた。
 バス停でミカちゃんはいっぱい、いっぱい手を振ってくれた。
 仙石線が動いていないので、バスを乗り継いで仙台まで行って、東北新幹線に乗った。
 初めて乗る新幹線は快適だった。東京駅で乗り換えて、いよいよ横浜駅に着いた。
 人が多い。みんな忙しそうだ。
 そして、教えられたとおりに、相鉄線のホームを目指したんだけれど、大きな駅で迷ってしまい、人に聞きながら、やっとたどり着いたホーム。銀色に光る電車が僕たちを待っている。かっこいい。
 相鉄電車の各駅停車に乗って、和田町っていう駅で降りた。なんだか港のイメージからかけ離れた駅だなあ。
 駅前のバス停から相鉄バスに乗った。するとバスは長い上り坂を上っていったり、今度は下ったり、大きな道を横切り、まだ進んでいく。そして、教えられた終点の、西原住宅のバス停に降りた。途中バス停がいっぱいあって、ずいぶん遠くまで来た感じだ。
 バス停まで、アパートの大家さんが迎えに来てくれていた。母ちゃんが連絡をしたらしい。家がいっぱいある町の中に、僕たちがこれから住むアパートがあった。
 白い色が目立っている。まわりの緑に映えていい感じだ。
 翌日が近くの中学校の入学式だった。
 僕は誰も知っている人がいない中学校に入学した。最初は不安だったけど、すぐに話しかけられて、仲のいい友達もできた。
 ケンボーって呼ばれているその子にミカちゃんのことを話したら、よく知っている子だってことで盛り上がった。ケンボーもミカちゃんのことが好きだったみたい。
 同志ができた。ケンボーの友達のユースケとも仲良くなった。僕はここでもクロちゃんと呼ばれた。
 週末は3人で遊びに行くようになった。
 はじめに町を案内してもらった。中学校から一番近いのは相鉄線の西谷という駅だ。でも駅に行くには、すごく急な階段をずっと下まで下って行かなくてはならない。上から見るといい景色で、下の町の相鉄電車がよく見えた。
 なんか天下をとったみたいだ。駅まで下りて行ってまた引き返してきた。下には商店街があって買い物の人で賑わっていた。しかし上りはきつい。この階段を登らないといい景色には出会えない。息をきらしながら3人で登り終えると、さっき見た西谷駅が一段と輝いて見えた。
 ここに来るときに、バスで坂を上がったけど、坂の上に西谷浄水場があるって教えてもらった。
 行ってみるとちょうど桜が満開だった。なんてきれいなんだろう。日和山の桜もきれいだったけれど、ここもすごく競い合って咲いている。桜っていいな。どこで見てもきれいだ。
日本人に生まれて良かった。なんてね。
 ここからの景色がまたすばらしい。ケンボーがみなとみらいや新横浜のホテルまで見えるって自慢していた。壮大な景色に、しばらく時間を忘れて見とれてしまった。
 噴水のうしろにある水道記念館にも行ってみた。へー水ってこんな遠くからはるばるここまで運ばれてきて、うちの蛇口から出てくるんだって。すごい冒険だな。
 桜って言えば、保土ヶ谷高校の外周道路にも桜の木があって、一直線にきれいに咲き誇っているんだ。ちょっとした茂みになっていて、この前リスがいるのを目撃した。ガサガサいったので鳥かと思ったら、なんとリスだった。
 一回だけしか見ていないけど、また会えるといいな。
 まだまだあるよ。神田(じんでん)公園。のどかな公園だ。キャッチボールするのにちょうどいい。小川にザリガニもいる。
 次の日も来てみたら、なんと、なんとカワセミがいた。公園の小川の大きな石にとまっていた。なんてきれいな鳥なんだろう。その鳥がこんなところにいるなんて。すぐ飛んで行って見失ってしまったけれど、帰って母ちゃんに報告だ。
 次がまたすごいんだ。陣ヶ下渓谷公園。こんな都会の真ん中にこんな自然があるなんて。驚いたけどうれしいな。
 雑木林に遊歩道が整備されている。道を下に下っていくと渓流が流れているんだ。向こう岸に飛び石づたいに渡ってみる。
 うーん自然の流れだ。反対側を登ってみると渓谷沿いに道が続いている。
 大きな道路の下にこんな秘密基地みたいな場所があるなんて。
 最後まで歩いて杉山神社にお参りして帰ってきた。
 この林は春には鶯が鳴くんだよ。最近聞かなくなった「ホーホケキョ」はやっぱりいい歌声だ。そして秋には虫の声。日本の古里の音色だ。耳に心地いいよ。
 陣ヶ下渓谷公園の遊歩道の入口に「みずのさかみち」っていう長い階段があるよ。
 朝早く、この長い階段を登りきって汗を拭きながら、今来た後ろを振り返ると日の出が見えるんだ。
 大きなオレンジ色に輝く朝の光は神々しいって表現がぴったりだ。
 もうひとつ、大きな道路(環状2号線というらしい)の反対側にも自然が残されていて、ここにも小川がちょろちょろ流れている。
市沢の谷戸というらしい。
 6月になったら、この林には蛍が出現するんだって。ホントかな。日が暮れてからケンボーとユースケを誘って行ってみた。かなり暗い。大丈夫かな。
 小道を少し歩くと、いたいた、いっぱいいた。なんてきれいなんだろう。たくさんの蛍がキラキラ明滅しながら乱舞している。幻想的って言うのかな。
 僕の帽子にも止まってくれた。
 奥まで行ってまわりの木を懐中電灯で見ながら、引き返してきたら、クワガタ虫を見つけた。
 やったー。まだ、6月なのにもう見つけた。また来なきゃ。
 夏休みになって林に行くと油蝉の騒々しい鳴き声が響いていたよ。石巻と同じだ。ちょっと寂しくなったけど、ここには自然がいっぱいだ。
 本当に横浜に来て良かった。
 石巻は海がすぐそばにあって、潮の香りがしていたけれど、ここには山の自然がいっぱいあって耳をすますと、木々の息づく歌が聞こえてくるんだ。
 もっと探検して、いいところをいっぱい見つけるぞ。
 そしてミカちゃんに今度会ったら、自慢するんだ。
 ところで僕は、電車の運転手になるのが夢なんだ。環状2号線の脇の歩道を上星川の方に歩いていくと、電車の線路の上を跨いでいるところがあるんだ。
 そこから、下を通る銀色の電車がよく見える。いつまで見ていても飽きないな。急行電車・普通電車が横浜や海老名や湘南台まで走っている。かっこいいな。運転したいな。
 きっと、十年後はもっとかっこいい青い電車を渋谷や新宿まで走らせている僕がいる。なんて想像するだけで胸がワクワクしてくるよ。
 そして三十年後には、電車は平塚まで行っている。都心から湘南までひとっ走り。すごいなあ。僕はベテラン運転手になっていて、都心から海老名や平塚まで特急電車を運転している。それともそのころは自動運転になっているのかなあ。
 三十年後は、僕の住んでいた石巻は、りっぱに復興していると思う。横浜の街もうんと賑やかに変わっているだろうな。でも、今のこの町の自然は、そのまま残っていてもらいたいな。
 油蝉や鶯やリスの子孫たちが、ずっと、ずっとこの町を守ってくれている。そして、僕たちの子供たちにも、そのまた子供たちにも、この町の豊かな自然をずっと、ずっと見せてあげたいな。
 

著者

長閑 蛍