「君が電車になった日」井々井 楠梨

 穏やかな休日の午後。昼の日差しに暖められた空気が、室内に満ちている。もうずいぶん長いこと、食卓の前に座ってぼんやりしている。一時間ほど前に淹れた紅茶が、冷め切るでもなく、ぬるいままになっている。私の意識も、紅茶のなかの砂糖のように、ぬるい空気中に溶け込んで、どこかにいってしまった。幸福な休日の午後である。
 そうしてしばらくしていると、不意に部屋が暗くなった。日差しが、隣のマンションの軒に遮られたのだ。住宅とマンションの位置の都合で、毎日決まった午後の時間になると、日光が居間に届かなくなる。
「もう、そんな時間なのね。」
 室内が急速に冷えていく。どこかにいっていた自意識も、私のもとに戻ってくる。空虚な現実感に襲われて、のどかだった休日がいまや薄寂しく暮れつくそうとするのを感じる。
 さすがにそろそろ、買い物にいく頃合いだと思った。こんな気持ちになるなら、もっと早く出かけておけばよかった。とはいえ、軽く散歩でもしてから、スーパーに立ち寄れば、夕飯の準備にはちょうどいいタイミングかな……。
 物憂くなりそうな気分を追い払うように、つとめてハキハキとした声で、息子のヒロに呼びかける。
「お母さん、買い物にいくけど、一緒に行かないー?」
「え、行くー。三分まってー。」
 ヒロはばたばたと音を立てながら、ほんとうに三分きっかりで支度した。男の子の着替えは驚くほど速い。ヒロは小学一年生で、こうして機嫌がいい日には、部屋で遊ぶのを切り上げて、私の買い物に付き合ってくれる。
 玄関を出ると、溌剌とした外光がまぶしい。外は午後といってもまだまだ日盛りで、ただ家の中だけが翳っていたらしかった。失った日を取り戻したようで、誰に感謝するでもなく、ありがたい。身体までも軽やかになる。
 家の前の路地を抜けて、表のバス通りに出る。「水道道」と呼ばれる横浜の市道である。この道沿いに歩いて、上星川駅前を目指すことにする。
 西谷浄水場の正面玄関や、水道記念館の噴水を通り過ぎると、水道道は急勾配の下り坂に差し掛かる。
 この坂を、私は気に入っている。かなりの急斜面になっていて、遙か向こうに、みなとみらいのビル群が見渡せる。今日はすがすがしく晴れているから、ベイブリッジもくっきり見える。いつのまにか、また一本、新しいタワーマンションが立ち上がったようだ。
 ヒロも、いつもここを通るたび、その景色を楽しみにしている。しかし今日に限って、珍しく顔を上げない。
「どうしたの?下ばっかり向いて。」
「いや、べつに……。」
「前を見て歩かないと、あぶないよ?」 
「……。」
 ヒロは、なにかに気がついたように、下をみて歩いている。どうしたものか、いま少し詮索してみることにする。
「ね、なにか、下にあったの?」
「えっとね、これがね。」
 そういってヒロが指さしたのは、歩道と車道の間にある側溝の蓋である。どこにでもある、スチール製の、銀色の四角形の格子。
「それが?」
「線路みたいだなって思うの」
「え、線路?」
「ほらここが、二列になってて。」
 側溝の蓋をまじまじとみるのは初めてだが、言われてみると、線路に似ている気がする。金属でできた格子の縦のラインが、ちょうどレールのような間隔で並んでいる。
「たしかに線路っぽいわぁ。よく気がつくね。これ、なんていうのかな?」
「知らない、お母さん、調べてみてよー。」
 ヒロは、スマホもパソコンも買い与えられていないくせに、《気になったらすぐ検索》という現代文明のハビトゥスをいつのまにか心得ていて、何かにつけて私に命じて調べさせようとする。私も私で、6歳児に命じられるままにスマホで調べる。
「うーんと、あー、わかった。《溝蓋》っていって、特にこういう金属のタイプは《グレーチング》っていうみたいよ。格子が密なタイプと疎なタイプとかあるらしいし、色付きもあるみたい。え、ホームセンターで売ってるんだって! 誰が買うんだろう、あ、家の前に側溝があるひとは、じぶんで買うのか……。」
 見慣れた道路脇のそれに、そんな名前や種類があったなんて。名も知られない野草のように愛おしく思えてくる。新鮮な驚きだ。都会には、見慣れすぎているがゆえに、知った気になって素通りしてしまう人工の物がたくさん潜んでいるのではないかしら。
 それに比べるとヒロの反応は、薄い。私に検索までさせた割に、小さな声で「へぇ。」と言ったきり、とりたてて感心するそぶりも見せない。検索の礼も述べない困った息子である。 
 そのかわり、いくぶん集中した気配で、若干スリ足気味で歩いている。
「今度はどうしたの?」
「この道の模様がね、やっぱり線路っぽいの。それで、線路のうえを、走ってるの。」
「え、あ、つまり、電車ごっこしてるの?」
「・・・電車ごっこっていうか、ごっこじゃなくて、その、いま電車だから。」
「あ、失礼しました。」
 ヒロは、もうすっかり《電車そのもの》になりきってしまったようだ。
 グレーチングの次は、歩道の舗装のパターンが線路にみえるという。たしかに縦線と横線の具合が、レールと枕木のようにもみえる。すぐに新しい遊びを考えて没頭出来る子供の想像力が羨ましい。
 それに、「電車ごっこっていうか、ごっこじゃなくて」と、すこし言い淀みながらなにかを伝えようとするヒロの気持ちが、私にはなんとなく分かる気がする。
 私も小さい頃、輪状の紐の中に複数人入って遊ぶタイプの、いわゆる「電車ごっこ」が苦手だった。前の子の肩をつかんで車両の連結を表したり、「シュッシュッ、ポッポ」と声を合わせて叫んだり。そういった電車ごっこでよくなされる定型の振る舞いが、幼心に茶番めいて感じられた。
 茶番に思えたのは、「電車ごっこ」のような遊びのなかに周囲のオトナが求めているのが、形態模写的なリアリティの追求などでは勿論なく、つまらないと思う遊びでも他の子と一緒に遊んでみせる協調性にほかならないことに、幼児ながらの感覚で気付いてしまっていたからだ。それでいて、そういう現実を呑み込んで、オトナの期待にだけ応えて、冷えた気持ちのまま「電車ごっこ」を遊べ切れるほどには、達者な児童になれなかったのが、私である。
 そういうわけで、この親にしてこの子ありだな、と思った。「電車ごっこっていうか、いま電車だから」と言って黙々と徒歩するヒロは、協調性によってではなく孤独な集中によって、いまひとり静かに電車になろうとしている。電車になることへのひたむきさが、好ましい。「シュッシュッ、ポッポ」などといったお決まりに頼らず、グレーチング溝蓋や舗装の具合に着眼して線路に見立てるあたり、電車ごっこ界の革命児といってもいいくらいじゃないか……。
 こうして私の頭の中は、だいぶ独りよがりで、過分に息子びいきな四方山で一杯になってしまった。子育てをするうちに、じぶんの幼年時代とヒロとを比較して、妄想的な思索に耽ることが増えた気がする。
 そうして形にならない考えをこねくり回しているうちに、私たちはいつのまにか水道道の坂の中腹くらいまで下ってきていた。西谷浄水場の旧計量器室史跡があるあたりである。
 急にヒロが立ち止まった。
「立ち止まって、どうかした?」
「あ、駅なんで。」
「なるほど。」
 ヒロのかたわらには、少し大きめの植木鉢がある。鉢は横長で、高さがちょうどヒロの腰あたり。きっと、ホームに見立てているのだろう。
「何分間、停車ですか?」
「すぐ出発です。」
 そういうと、ヒロは再び歩きだした。
 線路があれば、駅もある。そんな当たり前のことにも、私は気付けなかった。またも子供の想像力に追い越されてしまった。ヒロの目には、町はどれだけの《電車の素》であふれているのだろう。
 そう思って、私も負けじと、いろいろな方向に興味を働かせてみる。いったいヒロ電は何人のお客さんを乗せているのだろう。ヒロ電には運転士さんや車掌さんは乗務しているのかな。そういえば、私は心の中で勝手に「ヒロ電」と呼んでしまっているけれど、彼のなかでは「○○線」みたいなもっとちゃんとした名称があったりして。
 いちいち全部尋ねたいような、けれど電車になりきってスリ足気味でソロソロと歩いているヒロの集中を質問攻めで妨げるのも野暮な気がして、私もいま静かに坂を下る。
 すると、ちょっと思いがけない事態におちいった。
 坂の途中で、溝蓋のある側溝も、歩道の舗装パターンもなくなって、線路らしきものが完全に途絶えてしまったのである。ヒロよ、さあ、どうする。
「線路、無くなっちゃったよ?」
 少し意地悪な気持ちで、そう質問してみる。ヒロはすこし黙って考えたあと、答えた。
「……道の反対側のあそこに、これまでと似たようなのがあるでしょ。だから、ここから地下に潜って、車の道の下を通って、あそこからまた上に上がるの。」
 なるほどの回答である。ようするにヒロ電は、歩道上に線路らしきものがあるところでは地上のレールを走って、それ以外のところでは地下を走っているらしい。途切れ途切れに散在している《鉄道の素》は、目に見えない架空の点線で繋がっている。いわば、イマジナリーライン、想像鉄道、想鉄線……。
 ヒロの電車なりきりの法則が分かったからか、私まで浮かれた気持ちになってきた。けれど、もうすぐ坂を下りきって、上星川駅に着いてしまう。ここで散歩を切り上げるのは惜しい。
「お天気もいいし、和田町まで歩こっか?」
「うん!」
 ヒロも同じような気持ちだったようである。これまたうれしい。
 水道道は蔵王神社前の交差点で右に曲がり、そこから相鉄線沿いに和田町駅のほうに伸びている。上星川駅と和田町駅のあいだは駅間が短く、軽い散歩にうってつけの距離感だ。この区間の歩道はそこまで広くないが、お誂え向きの側溝の蓋がずうっと続いている。ヒロ電も調子よく進む。
 しかしここで、またもや不運なことになった。向こうからおじいさんがやってきて、しかも側溝のうえを歩いてこちらにやってくるのである。
 どうするのかなと思ってヒロの様子をみていると、一瞬ためらうように身体が揺れたと思ったら、スッと潔くおじいさんに道を譲って、側溝上から横にずれた。
 あまりに大人な態度に感動して、思わず、
「ヒロ、ちゃんと譲れてエラいねぇ!」
そう、声をかける。するとヒロはうつむき加減で
「あの、ほら、ね、ここも、その、駅だから、うん。」
と、道の脇にあるすこし大きめの縁石を指さした。なんだ、そうか、道を譲ったわけではなくて、おじいさんも電車だったのね。駅ですれ違うタイプの《単線》の路線というわけか、うーむ、なるほど。一体どこで、そういった電車の知識を仕入れてくるのやら、それが不思議。
 しかし、もっと不思議なのは、ヒロの本心のほうだ。本当に電車になりきっていたから道を譲ったのか、それとも道徳的な配慮から道を譲って、後付けで電車的な辻褄合わせを言い放ったのか。
 このあたりの子どもの心理が、私にはいつもわからない。ゲームから降りたとおもったら、降りた先ですぐさま遊び始めてしまう感じ。切り替えが上手いというか、身勝手に次から次に意識を別のところに移していく、その自由さ。将棋をしていたと思ったら、あっという間にルールがよくわからなくなって、将棋の駒を投げて遊びだすとか、そういう暴力的な衝動も含めて。ルールの中に留まらないで、ゲームの内と外とを出入りして、ゲーム枠を広げながらすべてを遊びに変えていく生き方の極意を、子どもは熟知しているのかもしれない。
 はたして私にもそんな子供時代があったのだろうか。そんなに達者ではなかったような、もうすべて忘れてしまったような、大人になってしまった私には立ち入れない子どもの領分……。
 再び、妄想的な思索に耽りすぎてしまったようである。ほんとうに、子育てが私を思索的にした。けれどこんな風にいつまでも何かを考えて、物思いしていれば、いまはまだフワフワとした《私》という存在が、いまよりも確固たる何かになる日がやって来るのだろうか。それとも逆に、考えるのをスッパリやめれば、いまとは違う私に変わっていけるとでもいうのだろうか。そう、ヒロが電車になるような仕方で。でも、私まで電車になるわけには、ね??
 だいぶ日が傾いて、風も出てきた。すこし肌寒く感じる。のんびり歩いていたつもりだったが、和田町駅はもうすぐそこだ。
 思い返せば、散歩をしている最中、ヒロとの会話はあまりなかった。けれど、言葉を介さずして、ずいぶんヒロとコミュニケーションしたように思う。満ち足りた気持ちがじわりと湧いてくる。さらに先の星川駅のほうまでも歩こうとすれば歩ける距離だが、今日は、ここで散歩を切り上げることにする。駅前のスーパーで買い物をして、家に帰ろう。
「ヒロ、じゃあ、お母さんここで買い物してくね。」
「うん。」
 そういって私たちは和田町の駅舎のすぐ横にあるスーパーに入る。
 買い物をしている間も、私は今日の散歩の楽しかったのを反芻する。やっぱり家から出かけると、思いもよらない出来事にたくさん出会える。もしも、日差しが届かなくなった午後の居間の室内で、冷え切って、どこにも買い物に出ずに適当に夕飯を作って済ませていたら、こんなにいい日にはならなかったよね……。
 ヒロはというと、スーパーの中でもあいかわらず、ちょっとした床のタイルの目地に沿ってスリ足で歩いている。
 十五分くらい売り場のなかをうろついて、夕飯のものを揃えて、最後に明日の朝のパンをかごに投げ込んで、レジに向かう。
 そうして、会計を済ませて、買ったものをレジ袋に詰めているとき、ふいにアイデアが降りてきた。
「ヒロさ、今日は、上星川まで電車に乗らない?」
「え?」
「一駅だけどさ、乗ろうよ。」
「う、うん。」
 電車のことばかり考えていたから、電車に乗りたくなった。いつもはバスに乗って水道道の上り坂を帰るし、電車に乗るのは我が家の地理的に余計な回り道ですらある。けれど、いまは無性に電車に乗りたい。
 レジ袋片手にスーパーを出て、改札を通り、駅のホームに降り立つ。そのあいだも、ヒロの歩調はずっとスリ足気味だ。今度はどうやら、視覚障碍者誘導用の黄色いプレートが、ちょうどいい線路になっているらしい。黄色いプレートが直角に曲がっているところでは、ヒロも直角で曲がる。こういうところはいかにも子供らしいと思う。
 数分経って、相鉄線の各駅列車がホームに滑り込んできた。扉が開く。
 そのとき、はっと不安が脳裏をよぎって、胸騒ぎがした。あっ、と思った。
 電車である君は、電車に乗るとどうなってしまうのだろう。《電車のなかの電車》という入れ子になるわけにはいかない。入れ子はパラドックスに通じている。きっと世界の道理が、そういう矛盾を君に許してくれない。電車に乗ろうという私の提案が、ヒロには皮肉なものになった気がして、ずきっと胸が痛む。
 車内から人が降りて、いよいよ私たちが車両に乗り込む番になる。私は、ヒロが電車に乗り込むその瞬間をじっと見つめる。
 ヒロの様子がいつもと違う。
 ヒロは、かすかに右足に重心をかけて、腿に力をためて、ホームの地面を右足のつま先でタッと蹴った。軽いジャンプ。空中で、ぐっと力を込めて、フィギュアスケートの選手のように腕を胴体に引寄せて、頭から勢いよく振りかえり、その力で、体の向き全体をぐるりと回転させる。電車に乗り込んだ時とは180度逆向きになって、ほんの一瞬ふわっと空中に滞留したと思ったら、車内にスタっと着地した。
 いまなにが起きたのだろう。
 磁石が、反発する向きからもう一つ別の磁石を近づけられて、くるんと半回転してぴたとくっ付いて止まったような、あまりに急速で、するりと淀みのない動き。子どもは、ジャンプして電車に乗り込みたがるものだが、それにしては思いもよらない半回転。私の目にはスローモーションのように、ゆっくりと流れる時間の中でくっきりと見えた。
 うちの子って、こんなに身軽だったんだっけ……。あ、そうか、今日はずっとスリ足でソロソロと歩くのばかりみていたから……。それに、まるでヒロがジャンプのあいだに別人になってしまったような。あるいは電車に乗り込む前のヒロと乗り込んだ後のヒロが時間差で向き合ったような……。
 すると、ヒロが私に聞こえるような少し大きめの声で独り言ちた。
「あーあ、今日は靴底すり減っちゃったな!」
 私は、その一連の出来事にとっさに言葉が出なかったが、一呼吸おいて、答えた。
「うん、運行おつかれさまでした。」
 扉が閉まって、電車が走り出す。和田町駅と上星川駅の駅間は短い。ほんの数十秒で到着する。けれど、その駅間には、無数のヒロ電の駅がある。
 車窓は、ぬるい紅茶色に夕焼けている。

著者

井々井 楠梨