「和田町恋愛心理研究会」堀 遼平

 四年間を過ごした大学生活も、あと一か月足らずで終わらんとしている。和田町の改札から歩いて二十分。国大までの坂道――いや、山道を歩き続けてきた甲斐あって心なしかふくらはぎが高校生の頃よりいくぶん逞しくなった気がする。大学生活を振り返ってみて、成長した面と言ったらそれが真っ先に思い浮かぶあたり、どのようなキャンパスライフを送ったかは想像に難くないだろう。しかし、私とてまったく無為に過ごしていたというわけではない。
 自炊も様になって来たし、訛りも抜けたし、パチンコ屋に代理で並ぶアルバイトで幾らかの社会経験も積んだ。訛りも抜けた。学問はどうしたと訊きたいところだろうがちょっと待ってほしい。学生の本分は勉強であるというのが明治維新以降、いや蘭学塾の時代からの通説である。
 しかし、馬鹿正直に学問を探求したものの末路を知っているだろうか。便宜的に、彼らをT大生と呼ぶ事にしよう。モヤシの様なひょろさに不釣り合いない大きな眼鏡。極めて近しい仲間内でしか通じない専門用語を並べ立てた謎の言語でフェフェフェと笑い合う存在になり果てるのだ。
 確かに彼らは知能面では一般の人類の上を行くかもしれない。しかし、どんなに服を着飾ろうと人類が生殖行為を伴う形でしか子孫を残せない限りは、つがいを見つける能力こそ、この世の中で一番重要なミッションであることを忘れてはならない。T大生なる生き物は、その知能を駆使して高収入を得るスキルには非常に長けている。これもオスとしての優れたステータスの一つと言えるだろう。
 ところが彼らはその知能と引き換えに、より必要とされるメスとのコミュニケーション能力や必要最低限の体力を失ってしまった。その結果、高い収入、高い社会的地位を持ちながらオスとしての機能を持て余すまま障害を閉じるT大生も少なくないと聞く。
 理性と野性。両の側面からバランスのよい進路を選ぶ必要に迫られた私は、T大とどちらを受けるべきか悩んだ結果、一年の浪人ののち横浜国立大学に補欠合格を果たした。勿論、選考は心理学だ。
 勿論、入学したからといって気を緩めることなく自己の研鑽に努めた。まず入学間もない私は、アルコールを用いて野生を高ぶらせ、繁殖の予行演習を行うワークショップや、テニスを通じてオスとメスのコミュニケーションの活性化を実践する学生団体の見学へ行った。しかし、どちらも私の求める場所ではなかった。
 前者は私のアルコール耐性の欠如により、初参加で粗相をした結果、二度と会合に呼ばれることが無くなった。後者は見学時に部長と思わしき男に品定めするような目で見られた後、何故かは分からないが、別の研究会に推薦をしてくれた。それが、私が四年間籍を置いた『和田町恋愛心理研究会』だったのだから、彼の厚意には今でも感謝している。
 『和田町恋愛心理研究会』はその名の通り、つがいとなる過程に必須とされている恋愛なるものについて文献や映像、時には趣味レーションゲームを通じて研究する団体であった。
 部室のキャパシティと活動の機密性から各学年一人までしか所属できないという狭き門であったが、倍率1の選考を突破して無事入部を果たすことができた。
 当時の代表であった三回生の髭面男は、女性の感情の移ろいについての研究に長けていた。相鉄線で毎日同じ車両になる女子中学生に毎日観察していると、微妙な容姿の変化が一定スパンで起きていることに気付いた彼は、これを恋愛関係と関連付けた仮説を立てた。女性の中でもとくに恋に恋する年頃である女子中学生は一般的に、席替えと同じ頻度で好きな相手ができると言われている気まぐれな生き物だ。そして彼はある日、しばらく髪をおろしていたその女子中学生がポニーテールにしているのを発見する。そして自らの仮説を裏付けるため、彼女の肩を叩いて声をかけた。
「好きな人でもできたのかなあ」

 志半ばで保土谷署の介入により大学を離れることとなった先代の代表の無念を晴らすため、次の代表に就任した私より一学年上の精悍な男は、ストーカーと一途な愛の境界線を探り始めた。インターネットを通じて、多くの悩める女性とコンタクトを取り、アンケートと称した密着取材を多くホテルの一室で行っていたようだ。そんな彼はある日を境にどんどん顔色が悪くなっていった。この春から入部していた後輩が、一体どうしたのかと尋ねると、彼は虚空を見つめぽつりと呟いた。
「ストーカーは危険だ」
 これが最後に聞いた彼の言葉であった。その言葉の真意は今でも解らないが、程なくして彼は大学に来なくなってしまった。
 私と後輩はあまりの恐ろしさに抱き合って震えた。ストーカーについてこれ以上調べるのは危険かもしれない。

 いよいよ代表に就任してしまった私は、次なる研究テーマを決めあぐねていた。先々代は知的探求心のあまりお縄にかかり、先代はストーカー知り過ぎる余りストーカーに飲み込まれた。
 この二人に共通していた部分は、自分から疑問に切り込んでいった点だ。ならば自分は押してダメなら引くしかない。つまり逆張りの理論だ。
 まず私は、通学電車で逆張りの理論を実践する事となった。隣の席の女がうたた寝をして寄りかかってくることは皆経験したことがあるだろう。ここで自分もそちらに寄りかかることで密着感を味わいたいというのが大多数の意見だが、ここで逆張りの理論が活きる。自分が敢えて逆方向に逃げる形を取ると、重力に従って女の身体がよりこちらに近づくのだ。さらに、接触によって起こしてしまうリスクを回避できるうえ、女の方から迫って来たという事実を周囲にアピールできる点も極めて有用だろう。もし女が目覚めた場合も羞恥心を煽り、なんやかんやで恋愛感情と勘違いさせることも容姿によっては不可能ではない。危険な点は、寄りかかる女の匂いにかどわかされ、和田町はおろか気付いたら終点の横浜まで来てしまう可能性があるというだけだ。
 そして、この実践結果に自信を深めた私は、三回生及び四回生の期間を逆張りの理論のより高度な実践に費やし、シュミレーションゲームを通じた考察や映像作品や文献からの抜粋を盛り込んだ卒業論文をついにまとめた。
 実は今日は四回生最後の成績表受理の日であり、そのため和田町から国大への山道を進んでいるのだ。一歩一歩踏みしめながら、四年間の『恋愛心理研究所』での活動に想いを馳せる。先代、先々代。見ていますか。私はやり遂げましたよ。

 数分後、ゼミナールの部屋を訪れた私の肩を教授が優しく叩く。
「来年もよろしくね」
 

                   了

著者

堀 遼平