「哀愁の相鉄線」匿名希望

 俺、相田鉄夫は生まれて初めて相鉄線に乗った。緑園都市付近で車窓から戸塚カントリー倶楽部が見えた。相鉄線沿いは自然が豊富で目の癒しになった。相鉄いずみ野線終点の湘南台駅にようやく着いた。俺は埼玉県さいたま市に在住だが、仕事の依頼を受けてここにきた。さいたま市の自宅から湘南台駅まで二時間位かかってしまい観光気分だった。湘南台駅前には、らくという名の温泉があった。他にも湘南台公園、湘南台文化センターこども館、庶民向けの飲食店も多い。小田急江ノ島線も通っており魅力的な街だ。俺はロータリーでひたすら待った。
「おまたせ!相田さん」
「おはようございます」
元請けのワゴン車が到着して俺を乗せて、慶應大学まで行った。そこで教室や廊下の照明器具の交換の仕事を学生のいない夏休みの間にやっていた。個人委託で電気工事の仕事を始めてまだ三年未満だった。小さいながらも自分で相鉄電気という名の会社を立ち上げた。ちなみに従業員は俺一人だけだ。たまに友達に協力を願うときはある。脚立に昇って古い器具を外して新しい器具をつける繰り返し作業をひたすら黙々とやっている。汗がだらだら流れてきて、タオルで拭いた。
 
 夕方に仕事が終わり、元請けの社員に湘南台駅前まで送ってもらった。
「明日も八時集合でお願いします」
「わかりました、おつかれ様でした!」
「お疲れさまです」
皆と別れて、早速気になっていた、らく温泉へと行った。仕事柄朝早く遠い現場が多いので、疲労が溜まりがちになっていた。仕事終えてから入る温泉は極上だ。温泉から上がって、食事処で生ビールを飲んでから、蕎麦を食べた。温泉後の蕎麦は何でこんなにも美味しいのだろうか?喉越しが良くてつるつる感がたまらない。帰るのがかったるくなったが、宿泊する金もないので相鉄いずみ野線に乗って横浜方面を目指した。横浜に着いてから大宮までも遠い道のりだ。もっと近い現場ないかなとつくづく思った。何せ個人委託で交通費も自腹だからだ。車で来るより電車の方が埼玉からだと楽だし安かった。 
 
 翌日、見慣れない新人の清原が湘南台駅前にいた。俺と同じで大きなリュックを背負って、安全靴を履いていたので、すぐに職人だとわかった。清原は俺とは対照的に細身の体型で、黒髪に白髪が少し混じっていた。元請のワゴン車が到着した。俺と清原はワゴン車に乗り込んだ。車で移動している間、沈黙が続き、破ったのは清原だった。俺にぺこりと頭を下げた。
「私、清原です。宜しくお願いします。電気系はあまり詳しくありませんので」
「お互い様ですよ。俺は相田って言います」
「下の名前はみつおさんですか?」
俺はしら~とした。
「笑ってくださいよ」
清原は愛想が良くて、歳も俺と同じ42歳だった。あまり社交的でない俺だがすぐに打ち解けた。
「和博さんのお住まいは?」
清原はにた~と笑いながら答えた。
「弥生台駅です」
「近くていいですね、俺なんか埼玉から来ていますよ」
他愛のない会話をしながら慶応大学まで向かった。
 
 作業は順調に進み、昼飯は慶応大学の近くのイトーヨーカドー湘南台店のフードコートでうどんを食べた。夏休みのせいか家族連れが多く賑わっていた。近くに秋葉台公園とプール、文化体育館もあり家族で過ごすにはもってこいの場所だ。俺は元請けの社員の吉田に訊いた。
「この現場終わってからの予定決まっていますかね?」
「直近にならないとわからない現場多くて、わかり次第連絡します」
俺と清原は頷いた。清原が不安げな顔をしていたのが気になった。
 
 夕方、湘南台駅に着いて、清原から暑いので軽く一杯やりましょうと誘われた。三番という名の中華料理屋に入った。そこでお疲れ様セットを頼んだ。千円で瓶ビール二本とおつまみが二品来るので、庶民の味方の店だった。湘南台駅周辺はこういった店が多くて、夜遅くまで繁盛している様子だった。清原と俺は乾杯した。
「穏やかな現場で良かったです。前いた建築はとんでもない職場で、ストレスでおかしくなりそうでしたよ」
「建築はきつそうだ。俺も向かないかも?」
「相田さんはずっと職人を?」
「前は平凡な会社員だよ。倉庫内でフォーク運転していた」
「僕はメーカーで事務員やっていました」
「すごいな、メーカーなんて」
「子会社の正社員として出向していたので大して金は良くなかったです・・・リーマンショックで切られました」
「そうかぁ~大変だなぁ~」
ビールを飲む俺と清原。
「嫁がもっと安定した仕事就けとかうるさくて・・・相田さんの奥さんはどうですか?」
「うちも最初の頃は無難に会社員やれと言っていたけど、この年になるとまともな再就職先がなくて」
「そうですよね~うちの嫁は世間知らずなんですよ」
俺はビールをお代わりして、頬が紅潮してできあがってしまった。
「相田さん、大丈夫ですか?帰れます?」
「やばいかも?」
「うちに来ます」
俺は虚ろになりながら頷いていた。

 弥生台駅で下車して、清原のアパートまでコンビニでウコンを買ってからお邪魔した。弥生台駅は閑静な住宅街でオーガスタミルクファームという農場もあり、美味しい牛乳が飲めてミルクアイスも食べられた。のどかな雰囲気がある街だ。清原のアパートに着いて嫁が出てきたが、あまり愛想は良くなかった。生活で疲れた感が滲んでいた。
「こちら相田さん、仕事仲間だよ」
「すいません、夜分遅く」
「子供寝ているから静かにしてよ」
「わかったよ。相田さん、どうぞ」
俺は整理整頓されていない部屋で雑魚寝していた。夜中、清原と嫁の小声で呟くような口論が聞こえてきた。
「ねえ、飲んでいる場合なの?」
「男同士飲みに行くのも仕事のうちだ」
「都合よく理屈捏ねないで!国保の督促きているよ!払えるの?」
嫁とうまくいってないから気分転換に俺を誘ったのかと推測した。俺も最近は子供が大きくなりパパと遊ぶより友達の方がいいと言い出す時が多くなった。嫁も俺の相手より会社のパート仲間と遊ぶ方が楽しいようだ。俺も地元でパチンコをやって、勝ったら一人で立ち飲みへ行くという寂しい休日を過ごす時が増えた。男は四十歳過ぎると家庭での居場所が次第になくなる。高額な収入があればまた違うがそうはいかないのが現実だ。どこの家も一緒なのかとやや寂しく思えた。
 
 翌週、俺はパチンコで大勝ちした。清原を誘って湘南台駅前にある海鮮居酒屋へ飲みに行った。獲れたてホヤホヤの湘南の地魚を堪能できるグレードの高い店だ。
「御馳走なっていいんですか?」
「この間の礼さ!遠慮するなって」
「いただきます」
しらすたっぷりのシーザーサラダから清原はぱくぱくと勢いよく食べた。
「しらすがうまい!新鮮ですね」
俺は熱々の鮪のホルモン焼きを食べた。その後に殻に入った生牡蠣にレモン汁をたっぷりかけてたいらげた。じっくりと噛み締めて味を堪能した。こういった店は滅多に来ないから。カウンターから六十歳近い大将が声をかけてくる。
「お兄さん達、地魚の刺身盛り合わせいかがですか?」
「二人前もらおうか」
「へーい、毎度!」
「いいんですか?高いですよ」
「豪勢にやって嫌な事忘れようぜ」
好きなスポーツやギャンブルの話等をして俺と清原は盛り上がった。
「盛り合わせ、お待ち!」
鯖、イカ、金目鯛といった刺身の盛り合わせを見て、俺と清原は歓喜の声を上げた。
「うわぁーうまそぉー」
「どんどん召し上がって下さい・・・私が直接釣った魚もありますよ」
大将も話に混ざって釣りの話で盛り上がった。
最後の締めは生しらす丼を食べた。生しらすなんて埼玉にいたら食べられない鮮度命の食材だ。湘南台まで仕事にきた甲斐があった。

 至福の時は瞬く間に過ぎて、相鉄いずみ野線に乗る俺と清原。清原は酔いが回ったようで悲観的な顔をしながら話をしてきた。一番の心の支えである家族が何で自分を理解してくれないのか?結婚前はあれほど愛し合っていたのに・・・本当に信頼できるパートナーや友達が欲しいだの、老後の生活の不安等の愚痴をこぼしていた。俺も同調して頷いた。孤独を感じない奴はいない。だから皆飲みに行って気持ちを分かち合おうとするのだ。
「また、飲もう!キヨさん」
「はい、宜しく・・・です」
「弥生台駅に到着します」とアナウンスが流れて、清原は重い足取りで、弥生台駅で降車した。
「どうも~また・・・」
哀愁を漂わせて、千鳥足で歩いていく清原を心配そうに俺は見た。家庭での居心地が良かろうと悪かろうと俺たち中高年は家族を養うために働いて収入を得なければならない。毎日うきうき気分で過ごせたらどんなに幸せか皆願うだろう。俺は車窓からせつない眼で夜景を眺めながら横浜まで向かった。夜空には満月が美しく輝いていた。

著者

匿名希望