「坂道の思い出」奈良 握

 母さん。
 私、大山がよく見えるここが好きだよ。

 谷の字がつく柏ヶ谷に引越しをしてきたのは私が生まれる前のことで、きっと澄んだ空気がきれいでおいしかったのでしょうね。自宅を出ると右に行っても左に行っても上り坂。谷底に淀んだ空気がたまっているのではと息苦しくなるような錯覚もあったけれど、実際はもちろんそんなことはなくて健康にはよかったのかな。

 春先、沿道の脇に咲く梅は好きだけれど小学校の校庭にいっぱいに咲いた桜は、なぜか好きではなかった母さん。雨が降った翌日、風が気持ちいい小高い丘の上に立って大山を望むとほんとにうれしそうだったのをよく覚えている。ほら、大山の、木々までわかるように見通せるそんな日が時々あって。樹木のコントラストもくっきりと。絵の好きな母さん好みの風景だった。
 母校の校歌にあった丘のみどりや森のいずみは、たしかに地域のアイデンティティだったと思う。楽しいことの多かったあのころ、みどりいっぱいの中を歩くと木々も喜んでくれていたり、励ましてくれたりしていたように感じたし、いやなことのあった日には気を使ってくれたり癒してくれたりした。

 真夏の昼、ミンミンゼミやアブラゼミ、ツクツクボウシの喧騒から解放された夕方には
「気持ちいい風が吹くよね」
 微笑んでほんとに気持ちよさそうだった母さん。暑さは天敵だと言って慎重に身を守っていた過酷な季節、自然の風はやっぱり最高らしかった。
「ここに移ってきたときはこんなに家が建ってなくてねえ。鶏舎がそばにあって、馬が歩いていたし。田んぼしかなかったのよ」

 相鉄線、かしわ台の駅舎を後ろに跨線橋から大山を眺めながら、山々のご機嫌をあれやこれやと想像して歩いた。母さんはなにやら独り言をつぶやいているようだ。ゆっくり、ゆっくり坂を下り普通の人たちの倍以上の時間をかけてのんびり座って休める運動公園でふっと息をつく。ゆっくりならば目久尻川の流れに沿っていくらでも歩けそうだと思った。川のそばには虫がうようよいるので近寄れないけれど、この道はずっと私たち家族が通ってきた道で、ともに育ってきたようなものね。考え事をしながら歩いていて、途中の道を覚えていなくてもちゃんと自宅まで送り届けてくれる道。
 そういえば眺めているだけではなくて大山には登るために母さんと一緒に出かけて、たまにはいいよねとお風呂に入ったり、お豆腐の料理をいただいたり。懐かしく思い出せるものね。お豆腐料理が好物だった母さんは、年々食が細くはなったけれど、豆腐だけはほしいと言っていた。どんな料理をそこで食べたかまでは記憶がないなあ。

 母さんはきっと空から見ているよと笑えるようになって久しいけれど、もっと一緒に大山に登りたかったのはホントなんだ。母さんが幾たびか手術をしてから以降というもの、調子が悪い日が多かったように思うけれど、もっとなにか助けが必要だったのかな。だいじょぶだいじょぶと言うのが常で、実の娘に遠慮するなんて理解できないけどそういう人だった。

 あの道は今もまったく変わってなくて、ぐぐっと直角に曲がるカーブを右に折れると上り坂が延々と続く。中腹で一休みする、その場所は機関車が見守っていてくれているところだよねと友達には説明をするとわかりやすい。鋭角に方向を変えると小学校に向かうし、そのまま進めばなだらかな下り坂で国道方面に向かう。今では昔と違って、そちらへの人の流れが多くなった。

 母さんはたしかこの連続した上り坂を制覇するのに三度は休む、と言ってた。四度だったか。私だって高校生までだったよ、自転車で一気に上れたのは。あれは母さんには本当につらかっただろうな。はあはあ、ふうふう、でもだいじょぶだいじょぶ。道の右からも左からも、覆いかぶさるような草たちも心配していてくれているのか、はたまたいじわるでもしているのか。だいじょぶだいじょぶ。確認するかのような口癖はいつまでもそのままで笑えた。笑っていてよかったのかどうかはわからないけれど。

 たとえば今度は帰り道、下り坂は楽でしょう、とおっしゃるか。あの中腹まではたしかにおかげさまで。そこから先は、下り特有の歩きながらブレーキをかけながら、というコントロールがいるわけで。母さんはだから、帰り道に転ばないように、相当気をつけて歩いていたものね。私にとって、自転車はさらに恐かった。スピードが落ちないところで直角に曲がるカーブなんてありえない。坂だらけで技術は向上したともいえるかも。

 春に目が吹き、夏に盛りを迎えて、秋に実がなり落葉する。母さんと眺めてきた坂道の風景。

 思い出を残しておきたいと思う今。当たり前のように見えているこんなにも貴重な風景を眺め続けてきたこれまで、そのことを書き留めておきたい、そしてなによりも母さんに伝えたい。坂道と縁が切れないところに住み続けてきたけれど、私だったらここを住処にしただろうかと思わないこともない。でも、書き留めたくなったのはここが好きだからに違いないんだ。思いが募って止まらなくなった、そのことを、伝えておかないと後悔するんだ。そう、きっと、今年はなにかの節目の年に違いない。

著者

奈良 握