「大和スタジアム~夏陰のドカベン」裏谷ゆきむ

 相鉄線の特急が停まる駅として大和駅の名は知っていたが、海老名の高校へ通う日常では降りる用事のない駅である。普段は通り過ぎる駅で降りたせいか、拓也は出口へ向かう道を見失って立ちすくんだ。追い越していった人の流れは追わず、正面に見えたエレベーターに乗り込む。上昇して間もなく改札口に到着すると南口の文字を探した。
 南口の案内表示は、エレベーターとは反対側、小田急線の電光掲示板に隠れそうな位置にあった。それを確かめて改札へ歩んでいくたびに、肌が感じる涼気は熱気へ変わっていく。目的地までは二十分かかると知っていると、日差しの下へ出ていくのが億劫になる。
「やばいよ、早く行こう」
 そんな声が後ろから聞こえて、通り過ぎた。自分に向けられた声ではない。黒い髪を短くした、ワイシャツ姿の後ろ姿が二つ遠ざかっていく。特徴のない後ろ姿は、何故か自分自身とよく似ているような気がした。
「そうでもないよ」
 スマホで時計を見て、既に姿が風景に紛れてしまった彼らに向けて拓也は呟いた。きっと彼らは野球場を目指している。そうでなければ、日曜日の暑い盛りの時間帯に、列を成して道を歩くはずがない。そして彼らの学校が登場する試合が始まるまで、まだ一時間近くあるはずだ。
 ややあって停留所にバスが滑り込んできた。椅子に座って待っていた三人の客が立ち上がり、降りる客と入れ替わりに乗り込んでいく。バスを降りたのは四人、その内の一人に手を降った。
「待たせたな」
 手を振る代わりに、俊平は足早に近寄ってきて静かな声を返した。背が高く、妙に理性的な声をしている。高校に入ったばかりの頃は、その年上じみた落ち着きが苦手だったが、付き合いも三年目に入れば苦手も得意もなくなってくる。
「別に。まだだいぶ時間あるし」
 言いながら拓也は二歩距離を取った。俊平との身長差は大きく、目を合わせようと思うと少し距離を取らないといけない。俊平と話す時は、自分の背の低さを思い知らされる時でもあった。
「そうだな、前の試合コールドゲームだったみたいだし」
 拓也の葛藤を気に留めた様子もなく、俊平は自分のスマホを操作してホームページから高校野球の試合結果を呼び出していた。横から拓也ものぞき込む。午前十一時に始まった試合は、先攻のチームが十八点を取って五回コールドゲームに終わっていた。
「うわ、容赦ない」
 後攻のチームは一点も取れなかったばかりか、ヒットも一本しか打てなかったようだ。完膚なきまでに叩きのめされたチームに同情してしまう。
「健闘ぐらいはしてもらいたいもんだけどな」
 既に終わった試合のスコアを見つめ、俊平は低い声で呟いた。彼が何に思いを重ねているのか、言葉がなくても拓也にはわかる。
「難しいかも」
 どうしても、自分たちの応援が報われる可能性を思い描くことはできない。チームを信じられない以上、ここで勝つことをいくら強く念じたところで空々しい思いしか生まないだろう。
「そうだな」
 短い返事の後、俊平はスマホをバッグにしまい込んで歩き出した。その足取りに気後れはない。
 足の長さが違う彼に置いていかれないように、拓也は努めて歩幅を広くして歩く。陽炎が揺らめく道は、引地台公園まで真っ直ぐ延びている。
 
 高校野球の大会期間中、引地台公園の中にある大和スタジアムは、多くの観客と選手を迎え入れる。プロ野球の試合で使われるような球場とは比べるべくもない大きさだが、老朽化が進んでいるようにも見えず、バットを握ったことすらない拓也にも、球場としての質の良さを感じ取れた。
 試合開始まであと三十分を切っている。観客も入り始めているのか、球場の中からざわめきが聞こえてくる。拓也は日なたへ踏み出してデジカメをバッグから取り出し、球場を真正面から捉えた。
 写真に収めたのは、正面玄関とその両脇に置かれた二つの銅像である。一つはバットを振るう左打者、もう一つは下手投げの投手。実在の選手たちを形取ったものではない。投手の名は里中智、左打者の名は山田太郎。水島新司の野球マンガの主人公たちである。玄関に入ると、水島新司が描いた絵まであるらしい。
 手帳と銅像を見比べながら手帳に何かを書き込む俊平は、やがて手帳を閉じて球場を見上げた。
「どうする、もう行くか」
 二人で正面玄関前に留まっている間にも、スタンドへ続く階段を客が昇っていく。球場の中から聞こえてくる声が増していた。
「そうだね。暑そうだけど」
 事前にホームページで見た限り、球場には日陰がなかった。げんなりした顔をして、拓也は階段を上っていく。
 一塁側のスタンドに出ると、グラウンドの全景がよく見えた。ダイヤモンド上には誰もいないが、ホームベース後方には審判員の姿がある。三塁側のスタンドには既に相手チームの応援団が陣取っていて、一塁側と比べると賑わいと密集の具合に大きな差があった。
 二人で内野席の最前列に座る。ちょうどホームベースの真横に当たる位置で、日陰のない周囲の席に座る観客はいない。タオルをしかないと座れないほど椅子は熱されていた。
「不人気だな」
 普段あまり表情を動かさない俊平が、明らかに残念そうな顔をした。一塁側の応援席には高校生らしい年恰好は見当たらない。
「皆サッカーの予選に行ってるんだよ、きっと」
 高校サッカーの全国大会は年末から年明けにかけて行われるが、その予選大会が始まるのは夏からだ。ちょうど高校野球の地方予選と重なる時期に行われる。今日もちょうど同じ時間に、サッカー部の試合が県内のどこかであったはずだ。
 拓也の高校で活動する部活の中では、過去に全国優勝の経験もあるサッカー部の実績が突出している。その強さは決して過去の栄光ではない。だからこそ、同じ日に試合が行われるなら、サッカー部の方に注目が集まるのだ。
「俊平、野球部の方を取材しに行くって言って、何か言われた?」
 手帳をもてあそぶ俊平は手を止め、
「そんな暇なことしてる場合かって言われたよ」
 自嘲するような薄笑いを見せた。
「こっちだって立派な部活動紹介になると思うけど」
「うちの高校じゃ、野球部は未だに同好会扱いだからな」
 こんな立派な球場で試合ができるのに、と俊平は言い添えた。外野スタンドに椅子はないが、芝生も土もしっかり整備がされている。フェンスもない原っぱでバットを振り回すのとは違う。
「同好会なんかじゃないのに」
 大会に出るために部員を集め、練習をして、その姿勢が認められて、甲子園に続く大会の一回戦に臨むのだ。埼玉スタジアムへ歩み出すサッカー部と試合の価値は同じはずなのに、誰も注目しないのが納得いかない。
「そうだ。大会に出る資格があるぐらい、真剣な部活だよ」
 俺たちは知っている、と俊平は言い添えた。拓也も頷く。部員不足で近隣の高校と合流することでようやく大会に参加できていたチームが、自分の高校の選手だけで試合ができるようになった。そこに至るまで二年かかったのだ。
 電光掲示板にはいつの間にかチーム名と選手名が表示されている。三塁側のダグアウトにはこれから試合に臨むチームの選手たちがいる。
 スコアボードの時計が二時を指すと、三塁側と真下の一塁側ダグアウトから選手たちが駆け出してきた。彼らは審判とホームベースを挟んで並び、向き合って礼を交わし、それぞれの持ち場へ散っていった。ピッチャーはマウンドに、内野手はそれぞれのベース付近へ、三人の外野手は緑の芝生に向かって駆けていく。
 三塁側からブラスバンドの音色が聞こえ出す中、八人がそれぞれのポジションにつき、ホームベースの方へ向き直る。唯一バックネットに背を向けるキャッチャーは、野手陣の視線を受け止めて、
「しまっていこー!」
 ブラスバンドの音色を突き抜ける声を外野へ飛ばした。
「すっかり大黒柱だな」
 キャッチャーを見つめながら俊平が言った。その横顔と声は、いつになく優しかった。
「そりゃ、四番でキャッチャーで、名前も山田だから」
 このドカベンスタジアムでプレーするのに相応しい選手だろう。電光掲示板のオーダー表にははっきりと、四番、キャッチャー、山田の名前が表示されている。
 チームの中では唯一の三年生である涼太が入部した時、野球部は部として認められていなかった。部員が四人しかおらず、涼太を含めても五人だったのだ。近隣の高校と合流することでようやく試合に参加できていたが、先輩たちはどうしてもレギュラーとして試合に出ることは叶わなかったという。
 二年経って自分たちの高校の看板を背負って試合に出られるようになったのは、涼太の努力の賜だろう。拓也が初めて彼の姿を見たのは、部活紹介の記事を作るよう申し込みに来た時だった。当時は同好会だったため、部活紹介のためのページは割けないと顧問に言われて追い返されていたが、何度も来ては頼み込んでいた。密かに、サッカー部の実績が素晴らしい学校の中で野球部を建て直そうとする姿を意気に感じていた。
 一番打者が左打席に入って、主審がプレイボールを宣言、涼太がサインを出す。それを受けてピッチャーが一球を投じる。いとも簡単にセンター前へ弾き返された。
 力の差は歴然としていた。一番打者のヒットを皮切りに、二番、三番の連打で一点、残ったランナーも四番のホームランで生還し、アウトを一つも取れないうちに三点を失った。更に五番、六番と連打を食らい、七番打者のキャッチャーフライでようやくアウトが一つ取れた。
「健闘どころじゃないか」
 俊平はいつも以上に低い声で呟いた。試合展開を書き取るシャーペンの先が、微かに震えている。
 拓也はフェンスにファインダーを押しつけて、シャッターを押し続けた。投げては打ち返されるボール、それを追いかける選手たち、ともすれば戦意を喪失しそうなチームに、
「アウト、アウト、ツーアウト!」
 アウトを取るたびに声をかける涼太。汗にまみれ、暑さで疲れているのが見て取れるが、少しも苦しそうには見えなかった。
「涼太は楽しそうだな」
 俊平も同じ感想を抱いたようだった。
「当たり前だよ」
 三塁側応援席から湧き上がるブラスバンドの演奏に力を得たような快音が響くたびに、ボールはレフトへ、ライトへ飛んでいく。
 そのボールを追いかける野手の動きには緩慢さが見えない。相手チームが応援に後押しされるなら、こちらはキャッチャーがホームベースから張り上げる声で勇気づけられている。重圧さえ感じる楽器の音色にも負けない屈強な声は、一塁側応援席にも届く。
「これが三年間の目標だったんだ。勝ち負けよりも大事なんだよ」
 キャッチャーとして、ホームベースの後ろでミットを構えることだけではない。自分の高校の名前で大会に出ること。合同チームではなく、自分たちだけの力で試合をすること。それで戦力が劣ったものになったとしても構わないと、彼はいつも言っていた。
 打者は既に一巡してしまった。アウトカウントを示す赤いランプは二つ灯っているが、ランナーは三人いる。
 カウントはボールツー。緑のランプが二つ灯り、その下のランプに光はない。
 続いて投じられたボールを、相手の三番打者が捉えた。重厚な演奏を切り裂くような快音が響き渡り、数秒後に白球はポールの脇を通過していた。三塁塁審が両手を上げてファールを宣告した。ストライクを著す黄色いランプが一つ灯った。
「ストライク、ストライク!」
 拓也が声を上げた。それだけで流れ込んだ熱気に喉が渇いた。
 ストライクを三つ積み上げれば、アウトが一つ取れる。ボールが四つ溜まればフォアボールでランナーはテイクワンベース。その時フルベースなら押し出し一点。それぐらいの知識しかない拓也は、ストライクという言葉しか、ピッチャーを元気づける術を知らない。
 涼太は応援席を振り返り、笑顔を見せた。それからマウンドへ声を飛ばす。
「ストライク取れるよ、ストライク!」
 涼太は一度応援席に笑顔を向けてから、その声を審判から渡されたボールと共に投げた。拓也は安堵する。自分の応援が的外れではなかったのだ、と。
 ボールとストライクが一つずつ加わってフルカウント。バッターが打ったのはその直後、鈍い音と共にボールが内野で跳ねた。
 セカンドが前へ出て打球をグラブに収める。ぎこちない動きながら無事にアウトが宣告され、ようやく守備側の選手が一塁側のダグアウトへ引き上げる。
 スコアボードには『6』の数字が表示されていた。一塁側と三塁側の応援席全体から、だれたような、白けたような空気が漂った。
 涼太は最後にダグアウトへ戻ってきた。ファーストに次いで近い位置にいたが、彼は外野の三人が戻ってくるのを待っていた。
「涼太」
 ダグアウトへ入る直前、拓也は声を上げた。隣で俊平が窘める。応援席からみだりに声をかけるべきではないのだが、涼太は顔を上げた。
「任せろ、逆転するよ」
 涼太は短い返事をして、こちらを見ている球審の目を逃れるようにダグアウトへ引っ込んだ。
「逆転するぞ!」
 ダグアウト前で組まれた円陣の中心から、声を上げる。ブラスバンドの演奏が終わったグラウンドに響き渡った声が、初回に大量点差がついて緩んだ雰囲気を引き締める。
 八人の選手たちが応じた声も、負けてはいなかった。歴然とした力の差を見せつけられたはずが、まだ戦意を保っているようだった。
「我が校の選手たちは劣勢にもかかわらず諦めない、と」
 俊平が自分の文章を口に載せながら書き込んでいた。
「記事になりそうかな」
「するよ。お前もちゃんと写真撮っておけよ。文章だけじゃ記事にならない」
 一回の裏が始まっていた。いつの間にかアウトカウントが一つ灯っていた。
 二番は三振、三番はセカンドフライに打ち取られてチェンジとなる。ネクストバッターズサークルで待っていた涼太の出番は持ち越しとなった。
 次の回でも相手の攻撃は容赦なく、四点を失った。二回が終わるまでで十点差。その点差のまま五回裏まで進めばコールドゲームとなって試合は終わる。
 四番、キャッチャー、山田くん。
 場内アナウンスに応じて涼太が打席に入る。背番号2の四番キャッチャー。ただし右打ちで体も大柄とは言いがたい。
 プロが注目する大打者ではないけれど、チームの中心選手に変わりはない。コールド負けが迫る展開の中、チームを鼓舞する声は屈強さを保つ。
 打席に立った姿を何度もカメラに収める。地面を均し、バットを振り子のように振るい、構える。勇姿という言葉が浮かんだ。
 初球、涼太はフルスイングで迎え撃ったが、空振りだった。主審が甲高い声でストライクをコールする。
「打てるよ!」
 すかさず応援席から声が上がる。ずっと上段に座る年嵩の男性の声であった。
 空振り、ファール、ボール。ファール、ボール。ツーナッシングから並行カウントまでこぎつけた。緑の光が一つ灯るたびに一塁側から拍手が起きる。それに声が添えられる。ファールが二回続く。素人目にも、少しずつボールを捉えてきているのがわかった。
 五回目のファールボールはポールの横へ飛んでいった。ため息には期待が込められている。
「打てるぞ」
 一心不乱に文章を書いていた俊平が呟いた。彼の手はいつの間にか止まっている。涼太の打席での詳細が文章として残されていて、ファールを重ねるごとに打球の勢いが増していると書き添えられていた。
 十点差の今、ホームランが出たところで九点差にしかならない。初回にあっさり三者凡退した様を見たら、逆転が至難の業であることぐらいはわかる。そんな組み合わせにしてしまった運勢が恨めしい。
 ボールスリー。安堵したようなため息が一塁側応援席から漏れる。
「頑張れ、狙っていけー!」
 再び、上段から声。バットを構え直す涼太。マウンド上を見据える。更に二球ファールを打つ。
「十二球目だ」
 俊平が呟いた。ファールが宣告された時、正の字に棒を一本書き足していた。
「次で十三球目?」
「そうだ。お互い根比べかな」
 熱気に耐えるのは涼太だけではない。十二球をここまで投じたピッチャーも同じだ。それを受けるキャッチャー、来るかどうかわからない打球に備えて構える七人の野手。拓也は水筒の中身を喉へ流し込んだ。
「お互いどころじゃないよ」
 拓也は額の汗をぬぐった。
「皆だよ」
 十三球目が投じられた次の瞬間、鋭く澄んだ音が響き渡った。拓也はシャッターを押し、フルスイングを遂げた瞬間の涼太を写真に収める。
 その音が尾を引きながら白球がスコアボードへ向けて飛んでいく。センターが何歩か歩いたところで止まって、ボールがフェンスを越えていくのを見送った。
「打てたね」
「ああ」
 俊平は十三球目の結果に、ホームランと書き込んでいた。

 その試合、打点を挙げたのは涼太一人だった。最終的なスコアは十六対一。初回に背負ったビハインドすら覆せないまま、五回コールドゲームで終わった。
 最後の打者がサードゴロで倒れた後、ほとんど間を置かずに両チームはホームベースを挟んで礼を交わした。それぞれ、終わった試合には構っていられないと言わんばかりに、駆け足でダグアウトへ引き返す。五分もしないうちに三塁側のダグアウトに人はいなくなった。
 それから更に十分が過ぎる頃に、応援席からも人が引き上げていく。安堵も満足もない表情が見えた。勝って当然と言い放たれた気分で、自分が打ち負かされたわけでもないのに、拓也は少し胸が痛んだ。
「俺たちも行くぞ」
 一塁側の応援席でまばらに座っていた人たちも、出入り口へ歩いていく。拓也と俊平は、全員が立ち去った後に続いて出ていった。
 スタンドへの出入り口からは、二つの銅像の付近に両チームが整列しているのが見えた。指導役をはじめ二十人はいる相手チームに対して、九人しかいない涼太のチーム。彼らは応援席にいた大人たちと向かい合っていた。
「応援、ありがとうございました」
 山田太郎の銅像を背にした涼太が代表するように言って、頭を下げた。それに倣ってチームメイトも礼をする。それに応じた拍手や表情は温かいもので、拓也と俊平もそれに加わった。
「健闘したって言っても良いのかな」
 手帳に文字を書き込む俊平の手が止まった。
 彼は無言だった。代わりに、
『十点差からのホームラン、十六点差の全力疾走、拍手を送って労いたい試合だった』
 そんな言葉を書いていた。
「写真撮ってくる」
 拓也は階段を降り、整列した九人の前に立った。新聞に載せるための写真を撮ると言うと、彼らは驚いた表情を見せた後、背筋を伸ばしてシャッターを待った。
 真正面に涼太を見据えたが、彼だけが視線を逸らしている。前を向くように言うことはためらわれた。表情が歪む一歩手前で耐えているのが見て取れたからだ。
 試合をするだけで満足だったはずはない。勝ち負けが大事でなかったはずはない。ホームランを打って唯一目立てても、負けたら嬉しくない。外から見ているだけではわからなかった涼太の思いが初めて伝わったような気がした。
「涼太、前向いて」
 それでも拓也は言った。彼は何も言わず、泣きそうな顔で正面を向いた。その歪んだ顔を写真に収める。
 俊平ほど多くの言葉が思い浮かばなかった拓也は、
「お疲れ様」
 そう口にして、彼らを労った。

 〈了〉

著者

裏谷ゆきむ