「天空の橋」今泉良夫

(一)
久しぶりに、土曜日を休むことができた雄二は8時過ぎまで布団の中でうつらうつらしていた。
“パパ何処かに連れて行ってよ。”
ター坊が布団の上に乗っかってきた。
“うーん、もう暫く寝かせてよ、ママと一緒に買い物にでも行っておいで。”
“いやだよ、昨日もママと一緒に買い物に行ったんだよ。”
“ター坊、パパは疲れているので邪魔をしちゃだめよ、そのまま寝かせておあげ。”
とママの声がした。
“パパと何処かに行きたいんだ、連れて行ってよ。“
“それでは後1時間休ませて、それから目久尻川の桜を見ながら北部公園に行こう。”
“北部公園に連れて行ってくれるの、あそこには滑り台や乗り物が有るんだ、それでは約束だよ。”
雄二は布団の中で、うつらうつらしながら桜は見頃かなと考えていた。

(二)
雄二、妻の良子、ター坊は弁当、お菓子、飲物、果物を買うため、近くのスーパー相鉄ローゼンに立ち寄った。
“さあ弁当も揃ったぞ、これから目久尻川の桜を見て、北部公園に行こう。”
“パパ、あまり張り切らないで。”
ママに注意されたパパはかしわ台駅の方に歩きだした。
目久尻川へは、かしわ台駅前に掛かっている跨線橋を渡って行くことができる。
跨線橋まで来ると、ター坊が、
“わー、この橋は空の中に架かっているみたいだ。”と叫んで駆け出した。
“ター坊、その先は下り坂になっているので危ないから、走らないの。”
とパパが言った。
跨線橋の左側には引込線に停まった多くの電車とその奥に車両センターの建物が、右側には事務所の建物が見えた。
事務所の先には駐車場に停められた数台の車が停められていた。その先には目久尻川と木々の緑に囲まれた家々が見え、まるで箱庭を見ているようであった。
跨線橋の終わりに近くに右側へ降りる階段があり、その階段を降りて行くと道路に突き当たった。
道路を横切ると目の前には焦げ茶色のマンションが建っており、そのマンションに沿って長い階段があった。
その階段を降りて行くと目久尻川の桜並木と平行してはしる道路に着いた。
ター坊はその道路から目久尻川の桜並木の方へ走って行った。
“パパ見て花のトンネルだよ、綺麗だよ。”
そこは小道の両側から満開の桜が覆い被さった桜のトンネルであった。
桜のトンネルには花見をする人々が散策していた。
桜のトンネルに足を踏み入れた時、一陣の風が吹き花びらがぱっと舞い上がり視界が遮られた。
“あなた、今が満開ですね、見事な桜だこと。”
小道の右側には目久尻川があり、澄んだ水がその波かしらを春の光できらきらさせながら流れていた。
川の対岸側には運ばれて来た土砂が水面上に積み重なり、そこには緑が芽吹いていた。
カワセミが枯れ枝に停まって水面を凝視していた。
数羽の鴨がゆったりと流されており、淀みには鯉が群れていた。
桜のトンネルの中ごろまで来ると、目久尻川へ降りていく別れ道が有り、その先に石畳の道が見えた。
桜のトンネルを抜けると、桜並木は川側のみとなり一気に明るくなった。
反対側には紫陽花が植えられていた。
“綺麗な紫陽花が咲くでしょうね。その頃、又来てみたいわ。”
とママがつぶやいた。
更に進んで行くと産川橋にぶつかった。
産川橋の手前で、目久尻川側の石畳の道に降り橋を潜り抜けて又、川沿いの小道に戻った。
前方には桜並木が左側に長く続いていた。その桜並木に沿ってクリーム色のマンションが見えた。
川の対岸側に目を向けると、そこにも桜並木が有り、その先に北部公園が見えた。
周囲は春の日差しを浴び、ゆったりした時間が流れていた。
“パパ、早く公園に行って遊ぼうよ、あそこにシーソや滑り台が見えるよ。“
ター坊の声に、はっとして、
“この先にある橋を渡ると公園にいけるぞ、橋まで競争しよう。”
パパは走り出した。
橋に着き川の中を覗いて見ると、川の淀みには鯉の群れが泳いでおり、土砂が積み重なった所には数羽の鴨が羽を休めていた。
川の安全柵の近くには鳩や雀の群れが地面をついばんでいた。
“パパあの木の上に停まっている白い鳥を見て、何の鳥。”
“ああ、あれは白鷺だよ。”
“ター坊は、白鷺のように空を飛んでみたいな、そうしたら遠くまで見ることができるのに。”
“空を飛べればいいね、パパも空から桜を見てみたいよ。”

(三)
公園内の桜の下にビニールシートを敷きそこに荷物を置いた。
“ママ、ここで暫く留守番していて、ター坊を遊ばしてくるから。”
パパとター坊は公園にある、滑り台の方に走って行った。
滑り台に飽きたター坊は、近くにあったペンギン、ラッコ、クジラの乗り物で暫く遊んだ。“ター坊、この先の運動場で駆けっこしよう。そうして、お腹が空いたらママの所に行って弁当を食べよう。”
暫くして、遊び疲れたター坊はママが待っているビニールシートに駆け寄って行った。
“ママ、喉が渇いたので飲物を頂戴、それから食事にしようよ。”
“はいはい、分かりました、その内パパが来るので、皆で一緒に食事をしましょう。”
パパとママとター坊はビニールシートに座り、昼食をとった。
昼食を食べ終えた3人は幸せな気分に浸り、川向こうの桜をぼんやりと眺めていた。
“ママ、ター坊は疲れたのでここで休んでいい。”
と言って、ター坊はビニールシートの上で横になった。
・・・・・・
“ター坊、滑り台や乗り物は面白かったかい。”
“だーれ、タ-坊を呼ぶのは。”
ター坊が声のする方に顔を向けると、そこにはピンク色のドレスを着た美しい女の人が立っていた。
“桜の精霊なの、皆には見えないけど花が咲く季節にはこの辺りにいて、皆を見守っているの。さっき、ター坊が空を飛びたいと言っていたわね、かなえてあげようと思って声をかけたの。”
“本当、どうやったら空を飛ぶことができるの。”
ター坊は目をきらきらさせて聞いた。
“あそこの木に停まっている白鷺に乗せてあげるわ、そうすると白鷺と一緒に空を飛ぶことができるでしょう。”
“ター坊はあんな小さい鳥には乗れないよ。”
“あの鳥に乗れるようにしてあげるから、目を瞑ってごらん。”
ター坊が目を瞑ると、精霊がター坊の頭に手をかざした。
“ター坊目を開けてごらん、白鷺に乗れるようになったから。”
ター坊が目を開けると、目の前には大きな木の根子や石ころがあった。
“あれ、どうなったの、ター坊は小さくなったの。”
“今度はあの白鷺に乗せてあげるから。”
精霊が手を上げると、木の葉がター坊の所へ舞い降りてきた。
“その木の葉にお乗り、あの木にいる白鷺さんの所まで運んであげるから。目を瞑ってごらん。”
ター坊が目を瞑ると、一陣の風が吹き何か柔らかな所に降り立った感じがした。
精霊が白鷺の方に向いて、
“ター坊目を開けていいよ、それから白鷺さんの背中にしっかり捕まっているんだよ。”
“白鷺さん、ター坊が希望する所に連れて行って、お話をしておあげ。”
ター坊を背中に乗せた白鷺は、空高く舞い上がった。
空にはクジラのように大きな雲がゆったりと流れ又、飛行機雲が消えかかっていた。
“ター坊、最初はどこに行きたいの。”
“電車がいっぱい停まっている所へ行きたいな。”
白鷺は電車の車庫の方へ飛んでいった。
車両センターの建物が、それから引込線に停まっている多くの電車が見えてきた。
両側に台がある引込線では電車が洗浄されていた。
引込線の近くの電信柱に白鷺が羽を休めた。
“ター坊、ここから電車を眺めることにしようか。”
かしわ台駅の方に目を向けると、電車が左の方から駅に入ってきた。
ベルが鳴り、その電車が右の方へと走り去り、暫くすると右の方から電車が駅に入ってきた。
まるでジオラマを見ているようであった。
ター坊は白鷺の背中できょろきょろしていた。
“ター坊は、大きくなったら電車の運転士になりたいな。あそこに電車がいっぱい停まっているよね、あそこは何をする所なの。”
“ター坊は綺麗な電車に乗りたいでしょう、又電車が遅れるのも困るでしょう。あそこでは電車を掃除したり、消毒したり、洗車したりして、電車を綺麗にしている所だよ。又、電車が故障していないか定期的に検査しているのだよ。“
“そうなんだ。あそこに見える黄色電車は何をする電車なの。”
“確か、線路や電車の架線が問題ないかを検査するドクター電車だよ。線路や架線に問題があると電車を動かすことが出来ないからね。”

(四)
“ター坊、次は何処に行こうか”
“目久尻川の桜の所に行ってよ、ター坊は桜の上で遊びたいんだ”
白鷺は桜のトンネルに向かって飛び立った。
桜のトンネル近くの木に白鷺は停まった。
目久尻川に沿ってピンクの桜が見えた。
“わー、雲みたいにふわふわしている、早く桜の上を歩きたいな。”
“それでは、桜の上で遊んでいいか護王姫に聞いてみるので、少し待って。”
“護王姫?だれのこと。”
“昔この辺りに住んでいた偉い人の奥様で、産川橋の近くで子供を産んだと言われているお姫様で、この辺りの守り神なの。
ター坊が桜の上を走ることで枝を折ったり、花を散らしたりするでしょう。又、転んで怪我をするかもしれないでしょう。そこで、ター坊が桜の上を走っても良いかを護王姫に聞こうと思ったの。”
白鷺はター坊を乗せて、近くにある護王姫の碑がある小さな社の前に舞い降りた。
そうして、碑を嘴でつつき、再び先程の木に舞い戻って来た。
“護王姫は何て言っていたの。”
“護王姫が産川橋の近くで子供を産んだことは話したよね、その子供は産まれてすぐ死んだの。その為、護王姫はター坊のように元気な子供を見ると嬉しくなるそうよ、桜の上で思いっきり遊びなさいと言っていたわ。”
白鷺はター坊を乗せて飛び立ち、桜の上に舞い降りた。桜の上には、そよ風が吹いていた。
ター坊は白鷺の背中から桜に飛び移った、そこはふわふわとした真綿のような所で、周囲は花の香りで満ちていた。花の周りには蜂が飛び回っていた。
ター坊はスッキプをしながら花から花へと移っていった、不思議なことに落ちることなく花びらから花びらへと上手く乗り移ることができた。
“ター坊、楽しいかい”
桜の精霊の声がした。
“花の上を歩き回るなんて初めてで、楽しいよ。精霊さん、木の葉に乗って桜の上で遊ぶことはできない。ター坊は小さくなったので、あんなに遠い桜の所までスキップして行くのは疲れるもの。”
“それでは木の葉に乗せてあげる。”
精霊が手を上げると何処からか木の葉がター坊の前に舞い降りてきた。
“さあ、その木の葉にお乗り。”
ター坊が木の葉は乗ると、木の葉は風を受けてサーフボードのように桜の上を右に左に揺れながら進んで行った。
ター坊が乗った木の葉の近くに鴨が飛んできた。
“あの木の葉の上に虫がいるよ。”と鴨が言って、近づいてきた。
“僕は虫じゃないよ、人間だよ。”とター坊が叫んだ。
近づいてきた鴨が服を着て、靴を履いているター坊を見て、人間が乗っていることが分かった。
“君、ここで何をしているの。”と鴨が聞いてきた。
”木の葉に乗って遊んでいるんだ。“とター坊が答えた。
“それでは、あの桜の木まで競争しよう。”と鴨が言った。
“いいよ、競争しよう。”とター坊は言って、その桜の木方向へ木の葉を向けた。
最初の競争は鴨が勝った。
負けて、悔しさがこみ上げてきたター坊は、
“それではあの桜の木まで競争しよう。”と言って木の葉をその木の方に向けた。
ター坊と鴨が競争していると、
“ター坊、あまり、長く遊ぶとパパとママが心配するよ。そろそろパパとママの所にお帰り。”
と精霊の声がした。
“ター坊はお空でもっと遊びたいんだ。”
“ター坊、それでは白鷺さんを呼ぶから、最後に秋葉山古墳を見にいっておいで。”
何処かから白鷺が飛んできて、ター坊の目前の桜の木に停まった。
“白鷺さん、ター坊を乗せて秋葉山古墳まで行っておあげ。”
と精霊が言うと、ター坊を乗せた木の葉は飛んで白鷺の背中の上で停まった。
ター坊が白鷺の背中をぎゅっと掴むと、白鷺はター坊を乗せて空高く舞い上がり、秋葉山古墳に向かって急降下した。
・・・・・・・・・・

(五)
“ター坊、ター坊、目を覚ましなさい、風邪を引くよ。そろそろ、家に帰るから。”
“うーん、まだねむたいな、あれ白鷺さんは。”
“白鷺?白鷺ならあの木の上にいるよ、どうしたの。”
“あ、夢を見て居たのか、ううん何でも無い、今日は楽しかったな、パパお家に帰ろう。”
“ママはスーパーに寄って買い物して帰るので、ター坊はパパと一緒にお帰り”
ター坊はパパと手をつないで家路についた。
跨線橋の上まで来た時ター坊は後ろを振り返った。
そこには夕焼け雲と車両センターの上を飛んで行く一匹の白鷺が見えた。
“白鷺さん、今日は楽しかった、ありがとう。“とター坊が呟いた。

―終わりー

著者

今泉良夫