「奈緒ちゃんの花火」内野行雄

月が瞬いている。月は今日も奈緒を照らし続け見守っている。
相鉄線の瀬谷駅で奈緒は残業続きの父親の帰りを一人で待っていた。夜の9時近くまで待
つこともあり、お巡りさんが声をかけるほどだった。
奈緒がコンビニでアニメキャラクターの花火を買ってと父親におねだりしたのは3日前のこと。
炎が飛び散る花火が怖くて手に持つことができず、同じ幼稚園に通う男の子に花火もできないのかとバカにされ、今日こそは克
服したいと意気込んでいる。
いつも残業で遅くに帰ってくる父親の功一も今日は休みの前の日ということもあり、やっとこの近所の夜の公園へと辿り着いた。功一の汚れた作業着からは油のにおいが漂っている。
昼間は母親の監視のもと、ブランコや滑り台に乗り、小さな子供たちで賑わい、夜は不良の溜まり場でもあるが、今日は誰もおらず虫の鳴き声が響き、静寂に包まれている。絶好の花火チャンスだ。
功一がバケツに水を汲んでいる隙に奈緒はニコニコ顔で袋からアニメキャラの花火を取り出す。
大丈夫、大丈夫と心の中で唱え、緊張をほぐす。
「あっ、いけね、ライター忘れちゃったよ」
その言葉に今日も花火ができないのかなと落ち込む奈緒の目に飛び込んできたものは、煌々と燃え上がる巨大な花火であった。
「あっ、花火!」
奈緒が指差した方向を見て、
「火事だ!」
自分の家が燃えているかもしれない。大切な美少女戦隊のフィギュアが燃えてなくなってしまうのではと思った功一はサンダルが脱げるのもお構いなしに奈緒そっちのけで走り去っていく。
一人取り残された奈緒が次に見たものはライターの火を点けたり消したりしてニコニコと歩いている父親と同い歳ぐらいの男だった。
今日は絶対に花火をやる!何が何でも。そう決意している奈緒はライターを持った男を追いかけていく。
「何だよ」
男は面倒くさそうに奈緒を見た。左手に花火の袋、右手に一本の花火を持って澄んだ瞳で奈緒は男を見つめる。
「俺は忙しいの」
さっさと立ち去ろうと歩き出すも奈緒は追いかけいく。
「子供の遊びに付き合ってる暇はないの」
男の袖を掴んで奈緒は必死に目で訴える。そのまっすぐで何の曇りも何の不純物もないそのまっすぐな目で奈緒は必死に訴える。
「一本だけだぞ」
決意した瞳に根負けし、男はライターで奈緒の持っている花火に火をつける。その光は赤だけでなく青、黄、紫と色を放ちながら奈緒の笑顔を照らしている。怖くない。花火なんて怖くない。明日は花火を手に持ってバカにした男の子を追いかけ回してやるんだ。
消防車のサイレンが近づいてくることに男は焦りを感じ、逃げようとするが、奈緒は花火を手に持ってどこまでも男を追いかけていく。
「おい、こっち来んな、ライターやるよ、自分でやんな」
男から渡されたライターを手に奈緒はカチカチと指でこすり、花火を自分に向けたまま火
をつけようとする。
「危ねぇな、やっぱりダメ」
男は奈緒からライターを奪い、再び逃げようとする。
公園のそばを消防車が通過していくのを見て男は腕時計を見る。そわそわするも奈緒は新しい花火を手に持ち火を要求し続ける。男が予定していた20時23分瀬谷駅発、海老名行きの逃走用列車は無情に通過していってしまう。
相鉄線を見送りながら無邪気な奈緒の姿に男は逃走を諦める。人ごみに紛れてやりすごそう。逃げるには今日は日が悪い。
消防車のサイレン、周りのざわめき。焦げた臭い。
奈緒はおかまいなしに花火に没頭する。
「今日は祭りだね」
「君、お母さんは?」
「月になって夜になると私を照らしてくれてるの」
男は察し、月を見上げて合掌する。
「綺麗な月だな」
「うん」
「お父さんは?」
「大きな花火見に行ってる」
「君の家だったのかもな」
花火が終わると袋から新しい花火を取り出して奈緒は男にまた火をせがむ。
「もう終わりにしない?」
「ダメ」
奈緒の笑顔には汚れた大人の心を洗い流してしまうほどの力がある。大人になるにつれ、汚れてしまった全てのものを焦がすように太陽のような笑顔。
「おじさんも一本どうぞ」
仕方なく花火を手に取り、奈緒の天使の笑顔に男は自首を決意するのだった。

著者

内野行雄