「娘と女の子のふるさと希望ヶ丘」川辺 津屋崎

相鉄駅の希望が丘駅は、私住んでいる街で、娘の故郷で孫娘にとっては、おじいちゃんの街である。
娘が小学生の頃小学校から社会研修で銭湯にクラスメートとお風呂に入ったことがある。
今時銭湯に地域の小学生がほとんど入ったことがあるのは珍しいと私は思う。
残念なことにこの銭湯は、廃業されて相鉄ローゼンの一部となっている。
希望が丘には畳屋さん釣り堀屋さん豆腐屋さんケーキさんがある。この規模の町としては珍しいと思う。
鬱蒼と木々の中に帷子川の源流が公園となっている。娘がまだ小さい頃近所のお友達を連れて私が公園を紹介するとみんなでぬれた落ち葉を踏んで湧き水を探していたのが懐かしい。
帰りは公園の水道で手足を洗えたのも覚えています。
住宅街なのにご近所の奥さんから横浜の実家で本人が育てた50センチぐらい、自家製だから葉っぱも50センチぐらいのだいこんを頂けるのも不思議な感じがする。
つい最近まで平屋の駅舎で英会話のフランス系の女先生が切符切りの駅員の前で改札越しにハグしていたのも懐かしい。
娘は自転車で15分の距離を雨降ると危ないからと相鉄乗り換えで20分かけて相鉄で高校に通わせた。
娘は学校近くの駅前の教科書を売っている本屋と商店街と地元野菜を使ったレストランはやけに詳しい。
希望ヶ丘駅前の丘にある自転車置き場は、駅前方向と小学校方向で値段が違う。東京の友人に聞くと空きがあるだけすごいと言われるが、空いているので実感がない。
6月には梅狩りがあると言っても理解してくれないだろう。
ゴルフの打ちっぱなしと梅園と駐輪場が同じ方が管理していると言っても高低差から納得出来ないだろう。
私の住んでいる住宅地にはつい最近まで梨園があった。夏になると小さなポスターが出るので毎年買いに行っていた。
ヨウカドーの跡地にあるライフ近くには、市民農園で作った野菜の無人販売所があり、野菜が結構美味しいのが不思議である。
三ツ境との境には武蔵の国、相模の国の道祖神があり、鎌倉道に夫婦地蔵もあって昔から人々が静かに暮らしていたことが窺いしれます。
二俣川には畠山重忠の自刎の地があり鎌倉時代から騙されて理不尽な悲劇の最後を迎えた武将には時代を超えた同感が生き続けていると実感します。
江戸時代に大山道だった街道が今も使われているのは着想の大切さを感じさせ、途中で富士山が見えるのも旅の疲れを考えてのことと想像出来ます。
阿久和には乗馬クラブの馬場があり近代と今を繋げて、近くの堀産婦人科は日本一の規模であり今と未来を結んでいます。
隼人高校や希望が丘高校の生徒は私達が日々努力していることが実を結びつつあることを教えてくれます。
運転免許証の更新で昭和58年に二俣川に訪れて以来、相鉄線は私に取って九州の生家と重なる都会のふる里です。
私は微力ながらこの町を娘とその女の子のため守って行きたいと思っています。

著者

川辺 津屋崎