「宮西橋」森 民 亞

 わたしの朝は早い。高校には、いずみ野から横浜に出て別の電車に乗り換え、さらにバスで行く。横浜駅は朝も夜も人が大勢いて、まっすぐ歩けないほどだが、祖父によると50年前は昼日中でも人がまばらで西口の五番街の先、川向うは夜8時を過ぎると人っ子一人いなくて怖いくらいだったそうだ。
 横浜から同じ電車で帰る同級生もいるけど、二俣川のホームでお別れで、いずみ野線にはわたしだけ。人の少ない午後に9000系のネイビーブルーの電車に乗ると、光だけでなく空気も違う気がして心が落ち着く。それも八両目、四人掛け向かい合わせの席に一人だけ座ったとき。周りに人の気配がないと、もっと落ち着く。でも、メッタにそんな機会はない。「ネイビーブルー」という半世紀以上も前に流行ったアメリカの曲がある。この電車に乗ると、頭の中でネイビーブルーの歌声が流れてくる。雨の日、20000系が試運転をしていた。同じネイビーブルーでも、9000系と違って、どんな光と空気なのか待ち遠しい。
 去年ガンで亡くなった祖父が遺した段ボールいっぱいのレコードの中に、この曲が入ったLPやSPがある。勉強しながら、ぼんやり夢想したとき、BGMでほとんどのレコードを聴いてしまった。すべてがアメリカンポップスだ。その頃はJポップもKポップもなかったのか。5~60年前の曲ばかりだが、分かりやすいメロディで懐かしい気がする。
 祖父の古いレコードの中で、わたしのお気に入りは「二十歳の火遊び」
のサウンドトラック盤だ。題名を見ただけで少しドキドキする。わたしは自分がハタチになれるのか、あと3~4年なのに二十歳の自分を想像することができないし、ちょっと不安だ。その前に高校を卒業しなければならないし、一年後は受験生だ。
 ある日、学校から早く帰ったとき、祖父がソファに仰向けに寝転んでレコードをかけていた。「ただいま」と声をかけると、顔を上げた祖父の目に涙があった。どんな悲しい、それとも懐かしくて熱い思い出があるのか。なによりもお祖父さん子だったわたしには、祖父は泣き虫だった。わたしが中学校に入ったとき、高校に受かったときも涙をにじませて喜んでくれた。わたしが成人式を迎えるまで頑張ると言っていた。でも、ハタチになっても祖父はそばにはいない。祖父は十年間寝食を共にした犬と一緒に毘沙門の海に散骨された。夜空のシリウスのそばでわたしを見守ってくれていると思う。
 いずみ野駅までは自転車で行く。この辺は坂がきついし、わたしは体力にはほとんど自信がないから、親が電動を買ってくれた。バスがない朝早く、土砂降りのときは歩いていくしかない。帰りにバスの間隔が長いときも歩いて帰る。改札口を出て右の北口からバスロータリーの交番の前を通り横断歩道を渡る。薬局の前を抜けると住宅街に入る。一方通行の坂道を下っていくと八幡神社の裏になる。
 八幡神社の桜の木は大きいし枝ぶりも見事で、満開の景色はこの辺ではいちばん美しいと思う。むかし、桜の木の下で死にたいと歌を詠んだ人がいるが、桜が盛りのころに死ぬなんてもったいないから、わたしはイヤだ。花が散って舞うさまも、花が土の上に散り敷くのも川を流れていく花びらもステキだ。青い若葉が萌えていくのもいい。わたしは花の下よりも静かに降りつもっていく雪の下で眠りたい。できれば、春になっても雪が溶けないところがいい。永遠というものがあるならば、永遠の中で静かに眠っていたい。
 八幡神社から2~30メートル歩くと宮西橋だ。自転車でもバスでも歩いても、学校が休みでないかぎり毎日朝夕かならず宮西橋を通る。「宮西橋」バス停で乗り降りする人は滅多にいない。歩いても駅まで6~7分くらいだし、近くに住宅が少なくなるからだろう。
 春! 春が来たとわたしが感じるのは、宮西橋のほとりの藪の中で鳴くウグイスの声を初めて聞くときだ。それはケキョケキョと鳴き方を習い始めた子供みたいだ。家の小さな梅の木に、毎年やってくるメジロのつがいを見つけたときもそうだ。いつも隣の玄関で子育てをしていたツバメが今年は来なかった。雛がとべるようになると、二階のベランダのすぐ前の電線に五羽並んでいたのだが。
 揚げヒバリの声を聞くことができる畑もある。近くにたくさんあるキャベツ畑でなく、休耕田だ。といっても、ごく一部で形だけ畑らしき作物が植えられている。ヒバリが地面から飛び立つところは見たことがない。声が聞こえて気づくと、ほとんど見えない高みにいて、やがて声だけになる。何をしにいくのだろう。
 宮西橋の辺りでは、ほかの鳥にも出会える。スズメはあまり見かけないが、いちばん多いのはカラスだ。橋の欄干にとまっていることもある。「なにしてるの?」と声をかけても首をかしげるだけだけど。どこから迷い込んできたのか、空高くトビが数羽のカラスに追い回されていた。道の上で尾を上下に振っているセキレイはすぐ近くに寄るまで逃げない。神社の近くの林からコジュケイがチョットコイと呼びかけてくる。目の高さでコゲラが幹を突いていることもある。家の梅の木、手を伸ばせば届く高さに巣作りしたキジバトの雛も知らない間に巣立っていた。
 夏! 宮西橋の下を流れる和泉川のせせらぎに一羽の白いサギが佇み、すぐそばで3~4羽のカラスが水浴びをしていた。それを眺めていたわたしに緊急事態。鼻に飛び込んできたのはハチ。蜂がどんな花を求めていたのか、スズメバチでなくて良かった。
 宮西橋の前の公園で、小学校低学年の男子が数名、低い木の周りで騒いでいる。細い棒で何かを突いている。近づいてみると枝に巻きついているのはアオダイショウだ。「かわいそうだから逃がしてあげよう」。牙をむき出しにし、口を大きく開けたヘビの頭を木の枝でおさえ尻尾をつかんで、子供たちの畏敬の視線を背にして近くの藪に逃がしてあげた。爬虫類や両生類は嫌いではない。ほかの女子に比べると好きな方かもしれない。バッタやカマキリは好きではない。イナゴの佃煮も食べられない。けど、虫の音は別だ。
 その時期を晩夏というか、初秋というのか。朝ぼらけ、道路わきの草むらでは虫の音がしている。チチチチチチ―、リーリーリー、か細い声がする。宮西橋に近づくと右の草むらの虫の音は大音声になる。それまでの何十倍もの、いろいろな虫の大合唱。それに和して、左の林からセミたちの大音量の交響曲。でも、夜と昼の交歓合唱を聞けるのは宮西橋だけ。橋を通り過ぎると、虫の音もセミの声もほとんどしなくなる。
 秋! 下の弟の運動会で小学校に行ったとき、人が大勢行き来しているグラウンドでヤモリがじっとしているのを見つけた。トカゲと違い、ヤモリは動きがにぶく簡単に捕まえられる。目玉が大きくて可愛く見えるし、丸い指先もステキだ。誰か知らずに踏みつぶすといけないので花壇に逃がしてあげた。白っぽい体色だった。家で雨戸や窓を開けようとして、ヤモリがいてビックリすることがある。開け閉めでつぶしてしまわないか、いつも心配だ。
 橋の近くを散歩していると赤いトンボがとんできた。わたしが、「とまれ」と左腕を真っすぐに上に伸ばし人差し指を立てると、トンボがとまったのだ。わたしも信じられなかったが、目撃者は弟だけでほかの誰も信じてくれない。神様の奇跡とはこういうことの積み重ねではないのか。
 家庭菜園で胡瓜、南瓜、苦瓜や筍芋などを栽培しているが、耕した畑の土の中から黒曜石や土器のカケラが出てくることがある。一万数千年も前から、わたしのすぐそばに人が住み続けてきたと思うと嬉しい。頼朝のころや、厩戸皇子の時代の祖先の姿、縄文時代のわたしのご先祖様を想像してみる。
 宮西橋の少し先にある新宮西橋からは、畑の先の和泉川橋りょうを通る電車が見える。わたしの周りは、すだく虫の音にあふれ、空には丸い月が明るく輝く。柔らかな風が心地よい。そこにススキはないけど秋を実感する。
 冬! 木枯らしは嫌いではない。スカートの下にジャージパンツをはけば寒くない。女子に告白されたことはあるが、男子からはまだない。女子は、男子に見つめられることが度重なると、だんだんその気になってしまうものだ。いずみ野駅の改札を出るとき、ときどき正面の黒い椅子に座っている男子が、いつもわたしを見ていた気がする。
 男らしくとか、女らしくというのは好きではない。「男の子になりたい」という歌があるが、わたしは、男の子になりたいとも、女の子でいたいとも思わない。男でも女でもある存在があるといいなと思う。
 夕方、改札口を出ると、向かいの椅子から立ちあがった男子がわたしの方に向かってきた。やっぱり、わたしも普通の女の子かもしれない。首のマフラーに伸ばした手が震えているような気がする。

著者

森 民 亞