「小さな散歩みち」卓

             一

 今年も桜が満開になった。横浜の郊外にある私の家の傍を、相鉄線に添うように小川がながれていて、遠く鎌倉の海に注いでいる。
 その両岸にボランテァの人達が造った花壇なども点在し、とくに草花を愛でる人たちの格好の散歩道になっている。取り立て四月は、水道局が造った遊水池の周りの桜は見事で、また桜並木の下をながれる小川には、時折、渡りをやめたカルガモが十羽程の雛を連ねて泳ぐ光景なども出現して、集まった人波の嘆声をさそう。桜は他の樹木に比べ生育が早いようで、私が此処に四十年前に居を構えたあとに植樹されたのに、今では遥か先輩顔で堂々たるものだ。
 私が散歩を始めて十年ほどになった。現役で仕事をつづけていたときは、散歩が身体に良いとわかっていても、時間に追われついぞ実践したことはなかつた。
 仕事を定年で辞め、市の健康診断を受けた。血液のPSÅの値が高いと言われ、前立腺の組織検査を受けた。二か所に腫瘍が見つかり、県のがんセンターで治療を受けることになった。私の主治医であった初老の医師は、〈病人面(づら)はしないで、仕事も続けてください。出来るだけ、適宜な運動を心掛けられたら良い〉
 と、真剣な眼差しで私に進言してくれた。爾来、七キロの朝の散歩は、欠かせぬ私の日課となった。散歩を始めて気付いたことは、毎日同じ場所で変わらぬ人々との出会いであつた。
 朝五時に家を出て、七キロ弱の遊歩道を歩く。散歩をする人は皆夫々決まった時刻に家を出る。当然のように、毎日定(き)まった場所で同じ顔に出会うことになる。「お早うございます」の単純な一声を掛け合い、左右に別れていく。互いの微笑に、一瞬ほっとした心が通うのは歳を重ねた所為だけだろうか。そんな人が、ある日突然、姿が見せぬ事がある。一日・二日だと、何か都合が出来て散歩を止(よ)したのだろうと、一人合点をする。だが、これが一週間、一か月も続くと、名も知らぬ人の消息がひどく気に懸かる。
 散歩は新しい人との、楽しい出会いがあり、時に、哀しい逝去(わかれ)がある。
 Mさんと初めて出会ったのは、五年ほど前の夏だった。
 六〇才過ぎの小柄なひとだった。黒のランニングシャツに黒い短パン姿から覗く日焼けした肌が、私の目に、何かのスポーツ選手に映った。今時珍しい坊主頭で、卵型のキリリとした顔立ちだった。
 私は、夏冬変わらず朝五時に家を出る。陽が昇り少し暑くなりだした午前六時ごろだった。額に大粒の汗を浮かべたMさんは、何かに憑かれたように地面に視線を投げ、私とすれ違っていった。私の会釈も眼中にないようだった。その日から毎朝Mさんと顔を合わせるようになったが、Mさんの散歩のスタイルは変わらなかった。私の、「おはようございます」の掛け声にも、余程気分が良い時の他は黙殺された。最初、なんて愛想のない男(ひと)だろう、と速歩で遠ざかるMさんを見返し、何気なく歩き始めた私の足が止まっていた。Mさんは見るからに頑健な身体に見えるが、ひょっとすると、人に口外できぬ重たい病魔を背負っているのではないか、そんな予感が脳裏を過った。その予感は、私が癌の宣告を受け、一瞬、周りの光景を見失った時の姿に重なったのかもしれない。医者の勧めで始めた散歩だったが、道を歩きながら、密かに私は転移の不安に怯えていた。川岸の草花や小川の鯉も目に入らず、眼前に延びる白く乾いた細い遊歩道が、いつか見た二河白道の絵となって私の脳裏に映っていた。二河白道は有名な宗教画で、恐ろしい、火・水の河に挟まれた細く白い道が、西方浄土に至る道として描かれている。恐怖に震える人を菩薩が優しく背中を押して、彼岸に着けば阿弥陀如来さまが待っていられるから、ひるまず、真っすぐに進みなさい、と諭(さと)す宗教画である。
 遠く漠然と考えていた死が身近にあった。当時の私の散歩姿は、Mさんと寸分違(たが)わぬものであったかもしれない。
 ある日、散歩の途中で雷雨に遭遇した。突然の雷雨で雨宿りの場所もない。遥か前方に、一か所だけ地上に顔をだす地下鉄のガードが見えた。私はその場所に一目散で駆け込んだ。後を追うようにMさんも飛び込んできた。坊主頭のMさんは、全身ずぶ濡れだった。
「やられましたね」
 と、私が稲妻に首を竦めながら声をかけると、
「見事に、騙されました。家を出る時はいい天気だったのに」
 Mさんも身体を縮めて、恨めし気に曇り空を見上げた。
「最近、散歩を始められたのですか?」
 私の問いかけに、一瞬口をつぐみ、
「以前はよく歩いたのですが、病気をしまして・・・・」
 やはりそうだったのか、私が小さく頷くと、
「直腸がんになりましてね。手術したのですが、少し発見が遅れたらしく、胸に転移してしまいました。こちらも手術をしたのですが、まだすこし残っています」
 と、あっけからんとまるで他人事のような口振りだった。
「そうでしたか、実は私も前立線癌の治療をうけています」
 と、答えて笑うと、Mさんは、ふっと吐息を洩らしうなずいた。
 その日から、私達は会釈を交わすようになった。時折、とりとめの無い立ち話をすることもあった。話しの大半は、互いの病状や担当医の事だった。Mさんの通院先は、直腸癌がT市にある国立病院で、肺がんは、F市の市立病院の掛け持ちだった。国立病院の担当の医師がくるくる変わって、と言って失笑した。同じ病院が便利ではないか、との単純な私の問いかけに、
「国立に勤務されていた先生が、急に市立病院に転勤されたもので」
 との答えだった。
 Mさんの体調もさしたる変化はないようだった。暑い夏が終わり、黄金色にたわわに稔った稲穂の刈り入れも済んで秋が深まった頃、ぱたりとMさんの姿が見えなくなった。最初、急劇な気候の変化で体調を崩したのではないか、そんな思いが脳裏を過った。そのうち元気な姿を見せるだろう、と軽い気持ちでやり過ごした。だが、師走になってもMさんの姿を見ることはなかった。私の脳裏に、言い知れぬ暗雲がひろがった。Mさんの中に眠っていた悪い病魔が再び活動し始め、Mさんを苦しめているに違いない、そう思った。
 日の出が遅くなり、散歩する人の姿もめっきり少なくなった。懐中電灯を手にして歩く人等も出現した。
 穏やかな正月を迎えたが、Mさんが再び姿を見せることはなかった。
 厳しい冬が到来し、渡りを止めたカルガモが身体を寄せ合い、小川の鯉も水中でじっとして動かない。川岸の桜並木が、枯れ木のようにかじかんでみえた。
 小雪が舞う真っ暗な早朝に、思わず私の足がすくむ。散歩を中止したくなるのもこんな日だ。だが、時折闇夜に顔を見せる満月や煌めく星空が、折れそうになる私の背中を押してくれた。
 忘れかけたMさんと思いもかけぬ再会をしたのは、厳しい冬が終わった早春の頃だった。
 私は散歩を終り家に帰ると、朝食をとり、福祉法人が経営する京浜プラザにラジオ体操をしに行く。散歩の後のラジオ体操、これが私の日課である。施設は、老人のためにデイサービスを行う処である。仕事の始まりに、職員の人達が中心となり、ラジオ体操をする。その体操に近在に住む高齢の人達が参加をする。体操は、正月の三が日の他は年中無休である。夏休み、冬休みともなると、幼い小学生がどっと押し寄せ、プラザ前の広場は人の渦となってしまう。
 三月の初め、何かの都合で早朝の散歩が出来ない日があった。私はプラザでの体操を終えた後、何気なく毎日歩く散歩道に足を向けた。ラジオ体操で解(ほぐ)れた身体に、温かい春の日差しが心地よかった。私は、落葉樹の梢に顔を見せる若葉や、動き始めた小川の鯉など眺めながら、川岸の若草の匂いに身を寄せ、ゆったりとした道草散歩をしていた。覗き込んでいた川面から顔を上げた時、遠くから歩いてくる人影があった。男のようだが、それがMさんとは想像もしなかった。前屈み姿勢で小柄の男はゆっくりと私に近づいてきた。Mさんだと判った時の衝撃は、測り知れぬものがあった。私は感激で胸が熱くなり、歩道に棒立ちになっていた。Mさんはトボトボと私に近づき、私の姿に一瞬ぎくりとして立ち止まり、あ、と驚喜の声を上げ両手を突き出して駆け寄ってきた。私も黙ってMさんの両手をにぎりしめていた。四か月ぶりの再会だった。最初に出会った頃に比べ、顔に精気が無く、身体が驚くほど細くなっていた。
「どうされたのか、心配していました」
「いやあ、えらい目にあいまして・・・」
 と、言って、私の顔をじっと見つめ、
「秋口に、突然激しい頭痛に襲われましてね。精密検査をしたら、脳の六か所に腫瘍があることが判り、放射線治療をうけたのです」
「頭に・・・そりゃ大変でしたね」
 思わず目を見張ると、
「いや、大変なのはその後でした。頭痛が取れず、色々な検査の結果、MRIの画像に見えぬ癌細胞が他に点在しているらしいとのことで。それで、今度は頭部全体に放射線をあてることになりました」
「えっ!頭全体に?」
「この話を受けた時は、すっかり動顛(どうてん)しましてね。元来、放射線治療は、腫瘍の位置を確かめて正常な細胞を傷つけぬように細心の注意をはらうべきものでしょう。それを頭部全体に照射することによる脳神経への影響などを考えて、素人ながら不安になりましてね」
 と、言って苦笑した。
 私は自分が経験した、前立腺癌の放射線治療を思い起こしていた。CTスキャンによる前立線の位置確認をし、身体にマジックで線をひかれた。放射線をあてる場所なので、風呂などでくれぐれも線を消さぬよう注意された。そして、念書にサインをした。念書には放射線が正常な内蔵に当たることによって引き起こす後遺症などが列記されていた。
 頭部は、人体の全ての神経が集結する場所で、言うなれば司令塔である。そんな場所に放射線を浴びせる、想像を絶する事におもえた。
「それで、どんな具合です?」
「お陰で頭痛は収まったのですが、身体がだるくすっかり食欲もなくなりまして。朝起きるのが辛く、散歩も中断していたのです。が、今日はあまりにもいい陽気なものだから、思い切って外の空気に触れたくて。幸運でした、久し振りに貴方に会えて。でも、あなたがこんな時刻に散歩されるのは珍しい。早朝の散歩はお止めになったのですか?」
「いや、一寸家で野暮用が出来たものですから」
 私の返事に、軽く頷き微笑を浮かべ、
「いやあ、すっかり貴方の散歩の腰を折ってしまいました。お元気そうでなによりです。もう、お会いする事もないとおもいますが、どうかお体を大切に・・・」
「有難うございます。貴方も余りご無理をなさらず、また元気な姿をみせてください」
 Mさんは軽く会釈を返し、ゆっくりとした足取りで私から離れて行った。早春の遊歩道に消えていくMさんの後ろ姿が、かつて私が遊歩道で幾度となく脳裏に映した、二河白道の絵となって甦っていた。
 Mさんの姿を見たのは、これが最後となった。
 Mさんとの再会は、私の偶然発生した家庭の都合と、陽気に誘われてふらりと家を出てきたMさんとの偶然がもたらした産物だったのだが、果たしてそれだけであったろうか。あの日の散歩は、ひょっとしたらMさんにとって生涯最後の散歩だったかもしれない。人の世には、理屈で割り切れぬ何かが存在する。Mさんを思うとき、何だかそんな気がしてならない。

               二

 野瀬六郎(のせろくろう)さんとの出会いは、プラザにおけるラジオ体操の場だった。七〇歳位の、一見古武士を思わせる面立ちだった。普通の参加者であれば、私が声を掛けることも無かっただろう
 六郎氏は一風変わった男(ひと)で、何時も柴犬のマリーをつれてきた。六歳の雌犬である。体操は、午前八時四〇分に始まり九時前におわる。
 私が体操の一〇分位前にプラザに行くと、六郎さんは何時もマリ―の紐を握りしめて広場に立っていた。
 ケヤーセンターには、施設を利用する老人達を癒すため、大型犬のラブラドール等が姿を見せる。ラジオ体操に集まる人達は、犬好きの人が多い。体操が始まる前のほんの短い時間、犬の周りに集まり交互に頭を撫でる。どの顔も、満面の笑顔である。
 マリーは、愛想の無い犬だった。最初、何もわからず皆がマリーに近付いた。尻尾も振らず、ジロリと冷たい視線をかえしてきた。誰かが頭に手を遣ると、直ぐに白い歯を剥き、慌てて手をひっこめた。六郎さんが腰を屈め、「人馴れしてないので」とマリーの頭を撫でながら詫びをいれた。爾来、誰もマリーに近付く者はいなくなった。広場の隅の樹木に繫がれたマリーは、如何にも詰まらなさそうな表情で、六郎さんの体操を眺めている。体操が終わり家路につく姿は、一転していそいそとたのしげである。
 私の問いかけに、ぽつりぽつりと答える六郎さんの言葉に訛りがあり、出身地を訊ねると、
「新潟です。わかりますか?」
 と答えて笑った。笑うと細い目が線になり、濃い眉毛に近付いて愛嬌があつた。奥さんを十年ほど前に亡くし一人暮らしだという。子供もなくマリーと二人で生活していると言った。犬と二人との言い回しに、思わず私が笑い出すと、本人も直ぐに気が付いて、
「いやあ、家内に子供が無かったものですから、犬は二人で早くから飼いだして、このマリーは四代目で、全部柴の雌犬です。家内が人に聞かれると、何時も家族は三人と答えていたものですから、つい口写しになって」と、昔をしのび楽しげだった。
「どうして柴犬で、雌を飼われるのですか?」
「家内の独断と偏見でしょう。家内の言によれば、柴犬は飼い主に従順で他人に厳しい犬種だそうです。雌犬に決めたのは、子供が無かった所為で、私が若い頃から酒場通いしまして、特に、キャバレーは大好きで、ワイシャツのポケットには、何時もマリー・メリーと言った源氏名のホステスの名刺で溢れていました。家内もほとほと呆れ、貴方は度外れの女好きだから、犬も雌にする、と申し渡されまして。おかしなもので、家内が亡くなって飼った三代目・四代目も、これが皆柴犬で雌犬、名前もマリー」
 二人は顔を見合わせ爆笑した。
「マリーと命名した経緯(いきさつ)は、思い出しても傑作でした。当時通っていたキャバレーに、マリーと言う名の可愛い女(こ)がいましてね。行くと必ず指名をしていました。家内が子犬を抱いて頭を撫でながら、この子の名前は何にする、と問いかけてきました。女だから、マリーでよかろう、と言ってハッとしたんです。何も知らない家内は珍しくにっこり頷き、マリーと子犬に呼掛け、そっと頭をなでました。その時初めて、家内の名が万里(まり)江(え)であることに気付いたんです。家内はてっきり自分の名前からとったと思ったのでしょう」
 二人は笑いながら、詰まらなさそうな表情のマリーをみつめた。
 六郎さんは話し始めると、意外に饒舌だった。
 話の大半は、キャバレ―通いの顛末(てんまつ)だった。もうほとんど姿を消してしまったが、日本の高度成長の時代に、キャバレーは全盛だった。「月世界」「赤坂」等の名前を聞くと、私達の世代の男は、当時を偲び微笑む人がおおいだろう。福富太郎という、キャバレー長者が世間を賑わせたのもこの頃だった。店構えも大きく、薄暗い店内に無数のボックス席がならび、店内にはいると、ボーイが客席案内をしてくれた。ドレスを着飾ったホステスの数も多く、指名料がホステスの報酬となるシステムだったから、ホステスは競って客の指名を争った。
 フロアも広く、踊り好きの男は、ドレス姿の女を相手にダンスの競演を繰り広げた。中には、怪しげな動きをするカップルも出現し、皆の笑を誘った。密かにキャバレー・ダンスと嘲笑されたものだった。クラブのホステスに比べ、キャバレーには子供を抱えたホステスも多く、総じて年嵩の女が多かった。大阪の千日前のキャバレ―が火災事故を起こし、多くのホステスの犠牲者がでた事があった。その犠牲者の中に、子供を抱えたホステスが多数いたとの新聞報道に、人々の新たな泪を誘ったものだった。
 マリーも自然と私を受け入れる素振りを見せ始めた。私はマリーに会うと、無愛想な表情だろうとお構いなしに腰を折って頭を撫でて声をかけた。もう、白い歯を見せることはなかった。私に親愛の情を示すことをじっと我慢し、しきりに六郎さんの顔色を伺った。
「六郎さん、マリーは少し太りすぎじゃない?食事は、ドッグフード?」
 私の問いかけに、
「肉が好きなもので、つい与えてしまって」
「そりゃ、余りよくないんじゃない。犬も人間と同じ病気になるというし」
 私の意見に六郎さんは頷いていたが、なかなか実践することは出来なかったようだ。
 ある夕刻、私が妻に頼まれた買い物をして駅前のスーパーから出てくると、駅に急ぐ六郎さんとばったり出会った。何処に行くの?と私が問いかけたら、ふっと苦笑を洩らし、マリーの肉を買いにY駅までと答えて、急ぎ足で駈け去っていった。Y駅は、相鉄沿線で三駅も離れていた。犬に与える肉を、わざわざ電車に乗って買いに行く、私は頭をひねり、思わず出て来たスーパーをふりかえっていた。
 梅雨の季節が過ぎ、ぱっと明るい日差しが射し始めたころ、六郎さんとマリーの姿がぷつりと見えなくなった。六郎さんが一人暮らしである事は、皆知っていて心配した。
 一週間位して、六郎さんがひょっこり顔をみせた。ひどく憔悴した六郎さんの姿に、自然と皆が集まった。マリーを連れていなかった。
「いやあ、どうも心配かけてすみません。身体がだるく黄疸がでたので、F市の大学の附属病院に検査入院をしていました。いずれ、入院することになると思いますが」
 と、はにかむ表情で皆に答えた。皆無言で体操のために六郎さんから離れて散った。
「マリーはどうするの?」
 マリーの姿が無いのが気にかかり私が訊ねると、
「八王子に妹がいます。子供も独立して一人住まいをしとるから、一寸の間預かってもらうことにしました」
「そりやよかったですね」
 その日の体操が、皆が六郎さんの姿を見た最後となった。思い返せば、検査入院の後顔を見せたのは、皆への報告だけでなく、病状を察知した六郎さんの、密かな惜別(わかれ)だったのかもしれない。
 しばらくして、姿を見せなくなった六郎さんが、入院先の大学附属病院で亡くなったらしいとの噂が流れたが、詳細はだれにもわからなかった。

              三

 私の歩く相鉄沿線の遊歩道は、江の島・鎌倉につながる道で、小高い丘が多い。丘には、欅(けやき)や山桜等が密生して、春先には見事な景観となる。そんな場所に老人ホームが建設された。六郎さんの姿が消えて三年ほど経っていた。巨木の欅に囲まれた白い建造物の佇まいは、遠くから眺めても如何にも高級老人ホームにみえた。
 私が点在する山桜に誘われ丘に足を向けたのは、全くの気紛れだった。綺麗に整備された道路は、どうやら、老人ホームに向かっているらしい。昔、一度だけ行った欅林はどうなっているのか、建物の周りの樹木は皆伐採されて、敷地にされたのだろうか。
 私はゆっくりと坂道を登って行った。道は坂路の途中で、二手に分かれていた。大きな道が右手に大きくカーブして老人ホームに通じ、直進する細い道が、丘の上の樹林に向かっていた。
 私が分岐点で足を止め、ホームをちらと眺め丘に視線をもどしたとき、突然、ホームに通じるスロープの奥で女の悲鳴が起こった。驚いてホームの方へ視線を走らせると、坂路を一匹の柴犬が私に向かって疾走してきた。柴犬は紺色のロープをひきずっていた。マリ―だと直ぐに分かった。私は腰を屈め、
「マリー!」と絶叫していた。マリ―は激しく私の胸に突き当たり、狂おし気に頭を振り、切ない啼き声をあげ、前足で激しく私の胸を叩きました。私の身体はその衝撃に耐えきれず、よろけ路上に尻もちをついていた。私は埃まみれなってマリーを抱きしめ、言い知れぬ感動で涙をながしながら、「マリー、お前は、いつも六郎さんの溺愛に気を使い、他人を遠ざけ、周りの犬となじまなかった。いま、六郎さんからすっかり解放されて、きっと、ホームの人々に可愛がられていることだろう。お前の姿を見て、それが痛いほどよくわかるぞ!」と、話しかけていた。
 後を追うように、初老の婦人が駆け寄って来た。婦人は肩を揺すり荒々しい吐息を吐きながら、
「お怪我はありませんでしたか?マリーが急に駆け出したものですから」
 マリーを抱く私の姿を覗き込み、唖然とした表情で言葉をかけてきた。
「いや大丈夫です」
 私は手でズボンの埃を払いながら立ち上がった。
「貴女、ひょっとして六郎さんの妹さんですか?」
「えっ、兄をご存知ですか?」
 初老の婦人は、目を丸めた。何処かに六郎さんの面影があった。
「三年ほど前に、プラザのラジオ体操でよく一緒になりましたもので」
「まあ、そうでしたか。兄は何にも教えてくれなくて。きっと皆さんのお世話になったのでしょうね。兄は長いこと相鉄のR駅のすぐ裏に住んでいました。ここのホームにお世話になりましたのも、マリーがこの下の遊歩道を大好きなものですから」
 と、微笑をうかべ、遠くに霞む公園の桜並木に目を向けた。
「六郎さんは、何時お亡くなりになられたのですか?」
「今年三回忌をいたしました。最後は、マリーと過ごしたいと言う兄の希望で、先生の許可を頂き家につれかえり、マリーと私が最期を看取りました。いえ、厳密にいえば、今際(いまわ)の看取りはマリーでした」
「えっ!マリーが?」
 私が思わず声を呑むと、婦人は微笑をうかべ、
「私は兄の隣の部屋に休んでいました。マリーはいつも玄関に居たのですが、衰弱した兄のたっての望みで、夜休むときだけ、そっとマリーを兄の部屋の隅に移していました。夜更けに、突然マリーの啼き声がおこり、驚いて襖を開けますと、マリーが兄の枕辺に顔をよせ蹲(うずくま)っているのが見えました。私が近づきますと、低床ベッドの兄はまるで微笑(えみ)を浮かべたような顔をマリーに向け、右の手をマリーの首に優しく乗せて息絶えていました。今際の時、きっと兄がマリーを呼んだのでしょう」
 私が絶句すると、婦人も軽くうなずいて、
「若い時からお酒が好きで、お給料の半分は酒場に注ぎ込んだようです。義姉(あね)がなにも文句を言わないもので、頭(ず)にのって。私は何時もそんな兄に向って、「ろくでなし」と憎まれ口をたたいていました。まあ、子供もいなかったし、義姉も仕事をしていましたから、兄の気ままにさせたのでしょう。一人になってからは、若い人達を引き連れて酒場通いに拍車がかかったようです。肝臓を傷めたのも、自業自得だったのでしょう。何処に行っても、ロクさんロクさんと呼ばれていたようです。大学の附属病院に入院したのですが、女の見舞い客の多さに、看護士さん達が目を瞠っていました。兄が若い時からキャバレー通いをしたもので、そのホステスさんが、関内や伊勢佐木町辺りで、クラブやスナックの店をお持ちとかで。まあ、あの業界の横の連絡は、商売柄見事なものですね。女性の見舞客が急に増えましてね。病室が六人部屋でしたから、他の患者さんにご迷惑ではと心配したのですが、私の全くの思い過ごしでした。客扱いに慣れた方たちで、他の患者の応接も見事で、暗い病室がいっぺんに明るくなりましてね。兄が、マリ―の顔を見たいと言い出して、先生の許可をいただき退院したのですけど、同室の皆さんがひどく残念がったのは、兄との別れより、華やかなご婦人の見舞いが途絶える事の方が大きかったかもしれませんね」
 と言って笑った。
「マリー、最後にロクさんに会えてよかったな。少しスマートになったかしら、肉をたべとるか?」
 私は腰を屈め、落ち着いたマリーの頭を撫でた。
「お肉は上げません。肥満になりますから。兄はよく与えていたようで」
 と言って微笑んだ。ふっと、駅前で出会った時の六郎さんの姿が甦り、
「随分前に、六郎さんがマリーの肉を買いに駅に急ぐのを見かけましてね」
 と、言ったら、婦人はプッとふきだし、
「Y駅の肉屋さんでしょう。其処の奥さん、兄がよく通ったキャバレ―の元ホステスさんだったそうです。生前、義姉も困惑していました。二人世帯なのに、兄が肉を一杯買って
くるってね。その習慣がのこっていて、マリーもきっと肥満になったのでしょう」
 相鉄の駅に走った六郎さんの人柄がおのずと偲ばれて、思わず笑いがこぼれた。
「通夜は、まるで宴会のような賑やかさでした。何せ集まった人達が、会社を定年退職した同僚や若い現役の人たちと、クラブ・スナックのママさんやホステスさんが一同に顔を突き合わせたものですから。顔見知りの方も大勢いらして、まるで、花火を打ち上げたようなありさまでした。でも、あんな賑やかな葬儀を、兄は一番望んでいたに違いない。いま、そんな気がしています」
「そりや、よかった。六郎さんにふさわしい葬儀じゃありませんか。貴女(あなた)の話を、早速プラザの皆に報告します。マリーもホームで皆に可愛がられていることも報せなくちゃ。何せ、マリーは皆に歯を剥きましたから」
「ほほほ・・・どうか、皆さまによろしくお伝え下さい。すっかり貴方の散歩の邪魔をしてしまいました。其処のホームにいますので、ご都合のよいとき、何時でもマリーに会いに来てください。さあ、マリー帰りましょう」
 婦人は笑顔で私に会釈を返し、マリーの紐を手にとった。マリーは待っていたように紺のロープを引っ張り、婦人は危なげな足取りで坂路を駆け上がって行った。

                                  

         

 
              
               四

 マリーとの三年振りの再会は、私の小さな散歩道の終尾を飾るのにふさわしい光景となったが、その帰り道で偶然出会った、二人の老婆との満開の桜見物を付記したくなった。その一景は、私にとって、全くの僥倖(ぎょうこう)であった。
 散歩の中間点にお寺があり、その前を流れる小川の岸辺に、小さな公園がある。百メートルに満たぬ公園だが、そこに相当の年輪を重ねた巨木の桜並木があり、毎年見事な花をさかせる。
 毎日早朝散歩をする私は、四季折々の桜の姿を眺めてその存在を熟知していた。薄闇の中に咲き始める一輪の花弁は、毎年、私に言い知れぬ感動をあたえてくれた。
 桜のある公園は、丁度、老人ホームの下方に位置していた。
 私はマリーと別れ、細い坂路を歩き欅林の丘に登った。丘から眺めた桜並木は、陽の光を浴びて、白く輝き、私に新たな感動をあたえてくれた。花は眺める角度でこうも趣が変わるものなのか、私は茫然とその光景に視線を奪われていた。
 私はゆっくりと丘を下り、公園の桜並木まで戻って来た。風が全くない行楽日和で、桜の下の芝生には、小さな子供を連れた家族の花見見物する光景があった。
 桜は満開だった。梢を包むような花弁の塊が、まるで、子等が手にした綿菓子を見るように、柔らかな表情で樹々を覆っていた。まだ、地面には一輪の花弁さえ散ってはいない。桜の花が見せるほんの一瞬の光景である。私は陶然(とうぜん)となって、頭上の桜を見詰めていた。
「貴方(あんた)、こん椅子に座って、ゆっくり桜を眺めなさったら。立っとると疲れる」
 突然、足元から女の声がかかり視線を向けた。公園内に数か所にベンチが設置されていた。声を掛けてきたのは、眼前のベンチに腰を下ろした二人連れの老婆だった。二人とも黒っぽい着物姿だった。細面の小柄な婦人と肉置きの豊かな丸顔の婦人の二人が、満面の笑顔でベンチに並んで座っていた。
 私が軽く頷き、歩み寄り腰を下ろすと、
「何処からきなさったと?」
 丸顔の老婆が、待ち構えるように問いかけて来た。
「区役所の奥からきました」
 二人は、私の返事に顔を見合わせ頷きあい、
「あの辺りも開けて便利になった。相鉄の電車の駅が出来て。家の旦那が川崎の製鉄所に通わした頃は、まあ不便でなあ。それに、旦那は酒飲みで川崎の街で途中下車ばかりするもんで、家さん帰りつくのは何時も夜中になって」
 と、言って丸い顔の老婆が失笑すると、小柄の老女が大きく頷き返して笑いだし、
「貴女(あなた)のご主人の正樹(まさき)さんは、気前がよくて女にもてる人だったもの。若い時、川崎の女に入れあげて、家に帰らなかった事があったじゃない?」
「ああ、あった、あった。長男が小学校に入学する頃よ。あの時は本当に苦しかったな。誰にも言えず、貴女に打ち明けたら、公男(きみお)さんが黙って動いてくれた」
「私、そのことを貴女から聞いて初めて知ったのよ。あんな寡黙な旦那が、正樹さんがいる女のアパートに乗り込むなんてね」
「公男の奴、突然女といる部屋に訪ねて来て、黙って俺の襟首を掴み、アパートの外に引きずり出しやがったんだ、そう言って笑ってた」
 と、丸顔の老婆が夫の行状を暴露して首を竦め、
「それより、女の赤いガウン姿でアパートの外に立っているのがえらく恥ずかしかったって、後になって旦那が打ち明け話をしてくれたの。物凄い形相してたって、公男さん」
「ほほほ・・・」
 と、細面の婦人が声を上げて笑った。
「その点、公男さんは役所勤めで、決まった時間に家に帰ってみえて、ほんとに羨ましかった」
「何言ってるのよ、私は毎日印鑑(はん)で捺したように家に帰って来る主人を見て、息が詰まりそうだったと。たまには、何処かで遊んで来ればいいのに、と何時もおもっていた。正樹さんにそっと頼んだことがあつたの、公男を遊びに連れていってくれってね」
「旦那、なんて言った?」
「公男が若かったら遊びを教えるけど、歳をとっているからダメだって。年を取ってからの遊びは、止(や)まらないって」
「ふたりは、どんな間柄だったのですか?」私が思わず笑うと、
「小学校の同級生だったのよ。ほんと、あの二人の組み合わせは傑作だった。一度、亭主を取り換えてみたらよかった」
 丸顔の婦人が言うと、細面の女が即刻同調して爆笑した。
「お二人の話を聞いて、どこかでご主人がくしゃみをしていますよ」
 と、私が言ったら、
「おとうさん、二人して天国であまり大きなくしゃみをしないでね。折角の満開の桜が散るといけないから」
 と、言って細面の婦人が笑うと、丸顔の老婆の笑い声があとを追って弾けた。
 桜を見上げる二人の笑顔は、満開の桜に負けず輝いていた。

                                   完

著者