「小さな旅」匿名希望

 差し出したスマフォの画面を人差し指がなぞり始める。蜘蛛の巣が箒でいとも簡単に取り払われるようにロックが解除された。
 撮りためた写真を管理する画面上のソフトのアイコンをその指が押すと数々の写真が花が咲き乱れように画面一杯に広がった。それを見入った人差し指の持ち主の息子の屈託のない笑顔が画面に反射している。
 先日、食事に行って撮影した自分を見つけ更に笑顔が際限なく豊かになっていくことがわかる。息子は、矢継ぎ早に様々な写真を開いては閉じ開いては閉じる動作を繰り返す。
 そうしているうちに私たち親子を迎えに来るように車両が駅に滑り込んできた。息子は        、背負っていたリックサックを前に移動し列車を待っていた人々の列に続いて車両に乗り込んだ。
 いつも乗るのは先頭車両。他の車両より空いており息子との会話も他の乗客に余り気を遣わなくてもすむから。
 電車は、ホームを抜け出し加速して次の駅に向う。途中、橋にさしかかり境川と交差する。昨日の雨のせいか今朝の河の流れは急であった。この流れが遠く相模湾に注がれているなんて何人の乗客が知っていることだろうか。私は、河川沿いの歩道に私と息子が佇んでいる姿を何回も見てきた。幻では決してない。確かに私は見てきたのだ。
 四季折々に豊かで多様な表情を見せてくれる境川沿いを二人で散歩することをとても楽しみにしている。特に春の境川が好き。水面
に優しく反射する光の散らばりと生が発散する匂いがとても心を愉快にしてくれる。息子の表情が私と同じ心境を語ってくれている。
 燦めく私たち親子が一瞬ではあるが通過する相鉄線の車窓に向けて息子と微笑みながら手を振り続けたことがあった。そんな幸せそうな2人をこの私が見逃す訳がない。
 電車が次の駅に到着した。午前8時台の上りなのでラッシュのピークではないがそれなりに乗客が車内に吸い込まれてくる。次の駅で下りる私たちは身をドアの隅に寄せて乗客たちを車両の奥へ送った。
 相変わらず息子はスマフォの写真に見入っていて朗らかな笑顔を振りまいていた。でも
乗客の殆どがスマフォに見入っていて彼には無関心であった。いや、無関心を装っているのかもしれないとこのごろ感じるようになっていた。
 ほぼ定刻に出発した電車はいくつもの住宅街を抜け一気に視界が開ける空間に導く。主要な街道を跨ぎ左手には団地群。右手には戸建てが密集した住宅街が広がる。かなり先まで見通すことができてある種の緊張感が解き放たれた気分になる。
 開かれた空間に線路に平行して植えられている銀杏たちの姿と出会える。季節によって美しく彩られる彼らの表情をとても楽しみにしている。
 息子からスマフォを取り戻し私のカバンにしまった。銀杏が見えてくると目的の駅が近づいてくる。息子もそれは感じているようで電車の扉を意識するように見える。

 電柱が所々で歩道にむき出している車道を
職人的な技術で糸を纏うように乗り合いバスが進む。私は、そのバスに揺られている。
 息子とは駅で別れそれぞれの目的地を目指す。私は、勤務地へ向かうバス停へ。そして息子は、駅から徒歩で10分程度にある高等特別支援学校へ向かう。
 勤務先には、息子に軽度な知的障害があることなど事情を話し勤務時間に配慮してもらっている。私が目的のバス停に着く間に息子は先生やクラスメートたちと挨拶を交わし楽しい学校生活を始めていることでしょう。

 かつて読んだ「銀河鉄道の夜」にこんな件がある。
 「けれどもほんとうのさいわいはいったいなんだろう」とジョバンニに問われたカンパネルラがこう答えました。「ぼくはわからない」と。
 私もわからない。その欠落感を抱きながら何となく生活している。平日にいつも繰り返されるたった2駅を移動する相鉄線の小さな旅。息子と一緒でいられることで不安が少し和らぐのがわかる。
 車窓から飛び込んでくる光、音、色、匂いが多層の風景を織りなし私の心に横たわる深淵なる隙間を一瞬だけど埋めてくれるのだ。
そして、息子の屈託のない笑顔が塞がった隙間に大きな向日葵を咲かせなびかせる。
 
 来年息子は学校を卒業する予定だ。何年間も続いた旅がその時に終わる。いやいやこれからも続くと思う。乗り慣れた相鉄線でいつまでも息子と共に美しい風景を探しに行きたい。きっと息子も望んでいると思う。

著者

匿名希望